『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【1607】「東京大空襲と浜松空襲」に、光明の光をあてる

2008-11-08 05:36:13 | 思索
先日の連休中には、色々な体験をしました。 
母(大正13年生まれ、84歳)に、東京大空襲や浜松空襲(生家の地)の話、
そしてほぼ同年に起きた東南海地震を体験した話を聞きました。

その当時、母は18歳でした。
母の話を聞きながら、ネットで調べてみましたら、
『東京は1944年11月14日以降に106回の空襲を受けたが「東京大空襲」と言った場合、
特に規模が大きい1945年(昭和20年)3月10日に行われた空襲を指すことが多い』そうです。

この時に飛来した爆撃機は、なんと470機。
『この空襲での爆弾の制御投下弾量は38万1300発、1783tにのぼった』のです。

★東京の空を埋め尽くす爆撃機から、夥しい量の爆弾が、
沢山の人間が生活する街に投下される光景を思い浮かべると、胸が苦しくなります。
爆弾が投下されれば、多くの命が無くなります。沢山の不幸が生まれます。

それを分かっていて、爆弾を投下するのですから、
「人間とは、なんと罪深い生き物であるのか」と思えてしまいます。

家族の一員である普通の市民が、なぜ爆弾を投下できるのか?
「彼らの本心」は、苦しんでいると思うのです。

「国家の戦争」という誤った想念が、「消えてゆく姿」として現われていたのだと思います。

幸い母は空襲の時には疎開をしていたので、難を免れたのですが、
もしかしたら、死んでいたのかもしれず、
そうなると、「この私」はいないことになりますので、
それはそれで、不思議です。(^^;ゞ

「戦後に生まれた人々の存在」は、不思議です。(*^_^*)

「人類」が、そういう色々な体験をして、
 「こんにちの日々(現代)」があることが不思議です。(^^;ゞ
 
そして自分が、その「歴史」の積み重ねの中に存在していることが不思議です。(^^;ゞ

生き残って生まれた子孫には、それなりの使命があると思うのです。

忌まわしい過去を「プロセス」として反省して、行動を起こす使命があると思うのです。

それが、「世界平和の祈り」なのです。(^^;ゞ

東京大空襲(死亡・行方不明者は10万人以上)

浜松空襲(1945年 死者1800人)

東南海地震(昭和44年12月7日)

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