降って来るもの

写真と散文とぽえむ

海馬に

2018-12-16 14:02:23 | 詩16

            海馬に


ただ出合ったというだけなら

それは廻る月日の間に

数え切れない程に訪れて・・

 

出会いという事に絞っても

僕らは数多の擦れ違いを

恒常的に繰り返し

 もはや

百万遍もの束の間の会者定離を

積み重ねているけれど

それは唯の行き擦りというだけで

 誰も彼も

僕を記憶したりはしていないのだ


そこには絶対的に

触れ合いがなければならぬ

心の揺れが派生しなければならぬ

気が働いた痕跡が残っていなければならぬ

海馬に正しく筆記されていなければならぬ

光沢を無くさぬ珠玉でなければならぬ

 いつでも自由にいつでも心の欲っするままに

抽斗から取り出せなければならぬのだ

そうでなければ

イノチの出会いだとは

決して記録されないのだ

 そうして

その様に交わったヒトの数こそが

人生lifeの豊かさを計るバロメーターであり

命lifeの熱さを教えてくれる温度計になる


僕が絶え間なく発信するのは

 常備するボクの音叉と

同じように共鳴する誰かの

その懐の音の有無を訪ね宛てたいからなのだ


僕がwriterとして発信しなければ

 それは

何一つとして成就しない想い

それこそが

僕のhopeの有り様の表現なのだ


それ故僕は

 夜でも朝でも昼間でも

運命を帯びた欠片たちが降って来ると

それを文字と言葉に変換して送信する態勢を

常に整えている

 そう!!

一tの紙と百本のボールペンを・・




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老いの短観

2018-12-16 06:10:02 | 随想

                                         老いの短観


 僕の膝は今日一日、無事に七十数キロの僕の体重を支え続けてくれるだろうか?とこの頃は朝毎に否応なしの心配の種を一つ抱える。

 そう云えば、若い頃(概ね十代後半から三十代前半までぐらいと言っても間違いはないだろうか)あの”背番号3”の影響でベースボールにのめり込んだのだった。

 その状態は、高校生の十六歳から結婚する直前の三十三歳まで続いたのだ。その間のほぼ十年間はピッチャーという役割を担って過ごした。つまり若くて柔軟な膝関節を酷使していたことになる。

 結婚を契機にする野球からは足を洗ったけれど、生業に就き(僕ときたら、その間の三十年近くを悶々と暮らした・・)、選んだ洗い師という仕事が又、膝が肝腎要の、膝の強靭さが要求される立ちっ放しの仕事で、そんな業態を保持しながら夢中で経過した四十年近く。だから、もしかしたら普通の人よりは膝を使い過ぎる環境で生きてきたのかも知れないとも思う。

 それは今も継続されて、前述の如く”膝の疲弊”を感じている根拠にもなっている。だからどうした・・、という特別な後悔などは一切感じている訳でもないだが、痛みが走る度に、正座できない状態のもどかしさに、朝毎夜毎に膝に塗り込むサリチル酸メチルの面倒くささに辟易としているのも事実なのだ。

 全く持って癪なことこの上ないが、さりとてしたり顔で納得などしたくないけれど、僕は間違いなく限りあるイノチの年輪を積み重ねているのだと、つまりは否と応に関わらず”老い”と云うものを体現しつつあるのだとしみじみと感じさせられるのだ。

 夕べ関係している地域の部会の、今年最後の会議があって参加した。参加者十名で一年の労をねぎらった後に僕には最初で最後の”忘年会”(若い時は根無し草のように漂流していたので、その上、この何十年も独立独歩の一人仕事を熟してきたので、忘年会などという皆でワイワイの機会は訪れる筈もなかったのだ)が開催され、その世間話の中で、去年の秋には元気に会話を交わした高校一年の時の同級生がこの師走の初めに亡くなっていたと知った。少し酔い覚めするほどの情報だったが、僕もそんなことが起こっても已む無しの年齢に突入したのだと改めて骨身に沁みた”お知らせ”ではあった。

 今日は自治会の公民館に設置された図書室兼読書室の”図書当番”に当たっている。誰にも邪魔されず夢中で本が読める(何しろ何回も当番を務めたのだが、訪れる人に遭遇するのは稀な状況なのだ)ので僕は嬉々として十時から十一時までの充実した時間を過ごすのだ。

2018 12/16 まんぼ

コメント (8)
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