降って来るもの

写真と散文とぽえむ

しまなみ海道を渡って~安芸・福山城~

2024-06-29 07:23:58 | 伊予の旅

 男四人旅一泊二日の6/17、伊予で三つ目の城「今治城」から、瀬戸内海の島々を繋ぐ「しまなみ海道」を渡って広島県尾道市に入る。先ずは坂の街「尾道」の全景を!と、高台にある”千光寺公園”を目指す。

 

 残念ながらこの日は曇り空で、すっきりとは見えない

  

で、最終目的地「福山城」へと 何しろ帰りも七時間の道程なのだ

※福山城 大坂の陣から五年。徳川家康が西国大名の監視・防衛強化を図った城。

 

  が、しかし

    

    

門を潜って城の正面に出て見ると・・

  

何と今日は休館日のお知らせが・・月曜日が休みのしせつがおおいんだとな~

  

残念だけれど仕方がない。せめてもに!と、もう一度皆揃って

         R6 6/17 13:06 安芸・福山城前にて

  

 曇天の土曜日。大谷君、サンフランシスコで26号出るか 6/29 07:51 まんぼ

 

     Warp~男四人旅~

 

◎伊予と安芸 城を廻りて二日間 四人のstress旅中に捨つ

 

◎一週間腰痛残りし 400㌔往復車中の 旅の名残りや

 

◎Warpする 非日常にストレスを放ちて還る 日常の日々

 

◎次の旅約して別れし 男四人 健康維持のmotivationに

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今治城~四隅の櫓~

2024-06-27 06:16:05 | 伊予の旅

   ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ございます

 築城の名人「藤堂高虎」が築いた今治城は◎城の形が四角形◎に。それまでの迷路のような複雑な形の城と比べ、四角形を基本とする単純な形になっている。築城工事が容易に為り、城内の土地を広く確保できるなど、効率的な城づくりや平時の生活に適した形になっている。

 城の形が単純である為、各所に守りを堅める工夫がされている。内堀は幅が50~70mもあり、弓矢の射程距離を上回る広さになっており、石垣の高さは9~13mで、砂の上に立つ石垣としては驚異的な高さになっている。流石に名人の仕事だ

◎櫓 城門・城壁などの上に一段高く設けた建物。見張りや攻防の為の高楼。

城の四角形の敷地を囲むように

  

狭間のある塀と櫓が設置されている

御金櫓へ(金蔵の役割の櫓)

現在は昭和60年に再建され、現在は「現代美術館」になっている

◎二の丸北西隅には「山里櫓」が置かれていた。現在は古美術館に。

其処から狭間のある長い塀を伝って、お城の再建より費用が掛かったと云う

に入る

  

木造の間が続く

  ゴミも汚れも無い

  

鉄御門が見える!!鉄壁の備えの守り。

 

◎七十路の男四人よったり相寄りて 二日のwarp時共有す

 

◎それぞれの時間の凹凸均ならさむと 年に二回の旅を工面す

 

◎今夏伊予 昨秋三河warpして 昨春越前桜訪いたり 

 

◎豊潤の時間紡いで恵まれの 時を編む旅 幸繋ぐ旅

 

今治城

     

さて、6/17⛅の誕生日。初めて”しまなみ海道”を渡って訪問する安芸の地は

  

              6/27 07:02 まんぼ

   

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五層六階・模擬天守へ~今治城~

2024-06-26 06:17:06 | 伊予の旅

   ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ございます

 昨朝と同じように曇天の朝の空デス。窓から見るトネリコの葉も微動だにしない無風状態で、今日も蒸し風呂の一日になりそうな感触・・。

 さて、今治城

              

「藤堂高虎」が築いた見事な海城「今治城」ですが、創建時の五層天守は各階を順次小さくして積み上げる史上初の「層塔型」だった。従来の望楼型と比べて構造が単純で容易に建立できるため、その後に建てられた天守のモデルに成ったと云う。

模擬天守(五層六階)へ

 

   

 現在の天守は本丸跡の北隅に昭和55年(1980)に再建した模擬天守(五層六階)で内部は歴史資料館と自然科学館なっている。最上階からは今治平野・瀬戸内海・四国山地を一望できる。

      

模型

  

  

  

  

  

   

   

   次回は”共通観覧券”を買ったので三つの櫓を巡ります 6/26 06:17 まんぼ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

築城名人高虎最高傑作の海城~今治城~

2024-06-25 05:16:43 | 伊予の旅

   ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ございます

 6/17 目出度く!?後期高齢者の一員となった伊予の朝、8:30に”休暇村 瀬戸内東予”を出発9:00の開館少し前に名人・藤堂高虎が築城した海城「今治城」に到着した

  

※今治城(別名 吹揚城) 築城時、内堀・中堀・外堀の三重の水堀で囲まれた広大な城であったが、現在の今治城跡はかっての内堀以内の範囲。城内には海に繋がる港が設けられ、現在の今治港に引き継がれている。今治城は海に面して築かれており、瀬戸内海を監視する役割があったと考えられている。

内堀に映り込む御金櫓

  

  此方は同じく鉄(くろがね)・武具櫓が内堀に影を映す

桝形の正面に

 

 

  

  

  

これが有名な「鉄(くろがね)御門」◎扉や柱に貼られた鉄板に由来する

格式の高い城にしかない特別な城門と謂われる

  

