天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

神の子の日本人

2019-09-28 07:59:37 | 時事
通常「神の子」といえばイエスキリストであるが、一神教に於いての「神の子」、つまり人間はイエスたった一人であることも特徴の一つである。


このイエスの普通人との隔絶が彼を神格化し又は救世主とすることで人々は救いを求めた。

日本に於いての神の子は山本キッドやマー君といったスポーツのそれぞれの範疇で最も秀でた人物の俗称としても使われる。

つまり多神教である日本ではスポーツの神がそれぞれに存在していることから考えても自然なことであろう。

更に災害の多いこの国では神頼みや救いの対象としてではなくあくまでアニミズムが熟成された祈りとする崇高さを原始的な中から定着させたのである。

日本の聖書とも言われる古事記には最初の神の子が記載されているが、126人もの神の子がいて今
も存在するのは日本だけだ。

このことで日本民族がその他の民族よりも優っているとかは決して思いもしないが、この宗教観がこの国を安定的に存続させたことは紛れも無い事実である。

従ってこの国が滅びる可能性があるとすれば神の子がいなくなるか、これを忘れてしまうかであり、日本人自らが神の子の写真を燃やすような日本ヘイトを表現の自由と容認する知事はドMか国賊のどちらかでしかないのである。


深田萌絵さんは怪しいと思いますさんからのコメント

2019-09-25 09:12:53 | コメント


・コメントが届いた記事
深田萌絵の印象


・コメントを書いた人
深田萌絵さんは怪しいと思います

・コメント

もともと深田さんの話は真には受けていませんでしたが、お金の貸し借りの逆恨みということがわかりガッカリしました。保守業界にもキチンと判断してくださる方がいらっしゃるということがわかり安心しました。
こちらの三菱UFJとの裁判の印象操作も醜いものです。


三菱UFJとの裁判

一色正春氏の正論

2019-09-25 05:29:28 | 時事


一色氏がツイッターで共同通信の記事に正論の例えでツイートした。


「韓日中の3カ国が共同で歴史教科書を作ってはどうか」
泥棒と警察が一緒に刑法をつくることはできません

「歴史的事実を共有したい」日韓の若者らが東京都内で討論集会


1万以上のイイねが付いていることもあって日本人の感覚として教科書は無理が共通認識と言っても良いだろう。

「共同での歴史教科書」が不可能な前例として近隣諸国条項があげられる。要するに日本が近隣諸国と友好的に付き合える様に歴史教科書を改変した政策だ。

この政策が如何に不必要で偽善であったかは現状からも誰もが判断できるであろう。

一色氏的に言えば警察が泥棒の為に『お腹がすいている時は人の食べ物をとっても良い』という刑法を作ってしまったのが近隣諸国条項だと理解して間違いはないだろう。

日本は自国の歴史教科書を相手国目線で作ってしまった瑕疵のツケを現在払っていると言っても良いだろう。

要するに共同の教科書など不可能であるとの結論を既に経験しているのである。

更に共同通信がこれを取り上げる意味はニュース本文にある【日本人からは「過去の植民地支配についてもっと知り、歴史的事実を共有したい」との声が上がった。】を只浸透させたいだけなのだ。


共通の歴史教科書など不必要である。
何故なら民族の誇りは与えられるのでなく、民族自身が築き上げるものであるからに他ならないからだ。


ナチス大村

2019-09-24 00:40:53 | 時事



大村知事が17日の記者会見で不自由展を巡り「誰もが認めるものじゃないとやっちゃいけないというのはナチスそのものだ」と述べた。


これに対し河村市長は記者団に「ナチス呼ばわりされた」「国民、市民に向かって正式に謝罪してもらわないといけない」と発言した。


大村知事が保身の為だけの記者会見を重ねるにつれて名古屋市長に対しとうとう名誉毀損とも言えるナチス呼ばわりをしてしまった。

そもそも河村市長は知事に対し日本人の心を踏み躙ると発言しただけで、表現の不自由展開催の説明を求めていたのであり、中止を申し入れてはいないのである。

メディアが大村知事側に加勢して河村市長の「検閲」との妄想で時期尚早にレッテル貼したことで勝手に空回りし始めたのがこの問題の発端である。

従って河村市長は『誰もが認めるものじゃないとやっちゃいけない』なんて言っていない。表現の自由には制限があるのではないか?との確認と問いかけに過ぎないのである。

大村知事が河村市長をdisればdisる程己の首を自ら締め続けているのだ。

この問題の核心には河村市長の南京発言がある気がしてならない。歴史認識の対立から大村知事は己を相対化出来ず、たかが知事如きで絶対的権力者にでもなったつもりなのかも知れない。

それは図らずもナチスのヒトラーそのものに見えてしまうのである。

内田の樹を切る

2019-09-23 05:15:34 | 時事


『あいちトリエンナーレでの「表現の不自由展・その後」の開催中止を巡って、何人かの公人が発言している。松井一郎大阪市長は「民間であれば展示は自由だが、税金を投入してやるべきではなかった」と、中止は当然との認識を示した。河村たかし名古屋市長は展示を「日本人の心を踏みにじるようなものだ」として「市民の血税でこれをやるのはいかん」と述べた。

 これに対して大村秀章愛知県知事は憲法21条の「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない」を引いて、「税金でやるならやって良いことには自ずと範囲が限られる」という「最近の論調」に対する「違和感」を表明した上で、公的な行事だからこそ憲法に則り「表現の自由は保障されなければならない」と語った。さらに、名古屋市長が記者会見で公的立場にありながら個別的な表現についてその適否を語ったのは「検閲」に相当し、「憲法違反」の疑義があると踏み込んだ。これを受けて河村市長はそれなら「ああいう展示は良い」と県が公的に認知すべきだと異議を申し立てた。

 残念ながら、この異議は筋違いである。知事は展示物の良否について個人的な判断を述べたわけではなく、「表現の自由」を定めた憲法の遵守はそこで表現された作品のコンテンツの良否とは別のレベルに属するという法理を語ったに過ぎないからである。行政機関には表現物の良否について判断する権利があり、否とされたものについては検閲を行うことが許されるというのはたしかに「最近の論調」ではあるが、憲法21条の解釈としては成り立たない。

 憲法99条は天皇以下すべての公務員に「この憲法を尊重し擁護する義務」を課している。むろん、現行憲法には瑕疵(かし)があるので改正が必要だと考える公人がいることに不思議はない。だが、その場合、彼らは公人としての「憲法尊重擁護義務」と私念としての「憲法改正の必要」の間で身を引き裂かれるような葛藤を経験しているはずである。

 今回はそのような深みのある葛藤が日本の政治家たちのうちにいかに見いだし難いものであるかを改めて可視化してくれた。』

AERA 2019年8月26日号より




小学館のポスト記事『韓国なんて要らない』に対して内容に関してでなく、真っ先にタイトルだけに異論を唱え小学館では記事を書かないと公言した人物でもある。

そんな内田樹が愛知トリエンナーレの大村知事擁護の記事を朝日系から出した訳だが、この一連の流れで勘のいい方はどのような人物かの解説は最早釈迦に説法かもしれない。

ツイッター垢をチラ見しても有田芳生、山崎雅弘、ラサール石井の安倍批判を中心にリツイートしているだけでこれと言った特徴は見られない。

特筆すべきはこの有田、山崎、ラサールの3人から私がブロックされていることぐらいであろう。つまり内田樹は安倍政権支持者を最初から排斥してオールドメディア権力に巣食う番犬のグループに属しているとも言えよう。

既に終わってる人物だ。