天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

レイシズム

2015-11-29 05:07:01 | 歴史
第三国人は、本来は「当事国以外の第三国の国民」一般を指すが、連合国軍占領下の日本においては、官公庁や国会を含む日本人およびGHQが、特に、日本に居留する旧外地(朝鮮など)に帰属する人々を指して用いた呼称もとは行政上の用語であり、単に三国人ともいう。

この占領下に於いて敗戦日本国民と朝鮮半島における併合が解除されたことで本土に残った朝鮮人を区別するための呼称であり、この呼称をレイシズムの起源として、つまり差別用語として捉えることは決定的な誤りである。

仮に差別と仮定しても米国の占領下でGHQが用いた呼称である。

要するに使用する本人が差別的に用いれば差別用語となり、歴史的に使用すれば区別用語となるのだが、時が経ち過去になった現在では正確な意味合いが忘れ去られてしまい差別用語だとして使わなくなったことで、一般的に認知された差別的表現のカテゴリーに組み入れられてしまった。

本来レイシズムとは人種差別主義であり、人種に本質的な優劣を認め,構成する人種により社会や文化の優劣を判断する考え方であって

アーリア民族優越論・有色人種劣等論・アパルトヘイト政策など欧米の考え方である。

つまり、白人対有色人種の構図をそのまま敗戦国日本の日本対旧日本(韓国)に投影させただけのことで、あくまで視点は日本でなく韓国からなのだ。

日本人が、特に歴史を学んだ日本人が感じる違和感は明らかに"レイシストしばき隊"によって過剰に断罪されることに比例して高まる。

東京裁判史観の日本軍は悪辣非道とした過去がそのまま戦後レジーム体制として70年経過した現在に於いて機能している違和感なのだ。

この"しばき隊"の違和感は韓国人に対してなんの民族差別的感情を有しない日本人に寧ろ作用するのであって、東京裁判史観を維持しようとする左派にとって格好の広報部隊となっていた。

しかし、在特会の主張の浸透としばき隊のタトゥー効果がネット上に晒されることによってほぼ在特会の役目は果たされたと言っても良いだろう。

日本国民の意識下になかったしばき隊による過剰なヘイト規制が寧ろ逆効果として国民に深く浸透してしまったのだ。

つまり、左派としばき隊の共倒れ状態によって左派はしばき隊と距離を置かざるを得なくなってしまった。それを証明するのが今回の大阪W選挙であり、東京、脱却を掲げる安倍首相を差し置いて大阪が戦後レジームから抜け出そうとしている。

帝国の慰安婦

2015-11-27 23:43:59 | 時事



若宮元朝日新聞主筆は「54人全員が、韓国に愛情を持っており、慰安婦問題の解決を望む人々である」とし「そのような立場から今回の声明を推進したので、心を察してほしい」と要請したようです。

本文は馬鹿馬鹿しいので割愛します。


「帝国の慰安婦」朴裕河教授の在宅起訴に学者ら54人
以下
ハフィントンポストよりコピペ

賛同人: 浅野豊美、蘭信三、石川好、入江昭、岩崎稔、上野千鶴子、大河原昭夫、大沼保昭、大江健三郎、ウイリアム・グライムス、小倉紀蔵、小此木政夫、アンドルー・ゴードン、加藤千香子、加納実紀代、川村湊、木宮正史、栗栖薫子、グレゴリー・クラーク、河野洋平、古城佳子、小針進、小森陽一、酒井直樹、島田雅彦、千田有紀、添谷芳秀、高橋源一郎、竹内栄美子、田中明彦、茅野裕城子、津島佑子、東郷和彦、中川成美、中沢けい、中島岳志、成田龍一、西成彦、西川祐子、トマス・バーガー、波多野澄雄、馬場公彦、平井久志、藤井貞和、藤原帰一、星野智幸、村山富市、マイク・モチズキ、本橋哲也、安尾芳典、山田孝男、四方田犬彦、李相哲、若宮啓文(計54名、五十音順)

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若宮氏、上野千鶴子氏、大江氏、河野氏、村山氏
名立たる売国奴、いや名立たる著名人が名を連ねていますが、韓国に愛情を持っているのなら移住してあちらで活動すればいい話であって、恐らく韓国政府は無視でしょう。

通常の人間には理解し難い今回の声明ですが要約すれば教授への起訴は表現の自由を侵害するものであると、三権分立が機能していない韓国に対しての日本向けパフォーマンスなのでしょうか、理解に苦しむ言動です。

帝国の慰安婦は韓国政府にとって明らかに不利益で元慰安婦の人権問題を利用し、教授を在宅起訴
しているのですから問題はありますが韓国としては理にかなっている動きです。

