天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

靖国神社NO3の正誤

2017-07-31 07:46:46 | 時事




神社本町で21年、靖国神社で11年、宮司、権宮司につぐナンバー3の禰宜、総務部長を務め退官した宮澤佳廣氏が「靖国神社が消える日」を出版し、その内容の明らかに疑義の残る解釈の部分を週刊ポスト、BLOGOSがとりあげ、産経新聞は逆に著者の懸念する靖国神社の危機にスポットをあて報道したことは前号で紹介した。


今回はその内容の正しい部分と誤った部分の詳細を検証しその中身に迫りたいと思う。


産経新聞は焦点をあてた三保谷浩輝氏の著書の引用
 「靖国のご祭神がそうだったように、公共心、共同体意識涵養(かんよう)の場である靖国神社が消えることは、日本人の公共心が喪失され、自分さえよければいいという国への変容にもつながる。守りたいですね」

の部分と同じく宮澤氏はその著書の中で「公共心(公共に尽くす精神)の喪失」を危惧の根幹と正確に読み取っている。

一方週刊ポストがスクープ的観点から真っ先にあげたのが所謂A級戦犯合祀である。未だに議論が続き政府も判断を歴史家に丸投げの問題がまるでNO3によって確定したかのような取り上げ方だ。

そもそも、『NO3』『A級戦犯』『合祀』の単語はスキャンダルを報じるタブロイド紙の手法であり、その背後にある『神社本町』『靖国』『神道政治連盟』『日本会議』という安倍首相へと繋がる枝葉であり、左翼マスコミの政権交代、安倍下ろしの一環である"特有な匂い"が感じられる。

産経は敢えてその問題には一切触れていないことからも、懸命な保守がまだ残存していることに胸を撫で下ろす。

当然この週刊ポストに利用された宮澤氏の合祀問題、評価が誤りの部分である事はお気づきだろうが、ここで正確に正したいと思う。

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『「昭和53年のA級戦犯合祀は、当時の松平永芳宮司の判断に基づき、宗教法人である靖国神社の社内手続きに従って行なわれました。対外的な発表もなく、報道によって明るみに出たのは翌年のことです。あの時点で国民的合意を得るような努力をしていたら、中国や韓国、あるいは国内の左翼といった反靖国勢力につけ込まれることもなく、靖国問題はまったく違う経過を辿っていたはずです。私はA級戦犯を祀ることには賛成ですが、手続き論としては間違っていたと思っています」
 宮澤氏が靖国神社に奉仕した直後の2006年7月、日経新聞がスクープした「富田メモ」によって、問題は大きくクローズアップされた。富田朝彦・元宮内庁長官が残したとされる、

「昭和天皇は靖国神社へのA級戦犯合祀に不快感を示していた」という内容のメモだ。宮澤氏はすぐ「これは本物だ」と確信したという。

「富田メモは発見の当初、『偽文書ではないか』という声が神社界の内部からも上がっていました。しかし私は昭和天皇が昭和61年に詠まれた『この年のこの日にもまた靖国の みやしろのことに うれひはふかし』という御製(和歌)にずっと注目していて、戦犯合祀と無関係と解釈するのは難しいと感じていたのです。ついにそれを裏付ける文書が出てきたのかと思いました。

 しかしすでに、A級戦犯は合祀されているのだから、これは変えられない。だとすれば今からでもその合祀について、国民的合意を形成するような動きを靖国神社としてとらねばならない。そうしないとこの富田メモは、反靖国勢力に利用されてしまうだろう。そんな風に思い、私の意見をまとめて提出したのですが、日の目を見ることはありませんでした」』

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国民よりも靖国神社に一番近くにいる方の発言として決定的な誤りが、

『合祀について、国民的合意を形成するような動きを靖国神社としてとらねばならない。そうしないとこの富田メモは、反靖国勢力に利用されてしまうだろう』

この部分の国民的合意形成の動きを靖国神社としてとる、の部分、つまりこの国民的合意形成は政府の主導で国民が自ら形成することであり、靖国神社は坦々と慰霊、鎮魂、顕彰をするのみで十分であるということ。

