新たなる思い出の数々の時間を消えない時に換えて、意気揚々と現実へと帰還する・・
此処に降りて、此処から飛ぶ
まだ陽は西空で煌めく
離陸
さらば南の大地ヨ
帰路の席は、当にプロペラの真横だった・・
大阪伊丹のビル群が眼下に
これにて、長々と綴ってきた中九州の旅日記を閉じる。飽きず訪ねてくれた方々に感謝
また何れ、何処かのwarp地の綴り方を披瀝できることを・・
06/12 05:51 まんぼ
新たなる思い出の数々の時間を消えない時に換えて、意気揚々と現実へと帰還する・・
此処に降りて、此処から飛ぶ
まだ陽は西空で煌めく
離陸
さらば南の大地ヨ
帰路の席は、当にプロペラの真横だった・・
大阪伊丹のビル群が眼下に
これにて、長々と綴ってきた中九州の旅日記を閉じる。飽きず訪ねてくれた方々に感謝
また何れ、何処かのwarp地の綴り方を披瀝できることを・・
06/12 05:51 まんぼ
~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ございます
中九州、肥後と豊後の新鮮な思い出の二度目の経験と重ね合わせた旅のレポートも、いよいよ最終回に成りました。”臼杵石仏”で悠久の歴史に触れ、大日如来の慈しみを受けて向かう最後の訪問地は、
12:30着の、此処
城好きの僕が如何しても!とscheduleに組み入れた
◎現存する石橋の”古橋”
※臼杵城 戦国時代、九州6か国を治めたキリシタン大名・大友宗麟が、弘治2年(1556)頃、四方を海に囲まれ天然の要塞であった丹生島に丹生島城(臼杵城)を築いた。
◎右端に現存の畳櫓が見える👆
三つの城と阿蘇の噴煙と感激の再会と祷りと癒しの石仏群と、思いと願いが豊かに実った2泊3日の肥後と豊後の旅。新しい記憶を増やし芳醇な時の移ろいを懐に、此処から再び旅の始まりの地”大分空港”へと戻る。
06/11 06:07 まんぼ
~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ございます
先ずは昨日のお浚いから
※山王山石仏
3体の石仏で、中尊には如来坐像を据え、その左右には脇尊としての如来坐像を配す珍しい形式をとっている。邪気の無い童顔が心を和ませてくれる。「隠れ地蔵」とも呼ばれ、故安井曽太郎画伯が絶賛した像である。平安後期頃の作。
素晴らしい
さて順路に従って向かうのは、愈々、彼の”大日如来像”だ
※古園石仏
中尊の大日如来像は、切れ長の目に引き締まった口元が極めて端正で気品あふれる表情を作り、各方面から限りない絶賛を受けている。以前は、落ちた仏頭が仏体下の台座の上に安置され、長く人々に愛され続け、世界的にも有名であったが、保存の為の修復に合わせて仏頭も昔日の見事な姿に復位された。平安後期頃の作。この北側にある金剛力士立像は平成29年に国宝追加指定を受ける。
※そうなのだ!このお顔こそ、長く長く高校三年生の柔らかな少年の心に刻まれていた・・。昭和55年から14年間に及ぶ保存修復工事が始まったので、少年が17歳と9か月で対面したのは、当に頭部のみの大日如来だったのだ。
お線香をあげる・・
北側に国宝に追加指定された
痛みが進んでいるが・・、金剛力士像がある
50数年ぶりに味わう心地よい”郷愁”を堪能し・・、豊後最後の訪問地へ
さて、国宝臼杵石仏の最期のシャッターを切ったのが5/16 12:02。
帰りは大分空港16:10発大阪伊丹 ANA1690便 あと一つの訪問地、何処へ、question?頭の体操に考えてみて・・ 6/10 07:00 まんぼ
06/10 06:40 まんぼ
~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ございます
中九州、肥後と豊後の旅の最終日、豊後竹田市から臼杵市に
