天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

ユダヤ人保護と慰安婦

2015-12-31 18:31:42 | 歴史
我々日本人はそろそろ本気で考えねばならない。

人種差別、差別用語に対して細心の注意を払う我々が何故ヘイトスピーチなどと規制され、レイシズムなどと批難されなければならないのか。

有田芳生やしばき隊に代表される所謂これらを自警団的に取り締まり、啓発する側の者達まで出現する事態となっている。

在日朝鮮人の特権を許さない市民の会、在特会がその矛先とされるが、在特会のデモはいたって普通のデモ行進であり、たまに多少行き過ぎと思われる発言も無くはないが、その殆どは事実に基づいた極めて真っ当な国民行動といえる。

ただ中には過激な発言も時としてしてしまう者もいるだろうし、そのなかでもっとも有名な事件が、京都の児童公園を朝鮮学校が占拠している事案の裁判で敗訴したが、2000万円を超える賠償金の額はあまりに不当であると思われる。

日本における司法がこと人種の人権という側面ではあまりにバランスを欠いた日本人に不利に働く
傾向が認められる。

日韓関係での慰安婦問題においても同じようなバランス感覚のズレがある、これが解決済みの慰安婦問題を「日本軍の強制連行」から「慰安婦女性の人権問題」へと再燃させる着火剤となってしまった。このズレの本質は歴史認識問題であり、韓国は中国と繋がり反日政策のメインテーマとしている。

このような捏造に近い歴史認識問題には協力者が存在する。

それは日本に現存する東京裁判史観、つまり戦前
戦中の日本或いは日本軍を軍国主義という抽象的表現で加害者としてきた朝日新聞を代表とする左翼全般の者達だ。

是等が二国に対して協力し三者共通のバックボーンとなる。そして是等三者と敵対するのが現日本政府と戦前戦中の旧日本政府、軍となるのだ。

東京裁判史観では東條以下旧政府と軍は侵略戦争を起こしアジアの国々と日本国民に多大な犠牲者を出した犯罪人とされた。

この戦勝国の歴史観に呼応するように、侵略戦争と植民地支配を主張し、その後ろ盾として南京事件と従軍慰安婦問題がある。

しかし、日本人が知ることを禁じられた歴史が徐々に明らかにされつつあり、東條らはユダヤ人を救出していた事がわかり、世界に類を見ない人権派の軍隊であったことも徐々に明るみに出るようになった。

この様な規律正しい軍隊は敗戦で弁解の余地を失い、我々後の日本人は占領と反省で未だに米国の歴史観を保持し反撃すら出来ていない。

平和に浸っているうちに二国が歴史認識を主張し始め暴走し始める。

「日本軍が強制連行に関与した」という資料を発掘したとの発表は日本軍が「慰安婦を取り扱う悪質業者を取り締まれ」という逆の意味で「関与」したというものだ。

これも、朝日新聞が一面トップで「従軍慰安婦」への軍の関与を捏造、煽動記事とした。

解決済みの慰安婦問題を再燃させた朝日新聞の植村氏の記事を次にコピペ

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《元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く》
日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺(てい)身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、十六団体約三十万人)が聞き取り作業を始めた。同協議会は十日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。テープの中で女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた。

尹代表らによると、この女性は六十八歳で、ソウル市内に一人で住んでいる。(中略)女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた。二、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。五人の朝鮮人女性がおり、一人に一室が与えられた。女性は「春子」(仮名)と日本名を付けられた。一番年上の女性が日本語を話し、将校の相手をしていた。残りの四人が一般の兵士二、三百人を受け持ち、毎日三、四人の相手をさせられたという。「監禁されて、逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思いつづけた」という。また週に一回は軍医の検診があった。数ヶ月働かされたが、逃げることができ、戦後になってソウルへ戻った。結婚したが夫や子供も亡くなり、現在は生活保護を受けながら、暮らしている

— 植村隆、朝日新聞大阪版27面 1991年8月11日

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問題は「挺身隊の名で連行されて従軍慰安婦として売春を強いられた」という日本側の事実とは異なる記事と吉田清治の虚偽の証言を事実として掲載し続けたことが旧日本の名誉を東京裁判史観に沿う形で毀損し続け、国内で真実が判明する頃には海外では慰安婦は「性奴隷の人身売買」にすり変わり旧日本のイメージは最悪のものになっていることだ。

要するに慰安婦問題とは解決済みの案件が軍の関与という形で再燃され人権問題にスライドし国際的問題になってしまったことであり、今回の安倍総理はそのシンボルである慰安婦像を韓国側に撤去させ不可逆的に慰安婦問題を終息させるという
解決済みの状態に戻したことは少なからず評価に値する。

あとは歴史家が国外に向けて真実を立証し、ユダヤ人を救った誇り高き日本軍の名誉回復こそが東京裁判史観から脱け出し自国の歴史認識を確立させる最重要課題となる。


反安倍をスタンダードとする者の論理

2015-12-28 12:19:23 | 時事
左派の言論空間で殊更シールズを愛玩し、反安倍をライフワークにしているY氏がいる。肩書きや実名を載せずともツイッターを数日眺めていればお目に掛かれる位メジャーな方だ。

安倍政権の政策を内政は日本会議や神道政治連盟、外交と安保は米政府の意向をそのまま踏襲すると主張し、居丈高で強気のポーズをとり、主体性があるふりをするのは内と外の二重の従属構造で板挟みでそれを糊塗するためと酷評する。

巷では現政権を支持すると皮肉を込めて「安倍信者」と呼ばれるが、新興宗教の奇異に映るそれと同列に扱う言い回しは左翼のレッテル貼りであって、それを使うものの正統性の自己顕示欲の強さのあらわれでもある。

日本会議を敵視するのは彼等の戦争観の違いに根源を見出すことができる。国と天皇が滅亡の危機に瀕した結果責任を勝算のない戦争を「自存自衛」の名目で博打的に始めた報いであると大東亜戦争開戦に重きを置いて俯瞰の日中戦争、太平洋戦争の所謂国策の誤まりとして捉えている。

そして戦後レジームから抜け出そうとする勢力を
日本国憲法施行からの平和と、文化的にも経済的にも発展を遂げた現実を認められない人間と酷評するのだ。

彼等の戦争観は太平洋戦争の敗戦後の反省からつくられたものであり、東京裁判史観、つまり戦勝国から見た戦争観を踏まえ占領軍の検閲と焚書の上に構築されている。

つまり旧日本軍に全責任を清濁問わず付加した黒歴史であり、場合によっては明治政府まで遡って都合良く解釈されている。

例えば次のようなロジックがある。

【「国を守る」とは、何が国を滅ぼすのかを歴史から学んだ上で「戦争を避けること」に他ならないが、戦前・戦中の国家神道体制の思想に共鳴する人間は「国を守るために戦争をすること」が「国を守る」ことだと今でも信じている。それゆえ「国を守る」戦争で死んだ軍人・軍属を、際限なく賛美・顕彰する。】

如何だろうか、私のような靖国神社の英霊に感謝の気持を持つものが如何にも国家神道体制の思想に共鳴しているかの言い回しと賛美、顕彰しているかのような印象操作で国防の為なら戦争も厭わない危険思想を持っているかの決め付けをし、排除する為のロジックなのだ。

寧ろ私を含め戦争を知らない一般国民は情報を得て過去の日本の過ちを左派よりもドライに戦勝国の色眼鏡を通さずに公平に観察しているのだろう。国家神道体制に共鳴せずとも日本は良い国だったことを知り先人に感謝の気持ちしかない。
勿論戦争は反対である。

その行き過ぎた反省からのイメージを安倍政権にそのまま投影しネガティヴキャンペーンに利用する。

戦争の解釈に関しても侵略戦争の立場を崩さず、
安保法制について「自衛の範囲内に限られる」という首相の言葉と、取り巻きの主張という抽象的な言い方でぼかして「自衛の戦争であって侵略ではない」との言葉を引き首相の言葉と抱き合わせで言葉の曖昧さを指摘するが、歴史認識である過去の戦争観と未来的戦争観を同列、同一線状で論ずることには疑問を感じる。

日本国憲法は国の交戦権は認めていないのだ。これは憲法改正しようとする現政権に早々と9条には触れさせない為の布石作りをして釘を刺している。

次にY氏の自衛戦争の独自の解釈で過去の大戦を侵略戦争であると主張する彼の現政権に対するネガティブな視点をご覧頂く。


【現政権の考える「自衛」の範囲がどこまで膨らむかを示唆している。日本が必要とする資源を取りに行っただけだから「自衛」だという。
この論法が正しいなら、中国が経済的発展に伴って増大する資源需要を満たすために、南シナ海などで他国の資源を取りに行く行為も「自衛」だということになる。
「それは自衛でなく侵略だ」と言うなら、先の戦争で日本が行った行為も「侵略」になる。「自衛」の概念も、主観でいくらでも膨らませられる。
「大東亜戦争は自衛戦争/解放戦争だった」という歴史認識は、視点を「戦前戦中の日本政府」に固定し、それ以外の客観的評価をすべて拒絶する。
「当時の日本政府の主観的説明」をひたすら追認する。戦争は1945年9月2日に終結したが、精神的にはまだ戦いを続けているつもりの人間が今も結構いる。
戦前戦中の日本の「国体」思想では、個人の幸福追求の手段として国家があるとの認識を「西洋の考え方で、万世一系の天皇を戴く万邦無比の日本には適合しない」として一蹴し、全国民は天皇中心の「国体」に奉仕・献身して必要なら犠牲になれと説いた。
逆に言えば、国民主権や基本的人権の尊重、平和主義、個人主義などの「民主主義の理念」をないがしろにして、批判者を居丈高に罵倒・攻撃する国会議員や地方議員の経歴を見ると、ほぼ確実に日本会議と神道政治連盟の国会議員懇談会のどちらか、またはダブル所属。そんな政治的状況に、今の日本はある。】


彼の言う「取り巻き」の具体名をだして安倍政権のバックボーンがそれらにあることを示唆しているのだが、彼の言葉を借りれば「取り巻き」は先の大戦を侵略戦争でなく、自衛戦争であったと主張している私もそうだ。

彼はその原因は【視点を「戦前戦中の日本政府」に固定し、それ以外の客観的評価をすべて拒絶する。】とある。あまりに言いがかり的な暴論だ。
何故このような推論的な穿った見方しか出来ないか、彼等が東京裁判史観であることは述べたが、
その視点に自分が日本人であることへの嫌悪感を抱いているように感じる。

だから深い反省の元に完全に過去の日本を切り離してニュートラルかもしくは戦勝国寄りの視点からしか思考できないのであろう。不適切かも知れないが痴漢の冤罪の容疑者を被害者の女性の父親の視点からは容疑者の冤罪が付け入る隙はないのと酷評する様にも感じる。

「取り巻き」がそれ以外の客観的な評価を全て拒絶とあるが、「取り巻き」が主観的、独善的にしか考えていないような決め付けである。

戦勝国の視点つまり、日本人から距離を置き東京裁判史観の上に自分をおけば自分は全能であるとのある種の錯覚が起きるのではないだろうか。このことが自衛戦争だったと主張する者達を拒絶し付け入る隙もないほどに理論武装する。

これが何故自衛なのかと相手の身になって感じる思考が出来ない。だから「国家神道に共鳴」や
「戦中の日本政府に固定」「今も戦いを続けている」などの言いがかりのような推論しか出来ない。

私個人当初は侵略戦争だと思っていたくちで目から鱗が落ちるように自存自衛の戦争だったのでは?という逆パターンである。

彼等、特に近現代史、戦争史家には自分達が平和を築き維持し続けてきたというプライドが感じられる。それはプライドなんかじゃなくて傲りなんじゃないかとさえ思う。

彼等に欠けているものがあるとすればこの傲りに気づくこと、そして歴史に対して謙虚であることだろう。

それが軍部、軍属、軍国主義が悪かったとし裁かれた戦犯にその罪をすべてなすりつけた腑抜けた日本人の傲りだと思う。

安倍政権を米国に従属的だとの批判も日本に米軍基地が存在する限り、押し付けの日本国憲法を改正しない限り日本は実質的な従属国であることを棚に上げた主張に他ならない。

最後にその傲りの最終目標である9条の死守の為の
櫻井よしこ氏に対しての批判文だ。

【日本会議の櫻井よしこ氏が、広島への原爆投下からちょうど70年目に当たる2015年8月6日に、広島で行う講演。憲法改正という政治的主張を通すためなら、被曝した人やその遺族の心を踏みにじっても平気なのか。ここまで傲慢になれるのがすごい。 】

