歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

宮城県・利府町 硯沢窯跡発掘調査現地説明会の予定

2008年10月03日 | Weblog
 10月4日(明日)の現地説明会の前日に、各紙より一斉に報道された。
 宮城県利府町教委は2日、奈良・平安時代の遺跡である同町春日の硯沢窯跡から、国内最北での発見となる「横口式木炭窯」2基と、「宮城」と刻まれた遺物では県内最古とみられる須恵器が見つかったことを発表した。 
 硯沢窯跡は、古代国府が置かれた多賀城の創建期に、炭や須恵器の生産拠点の役割を果たしたとみられ、古代の陸奥国府・多賀城の北東に位置する「春日窯跡群」の一部で、85年に続き2回目の調査となる。
 今回は奈良・平安時代の炭窯跡計6基が検出され、2基の横口式木炭窯は、斜面の上方に向けてトンネル状に掘られた4基の地下式木炭窯とともに発見された。 
 横口式木炭窯は8世紀前半の遺構と推定され、県内で初めて確認された。斜面の等高線に対して平行に掘られた窯で、「焚口(たきぐち)」と「煙出(けむりだし)」を結ぶ焼成部に6つの「掻出(かきだし)口」が付いており、製鉄などに適した炭が作られたとみられる。 
 横口式の窯は主に中国地方を中心に確認されているが、福島県新地町以北では見つかっていなかった。朝鮮半島発祥の技術が多賀城にまで伝わっていたことを意味するという。
 横口式木炭窯の北西に位置する窯跡の失敗作を捨てる「灰原(はいばら)」から、8世紀前半の須恵器を発掘。中には宮城郡を示すと考えられる「宮城」「宮木」の字が刻まれた須恵器の破片2つ(いずれも縦、横とも約8cm)が見つかった。
 多賀城市では既に「宮郡」と墨書された8世紀中後半の須恵器や、「宮木」と墨書された同時期の土師器(はじき)が出土しているが、宮城の字が見られる遺物としては最古とみられ、刻書で確認された例は初めてという。「宮城」と書かれた考古資料は、多賀城市内で出土した平安時代(9世紀前半)の墨書土器が最古だった。地名の起源が、724年の多賀城(多賀城市)創建までさかのぼる発見で、宮城郡が多賀城とともに中央政府によって新たに付けられた政治的な名前だったことを裏付ける発見とする。
 「みやぎ」の地名の確認は、これまで、8世紀の史書「続日本紀」の天平神護2年(766)の条文が最古とされてきた。「宮城郡」の歴史がよりさかのぼることを裏付ける史料になる可能性がある。
 一緒に見つかった「宮木」の破片は、10世紀の辞書「和名類聚抄」で「みやき」とされており、「みやき」と発音通りに作られた可能性がある。8世紀にも濁らずに「き」と発音していたことを裏付けるという。
 町教委は「横口式木炭窯で製造された木炭は武器生産などのための製鉄に使われたと思われ、今後の調査によっては、近くから製鉄関連の遺構が検出されることも予想される」と期待する。
 硯沢窯跡(調査面積約1万4000㎡)は陸奥国府・多賀城からは北東約5kmにあり、同町春日、赤沼両地区にまたがる春日窯跡群の西端に位置し、奈良・平安時代に多賀城へ土器や瓦を供給した国府直営の焼き物工房「官窯」の一つ。
 今回の調査で、硯沢窯跡の遺跡は8世紀の須恵器窯跡18基、炭窯跡3基、9世紀後半の瓦窯跡4基、9~10世紀の炭窯跡6基となった。

現地説明会
日 時: 10月4日(土) 午後1時から
場 所: 硯沢窯跡(利府町春日字硯沢)
問合せ: 生涯学習課 生涯学習振興班 022-767-2125

[参考:9/26利府町HP、10/3河北新報、毎日新聞、読売新聞]

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 伊勢崎市・本関町古墳群「C... | トップ | 小浜市 若狭武田氏館跡 現... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事