天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

風岡典之の生前退官

2016-09-29 08:19:25 | 時事
9月26日
風岡宮内庁長官がひっそりと退官した。70才だ。
65才定年で嘱託で働く一般人を考えれば、この年齢の退官が早いとか遅いとの一般論では判断出来ない。しかし、僅か数年での退官が常識化することが、生前退位を即しているようで「非常に違和感を感じる」

この「」コメントは2013年9月の2020年夏季五輪の開催都市を決める国際オリンピック委員会(IOC)総会への 高円宮妃久子さまの出席をめぐる風岡典之宮内庁長官の発言を受け菅官房長官が発したコメントだ。

風岡長官は「苦渋の決断」とし「天皇、皇后両陛下も案じられていると推察した」と個人的な推察を長官という立場の人間が公に発したからだろう。

今回の譲位の"お言葉"のリークを当初宮内庁としては否定し、本来であれば官邸とのパイプ役という役目を果たさなかったこと、更に言えば見方によっては内閣におけるクーデターとも言える「違和感」によって更迭されたと言ってもいい。

この「違和感」とは本来天皇陛下の政治的御発言は内閣がその責任を負い外部には内閣の判断で知らされる事となる。ところがそのギリギリのところが宮内庁から漏れ出てしまう。

また意図的に漏らされていると判断したのだろう。

宮内庁の長官に新たに就任した山本信一郎氏66歳(前次官)が記者会見し、「天皇皇后両陛下のお気持ちを体し、しっかりとお支えしていきたい」と抱負を述べた。



記者会見---------------------------------

ーー(前長官からの)引き継ぎは

 「特に、毎日顔を合わせていましたので、引き継ぎというのは特段のものはございませんでした」

 --宮内庁の役割として皇室のご活動を国内外に広く発信していくというものがあると思います。長官はこの点についてどのように取り組んでいきたいとお考えですか


「まさにおっしゃいましたように、両陛下の、皇室の方々のご活動、それに取り組まれるお気持ちとか、なさりようの基本的な考え方ですね、そういったものがやっぱりしっかりと国民の皆さんに伝わってくということは大事だと思います。そういう意味で皆さん方のお役割は、こんなことを言うと高いところからになりますが、皆さんのお役割があって、そういったお姿が伝わるということだと思います。従って、行幸啓先でのなさりようを知っていただくということになっていると思います」

 「そういう意味で、毎週記者会見をして参りましたが、そういう意味では宮内庁として、きちんと説明すべきは説明して、知っていただくべきことは広く知っていただけるように、いろんな工夫をして努力をするのが大事だと思っております。ホームページなんかも大変充実してきましたし、私自身もそういうマインドで皆さま方にも、なされることの意味合いですとか、お知らせをしてきたつもりですし、これからもそういう気持ちでマスコミさんにはご指導、お付き合いをいただきたいと思っております」

 --宮内庁長官というのは天皇家の臣下ではありません。大事なのは憲法に定められた象徴天皇をどう守っていくかで、長官は一番の責任者だと思います。歴代の長官は常にこの枠を守るための盾になってきましたた。場合によっては全身に矢を受けるかもしれません。全身ズタズタになる覚悟はありますか


 「先ほど申し上げましたように、後ろを振り向いても誰もいないという立場であることは自分によくよく言い聞かせております。そういう中に、今おっしゃった意味合いも出ると思います」

ーー就任会見でもありますので、座右の銘や、大切にされている信条があれば教えてください

 
「座右の銘というようなものはありません。二字熟語とか四字熟語とか、そういう手のものはございません。ただ、私ももともと福井の山の方の出身で、地方自治とか地方振興に携わりたいと思いまして、公の仕事をしたいという気持ちもありましたので、自治省という役所に入りました。そして県庁も3カ所ほど、富山、島根、岡山。13年、仕事をして参りました。誰も一人しかいないところに赴任をして、溶け込んで仕事をするということを繰り返してやって参りましたし、中央省庁でも仕事をして、いろんなところで仕事をして参りましたので、そこでいい仕事ができるように、臨む姿勢として熱意を持って、気持ちよく、さわやかに、自分を含めて職員みんなでそういう姿勢で仕事ができるように、こういう気持ちでやってきたつもりです。そのように成果が挙がっているか分かりませんけど、いろんなところでそういう気持ちで仕事をやってまいりました。それが長い公務員人生の中での、一つの私なりの気持ちかなというふうに思います」

 --政府の有識者会議が来月にも始まろうとしていますが、検討にあたっては何を最も重視して、優先して検討が進むべきだと思いますか。陛下のご年齢やご健康などいろいろあると思いますが、そのあたりのお考えを


 「官房長官の発言の中でも、陛下がご高齢である、そのことによって、ご公務のあり方がだんだん難しくなってくる、そういうことについての検討をするということで、ある程度絞って検討会をやると、承知をしております。具体的にその検討をどのように内閣において進められるのか。それについては私どもが申し上げることではないので、私どもはできる限りの協力をしていきたいという方針でございます」

ーー西村(泰彦)さんが宮内庁の次長になられるが、どういうところを期待していますか

 「先ほど私も申し上げましたが、宮内庁に4年4カ月前に来ましたときに、何を期待されてきたのか、どんなことがあるのか、どんな仕事なのか分かりませんでした。ただ、ここへ参りまして無我夢中で、皆さん方とも付き合い、ご指導いただきながら、だんだんに道筋が見えてきたのかなというような気がします。従って、新しく来た西村次長は、私ほど皇室に造詣がないということはないかもしれませんが、一からの出発という気持ちでスタートするであろうし、それしかないのではないかと私も思っております」

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有識者達は何故素人か?会長考

2016-09-28 19:15:14 | 時事
以前ブログでも書きましたが、生前退位に関する6名の有識者が選ばれました。安倍首相は来年3月に纏まる有識者達の提言を各党代表者による協議を行う方向で調整に入ることを明らかにしました。

何故専門家ではないのか、安倍首相はダラダラ何故時間をかけるのか、今回は多少独善的な解釈で会長が端的に未来予想まで書きたいと思います。

皇室に関する有識者会議は以前小泉首相の時に皇室典範に関する有識者会議がありました。


男性皇族が40年誕生していないため、若い男性皇族が不足し、皇位継承に支障を来たす恐れがあることから平成16年12月27日に設置され、皇位継承やそれに関連する制度について平成17年1月より17回の会合を開き、同年11月24日には皇位継承について女性天皇・女系天皇の容認、長子優先を柱とした報告書を提出しました。

今回の有識者達よりは少しだけ専門家も混じっているようですが、当時の安倍内閣官房長官は有識者会議が「男系維持の方策に関してはほとんど検討もせず、当事者である皇族のご意見にも耳を貸さずに拙速に議論を進めたこと」を批判しています。

はい、この『拙速』がキーワードです。
つまり、今回は皇族のご意見をじっくり伺い、男系維持の方策を時間をかけて検討するということです。

このことから推測すれば安倍首相はお得意のあぶり出し"売国奴あぶり出し"をしているのです。
ですから専門家ではない素人有識者つまり、東京裁判史観を作り上げてきた文化人を利用し、女系論と皇室典範改正の結論をまとめさせ一気に専門家が潰す、この前回と同じシナリオを再演し、国民に観覧させるのです。

そして男系継承の常識化を図るのです。

さらに324年後の日本では皇紀3000年の盛大な祝賀会が日本国民によって行われていることでしょう。

所信表明

2016-09-28 08:26:01 | 時事
事あるごとにその一挙手一投足全てを安倍政権批判に変換する天才、戦史家の山崎雅弘が所信表明に食い付いた。こともあろうに"気持ち悪い"と一国の首相をこき下ろした。

初心ではない、所信だ。こうだと自分が信じる所を述べることにある。

この演説を批判しているのはマスだけではなく、
スタンディングオベーションを野党は「異様な光景」と批判している。



【マス山崎】ツイート----------------------

私は、国会の所信表明演説で安倍晋三首相が行った「海上保安庁、警察、自衛隊礼賛の拍手」は、ただのパフォーマンス(人気取り)に留まらないと思う。社会の空気を特定の方向に、少しずつ変えようとしている。国家権力に奉仕する人間が、他の職業より優位にあるという価値観を浸透させようとしている。

戦前戦中の日本と同様、国家体制に奉仕し命を捧げる人間を特別に礼賛するのが「当たり前のこと」という舞台設定をまず作り、それに異を唱える人間は「道義的に問題がある者」であるかのような構図を創り出して、後者の立場をとる者を精神的に孤立させ、圧迫する。国家体制への奉仕が社会の理想となる。

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突っ込みどころ満載だが、"社会の空気"という抽象的な表現がかえって何が言いたいのか解らない程にぼかしている。

"奉仕"を英語で表現すればサービスであるが、奉仕となると「報酬を求めず、また他の見返りを要求するでもなく、無私の労働を行うこと」であり、サービスよりも重厚感があり、彼のいう"道義的に問題があるもの"は民間企業のサラリーマンを指すのであろうが、是非サラリーマンにも奉仕の心を持って貰いたいものだ。

つまり、海保、警察、自衛隊の人々を礼賛するのは当たり前であり、舞台設定にもならないし、サラリーマンより優位にあるとも思わない。

これらは全てツイートの最後の部分を言いたいがための布石としたかったのだろうがマスの性格の悪さだけがストレートに伝わってくる。
"国家体制への奉仕が社会の理想となる。"

分かりづらいが、安倍政権が徴兵制を復活させようとしているかの如く「戦前戦中の日本がかつてそうだった」ことをわざわざ安倍政権に当てはめようとすることが姑息で稚拙な「駄々っ子」のようなマス山崎なのである。

いくら戦史家でも雰囲気だけで政権批判をやられては日本国民はたまったもんじゃない。


象徴を軽視してきた日本人

2016-09-27 08:42:24 | 時事

皇室のきょうかしょ
vol.79 憲法第一条【天皇の地位・国民主権】①
を完コピ
竹田恒泰


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『今回は日本国憲法第一条について掘り下げてみることにしましょう。

 日本国憲法第一条
 「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」

 天皇が日本国の象徴であることは誰でも知っていることですが、これを記す日本国憲法の原文はこのようになっています。
 天皇が「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」であるということは、どのような意味なのでしょう。
 海外から飛行機に乗って日本に帰国するとき、窓から富士山が見えることがあります。富士山を見た日本人は「あ、富士山だ! やっと日本に帰ってきた!」と思うことでしょう。富士山を見ることによって「日本」を感じるわけです。
 でもよく考えてみると、富士山は物質的には岩と石と砂の寄せ集めに過ぎないのです。富士山とう具体的なモノを見ることにより、日本とう抽象的なモノを感じるということは、「富士山は日本を象徴している」ということに他なりません。
 それ以外にも、桜の花びらを見ると春を、入道雲を見ると夏を、紅葉を見ると秋を、そして雪を見ると冬を感じるのも、桜や紅葉という具体的なモノが、春や秋とう抽象的なモノを感じさせるわけですから、「桜は春を象徴する」といえます。
 それと同じように、天皇を見ると、歴史・文化・宗教・言語・習俗などを内包した「日本」を感じるわけです。天皇という具体的存在を見ることで、日本国という抽象的なモノを感じる。これが「天皇は日本国の象徴」ということなのです。同様に、天皇を見ることで「日本国民統合」という抽象的な概念を感じる。これが「天皇は日本国民統合の象徴」の意味するところです。
 日本国を象徴するのは天皇だけではないでしょう。たとえば、国旗や国歌なども日本国を象徴していると考えられます。
 国際社会において、国旗や国歌は国を象徴しますが、天皇や国王など、具体的な人間が国を象徴するというのは、簡単なことではありません。日本や英国のように、悠久の歴史を刻んだ皇室や王室が存在していて、その間国民から信任され続けていなければ、君主が国を象徴することはできないのです。
 ですから、天皇は日本国を象徴し、英国女王は英国を象徴すると言えますが、フランス大統領がフランスを、中国国家主席が中国を、アメリカ大統領がアメリカを象徴しているかというと、それは疑問です。
 一個人が国を象徴することは大変困難なことであり、憲法がそのように書いたからといって、象徴になれるものではありません。つまり、天皇はもともと日本国・日本国民統合を象徴する存在であり続けていたところ、日本国憲法が第一条で、その状態を条文に明記しただけの話であり、決して憲法がそのように記したから天皇が象徴になったわけではないのです。
 実際、旧憲法下においても、条文に明記されてはいませんでしたが、天皇は日本国を象徴し、日本国民を統合する存在でした。
 したがって、日本国憲法が公布されたことによって、天皇が象徴になったわけではないのです。

 よく「もはや天皇は象徴に過ぎない」という言い方をする人がいますが、これは適当な表現ではありません。敗戦で憲法が改正されたことで、天皇が主権者から象徴に転落したという意味を込めているのでしょう。
 先ず、「主権者」という概念自体が近代法における考え方であって、旧憲法において主権者を観念することは困難です。天皇主権とも国民主権とも簡単に断定はできません。
 旧憲法下においては天皇の統治権と軍の総攬権(そうらんけん)は、常に政府と統帥部(とうすいぶ)の輔弼(ほひつ)、そして議会の翼賛(よくさん)を通じて行使されるものであり、天皇が好きに政治を動かせるものではありませんでした。
 そして天皇は「祭り主」(まつりぬし)、つまり祈る存在であり、その祈る目的は「国民ひとりひとりの幸せ」と「国の平和」です。したがって、断じて天皇のために国民が存在しているわけではなく、むしろその逆といえます。国民の幸せと国家の平和のために天皇が存在しているならば、果たして天皇は主権者といえるでしょうか。
 明治時代は現在と違って精度の高い選挙は行われていませんでしたから、国民主権が実現しているとは到底いえませんが、かといって、天皇が、世界史における絶対王政の王のような主権者ともいえないわけです。ですから、新憲法の施行により天皇が主権者から転落したという表現は、適切ではありません。
 それに、象徴というのは伝統的な天皇のありかたを上手く表現した言葉です。天皇は古代から原則的に「君臨すれども統治せず」という存在でした。天皇不親政の原則ともいわれています。ですから歴史的に天皇は象徴なのです。
 したがって、やはり新憲法施行によって天皇が象徴に転落したという表現も不適切です。新憲法が施行されたことにより、歴史的・伝統的な本来の天皇のあり方が明文化されたととらえるべきでしょう。
 私は日本人として、象徴としての天皇のありかたに誇りをもっています。 』
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この竹田恒泰氏の日本国憲法第1条をお読み頂ければ"象徴"の意味や意義そして戦後の日本人が如何に象徴を軽視してきてしまったか、が改めて痛感させられたと感じることでしょう。

では何故戦後の日本人はこの様な考え方となり、果たしてそれは間違った方向に進んでしまったのでしょうか。

この戦後日本の歴史観は世代によって纏まりが認められます。

父、子、子供という家族の三世代と明治、大正、昭和という時代という三世代を投影させれば時代の世の中が右、左、右つまり、戦争、平和、戦争とグラフで言えば波形を描いていることがわかります。

これは極当たり前のことで建国から平和な直線を描く国など一つもありません。不幸なことですが内戦や弾圧と言った直線を描く国が存在することは確かです。

先の大戦が終わった事を終戦と呼ぶか敗戦と呼ぶかでも世代間で格差があり、多くの大正生まれが戦い犠牲となってしまったことも、戦争の被害を
国家による被害と捉えるようになっていきます。

当初戦勝国のアメリカは日本が二度と戦争が出来ない国にする必要がありました。この占領政策と被害者としての日本人が共鳴してしまったわけです。

この共鳴が東京裁判史観な訳です。戦勝国による
焚書や戦争観は勝者の歴史により明治からの国家神道を徹底して否定し、日本人でさえこのシステムが日本を戦争へ導き、靖国はその装置であると信じ教育してきたのです。

戦後の教育が日の丸、君が代を避けるのもこの世代特有の歴史観であり、昭和20年4月に大学に入学しそのまま徴兵され9月から復学した哲学者、ものつくり大学総長の梅原猛教授が、スーパー歌舞伎や、法隆寺に建立に関する独特の解釈の『隠された十字架-法隆寺論』など仏教に傾倒し、日本史を陰惨なイメージで空想するのは間違いなく戦争経験に影響されているからでしょう。

敢えていいますが、戦後体制は間違いなく彼等のような"歴史修正主義者"達によってナショナリズムや誇りを根刮ぎ削がれ、後に天皇陛下を一般の老人にすべく生前退位を画策することとなるのでしょう。

