『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【1615】『日々の指針(保存版)』の続き

2008-11-16 05:04:47 | 思索


【1613】で書いた『日々の指針』を印刷して、手近に置いておこうと思った私は、
私の持っている白光誌5年分の『日々の指針』も書き加えようと思い、
下記の『日々の指針(保存版)』を作ってみました。

そのなかで気づいたことは、最近の日々の指針』ほど、
ズバリと真理が書かれていて、心に響いてくるものが多い(笑)ということです。

以下は、【1613】の続きの『日々の指針(保存版)』です。
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・自らが経験することは、自らの意識が生み出したものであり、それ以上でもそれ以下でもない。

・それが良きことであれ、悪しきことであれ、自らが創造したものを自らが体験してゆくことが人生である。

・肉体の死、今生の死は、魂の進化創造において不可欠なもの

・真理の法則―個は全体であり、全体は個である。

・人生とは決して人真似ではない。

・人生は初めから、何事も成就するように出来ている。自らの心が迷い、疑わない限りは。

・自分が自分であることに誇りを持たなければならない。

・自らの人生を確信をもって生きられる人は、「我即神也」を信じている人のみである。

・全人類一人一人が持っている独自の個性、そして私的な世界をお互い尊重すべきである。

・本来、人類はみな誰もが、完全な存在。そして、大いなる完全性の中に生きている。

・生と死、死と生はイコール。ただ次元が異なるだけ。

・「我即神也」の信念こそが、自らの新しい人生を書き換え、創造している。

・人はみな、自分で自分の心を磨き上げる以外にない。

・時空をこえて、人間の意識はつながっている。

・「自分はなにをなすべきか」より、「自分はいかなる者(我即神也)か」のほうがより重要である。

・人を赦す時、実際に赦しているのは自分自身である。

・あなたの人生は、自らの心を映し出す万華鏡である。

・あなたは、自分自身をいつでも自分の思う通りに創り変えることが出来る力を有している。

・自分が自分自身と調和した時、すべてのことが成就してゆく。

・すべては自分自身にゆだねられている。

・人生とは、自らが自らの内なる神性を表現し、体験してゆくことである。

・もうこれ以上、自分自身を批判するのをやめなさい。批判した通りの自分が再び現われるだけだ。

・人のために生きることこそ、至福なり。

・所有欲から解放された時、真の自由が得られる。

・今、この瞬間を永遠に生きる。

・脳内の思考の絶え間ないざわめきは、呼吸法によって静まる。

・この世に決して偶然はない。人は生まれるに時があり、死ぬるにも時がある。

・いかなる人の心もみな、真理の言葉を求めている。聞きたがっているのである。

・いかなる人も、他の人を支配することは出来ない。

・高き魂の人は、高き道を志す。

・自らを進化創造させることこそ人類一人一人に与えられた天命である。

・あらゆる瞬間が、自分にとってのグットタイミングなのである。

・人は、自分の無知を認めようとしない無知なる者なのだ。

・運命は、すべて自分の選択、決断、決行のみにかかっている。

・すべてはプロセスと思う意識があれば、差別はなくなる。

・人のことはどうでもよい。まずは己れの心を磨き高め上げることのみ。

・人は誰もが、大きな徳性、品性、叡智を持った人に接し、変わりたいという願望を抱いている。

・二元対立―損も得も、是も非も、すべて自分中心的執着から生じる。

・この世における千差万別をすべてあるがままに受け入れよ。

・自らが自らを裁き、自らが自らを拘束し、自らが自らに執着し、
 それでいて自由がないと言う。何と愚かなことか。

・人はみな、自らのマイナス思考によって、運命の扉を閉ざしてしまっている。

・人間には本来、限界などない。自分が限界だと思った時、それは限界となる。

・どこまでも、どこまでも、自らの信念を強く貫き通した時、突如、自らのもとに天運が飛び込んでくる。

・自らに決して限界を許すな。

・何も所有しないで、しかも(心の中に)すべてを所有している人は幸福なり。

・自分を無くすと、全宇宙が自分である。
 
           【『日々の指針(保存版)』2008・11.2 】

【1614】神人は、迷いなく生きる人(^^;ゞ

2008-11-15 05:54:08 | 思索
【1613】の「日々の指針」の中で、私が注目したい(笑)のは、
『凡人は、常に迷いながら生きている』です。(^^;ゞ