富田メモは既に反靖国勢力に利用されてしまっている、ということ。


昭和50年に最後の御親拝をされてから11年経って詠まれた御製

『この年のこの日にもまた靖国の みやしろのことに うれひはふかし』

と戦犯合祀との結びつけ方も間違っている。

宮澤氏は御親拝停止がA級戦犯合祀と無関係か関係あるのかを御製から関係ありとし、富田メモで陛下が戦犯合祀に不快感ということで短絡的に

『戦犯合祀が不快だから親拝を辞めた』

の結論としている。

富田メモが本物か偽物かの択一なのでこのような結論がでるのである。


要するに、富田メモは本物であるが、『戦犯が合祀され、靖国問題化し、国民の意見が合祀派と合祀反対派に対立し、社会問題化した。国民世論が二分し対立する場所に総国民の安寧を祈る天皇陛下が親拝出来るのか?つまり、御親拝が果たせない事に不快感で憂いておられる、ということが御製の解釈として極めて正しい見方なのだ。


したがって、国民自らがあの戦争を総括し、合祀が極めて正しかったという合意形成をすることが答えなのである。


産経が提示した

「靖国のご祭神がそうだったように、公共心、共同体意識涵養(かんよう)の場である靖国神社が消えることは、日本人の公共心が喪失され、自分さえよければいいという国への変容にもつながる。守りたいですね」

を考えると


戦後の左翼マスコミ、文化人は国民のふりをして戦争の反省と称して『自分さえよければいい』と『公共心、共同体意識涵養の場』を天皇や国家の為に忠誠を誓い、犬死するため、侵略戦争を支える装置と言い換え、合祀を問題化してきたことが根本的な間違いだったのである。


靖国NO3 の発言に対する二つの解釈

2017-07-30 20:51:51 | 時事
《左のBLOGOS》

靖国神社元No.3が「A級戦犯合祀手続きは間違いだった」と告白

【2006年から今年6月まで靖国神社に勤め、禰宜という幹部職にあった宮澤佳廣氏】





 終戦記念日を前に、また靖国神社をめぐって国内外が騒がしくなる季節がやってきた。しかし、例年とは様相が違う。これまで沈黙を貫いてきた靖国神社の内部から声を上げる人物が現われたのだ。2006年から今年6月まで靖国神社に勤め、宮司、権宮司に次ぐ禰宜(ねぎ)という幹部職にあった宮澤佳廣氏がこのほど『靖国神社が消える日』を上梓した。宮澤氏は執筆の動機をこう語る。

「私は靖国神社に11年間、その前は神社本庁に21年間おり、内外で靖国問題に関わってきました。そこで、国のために戦って亡くなった人たちを祭神として祀る靖国神社の特別な公共性を考えた場合、今のように民間の宗教法人のままであれば、靖国神社は内部から崩壊してしまうのではないかという危機感を抱いたのです。

 事実、靖国神社が宗教法人であれば、トップである宮司と少数の責任役員の判断で九段の土地を切り売りすることだってできてしまう。それを防ぐためには、靖国神社が宗教法人格を返上して、もう一度国が責任を持ってお祀りする国家護持のあり方を模索すべきだというのが私の考えです」(以下「 」は宮澤氏の発言)


 宮澤氏がその問題を痛感したのが、東条英機・元首相ら「A級戦犯」が合祀された経緯である。

「昭和53年のA級戦犯合祀は、当時の松平永芳宮司の判断に基づき、宗教法人である靖国神社の社内手続きに従って行なわれました。対外的な発表もなく、報道によって明るみに出たのは翌年のことです。あの時点で国民的合意を得るような努力をしていたら、中国や韓国、あるいは国内の左翼といった反靖国勢力につけ込まれることもなく、靖国問題はまったく違う経過を辿っていたはずです。

私はA級戦犯を祀ることには賛成ですが、手続き論としては間違っていたと思っています」

 宮澤氏が靖国神社に奉仕した直後の2006年7月、日経新聞がスクープした「富田メモ」によって、問題は大きくクローズアップされた。富田朝彦・元宮内庁長官が残したとされる、

