天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

不戦条約

2018-09-03 11:40:12 | 歴史
日本が"侵略戦争"を起こしたとする主張の情緒的要因を南京大虐殺とするならば、もう一つが、法的観念から生まれる不戦条約違反であろう。

読売新聞代表取締役主筆のナベツネは深い反省の情を込めてパリ不戦条約に反していたと明言する。

以下に不戦条約の説明と原文、現代語訳を記載する。




不戦条約、当時の呼称、戦争抛棄ニ関スル条約は、第一次世界大戦後に締結された多国間条約で、国際紛争を解決する手段として、締約国相互での戦争を放棄し、紛争は平和的手段により解決することを規定した条約でパリ不戦条約、ケロッグ=ブリアン条約(協定)とも呼ばれる。




第一条
 締約国ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互関係ニ於テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言スル

第1条
 締約国は、国際紛争解決のため、戦争に訴えないこととし、かつ、その相互関係において、国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、その各自の人民の名において厳粛に宣言する。



第二条
 締約国ハ相互間ニ起コルコトアルベキ一切ノ紛争又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハズ平和的手段ニ依ルノ外之ガ処理又ハ解決ヲ求メザルコトヲ約ス

第2条
 締約国は、相互間に起こる一切の紛争又は紛議は、その性質又は起因がどのようなものであっても、平和的手段以外にその処理又は解決を求めないことを約束する。




第三条
1 本条約ハ前文ニ掲ゲラルル締約国ニ依リ各自ノ憲法上ノ用件ニ従ヒ批准セラルベク且各国ノ批准書ガ総テ「ワシントン」ニ於テ寄託セラレタル後直ニ締約国間ニ実施セラルベシ
2 本条約ハ前項ニ定ムル所ニ依リ実施セラルトキハ世界ノ他ノ一切ノ国ノ加入ノ為必要ナル間開キ置カルベシ一国ノ加入ヲ証スル各文書ハ「ワシントン」ニ於テ寄託セラルベク本条約ハ右寄託ノ時ヨリ直ニ該加入国ト本条約ノ他ノ当事国トノ間ニ実施セラルベシ
3 亜米利加合衆国政府ハ前文ニ掲ゲラルル各国政府及ビ爾後本条約ニ加入スル各国政府ニ対シ本条約及一切ノ批准書又ハ加入書ノ認証謄本ヲ交付スルノ義務ヲ有ス亜米利加合衆国政府ハ各批准書又ハ加入書ガ同国政府ニ寄託アリタルトキハ直ニ右諸国政府ニ電報ヲ以テ通告スルノ義務ヲ有ス



第3条
1 本条約は、前文に掲げられた締約国により、各自の憲法上の用件に従って批准され、かつ、各国の批准書が全てワシントンおいてに寄託せられた後、直ちに締約国間に実施される。
2 本条約は、前項の定めにより実施されるときは、世界の他の一切の国の加入のため、必要な間開き置かれる。一国の加入を証明する各文書はワシントンに寄託され、本条約は、右の寄託の時より直ちに当該加入国と本条約の他の当事国との間に実施される。
3 アメリカ合衆国政府は、前文に掲げられた各国政府、及び実施後本条約に加入する各国政府に対し、本条約及び一切の批准書又は加入書の認証謄本を交付する義務を有する。アメリカ合衆国政府は、各批准書又は加入書が同国政府に寄託されたときは、直ちに右の諸国政府に電報によって通告する義務を有する



まず第一にこの条約は条約違反に対する制裁が規定されていないことと、自衛戦争は留保されており、アメリカなどは自国の利益にかかわることで国外で軍事力を行使しても、それは侵略ではないとの解釈であり、国際法と言うより努力目標のような甘い条約だったといえる。


国際法家の信夫淳平氏は戦争を疾病のようなものと表現し、加瀬英明氏は1928年12月7日、ケロッグ国務長官の経済封鎖は戦争行為そのものだと断言したことを挙げて、日米戦争については、アメリカが侵略戦争の罪で裁かれるべきだったと主張している。

要するにこれは侵略戦争であると宣言して戦争をする国などなかったことだけは事実であり、日本は勿論自衛の為の戦いであり、当時の国民党政府を中華民国正統政府とみなしていないので、不戦条約違反にはならない。

