天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

俺は君のためにこそ死にに行く

2022-02-08 20:20:00 | 映画






石原慎太郎氏の死去で脚本、総指揮で撮られた映画が取り上げられている。
18億かけて10.8億の興行収入は紛れもなく赤字映画だ。

永遠のゼロの大ヒットが2013年だから2007年のこの映画はまだ時代に追いついていなかったとも言える。
2004年パッチギの井筒監督の観ていない酷評も作用するほど時代は韓国アゲ真っ只中であったことも多くを占めていたのだろう。

ただでさえ戦争映画が敬遠されるのに、特攻を題材にした"死にに行く"などとするタイトルの映画など売れる筈がない。

当ブログも何回も特攻は取り上げてきたが、毎回閲覧は低い。大作家が赤字なのだから素人ブロガーの記事は推して知るべしである。

言ってしまえば、食堂のトメさんと隊員の話や結果は作る前からネタバレなのだから、そんな映画を撮れるのは石原慎太郎をおいてほかにいる訳がないのだ。

赤字映画と言ったが石原慎太郎映画の功績は大きかったと感じる。その一つにロケ地となった三角兵舎跡がある。




平和記念館に併設されている三角兵舎は復元であり、当時は山の木々が生い茂る中にいくつも存在していたことが写真から分かる。
その近くに戦闘機を隠す掩体壕(えんたいごう)も模型を置いて保存している。









映画化に伴う知覧の史跡整備はその生々しい記憶を時代の偏見で曇らせる事なく後世に伝えることの大きな一助となったのである。


知覧特攻平和会館の館長を昭和で退職し、全特攻隊員の写真を収集する為に人生を捧げた板津忠正初代館長は自身も特攻隊員である。

2015年で逝去された板津さんの"君"とは先に逝った英霊達であったに違いない。最後に英霊となられた板津さんの言葉を記して
合掌する。




『戦争を憎いと思う。二度とあってはならない。だが、特攻を国賊、無駄死に、戦争の美化だという捉え方が、私には耐え難かった。それが私の活動の原動力だったと思う。特攻についていろんな見方があっていい。だが、戦争が生み出した一つの事実であり、いつまでも忘れないでもらいたいのだ。』

年越しで火垂るの墓を考察する

2021-01-01 12:42:00 | 映画



野坂昭如の原作のエンディングは二種類ある。


火垂るの墓『オール讀物』

 『三宮駅構内で野垂れ死にした清太は、他に二、三十は あった浮浪児の死体と共に、布引の上の寺で荼毘に付さ れ、骨は無縁仏として納骨堂へおさめられた。
夜、布引の谷あいの螢、無数にとび立ち、一筋の 流れとなり、三宮駅浜側の夏草のしげみに流れおち、く さむら一面無数の螢火にかざられたという、うち捨てら れた節子の骨を、守るようにあやすように。】

火垂るの墓『単行本』
【昭和二十年九月二十二日午後、三宮駅構内で野垂れ死 にした清太は、他に二、三十はあった浮浪児の死体と共 に、布引の上の寺で荼毘に付され、骨は無縁仏として納 骨堂へおさめられた。】


このようにグリーン部分はタイトルの火垂るを想像させるのに直結する部分だが、妹に関しての鎮魂をバッサリカットして、兄の死の日付を加筆することで、冒頭へとループさせる手法をとっている。

小説とは言え心にも無いことを描くことは憚られたのであろうか、自分の投影である兄を餓死させる事をループさせることで、贖罪意識を自身に呪縛させているとも考えられる。

14歳の野坂は本編と真逆で妹の面倒をみることに煩わしさを吐露しており、そしてそれは戦争の所為でないことも反戦小説ではないことから想像できる。

敢えて擁護するならば、正直な少年は時代に翻弄されたのであろう。

その時代に関して少し触れておこう。

鶏を自分でしめて食べていた時代であり、極めて残忍で暴力的であること、現在とは人権的な感覚は乖離しており、当然なことながら戦争に対する感覚もかけ離れていた。当時の政策を見てもそのことは窺える。



日本民族悠久の発展へ 人口政策要綱案なる
近く閣議に付議決定
(朝日新聞【1941年1月16日】)

一般家庭に平均5児を 一億目指し大和民族の進軍
    (朝日新聞【1941年2月23日】)


【1941年7月18日- 1941年10月18日】
第三次近衛内閣
【1941年10月18日-1944年7月22日】
東條内閣

【1941年12月8日】
午前6時ラジオの臨時ニュース

『帝国陸海軍ハ今8日未明西太平洋二オイテ米英軍ト戦闘二入レリ』

日本軍がハワイ真珠湾を奇襲攻撃するとともに英領マレー半島への進攻を開始した。




昭和16年の年頭に『産めよ増やせよ』5人以上と強制しておきながら、年末には開戦するという時代である。

このような時代に翻弄された14歳の少年が野坂以外の少年でも献身的に妹の世話など出来るはずはない。
煩わしいと吐露出来るだけ正直者だ。

小説化は妹への贖罪と鎮魂である前に自身のPTSDからの解放だったのではないだろうか。

現在の価値観で遡求して戦争体験を見てしまう我々戦後世代はこのような反戦アニメでは無いものを反戦アニメ、反戦小説として観てしまう傾向がある。

ジブリ故高畑氏が蛍の儚さと美しさを強調すればするほど戦争自体や戦争した国家の醜悪さが表に出てしまうのだ。

火垂るの墓が反戦アニメに見えてしまう原因はここにある。更に中国の「人民日報」は微博(国営SNS)を通じて「記憶にとどめておくべき良識ある日本人」として宮崎の名を挙げているが、宮崎駿の徹底した反戦と日本の戦争責任を問う思想が高畑作品に与える影響は小さくないだろう。





