<三日食う雑煮で知れる飯の恩><飯はよい物と気のつく松の内>。二句はいずれも江戸期の川柳集「柳多留(やなぎだる)」。江戸の人も、さすがにお正月の雑煮続きにちょっとげんなりしていたかもしれぬ▼まさか<仕事はよい物と気のつく松の内>とはならなかっただろう。早いもので、きょう四日は仕事始めである。また一年。もちろん仕事の上での楽しみや人によっては「今年こそは」の野望もあろうが、年末年始にちょいとおろした腰を再び、持ち上げるのは会社勤めが何十年になろうとおっくうなものである▼一月三日を略した「三日」や次の日の「四日」はそれだけで俳句の季語になっている。歳時記に並ぶ句を眺めていて、おもしろいことに気がついた▼<三日はや雲おほき日となりにけり>久保田万太郎。<四日はやつぶやき癖の厠(かわや)うち>小林清之介。「はや」を組み合わせた作例がかなり見つかる▼この場合の「はや」とはもちろん、はやくもとか、もはやの意であり、おおげさにいえば過ぎてしまった正月への哀惜や寂しさがこもっている。仕事始めを目前に控え、よく分かるという人もいるだろう。<四日はや行きたくないと厠うち>と句を盗んでみたくなる▼幸いにも、今年は暦の並びがよく、四日に仕事をすれば、また土日の連休。「こいつは春から縁起がいいわえ」。すまぬ。小欄、正月気分がどうもまだ抜けぬ。