降って来るもの

写真と散文とぽえむ

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2018-09-27 06:00:06 | 随想

                                                                    Profile


僕は詩擬きを書いています。

洗師としての職人気質に没頭しているときでも

時折に、詩句や詩編やoneframeが

心身の何処かを刺激したりすると

間配ってある手近のメモ用紙を搔き集め

前頭葉を過ってゆくそのままを書き殴ります。

そんな瞬間は

転寝のトキや深夜に目覚めた闇の中や

何気なく気を休めている間に間にも降ってきたりするのです。

ですから、僕には

大袈裟なようですが

百枚のmemo用紙と一ダースのball penは

必要不可欠な必需品なのです。


僕の書いているものが

それが確かにpoemなのだと断言できるほどの

確固たる勇気も自信もなくて

僕の描く心象や、使う比喩や象徴や、僕のcosmosに展開する想像やが

詩の世界に繋がっているのかどうかの判断は

一に掛かって

読者というanataの胸の裡に委ねられています。

ですから

自分では詩擬きを・・

自分では詩人のように・・

です。


もはや、半世紀を超えて

その膨大な月日を、そのように亘ってきました。

今では、僕が万甫なのか

万甫が僕なのかの区別さえ

明確に線引きできないプロフィールになりますが

それでも、其処にこそ

爪の垢ほどの魅力を感じて下さる幾足りのhitoがいて

此処まで辿り着きました。


profileの

あやふやさや謎が多いほど

もしかしたら誰かの

或いは繋がっているanataの

heartを惹きつけるのかも知れませんね。

という訳で

長々とくだらない?かも知れぬ横顔を綴ってきましたが

これが

不確定、不特定、不条理、更に不可思議満載の

僕のプロフィールになります。

何面も持ち合わせの

その一面の横顔と言うべきでしょうか・・ね。

                2018 09/27 06:06:06 万甫

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心訓抄.Ⅱ.16

2018-09-26 14:08:46 | 心訓抄.Ⅱ

                        16.束の間の


僕は何時でも

一気呵成に書き上げる

何時だって、そうなのだ


垣間見る真実は

何時だって

悠長など望まない


ほんとうの時刻は

後から気付いて

何時でも地団駄を踏むもの


ほんとうのイノチは

僅かばかりの瞬間でこそ

冠のように燃えるものなのだ


その束の間の

一生というTOKIの中の

それ故!!

