「この季節、ヘップを履いた女性が目立つ」などとおろかにも書き出せば、問い合わせや苦情が殺到するかもしれぬ。「ヘップ」▼一九五〇年代に青春期を過ごした女性ならご存じだろう。サンダルの一種で「つっかけ」というべきか。オードリー・ヘプバーンが映画「麗しのサブリナ」の中で履いたので名がついたという。ヘプバーンのヘップである▼あこがれ、覚えやすさ。女優や有名人の名がついた服飾関連の言葉は実に多い。ロイド眼鏡は米俳優のハロルド・ロイド。ショールを頭からかける「真知子巻き」は映画「君の名は」(一九五三年)の主人公。「慎太郎刈り」「聖子ちゃんカット」の説明はいらぬだろう▼東京オリンピック・パラリンピックの公式エンブレムが決定した。撤回、選考のやり直しを経てようやく定まったのは藍色の「組市松紋」▼市松模様も有名人へのあこがれと関係がある。歌舞伎役者、佐野川市松が着た衣装の模様から人気が広まった。一七五四年の書物には「市松染と名を付けて猫も杓子(しゃくし)も着て…」とあるから夢中のほども分かる▼地味、選考過程がなお不透明との声も聞かぬではないが、模様の色合いのように今度は落ち着いて定着してもらいたいものである。デザインの基調は「多様性と調和」とか。何かと意見対立し、調和遠き、いがみ合う世情には、むしろ望まれる模様でもある。
朝日日本歴史人物事典の解説
佐野川市松
没年:宝暦12.11.12(1762.12.26)生年:享保7(1722)
江戸中期の若衆形,女形の歌舞伎役者。俳名盛府。山城国伏見(京都市)の武士の子として生まれ,京四条南側芝居の出方(木戸から入る客を案内したり,無料入場者を取り締まる係)甚蔵の養子となる。若女形の佐野川万菊の門弟。はじめ子役で人気を得ていたが元文4(1739)年より若衆形となった。寛保1(1741)年江戸へ下り,「高野心中」での小姓粂之助役が大当たりし,このときの衣裳の石畳模様は市松模様の名で流行した。その容姿の美しさから浮世絵によく描かれている。宝暦4(1754)年から若女形へ転向,江戸において若女形の首位となり,これからと期待されたときに没した。2代目,3代目があるが,初代ほどの活躍はなかった。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』2期
(北川博子)
カナダの天才ピアニスト、グレン・グールド(一九三二~八二年)は演奏技術に対する高い評価の一方でちょっと風変わりな人物だったそうだ。特に有名なのは電話の逸話▼毎晩、午後十一時になると友人たちに電話をかける。あいさつをすることもなく、自分の考えていることを一方的に話し始め、時にそれは何時間も続く。本を読み聞かせる。長い曲をまるまる口ずさむ。深夜の「演奏」に友人らはさぞや閉口したことだろう▼電話の虜(とりこ)だったグールドも電話を切ることもあった。話し相手がクシャミをした場合だという。健康を異常なほどに気にし、電話回線を通じて風邪がうつるのではないかと恐れていた。天才も愚かな思い込みと手を切れなかったか▼比較にならぬほど罪深き思い込みと過ちに対する一つのけじめとしたい今回の判断である。七二年まで、ハンセン病患者の裁判を隔離した「特別法廷」で審理していた問題に対し最高裁は差別を助長し、人格を傷つけたとして謝罪した▼感染力が弱く、完治できる病への無理解によって差別を許さぬはずの裁判所が差別に味方し、人権に背を向けていた。差別された側の孤独と絶望の深さは想像もできまい▼「特別法廷」では証拠品を手ではなく火箸で扱ったと聞く。偏見という長い、長い箸である。時間はかかったが、ポキリと折れたと信じたい。二度と使えぬように。
・グールド ゴールドベルク変奏曲 聴き比べ
シェークスピア
16世紀末、ルネサンス期のイギリスを代表する劇作家。
シェークスピアは、教科書ではルネサンスに含められて説明されることが多いが、彼が活躍した時代はイタリア=ルネサンスの盛んだった14~15世紀ではなく、かなりずれて、16~17世紀にかけてであったことに注意しよう。シェークスピアが生まれた1564年は、カルヴァンが死んだ年であり、同年にイタリアではガリレイが生まれている。なお、シェークスピアが死んだ1616年は日本では徳川家康が死んでいる。