天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

オバマ岩国基地スピーチ

2016-05-31 18:22:06 | 時事
みなさん、こんにちは!ここに来ることができ、とてもうれしく思います。今回の日本訪問で、我々は、日米両国の素晴らしい同盟関係を再確認しています。ですので、皆さんに感謝を伝えたく、ここに立ち寄りたいと思っていました。兵士の皆さん、家族の皆さん、ありがとうございます。皆さんは、日米同盟の中核を担っています。感謝いたします。

「ウォーターボーイ」ことブシェー大佐、ガルザ最上級曹長、ありがとうございます。大勢の人たちがいますね。下士官、上級下士官、将校、一般兵士、国防省の文民職員。家族の皆さん、声を聞かせてください!

黄川田外務大臣政務官、福田市長、国会議員の方々、園田海将補、自衛隊員の皆さん、この場にお越しいただいた日本の友人の方々に、感謝申し上げます。素晴らしい、岩国市民の方々にも、お礼申し上げます。母国を遠く離れて使命を果たしている米国兵士への皆さんからの温かい歓迎は、わが国にとって、非常に大きな意味を持ちます。皆を代表してお礼を申し上げます。ありがとう。

なるべく手短に話をしたいと思います。というのも、できる限り多くの皆さんと握手をしたいからです。先に注意しておきますが、自撮りはご遠慮ください。そうすると、一日中ここにいなければならなくなるからです。

しかし、まずなによりも、米国大統領として、米軍兵士の皆さんの最高司令官であることは、この上ない名誉であることを、申し上げたいと思います。皆さんは米国民を守り、世界中で平和と安全を促進しています。「戦没者追悼の日」の週末を皆さんと迎える機会をうれしく思います。なぜなら、この日は、危険と犠牲が皆さんの仕事の一部であることを思い出させ、自由のために命を捧げた人々を決して忘れず、敬意を払わなければならないことを、再認識させてくれるからです。

大統領として私は、米国が再びアジア・太平洋地域で主導的な役割を果たせるよう、取り組んできました。なぜなら、この地域は、我々が共有する安全保障と繁栄にとって不可欠だからです。そのためには、安全保障での協力が必要です。貿易協定、人々の間で築かれる関係が必要です。そして、優秀な、日本の自衛隊員と協力して、米軍兵士が域内で実施する、誇りある奉仕活動が必要となります。

ご存知のように、今日の午後、私は広島を訪れます。これは、第二次世界大戦で命を落とした、全ての人々を追悼する機会であり、核兵器をもはや必要としない世界の平和と安全を求める決意を確認する機会でもあります。広島訪問は、最も痛ましい亀裂でさえも埋め、かつて敵同士にあった日米がパートナーとなるだけでなく、最も緊密な友人となり、最も強固な同盟国となることが可能だということを示す証左となります。

日米同盟の強さは、ここ岩国で端的に示されています。岩国基地は、両国の信頼、協力および友好関係を示す好例です。米国海兵隊は、自衛隊と力を合わせ、平和を守り、域内のパートナーと連携し、人道支援および災害救援を行っています。皆さんは、フィリピンとタイを襲った洪水やバングラデシュに壊滅的な被害をもたらしたサイクロンの対応にあたりました。2011年の東日本大震災では、救助・救援活動で、極めて重要な役割を果たしました。日米は共に、域内で、数え切れない数の人命を救ったのです。このことは、我々の大きな誇りです。

ここでの皆さんの奉仕は、自由、民主主義、人権、法の支配といった、今日、日米両国が共有する価値観に根ざしています。その結果、日米同盟は両国だけの安全保障にとって不可欠となっただけでなく、域内および世界において、欠くことのできない安定の源であり、繁栄の土台となっています。皆さんは、我々の生活の質を支える礎なのです。

