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今日の筆洗

2017年10月14日 | Weblog

 三百年も前につくられた弦楽器の名品ストラディバリウス。その妙(たえ)なる響きの秘密は何か。弦楽器製作者や科学者が謎に挑み続けているが、その答えの一つは、地球から一億四千九百万キロ彼方(かなた)にあるらしい▼十七世紀半ばから七十年間、太陽の活動は低調だった。欧州は曇りがちで、冷え込む年が続いた。そんな天候が年輪が細かく密な木を育み、名器の材料になったという説である▼ストラディバリウスのような調べを響かすことはなくとも、樹木の年輪は雄弁だという。その時々の気温や雨の降り具合、そしてはるか遠い太陽の微妙な活動まで語ってくれるというのだ▼『地球の変動はどこまで宇宙で解明できるか』(化学同人)の著者・宮原ひろ子さんは、一九五九年の伊勢湾台風で倒れた伊勢神宮の杉を調べた。樹齢は四百五十九年。室町の昔から昭和までを生きた「長老」は「十八世紀の終わりから、十九世紀半ばの西日本は、太陽活動の弱まりの影響で徐々に雨が増えていった」と教えてくれたという▼年輪を調べるにあたって、節目となる年があるそうだ。東京五輪のあった一九六四年だ。その前年、部分的核実験禁止条約が発効したが、米ソなどは発効前に駆け込みで核実験を重ねた。その痕跡が、年輪に特徴的に刻まれているという▼樹木は、太陽の動きも、人類の愚行も、すべて忘れずに書きとめているのだ。


今日の筆洗

2017年10月13日 | Weblog

  沖縄県宜野湾市の普天間第二小学校は、「耳育て」を大切にしているという▼給食の時間には、校内放送でクラシック音楽をよく流す。毎週金曜日の朝には、保護者が絵本などの読み聞かせをする。さまざまな美しい音楽や語りにじっと聴き入る。そういう「耳を育てる」時間を大切にしているのだ▼しかし、いくら耳を傾けても、音楽も声も聞こえなくなる時間があるそうだ。学校のすぐ横にある米軍普天間飛行場でヘリなどが離着陸すると、爆音で学校中の空気が圧倒されるという▼音だけではない。沖縄の学校は、米軍機の墜落の恐怖にもさらされている。一九五九年には小学校にジェット機が墜落炎上して、十八人の命が奪われた。八二年には普天間第二小からわずか二百メートル余の場所にヘリが墜落し、二〇〇四年には普天間飛行場近くの大学にヘリが墜落炎上した▼そしておととい、普天間飛行場所属のヘリが東村(ひがしそん)に不時着して、民家から三百メートルほどの場所で大破した。「日常の世界が一転して恐ろしい状況になることに、大変違和感があった。悲しく、悔しい」という翁長雄志(おながたけし)知事の言葉には、数々の事故の記憶がにじんでいるのだ▼「悲しく、悔しい」という声に、どう耳を傾けるか。事故の真相究明は米軍任せという日米地位協定は今のままでいいのか。沖縄からの問い掛けは、私たちに課せられた「耳育て」だろう。


今日の筆洗

2017年10月11日 | Weblog

 福島県須賀川市で八代続く農家の樽川(たるかわ)和也さん(42)は、キャベツの悲鳴を聞いたことがあるという▼樽川さんの父・久志さんは、土づくりにこだわる人だった。「一センチのいい土ができるには、百年かかる」と言い、堆肥づくりに手間暇を掛けた。その土で育てた野菜は築地市場で評価され、自慢のキャベツは学校給食でも人気だった▼だが、福島第一原発の事故は、久志さんと先祖代々の情熱が染み込んだ土を汚した。地元産のキャベツが出荷停止になったとの知らせが入った翌朝、久志さんは自ら命を絶った▼出荷できなくなった七千五百株のキャベツは、畑でむなしく育った。大きくなりすぎたキャベツはパリッパリッと音を立て、真っ二つに割れた。和也さんには、それがキャベツの悲鳴に聞こえたのだ▼衆院選が公示された昨日、和也さんら福島の人たち三千八百人余が「原発事故で奪われた生業(なりわい)と地域を返せ」と起こした裁判の判決が出た。福島地裁が政府と東電の責任を厳しく認めて賠償を命じたとの一報を、和也さんは稲刈りの最中に聞いた▼久志さんは、遺書は残さなかった。ポケットの中に歩数計機能付きの携帯電話があり、その歩数は、およそ七百。自宅裏のキャベツ畑を見てから、命を絶ったのだろう。それから六年半。私たちは、どんな方向に、どれほど歩いてきたのか。立ち止まって考えたい、衆院選だ。