言葉として、これは、あたりまえ過ぎます。(^^;ゞ
「それが、どうしたの?」(笑)と言えるほどです。(^^;ゞ

ですが「神人であるはずの私」(笑)の立場で、裏から、
この『凡人は、常に迷いながら生きている』を考えてみますと、
「迷いながら生きている姿は、神人の姿ではない」ことになります。(^^;ゞ

それでも上は否定的な言い方なので、肯定的に言えば、
「神人は、迷いなしに生きよう!」(笑)となります。

これは、「神人は、迷うな!」と自分に言い聞かせることです。(*^_^*)

つまらない一喜一憂をやめて、「生命としての自分を生きよう」
「自分の魂が悦ぶ生き方をしよう」ということなのです。

『凡人は、常に迷いながら生きている』とは、
「他人は、迷いながら生きていてもいい」し、それを認めてあげることが必要だけれども、
「あなた(神から見た私)は、迷いながら生きてはいけないよ!」(笑)ということなのです。

『凡人は、常に迷いながら生きている』は、
「私」を鼓舞してくれる言葉なのです。(^^;ゞ

【1613】「いかなる状況や環境を招き入れるかは、自らの言葉、想念、行為で決まる」

2008-11-14 03:17:22 | 思索

白光誌の11月号には、昌美氏の誌上法話が載っていませんでした。
こういうスッキリしたところが、とても好きです。(^^;ゞ

世界中探しても、「会長のお話」の載っていない機関誌はないかも知れません。(^^;ゞ
(今号には「地球黎明祭での法話」は載っていますが、行事のない月には掲載されないと思うのです)(^。^?

機関誌から「法話」が消えるということは、
会員が「法話を必要としないレベルに育った」(笑)ということでもあります。(^^;ゞ

「昌美氏の法話」は、「自分を内省して洞察する」ためにとても役立ちます。
こういうふうに、ストレートに物事を指摘してくれる人が、
「よくもまあ、存在してくれている」(笑)と、「昌美氏の法話」を読むたびにいつも思います。(^^;ゞ

有り難い(笑)です。 私の人生にもっとも影響を与えた文章を書いた人(笑)です。(^^;ゞ

白光誌の11月号の『日々の指針』を転載します。
これがまた、スゴイ(笑)のです。 ストレートに魂に響いてくるのです。(^^;ゞ

これらの言葉が真実であるか否かと、維持会員であるか否かは、
まったく関係がないのです。(^^;ゞ
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・いかなる状況や環境を招き入れるかは、自らの言葉、想念、行為で決まる。

・すべてを決めるのはあなた自身である。

・この世の人生は、永遠の生命を学ぶためにある。

・心を開かないからこそ、癒されないのだ。

・凡人は常に迷いながら生きている。

・凡人は常に自分が望まないこと(苦悩、失敗、悔い、嘆、病)に感情想念エネルギーを
注ぎ込んでいるのである。

・神人は、自分の希望や目的、そして大いなるミッションに焦点を合わせ、
エネルギーを集中させているのである。

【1612】全ての存在は響き合っている

2008-11-13 02:21:11 | 思索
以下も、『龍村仁氏のエッセー』の一部です。感銘を受けました。
まさに、「白光の教え」そのもの(?)です。(^^;ゞ

 ★「この世に起こる全ての現象で、それ単独で起こっているものはなにひとつない。
全てはあらかじめ繋がって起こっている。だから、繋がっているのか否かを思い煩う必要はない。
自分自身の場で、自分自身のやり方で、ベストを尽くしていれば、
その影響は必ず外の世界によい影響を与えてゆく。」

 『地球交響曲 第二番』の出演者、ダライ・ラマ法王の言葉である。
環境問題に取り組む個人の姿勢について尋ねた時の答えだった。

「この宇宙の全ての存在は"量子真空エネルギー場"によって時空を越えて互いに影響し合っている。
とくに、現代のように既存の価値観が崩壊してゆく危機的な時代にあっては
、アマゾンの奥地で一羽の蝶の羽根が起こした小さな風の変化が、
一週間後には太平洋で巨大台風に発達するということが現実に起こり得る(カオス理論)」