二の丸に入ると、本丸跡の北隅に昭和55年(1980)に再建された模擬天守(五層六階)が見え、最上階からは今治平野・瀬戸内海・四国山地を一望できる。

城を背景に、武将像では珍しい藤堂高虎の平服姿の騎馬像が立っている

※藤堂高虎 関ヶ原の戦功で伊予(愛媛県)半国20万石を領し、慶長7年(1602)にこの地に築城を開始し、約6年の歳月をかけて慶長13年頃にほぼ完成した。直後に高虎は伊勢・伊賀に移り、今治城には養子の高吉が在城した。明治時代初期に廃城になり破却が進んだが、城の中心部の内堀や石垣はほぼ完全に残っており、昭和28年に愛媛県史跡に指定された。現在では天守や櫓・城門などの再建が進み、昔の雄大な城郭が再現されている。

  続く

        曇天の火曜日の朝です  6/25 06:06 まんぼ

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瀬戸内の日影~誕生日・伊予の朝~

2024-06-24 15:36:40 | 伊予の旅

 何時もの様に朝の更新のタイミングがずれて・・今日は”梅雨入りしたと思われる”から十日目。曖昧な表現を裏書きするように、降るでもなく、晴れるでもない、気温30℃の曇天が続いている

 6/17男四人旅の途次で迎えた誕生日。この日も”梅雨入り二日目”だったが、伊予を旅する僕らには有難い気象庁誤謬の一日に成った

仲間が讃辞してくれた6/16の宿。「休暇村・瀬戸内東予」の朝5:00

  

全室オーシャンビューの部屋から夜明け前の瀬戸内海を

  

05:30

海に日影

朝食後の海を撮って・・

          

さて、新しい一日、伊予の最初の訪問地は、再び🏯

此処です

    

         詳しくは明朝の記事と写真を 6/24 15:36 まんぼ

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本百名城~伊予・大洲城~

2024-06-23 10:21:16 | 伊予の旅

   ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ございます

 昨日発表された「近畿が梅雨入りした」の言葉を裏書きするように、予行演習のように、窓から見える風景を”粉糠雨”が濡らしている午前十時半の現住所です。昨日の熱気が籠っているような和室の気温、で、今年の夏初めてになるエアコンのスイッチをONにしました。

 さて伊予のお城第二弾は、現存十二天守の「宇和島城」を16:00に出発して北にで30分。16:40に「大洲城」に到着しましたが、残念無念何と此処のお城の天守の開館時間は16:30まで。諦めきれなくてお城の下の広場まで走ってもらい、吾輩だけを持ってお城周りを一周してきました

 

  

立派な美しい城です

※大洲城 肱川を天然の堀にした優美な名城。この城にも「藤堂高虎」の息がかかっていて、天守は明治21年まで残っていたが取り壊された。しかし平成16年(2004)大洲市制五十周年を迎え、市民の寄付により木造で再建された。

  

   

   

   

             

  

  

市民のチカラで再建された「大洲城」層塔型、四重四階の優美な姿でしたよ

6/16の泊りは、大洲から更に90分北上し、西条市に在る「休暇村 瀬戸内東予」でした

   

               6/23 10:50 まんぼ

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鶴島城~天主へ~

2024-06-22 06:02:05 | 伊予の旅

   ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ございます

 

  

  

(;^_^Aを搾り取られて辿り着いた本丸。暫く息を整えて・・、愈々天守へ

その前に天守の周りを一周

  

  

    

宇和島の城下👆 二の丸から本丸へ続く石段👇

  

三重三階の急な階段を

  

天守最上階からの眺め

  

  豊後水道が見える。で下で待ってると・・友人二人👇

    

城主の座

屏風

鎧兜

堪能してもう一つ予定のお城へ

  

             6/22 06:02:06 まんぼ

 

 

   

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宇和島城~天主への道程~

2024-06-21 06:00:05 | 伊予の旅

   ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ございます

 予報通り雨降る朝デス。予報通り今日には”近畿地方が梅雨入りした模様”って

 さて、ドキドキしながら”日本百名城”に記載の現存十二天守の一つ伊予「宇和島城」の天守に向かって急な石段を登ってゆくと

が在って、もう少しだ・・

  

   

が、何の何の、まだまだ長い石段の道程が・・

まだまだ天守までは石段が続く

  

  

疲れたという友人たちを置き去りにして、dondon先へ上へと僕は進む

  

  もう一息!!

        

着いた!見えた!

  

本丸への最後の石段

   

これが現存十二天守の一つ、宇和島城の天守

暫く休憩し、息を調えて天主の中へ(続く)  6/21 06:00:06 まんぼ

 

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

男四人旅①prologue~西へ伊予へ~

2024-06-20 06:27:20 | 伊予の旅

   ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ございます

 最早恒例に成った「男四人旅」、令和六年の第一幕は少し遠い四国伊予へのwarp。

   

6/16(土)AM6時我が家を出発。途中で二人を拾って一路”明石海峡大橋”を目指します

  

9:10 出発から3時間余りかかってようよう「淡路SA」に到着、休憩を。

  

   

   

淡路島を横切って・・

四国へ

 

◎さて、いよよ、旅に出でなん恒例の 男四人の老いらくwarp

 

◎昂揚がAL代わり 約束の朝の六時の 四時半に起く

 

◎百日前女房と立てしスケジュール 実行の朝 日時疾く過ぐ

 

◎無事此の日迎えし四人 七十路(ななそじ)の半ば 何れも無事に迎えて

 

◎友有るは如何に嬉しき 一泊のwarpの旅の 如何に楽しき

 

◎吾町より西へ西へと五百㌔ 淡路、阿波越え伊予の国へと

 

◎雨予報蹴散らし六月十六日 面目躍如 晴れ男の朝

 

◎真夏日の 石段登る息切らし 宇和島城の現存天守へ

 

到着は14:30、ふう~

  

門を潜ると石段

  

やっと石垣が現れました

  

   

 

  天守はまだ・・

      ②へ続きます  6/20 06:23 まんぼ

  

   

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする