天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

先帝陛下のコラ写真を見て感じること

2016-03-06 16:30:19 | 時事
現在の日本に於いて天皇陛下という御存在をどれだけの人が理解しているでしょうか。

「天皇」は鎌倉時代から江戸時代、生の政治に直接関わる事は殆どなく、その時々の権力者が最高責任者として政治を行っていました。

時の権力者にとって「天皇」はその正当性を示すための存在であり、権力に対しての権威者でもあったのです。

西欧の王が「戴冠式」で神の代行者の司教より王位を授かるような関係です。

一般に高く聳える石垣と城壁にくらべ京都御所の
中が垣間見える程の塀から警備上誰一人御所を襲撃することもない、また考える事すら皆無だったことがうかがえます。

まさに「止ん事無き」存在であられた証でしょう。

戦後の信教の自由によって古事記、日本書紀を神話と史実が混ざって信用出来ない、天皇も同じ人間だとその歴史を否定的に捉えるものも数多くいることも実感します。

厳密に考えれば権威が自発的に同意・服従を促すような能力であり、それに対するクーデターの可能性が僅かでもあるのならば、権威者とすることは不適格であるとも言えます。

東大名誉教授でもある小堀桂一郎氏は
『昭和史の中でも、昭和3年から20年の夏に至る動乱の時代は、現代史の最大の焦点として、その研究は専門の歴史家に限らず、謂はば万人に対して門戸が開かれてゐる。簡単に言へば、国民の誰しもが、その志さへあれば自由に研究に参加し、その成果を何らかの形で発表することができる。そしてその際の立場、拠つて立つべき史観の選択は、完全に各発言者の自由な裁量に委ねられてゐる。』

『どの様な見地から昭和史を理解し把握してもよく、又そこからどの様な結論・評価を導き出して公表することも自由なのであるが、然しどの研究者にとつても、史料の欠如故に、到底採り用ゐることが不可能な、しかもそれを欠いては所詮全体的な歴史像の把握はできない、といつた重要な見地が一つあつた。即ち国家の統治権を総攬し給ふ元首としてのお立場から御覧になつた時、天皇は、過去の大戦争の序幕に当るアジアの動乱、連合国との対立、開戦の不可避性、戦争指導の至難、敗戦、占領の屈辱、平和の克復、戦禍による荒廃からの再生・復興といつた諸段階を、どの様に観じ、対処して来られたのか-。その答は一般庶民の眼を以てしては畢竟、忖度以上に出ることはできなかつた。』

と昭和天皇実録が出されたことを《「昭和史の完成」への一歩》の中でこう書いています。

つまり昭和史、戦争史の研究や発表は歴史家や研究者でなくとも国民の誰であってもそれは制限されることでなく、自由な発表がなされて然るべきであるが、一番間近で歴史を体験した天皇陛下の実録こそが答えでありこれ以上のものはないと言っています。大いなる包容力で国民一人一人の自由と平等は保証されその権威に強制力で付き従うものではないのです。

この隔絶感がおわかりになるでしょうか。

私はこの事が伝統であり万世一系であり権威なのだと、125代以上の系図が神話にもなっている日本人の中で唯一無二の存在である権威なのです。

ですからピラミッドの頂点にあるのではなく、円形の中心に「天皇」という存在があるのです。

江戸時代の権力者徳川家ですら外圧から大政奉還し明治天皇が君主として政治を行う天皇親政という「建前」が出来上がりました。

戦後の歴史観はこの明治政府の「建前」を新政府の「欺瞞」と捉えるものもありますが、全て占領軍の神道指令の影響による国家と皇室の切り離し、國體の最小限の解釈、神国の否定、等を起源として作り上げられた歴史観による偏りのある視点から捉えているのでしょう。

東京裁判史観による天皇観は国教としての神道、国家神道が宗教として国民を洗脳しあの間違った戦争に突入してしまった。その主導的立場がその宗教の祭祀の頂点である「天皇」であったという間違った解釈が信教の自由によって戦後日本の歴史観の主流となってしまったのです。

天皇は、日本の”象徴”であり、このことに関してはとやかく言える立場にもいないですし、あえて曖昧になっていることも理解は出来ます。

天皇が崇高かつ高潔であるほど、日本国民はその精神や誇りが高められるのだとも思います。

問題は「東京裁判史観」のまま天皇を「象徴」として「国民が主権者」であり、「不敬罪」が廃止され神道が「一宗教」となっていることにあると思います。

これらは一つ一つは戦後の日本人が自ら受け入れ平和を維持し立ち直ってきた重要なファクターであることは否定出来ません。

昭和天皇のコラ写真がネット上で面白おかしく出回る昨今、日本人として失われつつあるアイデンティティと國體概念が心の奥底で怒りや蟠りとなって沸々と湧き上がるのは当然至極です。

上にあげた五つの「ファクター」のうちあまりにも簡単に個人個人が変換可能なものがあります。
そうです「東京裁判史観」です。

慰安婦問題が終息の方向へ向かうと女性の人権問題にスライドし、その後には日本のホロコーストとされる南京事件が控えています。

この食い違う二つの歴史認識を糺そうとすれば攻撃される皇室と天皇陛下、それはまるで日の丸を食い千切り、火を放つ行為に等しく我が国の象徴が苛虐に扱われ晒される。

先日も北海道で三笠宮彬子殿下が爆破テロ未遂事件が発生しています。

この様な皇室に対する貶めや威嚇行為に対し皇室は意見すら発することが出来ないのです。

歴史認識の食い違いをそのままにする友好が産む問題は一部の過激派同士の対立(極右の過激排外主義、民族差別主義)として抑え込むには留まらない段階に至っているのです。

今日本人に求められるべき行動は一人一人が皇室に対する理解を深め何のために先の大戦を戦い、
何を条件にポツダム宣言を受諾し終戦したか、

そして今こうして日本人としていられる意味をその命と引き換えにしたものを先人の声に耳を傾けて真摯に発見することが求められていることだと思います。