東京裁判史観、そして彼等の盲点にお気付きだろうか?日本人がより純粋な日本人を貶める日本人の被害者感情を利用して。

このことが東京裁判史観が反日の起源であることの動かぬ証拠に他ならない。












田母神氏も超えられない保守の壁

2015-12-27 17:01:33 | 時事
戦後70年を迎えた今年もわずか数日で終わろうとしています。都知事選のあの盛り上がりは無かったかのように、維新と次世代は分裂し、依然として首相の靖国神社参拝はしたかしないか判断に困る状態です。

いくらナショナリズムが湧き上がっても70年もかけて放置してきたものが急激にひっくり返る筈もありませんが、慰安婦問題一つ取っても未だに解決すら出来ないのです。

世の中の動きをみると、田母神氏と水島氏の仲は両者の選挙活動の不慣れな処を突かれた工作、犯罪だったのかもしれません。

次世代の党にしても党名変更を余儀なくされる程の劣勢にあります。唯一保守の頼みの綱の安倍政権でさえ支持率は安定しているものの孤立しているかのような喧伝ぶりです。

言わずと知れた保守の前に立ち塞がる壁は歴史認識問題ですが、これだけネットで情報が拡散しても政府としては歴史家に判断を委ね、国外では一度認めて70年間放置したツケは覆すことを中々許しません。

そして新たに2000年代追加された慰安婦と南京事件は確かに侵略と植民地支配の曖昧な言葉をより鮮明にして薄れゆく戦争の罪悪感を再認識させ70年の年月を一気に巻き戻すプロパガンダなのです。

歴史を改竄する恐ろしさは100年、200年経っても
日本がある限り消えないのです。それが戦犯日本を貶め続ける反日の手法、知恵だからです。

アイヌのようにインディアンが先住民を主張するでしょうか?
沖縄のようにハワイが独立を主張しているでしょうか?

誇り高い先人である日本人が命に代えて護ったものは間違いなくこれら反日に対する不撓不屈の精神なのだと信じたいものです。


戦前回帰という幻想

2015-12-25 20:00:32 | 時事
〈安倍首相はヒトラーなのか?〉

安倍政権下の一連の戦後レジームからの脱却をことさら左派言論界は右傾化などとレッテル貼りまでしてヒトラーに例え、まるでシリアのアサド政権に対するISと自分達が重なることすら気づかずに独裁、戦争法案、安倍政治を許さない、と稚拙な言論を繰り返す。

これを平和ボケと一言で片付けてしまうことも許容される範囲でしょうが、70年の遅滞した歴史学はあまりにその解釈に於いて反日要素を多分に含み平和ボケの平和ボケたる解釈を貫き通すプライドにはある意味畏敬の念すら覚えます。

ネトウヨの一言で説き伏せる手法は学問の自由と表現の自由を労せずして手に入れ遺憾なく発揮した結果であり、彼等の自らを鼓舞する手軽な殺し文句でもあります。

そのネトウヨが個人への誹謗であるならばこの戦前回帰は保守思想全体への誹謗あるいはマジョリティへの警告ともとれるものなのです。

安倍政権の安定と強さは彼等には束になっても到底かなわない絶対的なものに感じるのでしょう。しかしながら彼等の後ろ盾として海外から安倍政権をファシストと呼ばれる声も軽視できません。

この強さが明治政府からのそれに感じるのか、戦争直前の言論統制を思い浮かべるのでしょうか、盛んに戦前回帰と連呼するのです。

要するにこれから戦争に突入するあの戦前の様な雰囲気を知りもしないで結び付け安倍政権に危機感を抱かせる啓発文句となっています。

まず具体的に安倍政権の一億総活躍相を戦前の一億総体当たりのスローガンとリンクさせて特攻精神等、高圧的な思想誘導の類似性を指摘しています。

つまり、先の対戦の敗北で消滅したものまたは占領政策で破壊されたもの、それは明治からの軍国主義のみならず憲法や宗教観、伝統、全てなのですが、戦後体制からの脱却を図る安倍政権をまるで戦争に突入するかのように印象付け安倍下ろしの一助とするための戦前回帰なのです。

また、教科書検定に於いても検定の新基準では、愛国心を養うことを盛り込んだ改正教育基本法の教育目標などに照らして、文科省が不合格にできることにもなったことや日本寄りの正しい歴史観に修正する動きに対して、