したがってナベツネは学術的に都合良く解釈し、あの戦争を侵略戦争であると主張しているに過ぎないのだ。

日本人自らが過去のあの戦争を現在の侵略戦争と混同して呼ぶ危険は国益を損ねるばかりか、将来の日本人の子供達に足枷をはめる行為なのである。
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ダウンフォール作戦

2018-09-01 06:25:04 | 歴史



1945年秋に行われる予定であった米英の日本上陸作戦の呼称である。日本側は本土決戦、すべてを決するという意味で「決号作戦」という防衛計画を立案していた。


決号作戦に対して、1945年11月実施を前提に九州を占領する「オリンピック作戦」が計画され、1946年春に実施を前提に計画された関東の占領を目的としていた「コロネット作戦」に分かれていた。

1.徹底的な海上封鎖を実施して資源の乏しい日本を兵糧攻め実施。
2.広島県と長崎県に続く原爆投下。
3.大規模な化学兵器の使用、農地への薬剤散布で食料生産を断つ。
4.NBC兵器(大量破壊兵器)の無差別投入や、マスタードガス、サリン攻撃などの攻撃も検討

硫黄島の苦戦と沖縄戦の米軍の被害は予想外であり、本作戦には消極的であったが、ポツダム宣言を受諾しなければ間違いなく決行されていたであろう。

決号作戦における日本の「切り札」すなわち水中の特攻兵器(攻撃手段は体当たりではなく魚雷)の蛟龍


琵琶湖へと飛び出す特攻機桜花の発射基地も準備されていた。



玉砕戦法以外に取り得る防御戦術がないと判断された結果である。

男性は65歳、女性は45歳以下の国民義勇隊2800万人は空襲被害の消火活動や復旧、食糧増産、疎開作業などの工事のほか、軍需品の輸送や陣地構築などの補助的な軍事活動にあたる目的である。

冒頭の写真の竹槍は戦う為ではなく、身を守る自衛の最終手段であることがわかり、戦後の「無謀な戦い」だった事を強調する為に使われるが、本気で本土決戦を戦い抜くつもりでいたことがわかる写真でもある。

日本を守る為に国民は本土決戦を戦い抜くしか術が無かったことが伺える。つまり、天皇陛下が我が身を犠牲にポツダム宣言を受諾したことは国民の選択肢にはなかったのであり、國體や天皇無くしてはこの国は存在し得ないとも言えるのではないだろうか。

共産党が言う天皇の戦争責任などある筈も無いことは勿論であるが、仮に戦争責任を問うとすれば
2800万人の国民義勇隊が竹槍で身を守る最中に戦争に反対し、牢獄の中にいた共産党であることは逃れようの無い歴史的事実である。
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スケープゴート

2018-08-30 19:45:32 | 歴史




ナチスが行ったホロコーストは、ユダヤ人をスケープゴートの対象としたものであることが挙げられるが生贄や身代わりといった、聖書由来の言葉である。

奇しくも我々日本人は広い意味で先の大戦と狭義では南京事件にスケープゴートとして戦犯が存在した。

戦争を行う当事国両方に大義が存在するように日本もアジアの解放、自存自衛、人種差別撤廃などの大義が存在した。

百人斬り競争と呼ばれ、軍刀で敵を斬る競争(フィクション)で2名の日本兵が戦意高揚、戦力鼓舞の名の下に新聞で大々的に報じられ、敗戦と同時に南京事件の戦犯として処刑された。

