天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

花粉症

2014-11-23 09:19:32 | 政治
花粉症発症のメカニズムについてはあまり詳しくない。

杉の花粉とディーゼルエンジンの排気ガスが関係して目や鼻にアレルギー性の反応が

表れる病気?位の知識までしかしらない。

明らかに言えるのは昔はなかった病気、
つまり現代病ということだ。

私自身も発症したが薬を使うまでもなく症状もたいして酷くならない

これ程症状の個人差に開きがあるものはない。

ではいったい何故差が出るのだろうか

情報量の差であろうと思われる。

その証拠に花粉が飛ぶ黄色の画像を見て、何%の飛散、

注意報、様々な情報を取り入れることによって、症状はより酷くなる。

私はこの情報を出来るだけ
入れないようにし、気にしないように過ごしてみた。

すると徐々に改善され、マスク、メガネ、薬など使う事なく、発症前の状態つまり完治したかの状態にある。

したがってあくまで花粉症とは神経過敏症と言えるぐらい
気にすることで悪化していくのだ。

現代の無菌状態が善として徹底した除菌がからだの免疫機能を低下させるのと同様に

気にしすぎる事によってかえって悪化させる結果を招いている気がしてならない。

【病は気から】

現代医療、医者になろとするものは人間の自然治癒に関しては学ばないようである。

三叉神経痛は手術以外に完治しないと言われている病気が薬も飲まずに治癒したり

例外はあるだろうが癌に関しても治癒するものもあると聞く。

現代人は医者にかかりすぎなのだ。

医者自身も癌が発見された時は抗癌剤を使いたくないとの先生が殆どらしい。

抗癌剤は好癌剤や
癌モドキ
薬を止めれば病気が治る
精神薬の問題

医療に関する問題も
噴出している。

花粉症からあまりにずれてしまったが、この現代病と言われる花粉症は

ある種洗脳によって起こされているように思えてならない

戦後日本人が奪われたものとして神道がある。

つまり道徳、教育、宗教が一体化したものが神道であり国教であった。

国を護るという愛国心は奪われ、大家族は破壊され核家族へと変化する

国、家族をも護る対象から外され自分自身を守るか、そんな意識さえ希薄になった日本人は

自分や家族の健康を医者に頼らざるを得なくなる。

国を護らなくなったものは
家族や自分までも守らない無頓着な人間に成り変わる

恐るべし
ウォーギルトインフォメーションプログラムである。

骨抜きになった日本人を簡単に取り込んだ勢力が

共産主義と創価学会だ。

終戦直後から蔓延した国にたいする憎悪や反発をどんどん吸収し取り込んでいった。

愛国心はそれほど時間をかけずに反権力、教祖への忠誠心に変換されたのである。

質が悪いのは共産主義勢力であり、これにシンパシーを受けたものが別の衣を纏い

反政府として反日左翼を形成している。

沖縄や福島の男は働かないと耳にするが、被害者感情を持つ県民をも巻き込み

国から金を搾り取る

愛国心という免疫をうしなった患者たちは

国が補助金という
薬を出し続ける限り

花粉症は完治する事はないだろう。


靖國合祀

2014-11-23 05:48:31 | 政治
1-東條英機 陸軍大将 内閣総理大臣・陸軍大臣 絞首刑 刑死 1948年12月23日 64歳


2-広田弘毅 (外交官) 内閣総理大臣・外務大臣・駐ソヴィエト大使 絞首刑 刑死 1948年12月23日 70歳


3-土肥原賢二 陸軍大将 奉天特務機関長 絞首刑 刑死 1948年12月23日 65歳


4-板垣征四郎 陸軍大将 支那派遣軍総参謀長 絞首刑 刑死 1948年12月23日 63歳


5-木村兵太郎 陸軍大将 ビルマ方面軍司令官 絞首刑 刑死 1948年12月23日 60歳


6-松井石根 陸軍大将 中支那方面軍司令官 絞首刑 刑死 1948年12月23日 70歳


7-武藤章 陸軍中将 陸軍省軍務局長 絞首刑 刑死 1948年12月23日 56歳


8-平沼騏一郎 (司法官) 内閣総理大臣・枢密院議長 終身刑 刑期中に病死 1952年8月22日 84歳


9-白鳥敏夫 (外交官) 駐イタリア大使 終身刑 刑期中に病死 1949年6月3日 61歳


10-小磯国昭 陸軍大将 内閣総理大臣・朝鮮総督 終身刑 刑期中に病死 1950年11月3日 70歳


11-梅津美治郎 陸軍大将 関東軍司令官・陸軍参謀総長 終身刑 刑期中に病死 1949年1月8日 67歳