これら54人の者達は産経新聞支局長の在宅起訴の時にも声を上げなければ整合性が取れません。
つまり日本人の場合はスルーし韓国人教授の場合は声を上げるしかも同じ表現の自由を求めてということです。

更に不可解なのは韓国と擦り合わせた"官憲による強制連行"があったと記者会見で述べた河野洋平が
無かったと証明される"帝国の慰安婦"側を擁護する行為です。

この行為を解説する事は至難の技ですが、私なりの判断で纏めます。

要するに、解決済みの慰安婦問題を戦争を知らない世代(村山氏は学徒出陣世代)が感情に任せて友好の為に売国的な行為に至り、利用され日本の国益を損ねる事態に発展しても尚同じスタンスを取り続けてきた。帝国の慰安婦を韓国人の教授が出版、慰安婦の事情が白日の下に晒されると手のひらを返したように教授を擁護する。しかもその方法が慰安婦からかけ離れた表現の自由と言う御門違いな手段であった。言葉は悪いが偽善者集団54人といったとこであろうか。

新潟日報社襲撃事件と部長

2015-11-25 03:31:25 | 時事


新潟日報の報道部長のツイートが炎上した翌日の新潟日報のウエブページのトップニュースです。
流石に地方紙ながらも新聞社の生き恥を晒すような事はしないでしょう。

しかしながら、この情報のタイムラグが現在のネット社会においては命取りになり兼ねない事態を引き起こすのです。

話は終戦直後に遡るのですか坂町事件と呼ばれる在日支那、朝鮮人の闇米の運搬を取り締まる警官に暴行を加えた事件が昭和21年9月22日に、新潟県岩船郡保内村(現・村上市)に於いて発生しました。

これを報じた新潟日報社を昭和21年9月29日に新潟県新潟市の同新聞社を朝鮮人16名が破壊した暴力事件、新潟日報襲撃事件がおきたのです。






このような過去が現在の部長に何らかの影響を与えているとは思えませんが、記事の取り上げ方に対しては慎重にならざるを得ない事件が起きていたのです。

在日朝鮮人の報道に関しては慎重になるという体質がこの当時から引き継がれているとすればそれは言論弾圧に屈した結果であり、

今回の部長の日本の真のナショナリズムの再興を阻害する様な"しばき隊"としてのツイートは個人の資質の問題を超えた、マスメデイアの反日性と支那朝鮮との関係性を露呈させてしまったのです。

当然新聞社がこの社員の処遇を巡って厳しい判断を下さなければ箱の中の蜜柑は全て腐っていると見なければならないでしょう。

一部長のツイートが掘り返した過去とマスコミの体質の露呈は靖国テロと相俟って日本人を刺激し
両者への不信感は高まることでしょう。


靖国テロの犯人像を推測する

2015-11-24 21:42:52 | 時事
平成27年11月23日勤労感謝の日に靖国神社では新嘗祭の祭事が執り行われようとする午前10時頃
時限発火式の爆発物が爆発しました。

犯人に関しての大体の想像がつくだけに直ぐさま反応していますが、あり得る限りの犯人像について推測してみたいと思います。

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《犯人》順不同

1.韓国人
2.在日韓国人
3.中国人
4.反天連
5.極右
6.極左
7.マスコミ関係者
8.反日原理主義者
9.愉快犯


1~3の日本人では無い所謂これまでの未遂も含めた放火犯と類似する者

4.靖国とは直接関係ないが皇室への恨み

5.中韓排斥のマッチポンプ

6.安倍政権、国民の右傾化を警戒する者

7.可能性は低いが話題作り

8.1~3を含め日本人

9.注目を集めたい


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《目的》

1.年々参拝者が増加傾向にあることに水を差す。
2.器物破損
3.参拝者の殺傷
4.恐怖心を煽る
5.靖国のイメージを悪くする
6,皇室への間接的攻撃
7.安倍政権への間接的攻撃