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心訓抄.Ⅱ.15

2018-09-26 08:03:33 | 心訓抄.Ⅱ

                   15.system


書きたい意欲があって

書く素材に出合えれば

其処で僕はぽえとになり

其処に僕のぽえむが生まれる


それは

何よりも正確な

僕の中の循環システム

そうして

イノチのpumpと同じ重要度で

そのシステムが

僕の日常を機能させる

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一本の櫂に

2018-09-26 06:09:22 | 詩16

                         一本の櫂に


書いていることを褒めてくれたのは

アノ人だけだけれど

書いたものを喜んでくれるのは

アノ人のほかには居ないけれど

 その言葉や表情が欲しくて

書いているという訳でもない


書いてゆくことで

そのことが一本の櫂oarになって

 僕のイノチを明日へと漕ぐ


書いていることが

一枚の翅になって

 自由のcosmosへ誘う


書くことが

一滴のイノチの滴になって

 僕の今日を潤す


書き残してゆくものが

僕のイノチのエキスとessenceになって

 いつか誰かの

胸の渇きを癒す


書くことを誉めてくれたのは

 アノ人だけだけれど

自画像を彫る仏師のように

僕は書くことで

今を確かにinochiに刻んでゆく


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心訓抄.Ⅱ.14

2018-09-25 13:41:38 | 心訓抄.Ⅱ

                        14.己が曼荼羅を


企てなければ

何も起こりようがない

想わなければ

一ミリの移動も不可能になる


ヒトは意志という種子を持って

それぞれにイノチを授かり

その芽吹きの後で

おのおのに見合いの花を咲かせる


それゆえ

その道理を見失えば

一瞬の艶さえ纏えないのだ


意思を磨かねばならん

熟達の石工が

錬成の彫師が

救いの持仏を懐にするように

ヒトは自らの主意を磨いてこそ

己が曼荼羅を描かねばならぬ

                 09/24 11:45 万甫

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platinumの栞を

2018-09-25 06:08:42 | 詩16

                      platinumの栞を


僕は時代というmovieの幕間を

 金団雲に乗って自在に遡り

それぞれのTOKIの抽斗から

燦めくシーンを抽出しては

 イノチのmaintenanceをするのだ


一生という

一回限定のTOKIを巡る旅程の間に

 そのように、それだから

振り返るTOKIDOKIに

癒しの妙薬を授かれる抽斗を

どれ程に持ち合わせているかで

 きっと

現在の自分のイノチの清しさが知れる


その長い物語の中に

戻れるいく枚のplatinumの栞が

 挟まれているのかで

自分で編む読み物の中に

珠玉のepisodeのいくpageを

 探し出せるのかで

イノチの濃密度は示される


そうして、そこに

それぞれのmemoryのページに

 愛しいanataが息衝いている・・

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心訓抄.Ⅱ.13

2018-09-24 06:45:38 | 心訓抄.Ⅱ

                         13.成り立ち


突然に目覚めて

広告塔のように

胸の溜りを横切ってゆく

 言葉たちと出合う

 

僕は即座に反応して

当たり前のように

 それが丑三つ時でも

deepブルーの夜明け前でも

僕の胸を過る

天啓をmemoしてゆくのだ


僕のpoemの

それは確かに一個の成り立ち



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心訓抄.Ⅱ.12

2018-09-24 06:23:26 | 心訓抄.Ⅱ

                      12.宿因の惠を


もしもif

胸に受信機がなければ

ifもしも

心の弦itoが震うことを見失えば

 BOKUはきっと

死臭漂う

生きた屍になっていただろう


ボクという存在が

此の無辺の空間を

ボクを無くさず彷徨するには

 胸の受信機と

 心の発信機の

二つの機能が必須だったのだ


もしもifで始まる

一編の書き物と対峙しながら

 つくづくと

それぞれの魂に託された

宿因の惠をomohu

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心訓抄.Ⅱ.11

2018-09-24 05:59:36 | 心訓抄.Ⅱ

                     ⒒僕の想信が


僕の想信が

いつでも

谺のように

帰ってくるとは

思わない方がいいのだ


それぞれのmuneに

それぞれの咀嚼があって

 それぞれのkokoroに選択の濃淡があり

 それぞれの想信機に機能の優劣もある

いろいろな時間の単位で

いろいろの間隔の差異で

 戻ってくる音信もあり

 届かずに消えてしまう信号もあり

 届いた後に消滅するものもある


けれど

この空間を幾万と飛び交う

そう云う儚い交信の事実こそが

ヒト属Homo sapiensの

生体をを支えているに違いない

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此の柿の木と其の柿の実は

2018-09-23 06:29:09 | 植物

     ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪

 障子の白い色の濃淡が、”あさ”を知らせる明るさに輝き始めた5時半に起きて、カーテンを引き今日の天気は如何に?と何時もの東の空の山際を眺めてみると、今朝はその辺り一面を乳白色の濃い霧が包んで風景を隠している。けれど白色の明るい塊なので、予報通り”彼岸の中日”の今日は穏やかな日和に包まれて、お墓参りの僕らの予定も滞りなく現実になってゆくに違いない。

酷暑の夏が逝って

ようやく秋を感じさせる植物に目が留まるようになった。SHの庭に今から8年前に植えこんだ”此の柿の木”。

それが凄いやつなんです。僕の想像を遙かに超えた優れものだったんです

「御所柿」の名札をぶら下げていた此の木を買い、猫の額の庭の一番の日当たりの場所に植えたのが巻頭に書いたように8年前。

俗に”桃クリ三年柿八年”と言いますよね。ところが此の子は5年目には早くも6個の実をつけたんです。

それも吃驚するほど甘い素敵に甘くて、食感は絶品の滑らかさ。ホントに凄かったのですよ

後日談が又、凄い何と1460日も短縮して極甘の実を提供してくれたこの子は、6年目には13個を。7年目の去年は何と20個もの極上の柿の実を

5年目の今年は如何?と注目していたら、何と1.2.10.20.慎重に読んでゆくと、何と27個もの実をつけてくれましたよ

幹の太さ5センチばかり、木の高さ2メートルほど。何処にそれほどのpowerを秘めているのか、想像もつきませんが、ほんとに細い幹とか細い枝に大ぶりの実をつけているので、今年も幹や枝が、実らせてくれた実の重さで折れないようにと慎重に屋根やベランダからnylonの紐を下ろして手助けを

     

       

今年も飛び切りの甘さと滑らかな舌触りを経験できるかと思うだけで唾液がじんわりと滲み出てきそうな・・

もう少しオレンジ色が濃くなってきたら収穫のトキになるでしょうか?ああ、楽しみ             

                              09/23 07:11 まんぼ

コメント (5)
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