『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【1628】人間というのは、光なのです(^。^?

2008-11-29 05:07:40 | 思索
『大決意』の冒頭の部分は以下です。 ちょっと、不思議な文章です。(^^;ゞ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

『実は、・・・・・・』

人間というのは、
ここに肉体があるけれども
実はここにあるのではなく
光が流れて来ているのです

純粋な無想無念の状態で
光そのものになっているのです

肉体というのは、本当はあるのではない 
ただ見えているだけなのです

みなさんはここに座っているけれど
実は ここに座っているわけではないんですよ

光の波が幾すじも流れて来て
ここの止まっているのです

光の波と業の波が混ざったものが
ここに来ているのです

そこへ太陽よりももっとすごい光明が言葉とともに拍手とともに流れてゆくと
業の波がきれいに洗われてゆくのです

みなさんは肉体と思ってはいけません

人間は肉体であるという観点から
一日も早く脱却することです

人間は肉体ではないんです
霊なのです 光なのです 光線なのです

太陽が光り輝いているけれど
光線としては見えません

見えないけれど光線はある
それと同じように
人間はみんな光の波っで天から来ているのです

それなのに肉体というものに把らわれて
肉体ばかり見ているから
太陽の光を否定し
神さまから来ている自分の力を否定している
否定しただけ汚れていまうのです だから
人間は勝手に苦しんでいる といわれてしまうのです
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

★なぜ、不思議に思うのかを考えてみました。(^^;ゞ

それは、「光」という言葉が何の比喩なのかが分からないからです。(^^;ゞ

『光』とは、光線という意味ではないと思うのですが、(^^;ゞ
「私の意識」が、『光』なのでしょうか?

『光』が「神の意識や意思」・「天の意思」・「大いなる意思」という意味ならば、
私にそういう意識がやってきている時には、『光』がやってきていることになります。(^^;ゞ

また、私の肉体も精神も心も「宇宙の一部」ですから、それらは、
「宇宙そのものである」とか「宇宙からやってきている」と言えます。

これは、『事実』です。(*^_^*)

もともと、「すべては、宇宙からやってきた物」なのに、
それを「肉体」だとか「心」だとか「言葉」とかと、
人間が勝手に分けて考えているのです。(^^;ゞ

『光の波と業の波が混ざったものが、ここに来ているのです』が、それです。

「光の波」も「業の波」も『宇宙』から来ているのであり、
分離しているのではないのです。

そして、『そこへ太陽よりももっとすごい光明が言葉とともに拍手とともに流れてゆくと
業の波がきれいに洗われてゆくのです』というのは、

光明なる意識、光明なる言葉に意識を向けると、
「業の想い」が消えてゆくので、すっきりとした「天の気持ち」となり、
気持ちが良くなるという話なのです。(*^_^*)