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《思想》

1.所謂戦犯合祀が許せない
(伊豆興亜観音爆破過激派東アジア反日武装戦線)
2,靖国に大義がない
3.中韓の外交問題を引き起こす
4.靖国いらない
5.安倍政権反対
6.神道は危険、軍国主義の象徴
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靖国神社は明治からの戦没者を英霊として祀り、
慰霊、鎮魂、顕彰する施設ですが
終戦の東京裁判と占領政策により東條英機等7人を戦犯として裁き、侵略と植民地支配を行なった犯罪国家と結論しました。
戦後7年が経過した時点で国会決議で昭和殉難者として名誉回復がなされています。
これは国内に於いて戦犯は存在しないことを意味します。
しかし国内に於いてこの戦争の責任者がいなくなることから、彼等を責任者と考える者も存在し、占領政策後の日本は彼等に責任を押し付け、日本の軍国主義を否定することで戦後を歩んできました。これが所謂東京裁判史観です。
時が経つにつれ米国も多くの真実が公表され、東京裁判は事後法で無効な吊るし上げであることが広まると日本は自存自衛の戦争であったことがわかり、この戦争の責任は日本に無いことが白日の下に晒されるのです。
朝日新聞が発端となった靖国問題はこの東京裁判史観を保持せんとする勢力と東京裁判史観を否定し、東條英機等は戦争責任者に非ずとする靖国神社の戦いなのです。

徳川侍従長と宮内庁幹部の企み

2015-11-21 23:22:23 | 時事

平成7年の朝日新聞が下記の様な徳川侍従長と宮内庁幹部の記事を掲載する訳はどのような効果を狙ったものであるのかを考察したいとおもいます。

徳川侍従と言えばあの宮城事件で録音版を隠して若林彦一郎軍曹に殴打され戦後謝罪されるも生涯許さなかった人物です。

8月15日の日記には「武は文に譲る」と記してあり、その意味は、武具を捨て、平時の長衣に着替えたローマ人の気持ちを表した古句だそうです。

クーデター未遂を起こした陸軍の暴力性やコントロール出来ない側面を身をもって体験した人物と言っても良いでしょう。

ある意味終戦に携わった最重要人物となるのでしょうが侍従という立場で宮中から、戦後の靖国神社と天皇陛下の御親拝をコントロール出来る立場と言っても過言ではないでしょう。



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昭和天皇と50年 徳川前侍従長の証言
靖国 合祀賛成派の解釈は不本意

朝日新聞 1995年8月19日 22頁

 靖国神社の合祀(ごうし)者名簿は例年、10月に神社が出してきて、それを陛下のお手元に上げることになっていたんですが、昭和53年(1978年)は遅れて11月に出してきた。A級戦犯の14人を合祀すると言う。私は外部にもわかって問題になるのでないのかと言ったが、先方は「遺族にしか知らせない」と言っていた。何かやましいところがあったのでしょうか。そうしたら翌年4月に新聞に大きく出て騒ぎになった。
 靖国神社では、A級戦犯はその10年くらい前に厚生省から名前が届き、その後、総代会で合祀する方針を一応決めたが、宮司の筑波藤麿さんが延ばしてきていた。筑波さんは山階宮の系統で旧皇族なんです。ところが宮司が松平永芳さんに代わって、間もなく実施に踏み切った。松平宮司ひとりが決めたというより、戦時中に大東亜大臣をしていた青木一男さん(参院議員)が強く推進したと聞いています。
 当方からは評議員に加藤進さん(元宮内次官)や栄木(さかき)忠常さん(元東宮侍従)が出ており、旧内務省の飯沼一省さんも反対の意見だったが、青木さんに押し切られたと聞きました。
 戦争犯罪に問われた人についても遺族年金が出るようになるからということでしたが、私は東条さんら軍人で死刑になった人はともかく、松岡洋右さん(元外相)のように、軍人でなく、死刑になった人も合祀するのはおかしいと思った。永野修身さん(元海軍大将)も死刑になってないが、まあ軍人だったから。でも当時、「そちらの勉強不足だ」みたいな感じで言われ、押し切られた。私は松岡さんの例を出して「おかしい」と言ったのだが、東条さんの事で答えられ、すり替えられたと感じられた記憶がある。靖国神社には、軍人でなくても、消防など戦時下で働いた人はまつっているが、松岡さんは病院で亡くなったんですから。
 それに、靖国神社は元来、国を安らかにするため奮闘して亡くなった人をまつるはずなのであって、国を危うきに至らしめたとされた人も一緒に合祀するのには異論も出るでしょう。それで中曽根首相が参拝して、ワッと批判が出てきたんです。
 陛下の御製(ぎょせい)で、61年8月15日に靖国に関して詠まれたものがあります。
「この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれひはふかし」。合祀がおかしいとも、それでごたつくのがおかしいとも、どちらともとれるように整えさせていただいた。それなのに合祀賛成派の人たちは自分たちの都合のよいように解釈する。63年8月15日の「やすらけき世を祈りしもいまだならずくやしくもあるかきざしみゆれど」は、あくまで全国戦没者追託悼式の歌で、世界平和を願うお気持ちなのですが、これまでも靖国のことと手前みその解釈をされたのは不本意なことでした。
 筑波さんのように、慎重な扱いをしておくべきだったと思いますね。