この計画を立てた時、阿蘇と並んで最初の行先として頭に浮かんだ地「臼杵石仏」との(高3の冬、友達との卒業旅行で初めて・・)50数年ぶりの対面の時が来ました
※国宝・臼杵石仏
平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫られたといわれる臼杵の摩崖仏。六十余体ある摩崖仏は、昭和27年には国の特別史跡に、昭和37年には国の重要文化財に指定される。
永年の保存修理工事を終え、頭部のみで親しまれてきた”古園石仏中尊”の「大日如来像」は本来の姿に還り、臼杵摩崖仏4群59体が平成7年6月、摩崖仏としては全国初、彫刻においても九州で初めて国宝に指定された。
また、平成29年9月15日に2体の「金剛力士立像」が国宝に追加指定され、臼杵石仏(摩崖仏)は合計で61体が国宝となった。
木彫りと見紛うばかりの見事な彫刻技術と数量、質の高さに於いて他に類を見ることがなく、日本を代表する摩崖仏群である。それでは順を追って・・👇
◎”ホキ”とは「岸險がけ」という意味の地名
👇
◎山王山石仏👇
Ⅱに続く・・
06/09 06:13 まんぼ
雄大な眺めと広い城域を持つ岡城址。三の丸から、愈々何も残っていない”本丸跡”にのぼる。
遠くの山並みは九重連山か
その向こうに阿蘇五岳も。本丸から見下ろす二の丸跡に・・
その人の銅像は在る
「荒城の月」
土井晩翠 作詞
滝廉太郎 作曲
一 春高楼の花の宴 めぐる盃かげさして
千代の松ヶ枝わけいでし むかしの光いまいずこ
二 秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて
植うるつるぎに照りそいし むかしの光いまいずこ
三 いま荒城のよわの月 替わらぬ光たがためぞ
垣に残るはただかずら 松に歌うはただあらし
四 天上影は替わらねど 栄枯は移る世の姿
写さんとてか今もなお 嗚呼荒城のよわの月
※郷愁を誘う詩とメロディー 太陽が空に輝く時間帯の訪問だったが、僅か23歳と10か月でこの世を去った早逝の天才作曲家”瀧 廉太郎”の、幾許の憂愁に触れられた思いが・・💛
二の丸に降りて・・
岡城址の佇まいを胸に納めて、下城することに・・。忘れ得ぬ訪問になった。
本格的な城跡を堪能し、後ろ髪惹かれる想いで・・
豊後竹田市、岡城址を後にする
明朝の豊後⑥へ 06/07 05:50:05 まんぼ
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快晴の5/16 中九州”豊後肥後の旅”最終日、三日目の午前に訪ねた豊後竹田市「岡城址」は期待に違わぬ高石垣を有する壮大な城跡でしたよ
大手門を通って城内に入る
断崖絶壁に積まれた石垣。あの上に本丸が在ったのだ
正に天然の要害
西中仕切り跡
三の丸へと進む
素晴らしい石垣を持つ城🏯だった
反対側に、西の丸の石垣が見える
三の丸が近づく
此処から、三の丸跡の「高石垣」が
二の丸跡へ
僕はそのまま本丸跡へと
next㈢へ 06/06 05:50:05 まんぼ
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束の間の幕間まくあいを貰った”中九州旅物語”、三幕目は再び肥後から豊後へと中九州自動車道に乗って国境を越え、豊後竹田市”天険の要害にそそり立つ総石垣の城”を目指す
受付を済ませ、登城手形を受け取って暫く行くと・・
※標高318mの天神山の断崖絶壁を生かした古城が見えてくる
大手門に向かう上り通路
高石垣の◎これぞ城跡◎という風景に胸が高鳴る
正に苔生す・・、に相応しい眺め
漸う”大手門”が見えてくる
㈡へ続く 06/05 05:42 まんぼ