最後に、日米同盟の本質を如実に語る、素晴らしいエピソードをひとつご紹介します。テッサ・スノー大尉はどこにいますか? この場にいるはずですが、あっ! いましたね。スノー大尉は、オスプレイのパイロットで、先月の熊本地震の際、自身の飛行隊を率い、被災者へ人道支援を行い、物資を届ける任務を遂行しました。ある日本人一家は自宅の倒壊を恐れ、何日も屋外で過ごすことを余儀なくされました。皆さんの取り組みにより、その一家をはじめとする多くの被災者が、食料や水など必要な物資を受け取ることができたのです。

さて、その一家ですが、6月に女の子が生まれる予定です。テッサの任務のおかげで助かったことを知り、生まれてくる子どもに、テッサにちなんだ名前をつけると決めたそうです。家族は、誠実さ、勇気、責任感、進んで他人を助けようとする気持ち、といったテッサと同じような素養を備えた大人に育ってほしいと願っているそうです。

これらは、海兵隊の基本的価値観ではないでしょうか? 幾世代にもわたって、米軍兵士を特徴づけてきた素養であり、日米両国が持つ最も優れたものの象徴でもあります。皆さんの奉仕によって、人間の尊厳と自由に対する日米が共有する決意は、この地域および全世界で、存続していき、この地域は繁栄していくでしょう。そして、我々はどこに行っても、希望を広め続けていくでしょう。私は皆さんを誇りに思います。日本側に感謝いたします。米軍をこの上なく誇りに思います。

皆さんと皆さんの家族に神のご加護がありますように。そして米国に神のご加護がありますように。皆さん、ありがとうございました。

アメリカ軍人の被爆死者

2016-05-29 12:16:05 | 歴史
「ええ、若い兵隊さんが電柱の根元に針金でくくられていたの は、はっきり覚えています」



と若い米兵の死体を目撃した広島市東区の蔵田淑子さんは、これまで盛んにいわれていた 翌日ではなく、その日に目撃していた。相生橋から東に約五、六十 メートルの電車通り南側。その目と鼻の先に自宅があったからだ。

直接の被爆者は、アメリカ政府公式発表では10人、日本の民間団体・歴史研究家の調査では12人いたとしている。朝日新聞社系は2014年現在直接被爆者を13人としている。


1945年7月28日、アメリカ側は榛名や利根などを撃沈。日本側もアメリカ軍機を撃墜し生き残った乗員を捕虜として捕らえた。

中国憲兵隊司令部に15人拘束、うち3人の将校は7月30日東京防衛総司令部に移送されているので捕虜となった中国憲兵隊司令部に残る12人が被爆することになる。

彼ら12人は広島城内にあった中国軍管区司令部・中国軍管区歩兵第一補充隊そして中国憲兵隊司令部の3箇所におり、複数の目撃証言によりほとんどが被爆当日に死亡したと考えられている。

蔵田さんらに死体として目撃されたものは後の調査でB-24ロンサム・レディー号通信士ヒュー・アトキンソン軍曹と確定されている。


被爆した憲兵が翌7日瀕死の捕虜を発見し広島憲兵分隊に連行しようとしたが憲兵自身も倒れそうになったためやむなく相生橋手前で捕虜を放置したという。これは1971年昭和46年の広島市刊『広島原爆戦災誌』に記載されている。

その後の追跡調査で実際に任にあたった憲兵が探しだされ、翌7日宇品への連行中一時的に相生橋の欄干に括りつけていたがそのまま絶命したためそこに残して他の捕虜を連行したとしている。

アメリカ側はその遺族に対し、終戦直後は「戦闘中日本上空で行方不明」と通達、翌1946年その中の何人かに「8月6日捕虜として日本に拘留中、戦死した」とGHQダグラス・マッカーサーがお悔やみをだしている。


B24爆撃機に搭乗していた仲間とともに。右がジョン・ロング・ジュニアさんだ。

オバマの広島スピーチにもある「道徳的な目覚めの契機の場として知られるようになった広島」
と戦争への憎悪とは国籍など問わず、人間が人間を死滅させる愚かさを言及している。

