天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

火垂るの墓を考察する

2020-12-31 19:43:00 | 映画





『昭和20年9月21日夜、僕は死んだ』の14歳の兄の台詞で始まり、妹の節子は終戦の7日後、8月22日に短い生涯を終えていることからこの話自体が回想であることが理解出来る。

冒頭写真はエンディングのシーンだが、兄妹が戦後発展した神戸の街並みをベンチに座り眺めている。

野坂昭如の原作小説を監督の高畑勲がアニメ化したものだが、高畑は作品を「反戦アニメなどでは全くない、そのようなメッセージは一切含まれていない」と主張している。

しかし、数年おきに地上波では8月15日に繰り返し放映されていることからもその効果は反戦アニメとして利用されてきたことは否めない。

また高畑は
「当時は非常に抑圧的な、社会生活の中でも最低最悪の『全体主義』が是とされた時代。清太はそんな全体主義の時代に抗い、節子と2人きりの『純粋な家族』を築こうとするが、そんなことが可能か、可能でないから清太は節子を死なせてしまう。しかし私たちにそれを批判できるでしょうか。我々現代人が心情的に清太に共感しやすいのは時代が逆転したせいなんです。いつかまた時代が再逆転したら、あの未亡人(親戚の叔母さん)以上に清太を糾弾する意見が大勢を占める時代が来るかもしれず、ぼくはおそろしい気がします」
とも発言しており、宮崎駿はこの火垂るの墓を観て「海軍のエリートだった父を持つ清太と節子が、あんな惨めな運命のはずがない。国から補償金や保護を受けられるし、最悪の事態は避けられたはずだった。」
と反権力的な筋違いの部分に批判的感想を述べている。

つまりジブリ的には戦争ではなく、戦争に突き進んだ国家の体制を批判したかったのであり、反戦アニメでなく、"反体制的アニメ"の意味合いを強く感じる。

野坂昭如氏の原作を忠実に再現したようであるが、一点だけアニメ版で二人にきつく当たった印象の親戚の叔母が原作の方がより酷く描かれており、節子と清太の事を疫病神と呼んだり、横穴に住んどったらええわと強烈だ。だが実際の叔母からは酷い扱いは受けていないことがwikipediaにある。以下引用

【野坂は戦中から戦後にかけて2人の妹(野坂自身も妹も養子であったため、血の繋がりはない)を相次いで亡くしており、死んだ妹を自ら荼毘に付したことがあるのも事実である。しかし西宮の親戚の家に滞在していた当時の野坂は、その家の2歳年上の美しい娘(三女・京子)に夢中であり、幼い妹・恵子(物語とは異なりまだ1歳6カ月で、8月22日に疎開先の福井県で亡くなった)のことなどあまり気にかけることなく、中学生らしい淡い初恋に心をときめかせていたという。食糧事情は悪かったものの、小説のようなひどい扱いは実際には受けておらず、家を出て防空壕で生活したという事実はない。

野坂は、まだ生活に余裕があった時期に病気で亡くなった上の妹には、兄としてそれなりの愛情を注いでいたものの、家や家族を失い、自分が面倒を見なくてはならなくなった下の妹のことはどちらかといえば疎ましく感じていたことを認めており、泣き止ませるために頭を叩いて脳震盪を起こさせたこともあったという。西宮から福井に移り、さらに食糧事情が厳しくなってからはろくに食べ物も与えず、その結果として、やせ衰えて骨と皮だけになった妹は誰にも看取られることなく餓死している。こうした事情から、かつては自分もそうであった妹思いのよき兄を主人公に設定し、平和だった時代の上の妹との思い出を交えながら、下の妹・恵子へのせめてもの贖罪と鎮魂の思いを込めて、野坂は『火垂るの墓』を書いた。】


一年四ヶ月の妹の、母となり父のかわりつとめることは、ぼくにはできず、それはたしかに、蚊帳の中に蛍をはなち、他に何も心まぎらわせるもののない妹に、せめてもの思いやりだったし、泣けば、深夜におぶって表を歩き、夜風に当て、汗疹と、虱で妹の肌はまだらに色どられ、海で水浴させたこともある。(中略)ぼくはせめて、小説「火垂るの墓」にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になって、その無残な骨と皮の死にざまを、くやむ気持が強く、小説中の清太に、その想いを託したのだ。ぼくはあんなにやさしくはなかった。— 野坂昭如「私の小説から 火垂るの墓」

このように火垂るの墓は野坂の贖罪と鎮魂として書かれたのであり、元来反戦小説などではないのだ。

アニメでタイトルにもある蛍は儚く美しい象徴として多用されているが、冒頭の回想で焼夷弾の空襲を電車から眺めるシーンはまさに火が垂れる火垂るを彷彿とさせる。


したがって、火垂るの墓とは空襲を受けた神戸の街であり、そのビル群は墓石にも映るのだ。




乙武とDHCと差別

2020-12-27 07:16:00 | ツイッター




乙武氏がDHC会長の発言を引用して以下のようにツイートした。

『NIKEのCMに対して「日本に差別なんてない!」と怒り狂ってた人々に「ほら、こうして差別主義者はいるよ、と身をもって残念な事実を知らしめていくDHCのアグレッシブさよ。』

つまり、NIKEに朝鮮総連が協力して制作された日本に差別が存在するとのプロパガンダCMは的確だと、現にこうして化粧品会社の会長だって差別主義じゃないか、とNIKEに向けられた懐疑的な視線をDHC会長のアクの強さで見え辛くしているだけに過ぎない。

