ふるさと行脚~命日~
八月三十日午前十時、夏という季節の最後の雄叫びのように、既に三十度の横線を軽々と突破した熱と暑さが充満する現住所から、東へ、真東の山懐へと車を走らせる。僕が命を授かった場所へ。その命を授けてくれた母の眠る故郷へ。
そうなのだ。今日三十日は、平成二十一年、同じ日付に変わったまだ真夜中に、たった一人入院先の病院のベットで天国へ旅立って逝った母の命日なのだ。
父が亡くなった平成元年、同居を提案した僕に”田舎での一人暮らし!”を選択し、その後の二十年余を逞しく生きた強い母が、黙って此岸から彼岸へと渡った日付の日なのだ。
十二年前のあの日も、今日と同じように空一面青天井の暑い晩夏の一日だった。その三十日が始まったばかりの時刻に独り逝ったのだ。
真夜中に駆けつけた僕には、ただ穏やかな面相だけがたった一つの救いの別離の時になった。様々に渦巻く感情に翻弄されながら、身動ぎもせず、母に寄り添って夜明けを待った。唯、一連の生死の儀式の終了を告げる”御臨終デス”の言葉を受け取る為だけに医師を待った。
線香の穏やかな香りに包まれながら、様々な想いが胸を過る。
母は僕のUtaの源でもあった。
会津生まれのこの母のDNAが、ペンを握った僕の手を動かす。
僕のinochiとuta心を育んでくれた人なのだ。
西方浄土の方角に村の墓所は在る。
手を合わせ、細やかに約束する。僕が僕で在り続ける為に、此れからも、僕は何時でも此処に回帰してanataの子供に戻ると・・。合掌。
2021 08/31 06:40