このアメリカ人が自らの同胞を被爆者としてしまった愚かさへの"気付き"は開発しておきながら使うことを躊躇った昭和天皇の残虐兵器に対する想いと終戦への決断に至った心境に71年かけてオバマ大統領がシンクロしたことにほかならない。

広島スピーチ

2016-05-28 12:20:37 | 時事
オバマ大統領広島スピーチ全文
〈産経新聞よりコピー〉

 71年前の雲一つない明るい朝、空から死が舞い降り、世界は変わった。閃光(せんこう)と火柱が都市を破壊し、人類は自ら破壊する手段を手にすることを示した。

 われわれはなぜ広島に来たのか。そう遠くない過去に解き放たれた残虐な力に思いをめぐらせるためだ。われわれは命を落とした10万人を超える日本の男女、子供、何千人もの朝鮮半島出身者、十数人の米国人捕虜を悼む。

 その魂が私たちに話しかけてくる。彼らはわれわれに対し、もっと内なる心に目をむけ、自分の今の姿とこれからなるであろう姿を見るように訴える。

 広島を際立たせているのは、戦争という事実ではない。過去の遺物は、暴力による争いが最初の人類とともに出現していたことをわれわれに教えてくれる。初期の人類は、火打ち石から刃物を作り、木からやりを作る方法を学び、これらの道具を、狩りだけでなく同じ人類に対しても使った。

 いずれの大陸も文明の歴史は戦争で満ちており、食糧不足や黄金への渇望に駆り立てられ、民族主義者の熱意や宗教上の熱情にせき立てられた。帝国は台頭し、そして衰退した。民族は支配下に置かれ、解放されたりしてきた。転換点において罪のない人々が苦しみ、数え切れない多くの人が犠牲となり、彼らの名前は時がたつと忘れ去られてきた。

 広島と長崎で残酷な終焉を迎えた世界大戦は、最も豊かで強い国家間で勃発した。彼らの文明は偉大な都市と素晴らしい芸術を育んでいた。思想家は正義と調和、真実という理念を発達させていた。しかし、戦争は、初期の部族間で争いを引き起こしてきたのと同様に支配あるいは征服の基本的本能により生じてきた。抑制を伴わない新たな能力が、昔からのパターンを増幅させた。

 ほんの数年の間で約6千万人が死んだ。男性、女性、子供たちはわれわれと変わるところがない人たちだった。撃たれたり、殴られたり、連行されたり、爆弾を落とされたり、投獄されたり、飢えさせられたり、毒ガスを使われたりして死んだ。

 世界各地には、勇気や勇敢な行動を伝える記念碑や、言葉にできないような悪行を映す墓や空っぽの収容所など、この戦争を記録する場所が多くある。

 しかし、この空に上がった、きのこ雲のイメージが、われわれに人類の根本的な矛盾を想起させた。われわれを人類たらしめる能力、思想、想像、言語、道具づくりや、自然とは違う能力、自然をわれわれの意志に従わせる能力、これらのものが無類の破壊能力をわれわれにもたらした。

 物質的進歩や社会革新がこの真実から、われわれの目を曇らせることがどれほど多いであろうか。高邁(こうまい)な理由で暴力を正当化することはどれほど安易なことか。

 偉大な全ての宗教は愛や平和、公正な道を約束している。一方で、どの宗教もその信仰が殺人を許容していると主張するような信者の存在から逃れることはない。

国家は、犠牲と協力を結び付ける物語をつむぎながら発展してきた。さまざまな偉業を生んだが、この物語が抑圧や相違を持つ人々の人間性を奪うことにも使われてきた。科学はわれわれに海を越えてコミュニケーションを取ることを可能にし、空を飛び、病気を治し、宇宙を理解することを可能にした。しかし同じ発見は、より効果的な殺人機械へとなり得る。