火垂るの墓を考察する

2020-12-31 19:43:00 | 映画





『昭和20年9月21日夜、僕は死んだ』の14歳の兄の台詞で始まり、妹の節子は終戦の7日後、8月22日に短い生涯を終えていることからこの話自体が回想であることが理解出来る。

冒頭写真はエンディングのシーンだが、兄妹が戦後発展した神戸の街並みをベンチに座り眺めている。

野坂昭如の原作小説を監督の高畑勲がアニメ化したものだが、高畑は作品を「反戦アニメなどでは全くない、そのようなメッセージは一切含まれていない」と主張している。

しかし、数年おきに地上波では8月15日に繰り返し放映されていることからもその効果は反戦アニメとして利用されてきたことは否めない。

また高畑は
「当時は非常に抑圧的な、社会生活の中でも最低最悪の『全体主義』が是とされた時代。清太はそんな全体主義の時代に抗い、節子と2人きりの『純粋な家族』を築こうとするが、そんなことが可能か、可能でないから清太は節子を死なせてしまう。しかし私たちにそれを批判できるでしょうか。我々現代人が心情的に清太に共感しやすいのは時代が逆転したせいなんです。いつかまた時代が再逆転したら、あの未亡人(親戚の叔母さん)以上に清太を糾弾する意見が大勢を占める時代が来るかもしれず、ぼくはおそろしい気がします」
とも発言しており、宮崎駿はこの火垂るの墓を観て「海軍のエリートだった父を持つ清太と節子が、あんな惨めな運命のはずがない。国から補償金や保護を受けられるし、最悪の事態は避けられたはずだった。」
と反権力的な筋違いの部分に批判的感想を述べている。

つまりジブリ的には戦争ではなく、戦争に突き進んだ国家の体制を批判したかったのであり、反戦アニメでなく、"反体制的アニメ"の意味合いを強く感じる。

野坂昭如氏の原作を忠実に再現したようであるが、一点だけアニメ版で二人にきつく当たった印象の親戚の叔母が原作の方がより酷く描かれており、節子と清太の事を疫病神と呼んだり、横穴に住んどったらええわと強烈だ。だが実際の叔母からは酷い扱いは受けていないことがwikipediaにある。以下引用

【野坂は戦中から戦後にかけて2人の妹(野坂自身も妹も養子であったため、血の繋がりはない)を相次いで亡くしており、死んだ妹を自ら荼毘に付したことがあるのも事実である。しかし西宮の親戚の家に滞在していた当時の野坂は、その家の2歳年上の美しい娘(三女・京子)に夢中であり、幼い妹・恵子(物語とは異なりまだ1歳6カ月で、8月22日に疎開先の福井県で亡くなった)のことなどあまり気にかけることなく、中学生らしい淡い初恋に心をときめかせていたという。食糧事情は悪かったものの、小説のようなひどい扱いは実際には受けておらず、家を出て防空壕で生活したという事実はない。

野坂は、まだ生活に余裕があった時期に病気で亡くなった上の妹には、兄としてそれなりの愛情を注いでいたものの、家や家族を失い、自分が面倒を見なくてはならなくなった下の妹のことはどちらかといえば疎ましく感じていたことを認めており、泣き止ませるために頭を叩いて脳震盪を起こさせたこともあったという。西宮から福井に移り、さらに食糧事情が厳しくなってからはろくに食べ物も与えず、その結果として、やせ衰えて骨と皮だけになった妹は誰にも看取られることなく餓死している。こうした事情から、かつては自分もそうであった妹思いのよき兄を主人公に設定し、平和だった時代の上の妹との思い出を交えながら、下の妹・恵子へのせめてもの贖罪と鎮魂の思いを込めて、野坂は『火垂るの墓』を書いた。】


一年四ヶ月の妹の、母となり父のかわりつとめることは、ぼくにはできず、それはたしかに、蚊帳の中に蛍をはなち、他に何も心まぎらわせるもののない妹に、せめてもの思いやりだったし、泣けば、深夜におぶって表を歩き、夜風に当て、汗疹と、虱で妹の肌はまだらに色どられ、海で水浴させたこともある。(中略)ぼくはせめて、小説「火垂るの墓」にでてくる兄ほどに、妹をかわいがってやればよかったと、今になって、その無残な骨と皮の死にざまを、くやむ気持が強く、小説中の清太に、その想いを託したのだ。ぼくはあんなにやさしくはなかった。— 野坂昭如「私の小説から 火垂るの墓」