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正に”呼吸する地球”を目の当たりに体感して、噴煙を上げる第一火口を後に駐車場へと戻る。
この異星のような荒涼とした風景の中に、過去の噴火を示す火口が7つもあるのだ。
岩肌は、噴火の毎に降り積もった火山灰の色が層になってそれを教える。
”火の国橋”を渡って駐車場に戻る。
駐車場からは公園道路やミヤマキリシマが・・。心のfilmに焼き付ける。
今回の旅の目玉であった阿蘇山の異次元の風景を堪能し、もう一つの目的だったブロ友”takaさん夫妻”との再会も無事に果たせ、その上阿蘇を案内してもらえる望外の喜びにも恵まれた青天の一日、心に残る時が流れた。
15:40 阿蘇を下り、更にその後僕らのスケジュールに沿って、色々と忙しいのに夫妻は「白川水源」まで道案内してくれたのだ。
許せる時間のギリギリまで付き添ってくれた夫妻と、何時の日にか・・の再会を約して其処でお別れすることになったのは既に16時を回った頃。改めて、縁と云うものの温もりと掛け買いの無い豊かさを再認識し、今でも感謝に堪えないブロ友お二人との面会であった。
05/31 05:06:06 まんぼ
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梅雨入りした近畿。夕べから雨が降り続いて、側溝を流れる水の音が硝子と障子を通り越し、聞くものを威圧するような鋭さで響いてきます。
さて、久し振りに限りなく6時に近い時刻に起きた雨の火曜日。今から、何時ものスケジュールに復帰してブログUPと言う事に
愈々”地球の心臓に触れる”瞬間、今も絶え間なく噴煙を上げる”中岳第一火口”にDOKIDOKIしながら近付きます
駐車場でを渡される
荒涼とした風景が広がります。活火山を前にしている実感。
噴煙で火口は見えない
周囲に硫黄臭が漂う・・
※阿蘇五岳の中で、現在も活発に火山活動を続ける中岳。7つの火口からなり、噴火口は南北約1km、周囲4㎞、深さ150mにも及ぶダイナミックな景観。ゴーゴーと音を立て、激しく噴煙を上げる様子は、当に、生きている地球を実感させる。
明日へ 05/30 07:03 まんぼ
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一週間マーク無しの月曜日の朝、その気象予報を裏書きするような濃淡さまざまな雲のグレーに覆われた今朝の東の空デス。
そんな少し憂鬱な気分を吹き飛ばすべく、今日のブログは、雄大な景色を見ながら阿蘇山カルデラの中へ入って行きます
「仙酔峡」で思いもかけない一山を染め上げるピンクの”深山霧島”をfilmと胸の石板に刻み、愈々本来の主目的だった”阿蘇山”へと案内してもらう「阿蘇山」という山はなくて、阿蘇五岳を始め、阿蘇カルデラを形作る山々の総称が「阿蘇山」になると云う。
”阿蘇パノラマライン”暫く走ると、半世紀以上前の記憶の底から蘇ってくる”米塚”と再会する。
※米塚
お椀を伏せたような末広がりの美しい小山。阿蘇開拓の祖・健磐龍命たけいわたつのみことが収穫米を積み上げてできた山で、頂上の窪みは貧しい人々に手で米をすくって分け与えた跡だと伝わる。
雲の影が通り過ぎて・・
雄大な風景の中を快調に走る・・
※山肌のいたるところに”熊本地震”の爪跡が残る
”草千里展望所”に到着
※阿蘇五岳の一つ・烏帽子岳の北麓に広がる大草原。のどかで牧歌的な草原では、7~9月に牛馬が放牧されのんびりと草を食む姿が見られ、五月中旬にはミヤマキリシマの花が咲く。
暫くウットリと眺める
遠くに阿蘇中岳の噴煙が見えてくる
もう一息で・・、阿蘇山公園道路を通り・・、中岳駐車場に到着。
最早、強い刺激臭が漂う。明日へ続く 5/29 06:20 まんぼ