 現代の戦争はこうした真実をわれわれに伝える。広島はこの真実を伝える。人間社会の発展なき技術の進展はわれわれを破滅させる。原子核の分裂につながった科学的な革命は、倫理上の革命も求められることにつながる。

 だからこそわれわれはこの地に来た。この街の中心に立ち、爆弾が投下されたときの瞬間について考えることを自らに強いる。惨禍を目にした子供たちの恐怖を感じることを自らに課す。

 無言の泣き声に耳を澄ませる。われわれはあの恐ろしい戦争やその前の戦争、その後に起きた戦争で殺された全ての罪なき人々に思いをはせる。

 単なる言葉でその苦しみを表すことはできない。しかし、われわれは歴史を直視し、そのような苦しみを繰り返さないために何をしなければならないかを問う共通の責任がある。

 いつの日か、生き証人たちの声は聞こえなくなるだろう。しかし1945年8月6日の朝の記憶は決して風化させてはならない。記憶はわれわれの想像力を養い、われわれを変えさせてくれる。

 あの運命の日以来、われわれは希望をもたらす選択もしてきた。米国と日本は同盟関係を築くだけでなく、戦争を通じて得られるものよりももっと多くのものを国民にもたらす友情を築いた。

 欧州の国々は戦場に代わって、交易や民主主義により結ばれている。抑圧された人々や国々は自由を勝ち取った。国際社会は戦争を回避し、核兵器の存在を規制、削減し、完全に廃絶するための機関を創設し協定を結んだ。

 それにも関わらず、世界中で見られる国家間のテロや腐敗、残虐行為や抑圧は、われわれがすべきことには終わりがないことを示している。われわれは人類が悪事を働く能力を除去することはできないかもしれないし、われわれが同盟を組んでいる国々は自らを守る手段を持たなければならない。

しかし、わが国を含む、それらの国々は核兵器を貯蔵しており、われわれは恐怖の論理から抜け出し、核兵器のない世界を希求する勇気を持たなければならない。こうした目標は私の生きている間は実現しないかもしれないが、粘り強い取り組みが惨禍の可能性を引き下げる。

われわれはこうした保有核兵器の廃棄に導く道筋を描くことができる。われわれは、新たな国々に拡散したり、致死性の高い物質が狂信者の手に渡ったりするのを防ぐことができる。しかし、まだそれでは不十分だ。なぜなら、われわれは今日、世界中で原始的なライフル銃やたる爆弾でさえ恐るべきスケールの暴力をもたらすことができることを、目の当たりにしているからだ。

 われわれは戦争そのものに対する考え方を変えなければならない。外交を通じて紛争を予防し、始まってしまった紛争を終わらせる努力するために。増大していくわれわれの相互依存関係を、暴力的な競争でなく、平和的な協力の理由として理解するために。破壊する能力によってではなく、築くものによってわれわれの国家を定義するために。そして何よりも、われわれは一つの人類として、お互いの関係を再び認識しなければならない。このことこそが、われわれ人類を独自なものにするのだ。

 われわれは過去の過ちを繰り返す遺伝子によって縛られてはいない。われわれは学ぶことができる。われわれは選択することができる。われわれは子供たちに違う話をすることができ、それは共通の人間性を描き出すことであり、戦争を今より少なくなるようにすること、残酷さをたやすく受け入れることを今よりも少なくすることである。

 われわれはこれらの話を被爆者の中に見ることができる。ある女性は、原爆を投下した飛行機の操縦士を許した。本当に憎むべきは戦争そのものであることに気付いたからだ。ある男性は、ここで死亡した米国人の家族を探し出した。その家族の失ったものは、自分自身が失ったものと同じであることに気付いたからだ。

 わが国は単純な言葉で始まった。「人類は全て、創造主によって平等につくられ、生きること、自由、そして幸福を希求することを含む、奪うことのできない権利を与えられている」

 理想は、自分たちの国内においてさえ、自国の市民の間においてさえ、決して容易ではない。しかし誠実であることには、努力に値する。追求すべき理想であり、大陸と海をまたぐ理想だ。