今日の筆洗

2017年10月09日 | Weblog

【長広舌】…「よどみなく長々としゃべりつづけること」。これは「大辞泉」から引いているが、「長々」というあたりに編者のうんざりした気分を感じる。あまり良い意味で使う人はいない言葉かもしれぬ▼十日は総選挙の公示日である。いよいよ、本格的な「長広舌」の季節に入ると書けば、皮肉が過ぎるか。ちゃかすつもりは毛頭ない。政権選択、国の将来のかかる大切な機会である▼この「長広舌」。もともとは「広長舌」だったそうだ。それがいつの間にか、広と長がひっくり返って使われるようになったという▼興味深いのは「広長舌」が本来はありがたい仏教用語だったこと。仏の舌は広く長く、伸ばせば、顔面を覆えたほどで、その大きな舌によって「真実」を語ることができたそうだ。なるほど「舌先三寸」の三寸(約九センチ)ではないらしい▼本来良い意味だった、「広長舌」が「長々としゃべり続ける」の「長広舌」へと変化した理由はよく分からないのだが、辞書編集者の神永暁さんによると「長舌」(口数が多いこと)や「広舌」(無責任に大きなことを言うこと)と混同された可能性もあるという▼さて、各党党首や候補の発言が実現性のある真実の「広長舌」か、それとも人気取りの無責任な「長広舌」かを混同せずに聞き分けなければなるまい。「舌」の季節と書いたが、本当は「耳」の季節である。


今日の筆洗

2017年10月08日 | Weblog
 月の軌道上で最初に流れた曲は、フランク・シナトラの「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」だったそうだ。中秋の名月は過ぎたが、月の美しい季節。月光についハミングも出るか▼「お月さまに連れてって。お星さまの間で遊ばせて」-。一九六九年、アポロ10号の船内で、宇宙飛行士たちがカセットテープでシナトラの軽快な歌声を聴いた。その曲は当時、アポロ計画のテーマソングのひとつのようになっていたそうだ▼六回の月面有人着陸を成功させたアポロ計画が終了したのは、七二年。それから四十五年後の今、「もう一度、お月さまに連れていってちょうだい」というところだろうが、果たしてヒットするかどうか。米国のペンス副大統領が最近、NASAの宇宙飛行士を再び月へと送り出したい考えを表明した▼宇宙開発競争においてロシアや中国に主導権を奪われつつあると危機感を抱くトランプ政権は、この計画で一気に巻き返しを図る狙いがあるという。月面上に火星やその先に向かうための「拠点」を建設したいというから壮大な計画である▼大阪万博の「月の石」に熱狂した日本のアポロ世代は興味津々かもしれないが、悲しいことに、実現目標時期もない上、予算確保のめどもない▼過去の栄光を想起させる、大風呂敷を不人気政権が広げたように見えなくもなく、どうもハミングもかすれがちである。