 こう語ったのは『地球交響曲 第五番』の出演者、
哲学者で物理学者のアーヴィン・ラズロ博士だ。

 数千年の歴史を持つチベット仏教の叡智と、
最先端の物理学の智見が同じ事を言っている。だから人間はおもしろい。


「全ての存在は響き合っている」


【1611】宇宙は記憶を持っている

2008-11-12 20:57:31 | 思索
『地球交響曲』(サイト)の「龍村仁氏のエッセー」を読んでいるのですが、
興味深い内容が満載です。(*^_^*)

ラズロー博士の話として、
『 博士はこの宇宙の真空を「量子真空エネルギー場」と呼んでいる。我々人間を含めた全ての物質でできた存在は、この量子真空エネルギー場=巨大な静止した池のようなものの中に浮ぶ小さな点のようなものであり、我々が行う全ての営みが、この場=池に小さな波紋を起こし、その痕跡がその「場」に記憶=保存される。
 我々人間を含めた全ての存在は、この量子真空エネルギー場に依って時空を超えて繋がっているのだから、その場に記憶されている痕跡を読みとる方法を知ってさえいれば、過去に起こった全てのできごとを今現在に甦らせることができるはずだ、「過去は今現在もここにある」とラズロー博士は言う。』というのもありました。

★これは、『地球交響曲(第五番)』でラズロー博士が語られていることです。

龍村仁氏は、『世界平和交響曲』の来賓として出席されていましたが、
『地球交響曲』で上のような深い内容を表現されていたとは知りませんでした。(^^;ゞ

龍村仁氏のエッセー

【1610】苦しみが慈悲心を育てる!

2008-11-11 03:41:36 | 思索
もうひとつ印象に残ったのが、ダライラマ氏のお話です。

映画の中で、シンポジューム会場の女性が、
「子供たちに、9・11のことをどのように説明したらよいのですか?」と質問した時に、
「そういう苦しみが慈悲心を育てる」とダライダマ氏は答えました。

考えてみると、「私たちの人生のほとんどの時間は、幸せ」なのです。

そういう時間の中の、「小さな苦しみ」に焦点を当てて考え過ぎるので、
「自分の人生全部は、不幸だ」(笑)と思えてしまうのです。(^^;ゞ

ニュース報道というのは、「苦しみ」ばかりに焦点を当てているので、(^^;ゞ
世の中は「苦しいことだらけである」という印象を受けますが、
実際に人々は、互いに助けあって暮らしていて「幸せ」なのです。

「苦しみのニュース」は、幸せ全体の量と比べると途方もなく少ないのです。

本当に私たちは、「生かされていて、幸せ」なのです。

社会の矛盾や世界の不均衡は、人々の「奪い合う気持ち」が作り出していることを、
知らなければなりません。

これからの人類は、「互いが助けあって暮らす社会」を目指さなければならないのです。

ダライラマ氏の言葉

【1609】大阪大空襲と「地球交響曲(第五番)」

2008-11-10 03:11:52 | 思索
『ピースおおさか』には、「大阪大空襲」に関する展示が多くあり、
戦時中の人々の暮らしがよく分かります。

それは「懐かしい風景」にも思えます。
私が幼かったころは、そのような風情が残っていました。(^^;ゞ

けれどもそれは、現代のビルやマンションの風景とはまったく違います。

ヨーロッパの都市の風景が変化していないこととの違いに唖然とします。

良い悪いを論じるつもりはないのですが、(^^;ゞ
日本の風情(生活の様子)は、かつてのものとはまるで違います。

日本本土空襲による合計死者数は、23万~55万人程度と考えられていて、
北海道から九州までの各県への爆弾投下で死亡した人数を図にした展示物がありました。
日本全土に落とされた爆弾の総量は、○○万トンだそうです。

