中華街の魅力

齋藤修と多くの人が中華街情報を共有する場となることを期待いたします。最近中華街にあまりいけず、データーを整理しています。

土産物と言えば萬珍楼売店も外せない。定期的なティスプレイは健在。 

2019-06-06 07:27:01 | 大通り

 私が見た4月中旬では、「端午の節句」にちなんで紹介されていた。中国でのちまきの由来なども紹介されていた。

楚(そ、紀元前11世紀 - 前223年)は、中国に周代、春秋時代、戦国時代にわたって存在した王国。現在の湖北省、湖南省を中心とした広い地域を領土とした。首都は郢と称したが、名前が同じだけで場所は何度か変わっている。意外とこの年(60歳程度)までボー問い来ていたように感じた。

 

 

 

 

 

 

 

歴史上の人物と和菓子  https://www.toraya-group.co.jp/toraya/bunko/historical-personage/048/ 中国ゆかりの粽 5月5日の端午の節句で、粽を食べるのが楽しみという方も多いでしょう。私たちに馴染みある菓子ですが、実は中国の悲劇の英雄、屈原(くつげん・紀元前4~3世紀頃)にちなむ逸話から生まれたといわれます 悲劇の英雄 楚の王族であった屈原は、博識の上政治的手腕にも優れていたため、王に信任されて要職に就きます。しかし他の官僚の妬みにあい失脚、最後には長沙(現在の湖南省)に左遷されてしまいます。 王に見放された屈原は、楚の未来を憂いつつ汨羅(べきら)の淵に身を投げ、失意のうちにその一生を終えました。 粽誕生伝説 6世紀に成立した『続斉諧記(ぞくせいかいき)』は、屈原の死後について次のように記しています。 屈原の入水後、その死を悼んだ里人は、命日の5月5日に供養として竹筒に米を入れ、汨羅の淵に投げ込みます。しかしある時、屈原の霊があらわれ、こう訴えました。 「淵には蛟龍(こうりゅう=龍の一種)が住んでおり、投げ込んだ供物を食べてしまう。厄除けに楝樹(せんだん)の葉で包み、五色の糸で巻けば蛟龍は食べないであろう。」 それから里人は教え通りに供物を作るようになったといいます。 これが粽の始まりだといわれます。 端午の節句と粽 屈原の命日でもある端午の節句は、もとは穢れを払う日で、日本でも平安時代には厄除けに粽を用意するなど、様々な行事が行なわれてきました。 そして、江戸時代には武家社会で子孫繁栄を重視する考え方が広まり、この日に男子の健やかな成長も願うようになりました。粽も引き続き使われましたが、葛や外郎を使った甘い菓子としても工夫されるようになりました

 

 

萬珍楼の饅頭はやはりメインは「もちぶた」なのかもしれない、素材は群馬県・和豚。

中華街はいよいよ春節②。恒例の萬珍楼売店のディスプレィは、「新年餅」。

萬珍楼本店・売店は、「夏のギフト」。焼売セットもうれしいが「味わい玉手箱」もたのしい。

いろいろな土産物を提供する「萬珍楼売店」。今回は珍しい「プディング」をテーマにしていた。

中華街も「春節」。今年は2月8日と聞くが、やはり旧正月。萬珍楼では、新年餅。

萬珍楼売店では「お歳暮」にディスプレイが変化していた。


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