このように戦後の殆どの日本人が、人間宣言と解釈したように、三島由紀夫でさえ不敬をはたらき
象徴を軽視してきたのです。

生前退位有識者会議で安倍批判

2016-09-26 08:40:14 | 時事
生前退位の有識者会議に関して山崎雅弘氏がまたもや安倍首相と日本会議を批判している。




山崎雅弘--------------------------------------
『なぜ専門家ではない方々が選ばれたのか、記事を読んでもよく分からない。==>> (時時刻刻)生前退位論議、「安定」の6氏 有識者メンバー、政府系会議の常連ぞろい


恐らく「専門家ではないから」選ばれたのだろう。

明治期に作られた国家神道に沿う「皇室の伝統と称する何か」と本物の皇室の伝統の違い、歴史的に天皇の生前退位は数多い「伝統」であることを明確に指摘する人がいない。

落とし所をわきまえた人たち。

:「どんな提言になっても、本当の民主主義なら国民投票が必要ではないかと思います」

私もそう思う。

有識者会議と称する不透明なブラックボックス主導で決めるようなやり方は、憲法に明記されている「(天皇の地位は)国民の総意に基づく」という形式にそぐわない。


しかし安倍晋三首相は「国民の声に耳を傾ける」とは絶対に言わない。

安倍晋三首相「期限ありきではなく、静かにまずは、さまざまな方から話を伺っていきたい」(時事)

「期限ありきでない」という表現がなんとなくスルーされているが、本当にそうなのか? 

この問題の期限は突然訪れる、という現実を無視していないか?

天皇の生前退位問題についての安倍晋三首相の「たっぷり時間をかけて」という悠長な態度を見ると、この人は「時間切れ」の到来を待っているのかとも思う。

時間切れになれば、難題から解放される。

日本会議などの政治勢力と今上天皇の板挟みになる境遇から逃れられる。

だから、だらだらと時間をかける。

「荷物を背負うのがしんどくなってきたので、そろそろ下ろしたい。制度の問題について考えてほしい」と、82歳の老人が国民向けに訴えているのに、安倍首相は「期限ありきではなく、ゆっくりと時間をかけて」と、荷物を背負わせたまま問題の引き延ばしを図っている。

恐ろしく非人道的な態度だと思う。

「日本会議」や、その思想的源流である戦前戦中の国体思想について調べると、政治の問題は形式的な個々の政策よりも、その根底にある価値観や価値判断基準の方が重要だと思い知らされる。

それが同じ人の集団だけで物事を決めると、何を重視し何を軽視・無視する集団なのか、内容に全部漏れ出てしまう。』

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「専門家では無い」だけの情報量でここまで政権批判が出来る文化人は"マス山崎氏"をおいて他にいないだろう。

しかし、それだけに日本国憲法の解釈に無理が生じる。日本国憲法の一条だけを取り上げれば確かに一見国民投票も自然に感じ「もっともだ」と膝を打つ方もおられるかもしれない。

しかし、この解釈は非常に危険であり、共産主義思想とも酷似する。

日本国憲法第1条をもう一度良く読んでみよう。

『第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。』

つまり、この条文は天皇という地位の規定であり、この地位は国民の総意に基いて存在しているとのことである。

更に第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

この天皇の皇位を譲る方法は世襲で皇室典範にしたがって行われるのである。この皇室典範は国会の議決によって定めるのであって、国民投票など行う必要など皆無である。

マスが主張しているのは皇室典範に退位の規定がないのだから国民の"総意に基づく"形式、つまり
国民が主権者なのだから国民投票で退位を決めさせろということを優しく美しく言っているだけなのである。

であるから安倍首相は国民の声に耳を傾ける必要すらないし、かえって時期尚早に国会で皇室典範を改正して即刻退位していただくと言ったような速度で決めてはならない、ということであり、ダラダラと時間を無駄にかけている訳でもない。

マスの歴史観とイデオロギーは戦後の所謂東京裁判史観であり、共産主義のリベラリストである。

更にマスは"82歳の老人"との天皇に対する不敬な表現で感情論に訴えかけ、同じく教育で天皇に対する尊崇を教えられていない若者達を共産カラーに洗脳していくのである。

日本人としての人道から逸脱したマス山崎が他人のことを非人道的と批判できる身の程なのか。

権力と権威を混同し、あろう事か国家元首を"82歳の老人"と表現する国賊は反日勢力と同じ血が流れている。