この焦土と化した姿が、63年前の日本です。 反対に考えると、
この焼け野原から、物質的にはとても豊かな社会を創ったのですから、
それを成し遂げた人々の努力は賞賛に値いします。

★「地球交響曲(第五番)」では、アーヴィン・ラズロ氏の話がとても良かったです。
彼の話の内容は、私たちが実践していることだった(笑)ので安心しました。(^^;ゞ
「大きな勇気」をもらいました。(^^;ゞ

彼が昔、天才的なピアニストであったことは知りませんでした。(^^;ゞ

「地球交響曲」の公式サイトによりますと、『アーヴィン・ラズロ氏の提案する「量子真空エネルギー場」理論は、生命の誕生と進化の謎を解き明かすとともに、「全ての存在は繋がっている」という事実を、科学の側から説明できる考え方として政治、経済、科学、芸術、教育などあらゆる分野で「持続可能な未来」をめざす人々を勇気づけている』のだそうです。

★「地球交響曲」には興味があったので、15年ほど前に「第二番」と「第三番」を見たことがありました。
 その後に白光とつながり、「第5番」を見るとは思ってもいませんでした。(^^;ゞ

そしてその内容が、このプログのテーマの最先端(笑)であるとは、・・・・。(^^;ゞ

ラズロ氏の話にもあったのですが、「偶然」はないのだそうです。
すべては、人間の歴史も個人の歴史も、必然的に起こっているのだそうです。(^^;ゞ

ラズロ氏の最新の著書『 進化の総合真理 』を読んでみたくなりました。


大阪大空襲

空襲に明け暮れた日々

アーヴィン・ラズロ氏の話

【1608】難波宮遺跡と「アートストリーム2008」

2008-11-09 01:53:02 | 思索
11月3日は、NHK大阪放送局に行き、
現在、放映されている連続テレビ小説の『だんだん』のセットを見ました。

この『だんだん』は、ストーリー展開などが斬新で面白いと、家内といつも話しています。(^^;ゞ
登場人物それぞれの気持ちと行動が、次々に感動的な場面を形づくっていくのが心地よいです。

そして、NHK大阪放送局の地下には、難波宮遺跡があることを知り、(^^;ゞ
ボランティアの人の案内を聴くことが出来ました。

聖徳太子の亡くなった後の「大化の改新」以後に、飛鳥から遷都されたのだそうです。
その他にも、大阪城にまつわる戦いや庶民の生活の話なども聴き、
地下に案内をしてもらいました。

難波宮遺跡は、江戸時代の地層の下から発見されました。(^^;ゞ
私が立っているこの場所で、時代時代の数々の人たちが、
実際に「業を表わして生活していた」のだと思いました。(^^;ゞ

思えば、大阪(地球)とは、そういう場だったのです。
そして、その最先端(笑)に私たちが居ます。(^^;ゞ

そのことを自覚すると、またしても、
「世界平和の祈り」しかないと思えてしまう私(笑)です。(^^;ゞ

★そのあと「アートストリーム2008」という若いイラストレーターたちの展覧会を見に、
天保山まで行きました。【このごろの移動は、サイクリング車が多いです。(^^;ゞ)

「若い人たちの自由な発想の絵」を見られて、とても気持ちが良かったです。(*^_^*)

★『難波宮(なにわのみや)は、現在の大阪市中央区にあった飛鳥時代・奈良時代の宮殿。
それまで史書には載っていたが、所在地は不明なままであった。』

★今日は「ピースおおさか」に、「地球交響曲(第五番)14:00~」を見に行く予定です。
 入場料(250円)だけで見られるそうですので、ご都合の良い方はどうぞお越しください!(*^_^*)


難波宮遺跡

アートストリーム2008

「ピースおおさか」

【1607】「東京大空襲と浜松空襲」に、光明の光をあてる

2008-11-08 05:36:13 | 思索
先日の連休中には、色々な体験をしました。 
母(大正13年生まれ、84歳)に、東京大空襲や浜松空襲(生家の地)の話、
そしてほぼ同年に起きた東南海地震を体験した話を聞きました。