「彼らが狙っているのはたんに日本の戦争犯罪の隠蔽だけではない。教育を通じて、彼らが最終的に狙っているのは国のために命を投げ出せる人間づくりなのだ」

と安倍首相とともに愛国教育を推進した下村博文文部科学相を戦前回帰の教科書検定を実行したと非難しています。

これを幻想と言わずしてなんと呼ぶのでしょうか、この文民統制の時代に戦争など出来るはずもありませんし、オオカミ少年よりもタチの悪い妄言なのです。

つまりその目的は戦争を知らない世代に戦争へ向かう恐怖心を植え付けることにあり、そのイメージで安倍政権を失脚させることなのです。


〈戦前回帰とセットにされる戦争犯罪〉


上記でも触れましたが彼等の論理の中心は日本の戦争犯罪なのです。つまり東京裁判史観という足枷なのです。抽象的な表現になりますが、安倍総理はこの日本の発展の障壁となる足枷を外そうとしているのであって、彼等は足枷が付いていることで恩恵を受けてきたか、利用してきたのです。

彼等の言う戦争犯罪は南京大虐殺、慰安婦、捕虜虐待、なのでしょうか?そのどれでもであり、どれでもない。そして他にも、と曖昧なのです。

この曖昧で特定出来ない存在すらあやふやな戦争犯罪とはまさに戦勝国が東京裁判で告発した冤罪だからです。

日本の問題は7人の処刑で逆に悪者になってしまったということ、つまり敗戦が戦争犯罪になってしまったことなのです。

つまり、日本の戦争は侵略戦争だったのか否かの論争と日本国民への多大な被害の責任という問題を混同して論じてしまうことで7人は日本国民に対してと他国に対しての架空の戦争犯罪の責任までを同時に果たすこととなってしまったのです。

侵略戦争に関して言えば侵略の定義を厳格に決めてしまうと、それを利用して幾らでも言い逃れることが出来てしまうことから現在においても定義付けが有効なのか?という論議があります。

要するに東京裁判史観は初めから日本が侵略戦争を起こし他国と自国民に多大な被害を被らせ米国はその侵略を止めるばかりか、7人の戦争犯罪者から日本国民を解放したという夢物語の歴史観なのです。

戦後70年にしてこの夢物語の歴史観にほころびが目立つようになると中韓と日本の夢物語に興じてきた者達は躊躇なく先人の顔に泥を塗るのです。


横田喜三郎

2015-12-23 11:15:57 | 歴史


東京帝国大学教授で戦後、最高裁判所長官を務めた横田喜三郎は昭和6年10月5日付けの「帝国大学新聞」に於いて当時の日本軍に対する批判を掲載しています。

また戦後の昭和24年の著書『天皇制』においては、積極的な天皇制否定論を提唱しました。

横田氏は晩年、政府高官に就任すると、過去の天皇制否定論を自身の地位の都合の悪いものとして隠蔽するようになり、東京中の古本屋を回って著書『天皇制』を買い集め、かつての天皇否定論の痕跡を消そうとしました。

小室直樹・渡部昇一共著『自ら国を潰すのか』(徳間書店)に於いて
「日本の国際法研究から戦争研究を追放したこと」
「東京裁判を法理論的に承認したこと」について小室は横田を厳しく論難し、

両氏は対談で「横田喜三郎、これほど犯罪的という形容が相応しい学者は他にいない」
として横田を厳しく批判しています。


横田氏の軍に対する批判は当時としては全くの異端、反体制側の軍部に対する批判なのですが、横田教授の宅には「国賊」「売国奴」「不遥国賊、覚悟しろ」などの脅迫状や非難の手紙、ハガキが多数舞い込んだ時代であり、いかに新聞や国民が戦争遂行に軸足を置いていたかが理解できると思います。

当然の事ながら敗戦によって天地がひっくり返った訳ですし、ある種革命的とも言えるのですから国賊は一転して英雄となるのです。戦後日本に多大な影響を与えたことは東京裁判の翻訳者としての顔と近現代史の解釈として左派に作用した顔で強く影響を与えたのです。