このように火垂るの墓は野坂の贖罪と鎮魂として書かれたのであり、元来反戦小説などではないのだ。

アニメでタイトルにもある蛍は儚く美しい象徴として多用されているが、冒頭の回想で焼夷弾の空襲を電車から眺めるシーンはまさに火が垂れる火垂るを彷彿とさせる。


したがって、火垂るの墓とは空襲を受けた神戸の街であり、そのビル群は墓石にも映るのだ。




岡崎体育と宮崎駿

2017-05-18 10:23:09 | 映画
音楽とアニメ映画というジャンルが違うものの両者は天才的という意味では非常に似ているのでないかと思う。
始めに断っておくが、あくまでも宮崎氏が政治的主張をしなければ、という注釈を付けての話である。

宮崎氏が作画と演出、体育氏が歌と演者、演出という意味では遥かに宮崎氏を凌駕しているとも言える。

収益という下世話な話も置いておくが、両者は何がウケるのかに対して非常にたけており、視聴する側の需要に対して絶妙なタイミングで供給しているとも言える。

つまり椀子そばの給仕にも似た供給過剰にあわせて客が操られついつい食べ過ぎてしまうが、お椀を伏せることで食べ終わる客とそれを阻止する様に素早く蕎麦を投げ込む攻防で成立する世界である。

これを可能にするには見る者の気持ちや視点になり何を望んでいるか、何が観たいのかを承知していないと話にならない。ただ自分がやりたい事だけを最高の技術で作っているだけでは駄目なのだ。

純真無垢な子供の視点、多少の差別や偏見も合わせ持つ自由な子供の目線を持った者が天才になり得る素質だろう。

宮崎氏は引退しており、安易に比較することは出来ないが、そう言う意味では政治的な事を語らない体育氏の方が前途洋々だろう。

全然違う、比べるな、とお叱りの声が宮崎ファンから届きそうだが、体育氏を持ち上げすぎたとも自省している。

◯と◯◯◯の◯◯隠し

2016-11-01 08:07:23 | 映画



宮崎《駿 》談---------------------------------

「今、零戦の映画企画があるらしいですけど、それは嘘八百を書いた架空戦記をもとにして、零戦の物語を作ろうとしているんです。神話の捏造をまだ続けようとしている。『零戦で誇りを持とう』とかね。それには僕は頭にきてたんです。子どものころからずーっと!」

「相変わらずバカがいっぱい出てきて、零戦がどうのこうのって幻影を撒き散らしたりね。戦艦大和もそうです。負けた戦争なのに」

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1位千と千尋の神隠し

18位風立ちぬ



45位永遠のゼロ

日本国内興行収益ランキングだけを見ても《ジブリ》映画の人気は不動のもので、その《所得》も莫大なものになるだろう。
そんな宮崎駿氏が同時期に重なった"永遠のゼロ"
と百田尚樹氏に対しての酷評だ。



百田尚樹氏ツイート---------------------------

 「『永遠の0』はつくづく可哀想な作品と思う。文学好きからはラノベとバカにされ、軍事オタクからはパクリと言われ、右翼からは軍の上層部批判を怒られ、左翼からは戦争賛美と非難され、宮崎駿監督からは捏造となじられ、自虐思想の人たちからは、作者がネトウヨ認定される。まさに全方向から集中砲火」

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『嘘八百を書いた架空戦記をもとにして』

『宮崎駿監督からは捏造となじられ』

ここまで大差をつけて勝っておきながら何故宮崎駿監督は永遠のゼロを批判するのか。戦争に対する意識の世代間格差を象徴しているようにも感じる。
恐らく宮崎氏は永遠のゼロを見てもいないのだろう。

私は両作品はどちらもラブロマンスであり、反戦映画だと思う。

架空戦記をもとにしてと批判しているが宮崎氏も
堀越二郎氏が恋愛していたように堀辰雄氏の「風立ちぬ」を丸パクリでオマージュとしている。
零戦の製作者堀越二郎氏はお見合結婚である。

つまり、戦争と不幸を重ね美しい部分を投影して不幸から立ち直り逞しく生きて行くというメッセージを全面に押し出した感動の押し売りにしか見えない。

かたや永遠のゼロは死んでも想いが伝わるという単純でフィクションであるが、その想いに嘘は無いとの細かな脚色の必要のない日本人の連綿とした連続性を感じる作品である。

戦争を暗く描くか、暗く描かないかの違いはあるがどちらも反戦映画であり、戦争を賛美などしていない。

9条を賛美し、戦争をあまりに暗く、悲惨に描く反戦映画の時代は「過ぎさりぬ」だ。

百田氏の蛙の楽園の売れ方を見れば世代交代を痛感し、「海賊と呼ばれた男」の映画が封切りを迎えた。


どちらも作品として貶すつもりはないが、宮崎氏のイデオロギー丸出しの活動と性格には「人気たちぬ」と言ったところだろう。