「昭和天皇は靖国神社へのA級戦犯合祀に不快感を示していた」という内容のメモだ。宮澤氏はすぐ「これは本物だ」と確信したという。

「富田メモは発見の当初、『偽文書ではないか』という声が神社界の内部からも上がっていました。しかし私は昭和天皇が昭和61年に詠まれた『この年のこの日にもまた靖国の みやしろのことに うれひはふかし』という御製(和歌)にずっと注目していて、戦犯合祀と無関係と解釈するのは難しいと感じていたのです。ついにそれを裏付ける文書が出てきたのかと思いました。

しかしすでに、A級戦犯は合祀されているのだから、これは変えられない。だとすれば今からでもその合祀について、国民的合意を形成するような動きを靖国神社としてとらねばならない。そうしないとこの富田メモは、反靖国勢力に利用されてしまうだろう。そんな風に思い、私の意見をまとめて提出したのですが、日の目を見ることはありませんでした」

◆自衛隊員を祀れるのか

 宮澤氏は今後、同じようなことが起きることを危惧している。実は今、亀井静香・衆議院議員らを中心に、戊辰戦争の白虎隊や西南戦争の西郷隆盛ら“賊軍”を靖国神社に合祀すべきであるという運動が起きている。

「徳川康久・現宮司は徳川将軍家の末裔で、『向こう(明治政府軍)が錦の御旗を掲げたことで、こちら(幕府軍)が賊軍になった』と共同通信のインタビューで述べており、その運動に共感を持っているように見受けられます。しかし、『時が流れたから恩讐を超えて合祀しよう』となれば、いつか『大東亜戦争で戦った相手方も祀ろう』という宮司だって出てくるかもしれない。

A級戦犯合祀についていまだ国民的合意が得られていない事実からしても、やはり靖国神社は宗教法人のままではいけないのです。

 憲法改正では自衛隊を軍として認めるかどうかの議論が行なわれています。では、万が一自衛隊員が有事で殉職した場合、その自衛隊員は靖国神社に祀られるのか。私は自衛隊員も国家に殉じたと国に認定された以上、祭神として祀られるべきだと考えます。しかし、それは本来、個々人の信教の自由に基づいて祀るとか、祀らないといった次元の話ではないはずです。やはり今このタイミングで、靖国神社の国家護持という課題に向き合うべきなのです」

 宮澤氏の本は、これまでベールに包まれてきた靖国神社の実態や内部での意見対立などを赤裸々に述べており、神社界では早くも“暴露本ではないか”との声が挙がっている。宮澤氏はこう否定する。

「私がこの本で訴えたいのは、『靖国の公共性』をどう維持していくかです。そもそも宗教法人の私事性と靖国の公共性は相容れないわけですから、当然、その矛盾が神社の内部にも何らかの形で現われてくることになります。これまでは外部の反靖国勢力によって『靖国の公共性』は攻撃にさらされてきましたが、むしろ今は、靖国神社の内部からそれが崩壊していく危険性が高まっているように感じるのです。

 国民の間から戦争の記憶が薄れ、戦没者遺族もどんどん少なくなっているなか、政府も国民も、靖国問題から意識が離れていっているように見えるのも不安です。今こそ、もう一度靖国神社について国家全体で考えるべき時ではないでしょうか」

※週刊ポスト2017年8月11日号

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この記事に対する
高須氏のツイート

『間違ってない!間違っているのはあなた。
国に殉じた方々を祀るのが靖国神社だよ。』

『元No.3は心得違いしてる💢😠💢
説教したいぜ。なう』




では何が間違っているのか、高須氏は彼の言う「A級戦犯の合祀手続きは間違いだった」を間違っていないと真っ向から否定しており、私と同じ判断をされていると確信している。

靖国で11年神社本町で21年間、計32年も神職を経験した者にとって、何故このような独善的な解釈で、左派に利することを内部告発的に発表するのだろうか、左寄りのBLOGOSだけでは判断しかねるので産経の記事も並列させ考えたいと思う。