その当時、母は18歳でした。
母の話を聞きながら、ネットで調べてみましたら、
『東京は1944年11月14日以降に106回の空襲を受けたが「東京大空襲」と言った場合、
特に規模が大きい1945年(昭和20年)3月10日に行われた空襲を指すことが多い』そうです。

この時に飛来した爆撃機は、なんと470機。
『この空襲での爆弾の制御投下弾量は38万1300発、1783tにのぼった』のです。

★東京の空を埋め尽くす爆撃機から、夥しい量の爆弾が、
沢山の人間が生活する街に投下される光景を思い浮かべると、胸が苦しくなります。
爆弾が投下されれば、多くの命が無くなります。沢山の不幸が生まれます。

それを分かっていて、爆弾を投下するのですから、
「人間とは、なんと罪深い生き物であるのか」と思えてしまいます。

家族の一員である普通の市民が、なぜ爆弾を投下できるのか?
「彼らの本心」は、苦しんでいると思うのです。

「国家の戦争」という誤った想念が、「消えてゆく姿」として現われていたのだと思います。

幸い母は空襲の時には疎開をしていたので、難を免れたのですが、
もしかしたら、死んでいたのかもしれず、
そうなると、「この私」はいないことになりますので、
それはそれで、不思議です。(^^;ゞ

「戦後に生まれた人々の存在」は、不思議です。(*^_^*)

「人類」が、そういう色々な体験をして、
 「こんにちの日々(現代)」があることが不思議です。(^^;ゞ
 
そして自分が、その「歴史」の積み重ねの中に存在していることが不思議です。(^^;ゞ

生き残って生まれた子孫には、それなりの使命があると思うのです。

忌まわしい過去を「プロセス」として反省して、行動を起こす使命があると思うのです。

それが、「世界平和の祈り」なのです。(^^;ゞ

東京大空襲(死亡・行方不明者は10万人以上)

浜松空襲(1945年 死者1800人)

東南海地震(昭和44年12月7日)

【1606】『本当の自分を生きるために』

2008-11-07 03:05:42 | 思索
下記の『本当の自分を生きるために』というプログの中の『ある方の体験談 2つ』という記事は、
とても興味深いのでお読みください。印を1万1千回組むと、
『世の中(世界)は、もともと知足であった』という認識がやってくるようです。(^^;ゞ

たぶん、私もこの体験の中にいます。(^^;ゞ

『ある方の体験談 2つ』

【1605】『世の中(世界)は、もともと「知足」である』

2008-11-07 02:56:39 | 思索
【1604】でポイントなのは、
『世の中(世界)は、もともと知足であった』という箇所です。

足る足らないは、自分(自我)で決めることではなくて、
「必要ならば、神様が与えてくれる」という世界観が、
もっとも崇高な世界観(笑)だったのです。

「世界」はそのようにして、成り立っていたのです。(^^;ゞ

もともと、「人間」は悟りの中にいたのです。
もともと、「世界」に矛盾はなかったのです。

【1604】「新事実」を発見! 世界はもうすでに、成就していた!

2008-11-06 05:32:34 | 思索
先ほど、『起床時の呼吸法の唱名』をしていて、ふっと気づいたのですが、(^^;ゞ
「我即神也、世界人類が平和でありますように、成就! 人類即神也」とは、
人類が、物理的(?)に平和になることではなくて、
『すべての人類は、必ず目覚める! そのことは決まった!』という意味だったのですね。

ということは、
今現在もうすでに、私の内面(世界)は、成就しているのでありまして、
この世の価値観が、二重、三重にひっくり返る気がします。(^^;ゞ

ひとつは、『物質的にも、人類(私)は、もうすでに救われている』ということ。
だから、「求めるべき物は何一つない。成就」ということ。

これを言い換えると、『世の中(世界)は、もともと「知足」である』ということになる。

そしてもうひとつは、『祈る必要さえない!』ということ。
「世界はあるようにあって、人類は目覚めることが決まっていて、
日々が、神の御心で過ぎていく』のなら、
『私は、世の中に起こるどんなことでも、受け入れられる』と思えてしまったのです。(*^_^*)

これが、「呼吸法の唱名」の意味だったのです。
これが、『起床時の呼吸法の唱名』の意味だったのです。(*^_^*)

【1603】他者には、「目覚めてください!」としか言えない(^。^?