◆宮内庁幹部には不快感示す声も
《解説》合祀されたA級戦犯は、東条英機元厳守、板垣征四郎元陸軍大将、土肥原賢二同、松井石根同、木村兵太郎同、武藤章元陸軍中将、広田弘毅元首相(以上刑死)、白鳥敏夫元駐伊大使、東郷茂徳元外相、小磯国昭元首相、平沼騏一郎元首相、梅津美治郎元陸軍大将(以上受刑中死亡)、松岡洋右元外相、永野修身元海軍大将(以上決拘禁中死亡)。戦前には、靖国神社への合祀者は陸、海軍省が決めたが、戦後は、厚生省が戦争による公務死と認定した人の名簿を靖国神社に協力して通知し、それに基づいて神社が合祀してきた。戦犯として刑死した人も公務死として認定されるようになり、靖国神社は一九五九年からB、C級刑死者を合祀したが、A級は残されていた。戦犯の遺族年金や恩給の資格制限も法改正で順次なくされ、靖国神社の崇敬者総代会は七〇年、A級戦犯も合祀する方針を決めたが、時期は宮司に任せるとしていた。
 宮内庁幹部の中には「厚生行政上の扱いと靖国神社の祭神化とは別問題」として、合祀に不快感を示す意見も強かった。
 徳川氏の言う昭和天皇の歌は、少なくとも合祀決定にくみするものではなかったようだ。
 天皇は75年11月21日を最後に同神社には参拝していない。

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以上が徳川侍従長と宮内庁幹部の所謂戦犯合祀に対するそれぞれの見解なのですが、どちらも合祀に問題があり、の立場で天皇陛下に最も近い立場でありながら御製の解釈までも反対派に都合良く解釈しています。

徳川侍従長の松岡、白鳥は病死であるとの観点から。宮内庁幹部も名前は明かさず不快感を表明しており、冨田メモの内容と酷似しています。

中でも徳川侍従長の「靖国神社の合祀(ごうし)者名簿は例年、10月に神社が出してきて、それを陛下のお手元に上げることになっていたんですが、昭和53年(1978年)は遅れて11月に出してきた」とありますが、

かたや松平宮司は
「私の就任したのは五十三年七月で、十月には、年に一度の合祀祭がある。合祀するときは、昔は上奏してご裁可をいただいたのですが、今でも慣習によって上奏簿を御所へもっていく。そういう書類をつくる関係があるので、九月の少し前でしたが、「まだ間にあうか」と係に間いたところ、大丈夫だという。それならと千数百柱をお祀りした中に、思いきって、十四柱をお入れしたわけです。」とあります。

何故1~2ヶ月の誤差が生じるのでしょうか。どちらかの記憶違いか嘘の証言をしているのです。

松平氏は第三者に上奏が間に合うか、と問うており、場合によっては証人とも成り得る事、徳川侍従長は最初から松平氏を責めており、合祀も気に入らなければ上奏の時期(合祀が問題であり時期の問題ではない)、冨田メモにもあるように「親の心子知らず」などと一貫して松平宮司の全てが気に入らないのか落ち度は松平にありと言わんばかりに攻め立てているのが見てとれます。

以前にも触れましたが千名以上の合祀に白菊会とだけ明記した上奏を徳川侍従長は見落としたのでしょう。ですから期限的に問題があるかの様な攻め立てる発言となったのでしょうし、そう考えると全てが納得出来て、目から鱗が落ちるのです。

徳川侍従長は留学経験もあり、軍部嫌いで、リベラル。

病死した事を問題としていますがどちらも戦病死であるとの解釈から問題はないのです。

このように何故ここまでして戦犯合祀に反対するのでしょう。

合祀せずに棚上げすることによって戦犯から責任者として、14名を合祀することで天皇陛下に責任が及ぶとでも考えているのでしょうか。

やはり、ポツダム宣言の受諾と講和条約関連の連合国の反応を気にしてでしょうか。

これら合祀を問題とする徳川氏と宮内庁幹部、冨田メモは分祀論へと進んで行く軍上層部に対する復讐劇となり、戦犯を戦犯として確定させようとする魂胆が見え隠れするのです。

そしてこのような考え方こそが軍国主義を完全に否定してその象徴である靖国神社を否定するのです。靖国神社から天皇陛下を切り離す、つまり御親拝を遠ざけようとして靖国神社を孤立化するのです。

軍国主義=靖国神社=戦犯合祀=松平宮司
VS
東京裁判史観=徳川侍従長=分祀


正しい歴史認識をもち靖国神社を理解して先人に感謝するそんな日本人が増えることを期待することが天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会のモットーなのです。