平成28年の吉田DHC会長の発言も次に添付しておく。






問題は二つある。

一つは乙武氏の反日的NIKE擁護と二つ目はDHC会長は差別主義者なのか、ということだ。

NIKEやコカ・コーラなどの米大手企業が、中国の新疆ウイグル自治区での強制労働を封じるため米議会が審議中の法案に、反対するロビー活動を展開している。つまり、人権問題に熱心な名門企業NIKEは中国での抑圧阻止の動きには後ろ向きであるのだ。

如何だろうか慰安婦問題と酷似していて、日本に女性蔑視や民族差別が存在するとする者達は決まってチベット、ウイグルという中国の行き過ぎた人権弾圧や差別には目を瞑るのである。

乙武氏のNIKE擁護も結局は中国、韓国の反日的な面ではなく、日本の差別的偏見にフォーカスして日本に問題があるようにミスリードするのである。

次にDHC会長が差別主義者かどうかであるが、乙武氏やせやろがいが指摘する『チョントリー』
は勿論会長の発言ではなく、ネットで揶揄されているものを引用したに過ぎない。

したがってこの侮蔑語引用と差別的趣旨から判断して差別主義者であるとまでは断言しにくい。

乙武もアグレッシブとすることでソフトに言い換えているが、遣り方はNIKEと何ら変わらないのだ。

このようにポリコレとは在日に対する懐疑的な視線までも差別に可視化してしまう思想警察的意味合いを多分に含んでいる。

差し詰め乙武氏は一日署長とでもいったところだろうか。

年末スペシャル 靖國神社の未来

2020-12-22 08:32:00 | 靖国
あの戦争が年々遠くなって行く。

戦没者遺族の減少と共に体験者ですら無い世代の記憶が薄らぐのは必至である。

今日までの靖国神社に集まる政治的批判や中傷は薄らぐ戦争の記憶を風化させない為、というよりも戦争責任を問い直す道具として悪用されてきたことは否定出来ないだろう。

戦争をしたこと自体が悪いのか、
先の大戦が間違っていたのか、

戦争の反省は戦争を起こさない為ではなく、寧ろ反日、日本を貶める為に利用されてきたと確信する。

所謂反社が"誠意を見せろや"、"落とし前つけろ"と言うのと同義で【反省】が使われてきた。

だから靖国の周辺に集う街宣車は参拝する日本人に常に【反省】を促す象徴としてコラボしているとも言えるのである。





こう言う様なことを書くと、うちは真っ当な右翼団体である、撤回しろという声が帰ってくるが、よく考えて貰いたい。

私はその手法を批判しているのであって、思想信条は自由、ただ靖国神社を瀆す行為に利用されている、反日団体と変わらんぞと警告しているのだ。


神社とは通常神様を祀っている所であることには異論はないだろう。

神様に関しては信教の自由からその存在を信じない者もいることは承知している。
確かに目に見えない者は信じないとの心情も理解できる。

ただ待って貰いたい、靖国神社の神様は実際に存在した日本人である。日本の為に戦って戦死した人間が神となって祀られており、何なら遊就館に行けば神様が写真として可視化されているのである。

こうなればもう信じる信じないの次元ではなく、神の存在を無視できないのだ。

つまり、神国日本で神の存在を信じない者は先ず靖国神社に参拝すべきであり、日本人として存在していることに感謝の気持ちを示すことが先決なのだ。

初詣は靖国神社へ⛩


追伸
靖国神社の鳥居は赤ではありません。因みに赤は魔除けの意味を含み仏教の影響を受けています。その意味では伊勢神宮や出雲大社と同じ無色であることからも靖国神社の正統性を担保しているのではないでしょうか。

 


南京大虐殺犠牲者国家追悼日と朝日新聞

2020-12-15 22:43:00 | 時事





南京大虐殺犠牲者のためとする国家追悼祭典が毎年12月13日に開かれているが、第一回は2014年でつい最近のことである。

朝日新聞は2018.2019.2020年と直近は3年連続で習近平が欠席していることを日本への配慮と報道している。

2017年の出席は80年目の節目ということであったが、7回にして早くも形骸化してしまったようである。

つまり、朝日の『配慮』は単なる習の欠席を最大限に持ち上げた媚び諂うものであることがわかる。

今年、南京事件、慰安婦報道で焼け太った朝日新聞が創業以来の170億の大赤字のようである。

日本人に配慮しなければならないのは朝日新聞であることすら自覚出来ないようでは赤字は膨らむ一方だろう。








朝鮮学校のドミノピザ政治利用

2020-12-14 20:16:00 | ツイッター



ドミノピザの無料配達地域支援で朝鮮学校の垢が下記のようなツイートした。




「朝鮮学校が『高校無償化』除外と言う差別の中、保護者の方々の苦労と、そんな中でも逞しく勉学に励む愛知朝鮮中高級学校の生徒さんに暖かい声援を込めて」支援を決定した、としているが、どうもこれはドミノピザの地域支援で応募者の中からの抽選で当たったようである。


それを朝鮮学校があたかもドミノピザ側から支援を決定したようにツイートしているのだ。


赤字部分がなければたわいもないこととなるのだが、高校無償化除外を差別と表現したことでドミノピザの支援を政治利用したことになるのだ。


日本の高等学校が無償化する中、朝鮮学校が無償化から除外されたことは何ら差別ではないのである。


朝鮮学校とは、北朝鮮を支持する朝鮮総連と傘下団代の指導で運営される各種学校であり、自動車教習所や専門学校と同じなのだ。


したがって、自動車教習所や専門学校が無償化して、朝鮮学校だけが除外されれば完全なる差別であろう。


しかも最高裁まで争った結果が全て除外は妥当との判決も出ており、このことからも差別ではないことが確定しているのだ。


それを除外されたことを不当判決、差別と主張するのはドミノピザの善意の政治利用に他ならない。


このツイートで朝鮮学校の印象はドミノ倒しのように崩壊することとなってしまった。