12-東郷茂徳 (外交官) 外務大臣・駐ドイツ/駐ソヴィエト大使 禁固20年 刑期中に病死 1950年7月23日 67歳


13-永野修身 海軍大将 海軍大臣・海軍軍令部総長 ― 戦犯指定を受けたが
判決前に病死 1947年1月5日 66歳


14-松岡洋右 (外交官) 外務大臣・南満州鉄道総裁 ― 戦犯指定を受けたが
判決前に病死 1946年6月27日 66歳


このA級戦犯合祀は、直ちに表ざたにはならず、翌年4月19日の朝日新聞による報道で公になった。

 当日の新聞記事を見るときわめて大きく扱われており、国内でもこれは「戦争肯定につながる」

中国は、小泉首相が首相の身分で靖国神社へ参拝の意向を表明したことに対して

「深刻な事態。両国関係の政治的基盤を根本から揺るがす危険な行為だ」

 アジアの諸国は、日本の軍国主義復活を恐れている。

と発表された。

この中国の見解はあくまで中国の息の掛かった日本人が戦犯の合祀に対する見解を中国目線で書いたものを

単に中国が読んでるだけに過ぎない。

その証しとして14人の戦犯のうち中国に恨みをかう程の人物は3~4人しかいない事からも明白である。

東條、土肥原、松井、位で
満州事変の板垣も含めるならば石原莞爾も戦犯を逃れた

ことからもバランスを欠いてしまうだろう。

恐らく戦後ある程度時間が経過してから日本人か作り上げたシナリオに沿って

中国の歴史感は作り上げられたに違いない。

この口火を切った朝日新聞は少なからず
首謀者かそれに近い存在であることも露呈している。

この一連の動きは何を目的としているか?

天皇陛下の御親拝中断まで絡ませて何がしたいのか?


A級戦犯は赦免されず
事実刑が執行された者に関しては戦犯のままであった

しかし4千万人の国民の署名から恩給が支給され事実上
公務死扱いになっている。

「戦犯合祀を反対している間は14人の合祀者は公務死でなく戦犯のままであるとの状態が造り出せる」

つまり、この日本から戦犯がいなくなってしまうと誰が困るのか

勿論それは日本の戦争責任を彼ら戦犯達だけの責任とした者であろう。

◆昭和47年の田中首相の日中共同宣言での「日本側は過去において、日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えた責任を痛感し、深く反省する」

◆昭和53年「昭和殉難者」として合祀

◆昭和54年朝日新聞合祀報道

◆昭和57年宮沢首相
近隣諸国条項
「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること。」

◆平成7年村山談話
「国策を誤り、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人びとに対して多大の損害と苦痛を与えた。
私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」

この流れから判断すればやはり朝日新聞の報道が原因となり国民の「合祀が戦争を肯定することになる」と間違った解釈で盛り上り

中国に入れ知恵することとなり、宮沢の近隣諸国条項でいらぬ配慮をして

村山談話で植民地支配、侵略の中国側の歴史感を閣議決定してしまった。

中国にパイプのある朝日新聞関係者。反日日本人である事は間違いないだろう。

武士道

2014-11-21 09:19:00 | 歴史
1998年(平成10年)5月の天皇皇后両陛下のご訪英。

1953年当時と比べれば、イギリスの対日感情はかなり改善していましたが、

旧日本軍による捕虜の問題が再燃していたのです。

本来この問題は、国際法上、
講和条約成立をもって解決したものなのですが、

1993年(平成5年)に当時の細川護煕首相がイギリス人元捕虜に謝罪し、

「在英の日本企業に賠償させる」と発言、それがきっかけで泥沼化していたのです。

両陛下がイギリスを訪問されることが発表された時、

元捕虜たちが戦争責任を陛下にまで転嫁し、ご訪英を阻止しようとしました。

そんな中、4月29日付の英紙「ザ・タイムズ」に、ある投稿が掲載されました。

サミュエル・フォール卿による、「戦時中、日本帝国海軍に捕虜になったが友軍以上の処遇を受けた」


フォール卿が指摘したのは大東亜戦争下の1942年(昭和17年)の、

日本の駆逐艦「雷」工藤俊作艦長によるイギリス海軍将兵救出劇です。



一番砲だけ残し、総員漂流者の救助に当れ!