冤罪であることを薄々気づいていながら彼等を守ることもしなかった日本人は文字通り身代わり、生贄として戦勝国に差し出したのである。

その汚名を雪ぐ為の裁判が向井少尉の娘さんらと稲田朋美弁護士によって行われた。以下毎日、朝日、産経の裁判結果の記事をコピペする。

【毎日】
1937年に中国兵の「百人斬(ぎ)り競争」をしたと報じられ、戦後に処刑された旧日本軍将校2人の遺族が「虚偽の報道で名誉を傷つけられた」として、毎日新聞社と朝日新聞社、柏書房、ジャーナリストの本多勝一氏に計3600万円の損害賠償などを求めた訴訟で、東京地裁(土肥章大裁判長)は23日、原告の請求を棄却した。
 判決などによると、東京日日新聞(現毎日新聞)は37年11~12月、南京へ向かう途中に2人が競って中国兵を切り倒す「百人斬り」をしたと報道。本多氏は朝日新聞社発行の著書「中国の旅」(81年)や柏書房から発行した共著「南京大虐殺否定論13のウソ」(99年)などで「百人斬り」に言及した。原告は「戦意高揚のため創作された虚偽の記事や記載で、遺族として名誉を傷つけられた」と主張していた。
 土肥裁判長は、記事は2人が記者に「百人斬り」の話をしたことが契機となっていることや、百人斬りの真否が歴史的事実として定まっていないことなどから「虚偽であるとまでは認められない」と判断。さらに、毎日新聞社については、提訴が記事掲載から20年を超えていることから、損害賠償請求権が消滅する除斥期間を経過したと認定した

【朝日】
旧日本軍の将校2人が戦時中の1937年に中国で「百人斬(ぎ)り競争」をしたとする当時の新聞報道や、のちにこの問題を扱った書籍をめぐり、遺族が「虚偽の事実を書かれ、名誉を傷つけられた」などとして、朝日、毎日両新聞社と本多勝一・元朝日新聞記者らを相手に出版差し止めや謝罪広告の掲載、計3600万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が23日、東京地裁であった。土肥章大(どい・あきお)裁判長は請求をすべて棄却した。
 当時少尉だった将校2人の遺族が03年4月に提訴。37年当時、両少尉が中国兵を日本刀で殺害した人数を競う「百人斬り競争」をしたと報じた東京日日新聞(現・毎日新聞)の記事と、本多氏が執筆し、朝日新聞社が出版した書籍「中国の旅」と「南京への道」の記述などを問題とした。
 原告側の「死者への敬愛追慕の情を侵害した」との主張について、判決は「表現行為が違法となるのは『一見して明白に虚偽』である場合」との基準を示したうえで、記事は「両少尉が記者に百人斬り競争の話をしたことがきっかけで掲載された」などと認定。「本多氏が論拠とした関係者の著述なども一概に虚偽とは言えない」などとして、書籍の記述が「一見して明白に虚偽だとはいえない」と判断した。
 原告側の「死者や遺族の名誉を棄損した」との主張についても、「死亡によって名誉などの人格権は消滅する」「記述は遺族の生活状況などについて言及していない」などとして退けた。
 


【産経】
いくら表現の自由があるといっても、あり得ない事実を報道することがジャーナリストとして許されるのか」。「百人斬り」の責任を問われて処刑された向井敏明少尉の二女、田所千恵子さん(64)=千葉県成田市=は二十三日、謝罪広告掲載などの請求が棄却された判決後の会見で、憤りを語った。
 田所さんは会見で「『百人斬り』はなかったと確信している。明確にされなかったことが残念」と苦渋の表情。ただ「多くの激励でここまできた。感謝です」と前向きな姿勢をみせた。
 田所さんは、父の遺言状を持参して判決に臨んだ。「私の事は世界も正しく見てくれる日も来ます。世間様にも正しく知らせて下さい」-。中国の獄中から家族にあてられたもので、B4判のわら半紙に十五枚、家族への思いがつづられている。「父の願いを果たすことができず残念です」と唇をかんだ。
 田所さんは中学時代に「戦犯の子」と呼ばれるなど、苦痛を受けてきた。ただ、「百人斬り」もいつかは忘れ去られるだろうという淡い期待があった。
 だが昭和四十六年、本多勝一氏が朝日新聞の連載で紹介すると、定期的にメディアなどで取り上げられるように。百人斬りを事実とする出版物も刊行され、「史実」として授業に取り上げる学校も出てきたという。
 消え去るどころか、ますますクローズアップされる父の汚名。「職場でも、みんな腫れ物に触るように私に接するようになった」。そんな中、無念を晴らすのが娘の使命だと思い、今回の訴訟に踏み切った。
 判決では主張が認められなかったが、「まだ先がある」と気を取り直す。「日本が戦時中に中国で行ったとされる“蛮行”がどれほど間違いなのか、明らかにしなくては」。訴訟でも控訴する方針で、父の汚名をはらすつもりだ。