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《右の産経ニュース》

日本人の公共心喪失…自分さえよければいいのか 宮澤佳廣さん 『靖国神社が消える日』


 「多くの日本人にとって今、『靖国問題』は忘れられているように思う」。靖国神社で禰宜(ねぎ)、総務部長なども務めた著者はいう。

 A級戦犯合祀(ごうし)などを含む外交問題で語られることは多いが、「日本、日本人にとっての靖国神社という存在は、ほとんど論じられない」からだ。そして、「このままいけば、靖国神社が消滅…靖国神社が靖国神社でなくなるのではないか」と危惧する。

 明治2年6月、戊辰戦争戦没者慰霊のため創建の東京招魂社を改称した靖国神社だが、国の管理下にあった戦前より戦後の宗教法人としての歴史のほうが長くなる日が近づいている。

 「国のために亡くなった人々を慰霊、顕彰するという公共的性格を持つ施設が一宗教法人の枠組みの中にあっていいのだろうか」

 靖国神社の名称や施設、祭祀(さいし)の伝統、合祀の決定など守るべき本質が、宗教法人ゆえのシステム、また世相、人々の心根を含め神社を取り巻く環境の変化などにより失われることもあるといい、その“予兆”を本書でも指摘する。

 そんな事態を回避するための大きなテーマが「国家護持」。昭和40年代の国家護持論議は当然、憲法の政教分離規定で否定されたが、「皆さんにもっと関心を持ってもらい、『国民の社(やしろ)』として存続すれば、時代にふさわしい国家護持のありようが議論、構築されていくのではないか」。

 「たとえば、国の丸抱えでなく、国が靖国神社の英霊祭祀に何らかの責任を負う仕組みなら、伝統を誤りなく後世に伝えるための制度的な保障になる」

 著者の危惧の根幹にあるのは「公共心(公共に尽くす精神)の喪失」だ。

 「靖国のご祭神がそうだったように、公共心、共同体意識涵養(かんよう)の場である靖国神社が消えることは、日本人の公共心が喪失され、自分さえよければいいという国への変容にもつながる。守りたいですね」

 いつになく、身が引き締まる夏-。(小学館・1300円+税)(三保谷浩輝)

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宮澤佳廣さんは59歳、國學院の専任講師をして著作もあるそれが産経ニュースにある「靖国神社が消える日」である。

流石産経だけあって取り上げ方が違う。つまり左派の視点と右派の視点ではその解釈と焦点の当て方が全く違うのであり、戦犯の下りに全く触れていない。

この産経の記事を読めば高須氏もツイートで絡んだりはしなかっただろう。

つまりBLOGOSの戦犯合祀の蒸返しと産経の靖国神社存続の危機を憂いている部分と日本の行く末を危惧した宮澤氏の思いを代弁している。これに対してBLOGOSは宮澤氏が公共性を守りたいと主張してるにも関わらず、寧ろそれを阻害する合祀問題を蒸返しその呪縛が解けないようにしている。
だから高須氏も疑義を抱いたのだろう。

断っておくが宮澤氏の富田メモの解釈は間違っている。富田メモが今に至るまで何故効力を持っているのか、それは誰も否定出来る者がいない天皇の意思に対するメモだからである。






大阪朝鮮学校無償化義務づけ

2017-07-29 13:37:05 | 時事



前ブログにてあまりに飛躍し過ぎたタイトルを付け、また例え話も不適切だったのでこのブログにてお詫びと関連記事の真面目なブログに書き換えます。


国の高校の無償化から除外されていた朝鮮学校に無償化を義務づける判決がでた。

「朝鮮学校に通い続けると日本社会に適応できず苦しむ」と元朝鮮高校生。
つまり教師には絶対服従で反日教室が日常的に行われており、適応出来なくなるのだ。

産経新聞も疑問を呈していたが
「敬愛する金正日将軍様を、国防委員長として高く仰ぎお仕えしていることは、わが祖国と人民の大きな栄光であり幸福である」とのチェチェ思想が教科書にある学校に無償化の為の税金を投入しても良いのかとの疑問は誰しもが感じることであろう。

