天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

岡村寧次大将

2016-03-16 23:04:33 | 歴史


『岡村寧次大将資料第一 戦場回想編』1970年から

 『昔の戦役時代には慰安婦などは無かったものである。斯く申す私は恥かしながら慰安婦案の創設者である。昭和七年の上海事変のとき二、三の強姦罪が発生したので、派遣軍参謀副長であった私は、同地海軍に倣い、長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである。
 現在の各兵団は、殆んどみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様である。第六師団の如きは慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である。』

戦後の回想録で慰安婦問題として取り上げられる
岡村寧次大将の資料ですが、日本軍の劣化する表現としてマイナスに捉えられる傾向があります。

終戦時は岡村の指揮する支那派遣軍は持久戦を行っていた事から兵力がほぼ温存されており、その強さも大陸ではまだ衰えていませんでした。

徹底抗戦の構えも昭和天皇が宣言受諾を決定した旨が伝えられると、岡村は考えを改め「承詔必謹」を隷下将兵に厳命しました。

戦後日本軍が撤退すると、バランスが崩れ中国はたちまち内戦状態に陥ります。このことはいかに日本軍が強かったか、また敵であるはずの国民党が劣勢になる原因も日本軍の強さにありました。

実は共産党軍勝利の一因は満州に残っていた旧日本軍の協力があったからだといわれています。

実際は無理矢理協力させられていただけなのですが、協力を拒んだ日本人居留民3000人が共産党によって虐殺される通化事件もおこっています。

昭和21年2月3日に、かつての満州国通化省通化市で、日本人に対して一週間にわたって拷問と銃殺が行われ、あるいは凍死させられ、軍とは何のかかわりもない民間人が殺害された事件です。

加害者は、支那共産党軍と朝鮮人民義勇軍南満支隊(李紅光支隊)、被害者は日本人です。

空軍を持っていなかった共産党軍にとって、旧日本軍によるパイロットの育成は勝利に大きく貢献したとされています。

国民党軍の敗色が濃厚となった昭和24年7月、蒋介石は腹心の部下である曹少将を東京にいた岡村の元へ送ります。

最終的に蒋介石の『恨みに報いるには徳を以てする』という寛大な対日政策に感銘を受けた岡村は、この要請を受けることになります。

しかし敗戦国日本で、旧軍人の軍事協力は厳禁ですから、岡村は蒋介石と秘密の盟約を結び、極秘裏に旧軍関係者への勧誘工作を開始したのでした。

昭和24年10月中国人になりすました旧軍軍人25人らが貨物船で台湾へと密航、蒋介石と面会したのでした。

この秘密軍事顧問団の団長を務めたのが、富田直亮元陸軍少将でした、富田は名を白鴻亮と改め、中国人になりすまして台湾において直ちに軍の再建に着手します。

副団長に任命されたのが、山本親雄元海軍少将。
航空戦のプロフェッショナルで、かの山本五十六が空母機動部隊による真珠湾攻撃を立案したのは、彼の影響だという説もあるほどの専門家でした。

同時期に別ルートで単独台湾へ渡った根本博元駐蒙軍総司令官の話は前ブログに登場しました。

慰安所を作った男としてその資料も慰安婦問題に使用されるのは通化事件、台湾問題を覆い隠すための工作と勘繰るのはごく自然なことだと思うのですが皆様はいかがでしょうか。