≪同僚カメラマン「作り話」を証言 疑問残る事実認定≫
 南京攻略の際に二人の旧日本陸軍将校が「百人斬り」を競ったとする報道が争われた訴訟で、東京地裁の判決は、「当時の記述が明白に虚偽とはいえない」としたが、「百人斬り」が極めて疑わしいことは多くの識者が指摘してきた。
 南京攻略戦は銃撃戦が主で、日本刀による“殺人ゲーム”は起こり得なかったとされる。また、野田毅少尉は大隊副官、向井敏明少尉は歩兵砲小隊長で、白兵戦に参加することはあり得ず、日本刀で百人斬ることも不可能とされている。
 両少尉は戦後の南京軍事法廷にかけられ、一貫して無実を訴えた。両少尉の弁護を行った中国人弁護士は、東京日日新聞記者が「この記事は、記者が実際に目撃したものではない」と明言していることや、その他の目撃者、遺体などの証拠が皆無であることを主張したが、法廷は新聞記事を唯一の証拠に銃殺刑を言い渡した。
 これに疑問を持ったノンフィクション作家の鈴木明氏は「『南京大虐殺』のまぼろし」で克明な検証の結果、冤罪(えんざい)を指摘し、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。
 記事を書いた東京日日新聞の記者は死去したが、同僚カメラマンは産経新聞の取材などに「あれは戦意高揚のための作り話だった」と明らかにし、今回の訴訟でも高齢をおして同様の証言を行っている。
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靖国神社とは

2018-06-12 09:45:34 | 歴史


前回、前々回にまとめ、資料として「特攻隊の手紙」、「8月15日の天声人語」をアップしたのは、今回の『靖国神社とは』のためである。

「靖国神社を理解するためにはその歴史を理解しなければならない」と言われるのだが、今更、中学、高校の教科書を出してきて日本史を学び直すことも中々あり得ないだろうし、近現代は授業ですら学ばない。

ましてや近隣諸国条項の時代の教科書をいくら読み返してみても靖国神社に関する記載などほんの数行でしかないであろう。これでは子供達に説明すらおぼつかない。

靖国神社に参拝した方であればおそらく誰でもが目にするのが写真のパール判事の顕彰碑だろう。
平成17年に立てられている。

その碑文には以下のように書いてある。


時が熱狂と偏見を

やわらげた暁には

また理性が虚偽から

その仮面を剥ぎとった暁には

その時こそ正義の女神は

その秤を平衡に保ちながら

過去の賞罰の多くに

その所を変えることを

要求するであろう


パール判事はまた戦争の勝ち負けは単に腕力の強弱であって、正義と悪ではないとも言っている。

東京裁判で唯一国際法に精通した判事であり、被告人全員の無罪を主張した。

安倍総理とモディ首相の夕食会で、モディ首相はパール判事の功績に触れ、「インド人が日本に来てパール判事の話をすると尊敬される。自慢できることだ。パール判事が東京裁判で果たした役割はわれわれも忘れていない」と話していることからも、『理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁』が待望される。

このことをして靖国神社は先の大戦を肯定するのか、戦争、軍国主義を賛美するのかと一部の団体は靖国神社のイメージを毀損する。


「特攻隊の手紙」は涙なくしては読めない17歳の少年の妹に宛てた手紙である。
『明日兄さんが死ぬから1週間後に九段の森に来てくれないか。
久しぶりにみんなで一緒にお弁当を食べよう。』

彼等兄妹にとって靖国神社とは"再会の場"であり、少なくとも妹にとっては"兄を感じられる場所"であることは間違いない。


「8月15日の天声人語」は酷たらしいものとする視点だけから戦争を捉えて、整備兵の戦後の偏った主観である『飛び立つ日の特攻隊員の姿、失神する、失禁する、泣きわめく。きれいなことを言って飛んで行った人もいたが、"ほとんどは"茫然自失だった。』と、その中でも一部を拾い上げて特攻隊の被害的な部分のリアリズムを強調する。