学校教育法でいう一条校ではない各種学校への補助金停止が当たり前になった途端の無償化からの"除外"の言葉は排外的な印象を受けるが、巧妙に仕組まれた布石だったのかもしれない。

民主党時代からの無償化は3年前に改正されているが、所得制限も付いた。

そんな中でアメリカンスクールは無償化されず、朝鮮学校無償化が義務づけられれば更に不公平感は出てくるかもしれない。

在日外国人の生活保護といい、納得がいかない税金の使われ方に日本人の人権が軽んじられているのも感じる。

ディズニーランドとチュチェ思想

2017-07-29 11:30:08 | 時事



哲学およびマルクス主義の用語「主体」を朝鮮語に変換したのがチュチェ(主体)思想である。

世界は自分たちの思いどおりでなく、客観的な条件を変革しない限り、変わらないとするのがマルクス主義。

ところが金日成はこの立場を否定し、人間という主体の意識によって世界は変えられるとした。

例えば「お前(という主体)が死ぬ気でやれば何でもできる」と洗脳し苛酷な生産ノルマの達成、国際的な無法行為の実行など金日成の個人崇拝と隷属がチュチェ思想の根幹である。

日本に存在する朝鮮学校も教室の金日成の写真は取り払ったようだが、教科書には「敬愛する金日成主席様、金正日将軍様」 が何百回も登場する。

独裁体制に明日からでもすぐ入れるような学校(一条校ではない) なのだ。

つまり比較することが適切であるかは置いておいて、ディズニーランドのミッキーを金日成に置き換えて、ミッキーに忠誠を誓い、ディズニーランドの中で働き、外に出ることなく、中で生活するのである。要は私生活が全く無い状態である。

如何だろうか年間パスポートどころではない、毎日夢の国で生活する、しかもグループ行動で少しでもミッキーの悪口を言えば密告され収容所送りである。

朝鮮学校の子供逹に罪はない、大阪で無償化の除外は違法の判決がでた。




ユニバーサルスタジオに置き換えてる場合ではない。ミサイルに鈍感な国民にこの判決の異常性は理解できないだろう。

補助金を打ち切るだけという国の甘さが招く判決である。

これも、差別や人権的な観念を無視して、例えが悪いが、どうか政治的メカニズムだけのつもりで考えて欲しい。

野良猫に餌を与えるなとしているところに、見るにみかねてか、可愛いだけで餌をあげるおばさん(都道府県)がいる。餌をあげ続ければ野良猫は繁殖し、地域住民が被害、迷惑がかかる。
つまり、これを殺処分するか、飼い主を探すかが保健所(国)の責任において行われる。

要するに、野良猫の問題は餌をあげる、あげないの話ではなく、野良猫を如何するのかという明確な判断を保健所が決定出来ないことが問題なのだ。


首相の靖国参拝許さない 関千恵子

2017-07-28 15:28:11 | 時事




《朝日》

被爆死の級友は「英霊」か 首相の靖国参拝、許せぬ女性



「私のクラスメートはみな、『小さな兵士』として靖国神社に入れられ、首相に参拝されるなんて思わなかったはず。憲法無視は明らかなのに、裁判所は認めず、とても心外です」


「私も学校を休んでいなかったら、被爆死が『名誉の死』になり、英霊としてまつられていたと思うと、ぞっとした」


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ふぇみん

安倍靖国参拝違憲訴訟の原告


関千枝子さん
戦争の始まりって分かりにくいのよ
 
 ・2013年12月26日、関千枝子さんはニュースを見ていて安倍晋三首相が靖国神社を参拝したことを知り、すぐさま電話を手にした。「安倍は必ず靖国に行く。参拝したら裁判をやるぞ、と思っていたから」
 