422名全員を救助。

工藤→フォール卿→
今上陛下→日本人

時を経て巡る武士道。


戦後利得者

2014-11-18 11:15:04 | 歴史
◆渡部昇一上智大名誉教授は

日本を糾弾することで自らの存在理由を確認する「敗戦利得者」

自らが卑怯であることを認めたくないから、

偽善的な「反戦平和」や「友好第一」などといった衣装をまといたがるのです。

私は「戦前の反省」などと言いながら、戦前戦中の日本の指導者を一方的に非難する人たちは、

日本の敗戦によって利益を得た「敗戦利得者」だと思っています。

◆西村眞悟は

八月は慰霊の月だと書いたが、同時にその慰霊に蓋をして、敗戦利得者が、その利得の源泉を再確認する月でもある。

従って八月に吹く風は、敗戦亡国の風と国家再興の風である。
 
敗戦利得者が生まれた構造は、単純である。子供でも分かる。
 
子供は、集団の中で、腕力の強い者に押さえつけられるか、反発してけんかするか、

の二つの行動を選ばねばならない場面にいつも遭遇しているからである。
 
六五年前の夏、我が国は戦いに負けて武装解除された。

そして、武器を持った戦勝国が入ってきた。

戦勝国民が支配者で敗戦国民は被支配者となった。

すると「戦勝国民」だと言い出す元日本人がでてきた。

そして本当の戦勝国は、これらの民を戦勝国民でもなく敗戦国民でもない「第三国人」
と呼んだ。


そこで、敗戦国民はいかにして生きたか。戦勝国に対するレジスタンス運動に身を投じたのか。

私は、高校生の頃、紀州の山中の貧乏な寺でマッカーサーを殺しに行く計画を立てていた人からその時の話を聞いたことがあるが、

しかしこういう人はごくまれだった。

反対に、利益を得るために戦勝国にすり寄って、戦勝国が正しいのですべてごもっともという態度で生きる者の方が多数派になった。

そして、敗戦国民であるにもかかわらず、あたかも戦勝国民になりすまして自国を貶め自国の為に命を捧げた同胞を「犬死に」と軽蔑することで戦後を快適に生きるようになった。

これを「敗戦利得者」という

◇敗戦により少なからず
美味しい思いをしたもの、
それに加担したもの、巨大組織になったもの、を敗戦利得者と定義するならば

反日左翼全てが敗戦利得者と言っても過言ではないだろう

共産党、創価学会、公明党、
マスコミ、メディア、

中核派、革マル派、プロ市民においては隠れ共産党員と呼んでもいいほどに酷似する。

キチガイ医によれば児童相談所が子供を保護し薬漬けにしていると主張している。

このことからも、共産党員がカモフラージュの為に一般市民の衣を纏い国の末端の出先機関に潜むケースさえ報告される。

純粋な日本人は愚民と化し
貶められることにさえ気づこうとはしない。

私はこれらの分かりやすい利得者にくらべもっと日本人に寄り添った

分かりにくく、かつ巨大勢力があることを皆さんに知らせたい。

日本医師会、製薬、つまり医療である。

この医療こそが日本人を生かさぬよう殺さぬ様に

搾取してきた敗戦利得者のボスだと結論したい。

パラレルワールド

2014-11-18 09:23:47 | 時事
来年で戦後70年という節目を迎える。

橋下市長が油を注いだ慰安婦問題、大坂維新という保守風の政党を通して

国にものが言える首長を目指したが、名古屋の河村市長の南京発言同様トーンダウンし

正に首長ゴトキの座に落ち着いた。



在特会桜井会長に発言した
『おまえ立候補して政治家になってから言え』は

単に首長の限界のもどかしさから本音が漏れたのかもしれない。

集約していけば同じものを求めている二人の戦い?は
結局出落ちで終った。

型破りを売り物に世に出た者の宿命だろうか、常に型破りでなければ政治生命を維持し得ない、

恐らく本人が一番
解っているのだろう。

そして軽はずみで思わず公言してしまった『在特会に会う』と

恐らく始めはヘイトを注意し持論だけで潰そうとでも思ったのだろう

しかし早い時点で気づいたのであのようなお粗末な結果に終ったのだろう。

では何に気づいたのか?

差別主義者ではない、同じ日本人という単純な事だったのではないだろうか。

私はこの二人の会談は画期的なものだったと今でも感じている。

それは、現実と虚構つまり通常世界とある種虚構とも言えるネット言論世界が剣を交えたのだ。

弁護士→テレビ→府知事→市長と真っ当に政界に存在する橋下氏

かたやネットと市民運動家の桜井氏

分かりやすく例えるなら

航続距離もあるベテランパイロットとシュミレーターのみで実際には飛んだ事がないが経験豊富なパイロット?

その素人がジャンボ機を飛ばしてしまった様なものだ。

二者の会談で素人が勝ったのだ。

河野、村山談話からか朝日新聞からか、虚構だらけ、捏造だらけの現実を歩んできた者と、

まるでパラレルワールドのような真実のネット世界

その素人のような桜井氏が橋下氏を上回った瞬間かもしれない。

市民や国民の立場で国政にものが言える可能性を桜井氏は
教えてくれたのかもしれない

在特会から身を退くようだが次は何をしでかしてくれるのか見守りたい。