日本軍の慰安婦虐殺の証拠としてネットに公開された。
韓国の日刊新聞の社説では以下のような報道のされかたをしている。
『太平洋戦争末期に日本軍が「朝鮮人慰安婦」を集団虐殺した場面の映ったある衝撃的な映像が初めて公開された。27日に開かれた韓中日・日本軍慰安婦国際カンファレンスで公開された19秒の白黒映像は、1944年に中国雲南省で敗走する日本軍に慰安婦が銃殺されて捨てられた残酷な姿を映し出している。当時日本軍と戦闘していた米中連合軍が撮影したという。このような映像を前にして、日本は慰安婦責任を回避し続けるのかと尋ねざるをえない。』
これを受けた日本の報道が以下である。
『日本軍が敗戦直前に朝鮮人「慰安婦」被害女性たちを集団虐殺した事実を見せる映像と文書が初めて出てきた。
ソウル市とソウル大人権センターは27日、ソウル市庁で開かれた「韓・中・日 日本軍“慰安婦”国際カンファレンス」で、朝鮮人慰安婦被害者の虐殺現場を撮影した映像を初めて公開した。映像は、ソウル市とソウル大人権センターのチョン・ジンソン教授の研究チームが2016~2017年に二度にかけて米国立文書記録管理庁(NARA)を訪れて資料調査と発掘作業を経て公開したものだ。
日本軍が「慰安婦」被害者を虐殺したという記録は、当時中国国民党の機関紙「掃蕩報」(1944年9月18日)など一部のメディアの記事としては残っているが、映像が公開されたのは初めてだ。これまで「慰安婦」の強制連行と虐殺を否定してきた日本政府の主張に正面から反論する資料である。
1944年9月15日に中国雲南省の騰衝で、連合軍164通信隊写真中隊のボールドウィン兵士が撮ったもの』
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とんでもない証拠映像で、日本軍が虐殺したかのような報道だが、当時は自分達韓国人も日本軍である。
しかも、1944(昭和19)年当時日本軍は劣勢であり玉砕が立て続けに起きていたのだ。自分を守るのに必死で慰安婦を虐殺するなど考えられない。
地図の矢印が援蒋ルートである。
1944年6月2日から1944年9月14日まで中国・雲南省とビルマ(現ミャンマー)との国境付近にある拉孟(保山市竜陵県)・騰越(同市騰衝市)地区で行われた、日本軍と中国国民党軍・アメリカ軍の陸上戦闘が『拉孟・騰越の戦い』である。
南部を占領していた日本の部隊は援蒋ルートの遮断のために派遣された小規模なもので、進出した1942年頃は中国軍に対して優位だったが、援蒋ルート遮断後はアメリカ軍の空輸によって中国軍への支援が継続され連合軍からの近代的な装備を身につけた中国軍は1944年より反撃に転じている。
日本軍は補給路を断たれ孤立し、拉孟守備隊および騰越守備隊は最終的に玉砕している。
以下に昭和19年の年表をあげるが、日本軍はサイパン島の玉砕から島々を点々と硫黄島、沖縄と熾烈な戦いを強いられる。
6月15日 米軍、サイパン上陸(サイパンの戦い。7月7日日本軍玉砕、在住 日本人1万人死亡)。
6月16日 米軍、中国大陸から北九州へ初空襲。
6月19日 マリアナ沖海戦
この戦いで日本は航空戦力と空母、大鳳、翔鶴を失い、完全に制空権を奪われる。
7月4日 日本軍、インパール作戦を中止。
7月18日 東條英機内閣総辞職。
7月22日 小磯国昭内閣成立。
8月2日 テニアン島の日本軍玉砕。(テニアンの戦い)
8月11日 グアム島の日本軍玉砕。(グアムの戦い)
9月11日 米軍、ペリリュー島上陸。(ペリリューの戦い)
10月10日 米軍、沖縄、台湾を空襲(十・十空襲)。
10月12日 台湾沖航空戦
10月20日 米軍、フィリピン・レイテ島に上陸(レイテ島の戦い)。
10月23日 レイテ沖海戦 この戦いで日本の空母戦力、瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田が沈没。
日本側は主力本隊の栗田艦隊、別動隊の西村艦隊、志摩艦隊と囮空母起動部隊の小沢艦隊、4つの艦隊で構成されていた。
10月24日 戦艦武蔵沈没(シブヤン海)。
10月25日 神風特別攻撃隊、レイテで初出