・首相の靖国参拝を違憲とする訴訟の原告になるのは小泉元首相に続き2回目。今回は原告代表として第1回口頭弁論で意見陳述を行った。関さんが靖国にこだわるのは、憲法第20条が規定する政教分離と信教の自由が民主主義の根幹だから。安倍首相の違憲行為を許すわけにはいかない。  靖国神社は日本の侵略戦争を支えた装置であり、教育勅語と並んで天皇制と軍国主義を支える精神的支柱だった。「かつて日本は、すべての宗教の上に国家神道があって、その『軍事部門』の大本が靖国だった。20条のことを意識しない人が多いけど、『政教分離』は9条と並んで非常に重要なもの」
 
・小学校の頃から本好き。東京の私立校ではそれを褒めてくれる先生もいた。1944年に父の仕事で広島に転居、県立の女学校に入り「皇国精神」のための厳しい規則に驚いた。髪型まで決められていた。教科書以外は持ち込み禁止。小説を読むと不良になると言われた時代だった。当時はこれが当たり前だったのだが、「本の禁止」はどうしても納得できなかった。
 
・2年生になった45年、戦況の悪化とともに勤労奉仕の日が増え、授業は減っていった。8月6日の朝、関さんはひどい下痢をしていた。学校を休むなんてよほどの理由でない限り「非国民」と言われる時代。しかし母親は頑強に休めと引かず、同じクラスの親友が迎えに来てくれたが、まどろんでいるうちに彼女は行ってしまった。  そして8時を過ぎたころ、閃光が光り、轟音と爆風が広島をおそった。  関さんのクラスはこの日、建物疎開の後片付け作業に動員されていた。爆心地から南に1キロほどのところで全員が被爆、全滅した。自宅にいた関さんは無傷で「命を拾った」


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まず第一に政教分離を理解しておられない。こんな裁判は何回やっても勝てない。つまり、裁判に勝つことが目的でないことがわかる。

二つの文章を読むと靖国に英霊として祀られること、そこに首相が参拝すること、この二点が気にいらないようだ。

結局はナベツネと同じルサンチマンで、友達の命を奪った原爆、戦争への憎悪を只の慰霊施設とそこに参拝する首相へと転嫁させているだけだ。

だから政教分離などというGHQが置いていった土産にこだわるのであろう。要するにWGIPに完全に支配されている証とも言える。

休んだ自分以外が亡くなるという事が相当のトラウマになるのは理解出来るし、戦争をしてはならないとの思いも当然である。だから、友達の分まで声を上げ続けることがある種の使命感から原告となることも立派に思う。

ボケるまで平和な日本で首相の靖国参拝を反対して戦争が防げるのかとの至ってシンプルな私の疑問を晴らす答えは何度読み返しても見つからない。

恐らく彼女の目的は自分の思いを少しでも多くの人々に理解して貰いたいだけなのかもしれない。

朝日新聞は反安倍の為だけに関氏を利用し、関氏は自分の思いを理解して貰いたい為に友人の死、戦争の記憶を利用しているのだろう。


関氏の「戦争の始まりって分かりにくいのよ」の中の一節

『靖国神社は日本の侵略戦争を支えた装置であり、教育勅語と並んで天皇制と軍国主義を支える精神的支柱だった。』

は反靖国派の教授が多用する決まり文句である。

国家神道はGHQの占領と供に廃止されている。つまり、靖国神社は宗教施設ではないということ。

冒頭の「英霊」はまさしく当時の言葉であるが、英霊と呼ぼうが、御霊と呼ぼうが、ヒデキと呼ぶのも其々の勝手であり、日本、日本人、地域の人の為に建物を国策で壊していたのだから恐らくは遺族の希望で合祀されているのだろう。

東日本大震災の時津波の襲来を身を賭して伝えた遠藤未希さんとお友達は同じ立場だと思う。

このようにワーギルトインフォメーションプログラムによって日本が悪かったと洗脳された人々は180度方向転換した朝日新聞と共に、日本軍が悪い、戦争が悪い、戦争を止めるために原爆を落とした、との虚構を戦争と現政府と日本軍へと自虐的に向けさせ、靖国神社を戦争神社とするのだ。

関氏は友達が眠る靖国神社に参拝したことがあるのだろうか、英霊と呼ばなくてもいい、是非友達の名前を全員唱えながら参拝されてみては如何だろうか。

今年も8月15日が近づいて来た。