では横田氏の東京帝国大学新聞と満州事変と国際連盟の論文とそれに対する右翼の反論を抜粋しましたのでご覧下さい。

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帝国大学新聞

「軍部は最初から全く自衛のため止むを得ない行為であると主張した。しかし、厳正に公平に見て果して軍部一切の行動が自衛権として説明され得るであろうか。鉄道の爆破が事実であるとして、破壊しつつある軍隊に反撃を加えることは確かに自衛権の行使であろう。あるいは、その軍隊を追撃して北大営を占領したことも自衛権だといえばいえぬこともなかろう。しかし、北大営に対する攻撃とほとんど同時に秦天城内に対して攻撃を開始したことまで、自衛にために止むを得なかったといい得るであろうか。まして、鉄道の爆破に基く衝突(十八日午後十時半)から、僅(わず)かに六時間内外のうちに、四百キロも北方の寛城子を占領し(十九日午前四時四十分)、二百キロも南方の営口を占領した(同五時)ことまで果たして自衛のために止むを得ない行為であったといい得るであろうか。」
(日本の戦争はなんだったか 吉岡吉典 20頁)


満州事変と国際連盟という論文では

「わずか数メートルの鉄道が破壊されたと伝えられる事件をきっかけとして、ほとんど南満州の
要地が日本の軍隊によって占領され、さらに軍部の独断で、朝鮮から国境をこえて出兵するというまでに事件が拡大した。
 軍部は、最初から、まったく自衛のためやむを得ない行為であると主張した。しかし、厳正に公平に見て、はたして軍部のいっさいの行動が自衛権として説明されうるであろうか。鉄道破壊に基づく衝突から、僅に六時間内外のうちに、四百キロも北方を占領し、二百キロも南の営口を占領したことまで、はたして自衛のために止むを得ない行為であったといいうるであろうか。しかも、これらの占領は、ほとんど抵抗なくして行われたことを注意しなければならぬ。……
 最初の衝突や北大宮の占領は自衛行為であるとしても、その後の行動までがすべて自衛権によって是認され得るかいなか、十分間題になり得る」



右翼の反論

こうした横田教授の批判に対して、右翼団体から激しい非難、攻撃が加えられました。「世論に脅えて逃走した帝大の売国教授、毒筆の主、横田喜三郎上満へ、 当局糾弾の声喧し」

「売国言論を引用、支那猛烈に逆宣伝、学府に巣食ふ国賊を葬れ、と憂国の士、極度に憤慨」の大見出しを新聞につけ、横田教授を非難しました。

「国内における紛争は一切水に流して、挙国一致を以て此の空前の大困難に当らねばならぬのであるにも拘わらず、国立帝大教授ともあろう公人が浅薄なる根拠と、明らかに不達の意図に立ってわが皇軍の行動へ奇怪なる云為を及ぼす事は許し難い反逆の大罪である」

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かつてはマルクス主義の読書会(ベルリン社会科学研究会)に参加するなど親社会主義的な法学者として知られた横田氏は東京裁判の法的な不備を認めながらも、裁判自体については肯定的評価を与え、「国際法の革命」と論文で述べています。

レーニンの主張した革命的祖国敗北主義は、
戦争への協力を拒否し、その混乱や弱体化に乗じて革命で政権を掌握させるべきとしました。具体的には、反戦運動で厭戦を高揚させることで自国の戦争遂行を妨害したりるすることです。

これは戦争犯罪である戦時反逆となるどころか、国家権力に「共産主義者=売国奴、敵国のスパイ」という格好の攻撃材料を提供することになるのです。

ですからこの右翼の批判、横田氏の思想を攻撃する事は今考えても売国奴に対する批判と同一のものであり、日本の戦後はこの右翼思想が抑え込められ横田氏の弟子達によって明治政府からの日本軍は完全否定され、まさしく敗戦が革命となり、まるで戦勝国の手先のように歴史学、憲法学に色濃く影響し君臨するのです。

それは〈戦争は犯罪では無いが、負ける戦争は犯罪となる〉のように時に矛盾し、時に日本にとって一方的な大罪であったかのように、自虐的戦争観、自虐史観として占領軍がチョコレートを配るかのように日本人の心に深く定着していったのです。

彼の主張にもあるパリ不戦条約違反からの日本軍の貶めは言わば内部告発のようなものであり、
ザル法に近いこの条約には侵略の定義さえ定まっていないばかりか、現にこの条約を利用して米国は最初の一発を日本に撃たせて太平洋戦争に突入したのです。

彼のような東大インテリは独善的で権力に阿る傾向があり、言うなれば自虐史観の祖というのが相応しいでしょう。