 全ての人にとってかけがえのない価値、全ての命が大切であるという主張、われわれは人類という一つの家族の仲間であるという根本的で必要な概念。われわれはこれら全ての話を伝えなければならない。

 だからこそ、われわれは広島に来たのだ。われわれが愛する人々のことを考えられるように。朝起きた子供たちの笑顔をまず考えられるように。食卓越しに、夫婦が優しく触れ合うことを考えられるように。両親の温かい抱擁を考えられるように。

われわれがこうしたことを考えるとき71年前にもここで同じように貴重な時間があったことを思い起こすことができる。亡くなった人々はわれわれと同じ人たちだ。

 普通の人々はこれを理解すると私は思う。彼らは、さらなる戦争を望んでいない。彼らは、科学は生活をより良いものにすることに集中すべきで、生活を台無しにすることに集中してはならないと考えるだろう。

 各国の選択が、あるいは指導者たちの選択がこの単純な分別を反映すれば、広島の教訓は生かされる。

 世界はここ広島で永久に変わってしまったが、この街の子供たちは平和に日常を過ごしている。なんと貴重なことであろうか。これは守るに値し、すべての子供たちに広げていくに値する。これはわれわれが選択できる未来なのだ。

 広島と長崎の将来は、核戦争の夜明けとしてでなく、道徳的な目覚めの契機の場として知られるようになるだろう。そうした未来をわれわれは選び取る。(了)

産経新聞よりコピー
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オバマ大統領の言葉は叙情詩と言うよりは叙事詩的であり、感情をぶつけると言うよりは未来志向のこれからの日米の関係の在り方を言及するに留まった。

僅か10分で資料館見学を終えその分スピーチに時間を割いたとも思えるが、資料館、被爆者との面会、原爆ドームに比べればそれだけ長くスピーチに時間をかけた。

献花の時に安倍総理は頭を下げたのに対してオバマ大統領はそのままの姿勢で黙祷を捧げた。

これは米国の世論が二つに分かれていることを暗示している。それは大統領として謝罪の言葉を述べるべきだとする意見と元軍人などの高齢者達の謝る必要は無いとする反発だ。

2009年4月5日、チェコ共和国の首都プラハのフラチャニ広場にてバラク・オバマが核廃絶へ具体的な目標を示したプラハ演説に比べると廃絶に関する強い意思表示を避けた演説となっただけに、

日米双方に気を使った抽象的な表現を多用したのだろうと想像するに容易い。




しかしながら現職の大統領としては初めての快挙
であり、核廃絶に向けて全世界に訴える歴史的第一歩には違いなく、核の無い世界に近付いたことは揺るぎない事実であろう。

米国連邦議会上下両院合同会議における安倍総理大臣演説「希望の同盟へ」 を行い、サミットとセットにした安倍首相の功績は他の首相では果たせなかったであろうことはいうまでもない。





進まぬ廃絶オバマの核平気

2016-05-26 05:48:04 | 時事
広島平和研究所に勤務する歴史家、田中利幸氏は以下のように述べています。

「日本政府が今行っていることは、日本兵が残虐行為を働き、日本が国全体として侵略戦争を行ったことの否定だ。政府は日本の戦争行為を浄化しようとしている」

原子爆弾の被害国は世界で唯一日本だけです。
その都市の一つ広島の歴史家田中氏が安倍批判的な主張に陥ってしまうところに核兵器原爆の恐ろしさがあります。

つまり、日本政府は日本人にとって戦争の加害国であるのと同時に被害国、被爆国でもあるという矛盾を内包しているとの問題です。

日本が核兵器の恐ろしさと被害者的側面を主張することが拳で自分の腹を叩き続ける行為となるのです。

アメリカにとって原爆は日本の侵略戦争を止める
"切り札"となっていたとの側面と戦争の抑止効果の側面という被爆国にとっては歓迎し辛いメリットが存在するという点です。