"Frank Sinatra Fly Me To The Moon" を YouTube で見る


今日の筆洗

2017年10月07日 | Weblog

 先月二日に九十二歳で逝った土山秀夫さんにとって、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲ホ短調は、特別な曲だったという▼一九四五年の七月末。土山さんは兄とともに、長崎の家でこの曲を聴いた。クラシック音楽を聴いていれば「敵性音楽を楽しむとは」と、とがめられた時代。兄弟は音が漏れぬよう蓄音機にふとんをかけ、かすかな旋律に聴き入った▼兵営入りは、目前。「これが恐らく自分にとって最後のコンサート」と思いつつ聴くと涙がこぼれたそうだが、それは兄らとの「別れの曲」になってしまった。八月九日、土山さんは母を見舞うために、たまたま長崎を離れていた。しかし、兄とその家族は原爆によって命を奪われたのだ▼戦後、医学の道に進んだ土山さんは核を廃絶するために力を尽くした。この世を去る前に「核兵器禁止条約」の誕生を目にすることはできたが、日本政府がその交渉にすら加わらなかったことに、どういう思いを抱いていただろうか▼核の力を手放すことができず、今なお一万五千発もの核弾頭がある世界は、いつ「人類の最後」を迎えるかも分からぬ世界だ。例年、ノーベル平和賞授賞式の翌日には、受賞者をたたえるコンサートが開かれるが、今年は、メンデルスゾーンの協奏曲を奏でてはくれまいか▼それが、私たちの「最後のコンサート」にならぬようにとの思いを込めて。

土山秀夫氏による被爆者証言

諏訪内晶子 メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲

 

 
 

今日の筆洗

2017年10月06日 | Weblog

 二十世紀音楽界の巨匠パブロ・カザルスが生まれて初めて、投票したのは、五十四歳の時だった。愛するカタルーニャに自治をもたらすため、一九三一年の選挙で一票を投じたのだ▼新生カタルーニャの出発を、彼はベートーベンの交響曲第九番を指揮して祝ったが、わずか五年後にファシストが反乱を起こした。反乱軍が迫り、どんな明日が訪れるかも分からぬ状況で、カザルスは、第九の終楽章を奏で、歌って、お互いの別れのあいさつにしようと、楽団員に呼び掛けた▼<♪やさしき翼の飛び交うところ すべての同胞(はらから)はちぎりをむすんだ兄弟…>。その響きは無上のものだったと、巨匠はふり返っている(『パブロ・カザルス 喜びと悲しみ』)▼その後の内戦と独裁政治でカザルスは亡命を強いられ、異国の地で生涯を終えた。彼が九十六歳で逝って、四十四年。カタルーニャで独立を問う住民投票が行われ、結果は「独立賛成」と出た▼しかし、スペイン政府はこれを頑として認めない。投票率の四割という低調さには、住民の複雑な思いもにじんでいるのだろう。独立がスペインはもちろん、カタルーニャ内部にも分裂と対立をもたらすのではないかとの懸念もある▼カタルーニャ州議会は近く独立を宣言する構えだと伝えられる。それは、カタルーニャの人々と「兄弟」にとって、「歓喜の歌」となるのだろうか。


今日の筆洗

2017年10月05日 | Weblog

 靴はおしゃれの基本です、とはよく耳にするが、作家の太宰治はそう考えなかったようである。大学時代、雨の日はもちろん、晴れの日も、ゴム長靴を履いて歩いていたそうだ▼「服装に就いて」の中でゴム長靴の効用を強調している。靴下をはいていなくても見破れない。水たまりも泥道も平気。脱ぐときも「軽く虚空を蹴ると、すぽりと抜ける」…。長靴の実利を説くが、友人には、その長靴ルックは不評で「どうにも、それは異様だから、やめたほうがいい」▼この靴もスーツにネクタイの会社員が履けば、「異様」に見えるか。運動靴のスニーカーである。スポーツ庁は働く世代の運動不足解消を目的に、スニーカーを履いて通勤することを提唱。国民運動として定着させたいという▼スニーカーなら、通勤時や仕事の合間にウオーキングなども確かにしやすい。既に忘れ去られた「プレミアムフライデー」など役所主導のアイデアには首をひねりたくなるものも少なくないが、スポーツ奨励の妙案かもしれぬ▼問題はその靴がわが国伝統の通勤スタイルに似合わぬことだが、「ダサい」とうめかず、「太宰」の実利で判断すべきか。スニーカー通勤が会社員に運動しやすい環境を提供し、それが健康増進につながるのならやってみる価値はある▼何よりも見てくれを気にしている場合ではない、この国の医療費の増大である。