2008-11-05 01:51:25 | 思索
【1602】を書いて、「人類即神也の心」とは、「目覚めてくださいの心」だと気づきました。(^^;ゞ

人は、「自分の心」を変えることすら容易ではありませんのに、(^^;ゞ
まして「他人の心」を、しかも「目覚めさせる」ことなど出来ないです。(^^;ゞ

もし出来るとすれば、自分が「愛(一体感)」を実践できたときに、
他者がその愛(一体感)に感化されて、一時的に「愛(一体感)」に目覚めるぐらいです。(^^;ゞ

「世界平和の要件」が、構造的にそんな状況であるのに、
私たちが「白光の教え」に出会えて、『目覚めること(一体になること)』が出来ているとしたら、
これほどの奇跡(笑)はありません。(^^;ゞ

だれに対しても、私たちは「目覚めてください!」という言葉しか持ち得ないようです。(^^;ゞ

けれども私たちには、印が伝授されていますので、(^^;ゞ
『私は只ひたすら人類に対して、神の無限なる愛と赦しと慈しみを与えつづけ、
人類すべてが真理に目覚めるその時に至るまで、
人類一人一人に代わって「人類即神也」の印を組みつづける』ができるのです。(^^;ゞ

「印」を組みつづけることによって、人類全体の調和を図っていくことが出来るのです。(^^;ゞ

世界が注視する<11.15 緊急サミット>

【1602】人類の一人一人の「平和の心」が大切

2008-11-04 04:55:54 | 思索
先週の「インターナショナルピープルカーニバル」での「フラッグセレモニー」のお手伝いで、
私は参加してくれた幼い子供たちが、世界各国の国旗を高く上げて振る手助けをしました。(^^;ゞ

そのとき、「世界平和のためには、世界中の人類の一人一人が、具体的に大切なのだなあ」とつくづく思いました。(^^;ゞ

『世界中の人類の一人一人の心が平和にならない限り、世界平和が訪れたことにはならないのです。』

これは、『無理!』とか、そういう話ではなくて真理なのです。(^^;ゞ
そういう形になったときに、「世界が平和になる」のです。

だから、『人類のあらゆる行為はプロセス』なのです。
行為がなされて消えてゆくことで、平和になってゆくのです。

『人類のあらゆる行為はプロセスだと思える心』は、いまこの場で『平和でいられる心』です。

『人類のあらゆる行為はプロセスだと思える心』が、「人類即神也の心」です。

現実的には、「ああだ、こうだ」と評価批判をしがちな私たちですが、「人類即神也の心」になれれば、
誰のどのような行為であっても受け入れることが出来ます(^^;ゞ

「評価批判の心」があっても、「無限なる光明思想で行こう!」という意識が持っていれば、
たとえ一時的に「誰かを批判的に思うこと」があっても、それもまた「消えてゆく姿」なのです。(^^;ゞ

「無限なる光明思想で行こう!」という意識(心意気)と覚悟を持っていれば、
「人生はOK!」(笑)です。完全完璧です。(^^;ゞ

【1601】『生活観が宿ってこそ お金だ』

2008-11-03 03:14:23 | 思索
朝日新聞(2日付け)の文化欄の平川克美氏(リナックスカフェ社長)の、
『生活観が宿ってこそ お金だ』という記事を読んで、なるほどと思いました。(^^;ゞ

その中で氏は、
『金融取引の場というのは、金額という記号を取引する場であり、
交換されるのは「欲望とリスク」という形のない幻想である。

幻想には限度がないので、商品市場のような需要バランスは存在しない。
金融市場には厳密な意味での商品が存在しないのだから、それは「市場」ではない。』(意訳)と言われています。

『お金には、私たちの汗やため息が染み込んでいる。
だからこそ、労働者の汗が染み込んだ商品と(等価)交換可能なのであり、
私たちはお金を大切にしたいと思うのだ。

こん眼差しがなければ、お金は記号に過ぎなくなる。
お金の価値は「小さな経済」にこそ宿っている。』のだそうです。


平川克美氏