「三つのものを人間は隠すことができない」。古いユダヤの言い回しという。咳(せき)、貧しさ、恋だそうだ。懐具合も恋心も、咳のようにどうしようもなくあらわになる。そんな意味か▼この咳の是非ない性質に付け込むのが、インフルエンザウイルスだろう。『インフルエンザパンデミック』(河岡義裕、堀本研子著)によると、感染した人は、たっぷりウイルスを含んだ約五万個もの飛沫(ひまつ)を咳で放出するのだという。人から人へと高速で移動するための乗り物だ▼インフルエンザウイルスはもともと水鳥にいたそうだ。国境を越えて広がるための翼を持ち、長旅もしてきた人類の古くからの難敵である。今年も、インフルエンザが拡大し、大流行の域に達している▼「警報レベル」となった自治体は、四十都道府県以上に及ぶというから全国規模である。深刻な事例も多い。兵庫県などの高齢者施設で、死者が出る集団感染があった。東京の地下鉄では、インフルエンザが影響した可能性のある死亡事故も起きている▼電車内で、ちょっとした咳払いに緊張が走るのを日に日に感じるようにもなってきた。どうしようもなく咳が抑えられないときはマスクなどで口を覆って移動の足を封じたい▼「口はドアのようなもの」とユダヤでは言うそうだ。ドアを閉じ、ウイルスの旅は、自分のところで終わらせる。そんな意識が必要だろう。