つまり朝日新聞にとっての靖国神社とは軍国主義の象徴であり、特攻隊を早死に、無駄死にさせ英霊などと祭り上げた国家の責任回避施設ぐらいに思っているのであろう。


従って前者「特攻隊の手紙」は『再会の場』、
後者「8月15日の天声人語」は『責任回避の場』と二通りの表現となる。

これらを詳細に見ていくと残された戦没者遺族にとっての靖国と戦後の新聞言論空間にとっての靖国は明らかに反発し、遺族が段々と減少していく中、靖国神社の本質が朝日が主導して捻じ曲がってしまったことが分かる。

靖国神社の国家護持法案が否決され、天皇陛下の御親拝中断、靖国神社問題、A級戦犯分祀、首相の参拝問題、宗教色のない別の慰霊施設建設案、と
遺族にとっての「再会の場」は無残にも「責任回避の場」として少なくなった遺族から剥ぎ取り靖国神社の本質を変遷させてきたのである。

ここで改めて言う

靖国神社とは平和を願う場である。遺族が毎年春と秋に懐かしい家族と再会し、天皇陛下も勅使を使わされ、共に平和を願う、或いは日本と自分が在ることを感謝する場に他ならないのである。

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731と毒ガス島の代償

2018-05-31 05:59:23 | 歴史
1925年にジュネーブで作成、1928年(昭和3年)に発効した、戦争における化学兵器や生物兵器などの使用禁止を定めた国際条約がジュネーブ議定書である。

『窒息性ガス、毒性ガスまたはこれらに類するガスおよび細菌学的手段』といった化学、細菌兵器
『の戦争における使用の禁止に関する議定書』がそのままジュネーブ議定書の正式名称となる。



瀬戸内海の広島県竹原市の大久野島は毒ガス島とよばれ、かつて日本陸軍の毒ガス工場があり、軍事機密として昭和初期に地図から消されている。

今なら日本軍は国際条約を破って化学兵器を開発製造していたのだ「やはり悪辣な日本軍だった」
と油断すればすぐになるだろうが、議定書において制限されたのは使用のみであり、開発、生産、保有が制限されない点で不充分なザル法であった。

日本だけでなく、アメリカもこれに批准せず、昭和45年に日本が、50年にアメリカが批准した。

ハーグ陸戦条約に於いても23条1項で「毒、または毒を施した兵器の使用」を禁じている。

同条5項では「不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること」を禁じているが「不必要な苦痛」の明確な定義がないため、これも言い逃れの出来る不十分なザル法であったことは否めない。

日本陸軍によってイペリット黄1号、青酸ガス茶1号、ジフェニ-ル赤1号、塩化アセトフエノ緑1号とそれぞれ呼ばれる化学兵器を製造していた記録が残っている。


過去の日本の戦争は全て外地であり、自国民を巻き込まない点ではリスクを一つ既に回避していたと言える。

しかしながら、勝つにつれ権益の獲得地では入植者も増え自衛の観点から見れば昭和に入ってからのリスクは逆に増大していたとも言える。

現在の価値観からは考え難いだろうが、生きる為に殺し合う戦争が当たり前の時代でも先人達はなるべく戦争にならないように事変と和平のスタイル、つまり外交交渉で解決出来ればそれに越したことはなかったことは確かだろう。

要するになるべく自国民を死なさない為には武器の開発は不可欠であることがわかる。使わないまでも、化学兵器を研究、開発、製造が禁止されている訳でなければ戦わずして勝つ為の武器を備えることを咎める者はいなかったと考えられる。

旧満州国の現在では中国東北部の吉林省敦化郊外に、旧日本軍が大久野島などで製造し、遺棄した毒ガス弾が推定30〜40万発埋まっている。

それが戦後の開発で見つかり、住民に被害がでており、これらの兵器の無害化のため、日本は現地に処理施設を建設し発掘、回収を行っている。

日本が2000年に着手したこの事業は7年間の計画だった処理期限が22年まで延長され現在も行われている。

このように日本政府は高い代償を払いその責任を全うしていると言っていいだろう、森村誠一のように日本の加害性だけにスポットをあて、731部隊に関する小説で印税を貪っていることが反日活動に思えてしかたがない。
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