批判を恐れずに言えば核兵器は戦争をしないで済む究極的平和の兵器になってしまっているという側面が存在するのです。

被爆者だけに焦点を当てれば日本政府と米国の双方が加害者的な立場となり、その加害者が核兵器削減のリーダーでもあるのです。

オバマ大統領の根源的に難しい被爆者への謝罪を求める気持ちも理解できますが、第一は核兵器を廃絶し二度と被爆者作らず戦争を廃絶することでしょう。

オバマ大統領のドイツ・ベルリンでの演説で
「世界の核兵器を現在の3分の1に削減する計画がある」、「包括的に検討した上で、アメリカとその同盟国の安全を保障し、確かな戦略的抑止力を維持すると同時に、配備済みの戦略的核兵器を3分の1にまで削減することが可能だ」と語りました。

また「アメリカは、冷戦時代の状況以上に核兵器を削減するため、ロシアと協力を行う意向だ」とも主張しました。

これに対しロシアのプーチン大統領は、アメリカとロシアの戦略・核兵器の削減に関するオバマ大統領の提案に対し、ロシアの安全保障会議で、「ロシアは、潜在的な抑止力を削減するつもりはない」と語りました。

また、「我々は、現在の抑止力の潜在能力のバランスが崩され、核の抑止力の効果が減らされるのを許すことはできない。そのため、将来の軍事、宇宙防衛計画もまた、ロシアの軍事構造における方針のひとつとして残ることになる」と強調しました。

さらに、ロシアのウシャコフ大統領補佐官も、これについて、「ロシアの指導者によれば、核の潜在能力の削減は二カ国に限られるべきではなく、他の国々も、この措置に協力すべきだ」と強調しました。

米露間の戦略核兵器削減条約(START)によって核を削減して行くとの同じ方向を向いてはいますが、両国以外にも、シオニスト政権イスラエル、イギリス、中国、フランス、インド、パキスタン、北朝鮮が、核兵器保有国と見なされており、ロシアの国内事情からも完全廃絶へはまだまだ時間を要するでしょう。

当面の日本の課題は日米安保体制の安定的強化でありその後にプラハ演説に沿った廃絶への道があるのです。

この順番が大切であり、広島演説もこの様な内容であることを期待します。

親米保守と東京裁判と被爆者

2016-05-25 04:45:14 | 歴史


共同がオバマ大統領の広島訪問が正式発表される前の4月末から発表後の今月中旬まで、日本各地に居住する被爆者115人に直接面接して実施した調査の結果、「原爆投下の正当性の有無と問い詰めて謝罪を要求するか」という質問に78.3%が「必要としない」と答えた。

「謝罪を要求する」という回答者は15.7%にとどまった。

謝罪を要求しない理由としては、「日本が始めた戦争だから」(70歳の男性)、「謝罪してもらいたいが、それを要求すれば訪問できないだろうから」(73歳男性)などの回答があった。
一方で謝罪を要求した人の中には、「無差別的に殺傷したことに対する謝罪はしなければならない」(78歳女性)などの回答があった。

と報じていますが、昭和天皇のお言葉が思い出されます。
『この原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思っていますが、こう言う戦争中であることですから、どうも広島(長崎)市民に対しては気の毒であるが、やむを得ない事と私は思っています。』

このお言葉ばが全てです。

保守として東京裁判を否定するが、同時に日本人は東京裁判の受益者という矛盾を同時に内包しているということです。

つまり、上記の70歳の男性の言う「日本が始めた戦争だから」とのニュアンスは少し自虐的なのです。

正義と正義が戦った、しかも相手は米国のみならず連合国であり、ポツダム宣言を受け入れ、被害に関する謝罪を要求しない代わり占領を受け入れ東京裁判を覆さない条件でサンフランシスコで講話したのです。

東京裁判は不当ですが、同時に生き残った日本人に利益を齎す、これが"東京裁判の受益者"なのです。