天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

二つの印象操作

2021-09-22 10:15:00 | 解説





この二つの報道はほぼ同時期に報道された。

伊藤詩織氏の写真に『控訴審終了後、取材に応じ、涙ながらに思いを語る伊藤詩織さん。』というキャプションが付いている。

下の写真は『伊藤詩織さんの準強姦逮捕状を"握り潰した"男が警察庁長官に就任
その内幕とは』

では何の印象操作であるかだが、全て山口
敬之氏を貶める為の印象操作であることは説明するまでもない。

山口氏は2019年6月、「伊藤詩織氏が虚偽の犯罪被害を捏造して警察や裁判所に訴え出た上に、『デートレイプドラッグを盛られた』など、裁判では一切主張していない事を含め、ウソや捏造や根拠のない思い込みを世界中で繰り返し発信して、私の名誉を著しく毀損し続けている」として、虚偽告訴と名誉毀損で伊藤を刑事告訴した。

2019年7月に警察に告訴状が正式に受理されて伊藤に対する捜査が実施され、2020年09月28日に伊藤は同容疑で書類送検された。
12月25日、東京地検は山口の訴えを退け伊藤を不起訴処分とした。



したがって、準強姦でもない事件を握り潰したことにされ、長官就任を政権の裏の力によってなされたとの陰謀論にすり替えて
山口氏の控訴審を不当に印象操作する報道なのである。

ぎよみどん-hinata 8/15

2021-09-21 13:59:00 | 時事
令和3年9月17日8時15分にご逝去なされたことをご家族の方によるTwitterで知りました。
ぎよみどんーhinataさんのご冥福を心よりお祈りいたします。

実は2014年8月15日にぎよみどんさんからメールを頂いていたのですが、8時15分にご逝去されたこと、終戦とぎよみどんさんとこれまでのご活動が重なり、個人情報を伏せ公開させていただくことと致しました。







早速アドレス教えて下さり、ありがとうございます。
ヒナタ資料発掘こと、〇〇と申します。
 
公開でなくすみません。
私の実家地元のことも絡むので個人的な連絡をお願いしました。
 
特攻隊というのは「特殊潜航艇・蛟竜」のことです。
呉基地から〇〇〇の訓練・発進基地へ配属されていた方々の手記にそれは書かれています。
 
実は私自身が〇〇〇出身でして、祖父・曽祖父がその方達を慰労したりお世話させていただいていました。
隊員の人達の写真が何枚も実家に残されております。
写真を見つけた私はあれこれ調べまして、自費出版の手記本に出会いました。
横井寛氏著「五 分間の決断」という本です。
元特攻隊員のご本人「横井順一」氏は平成21年に故人となられており、弟様の寛様がお兄様の手記を纏めたのが本書です。
本書125ページにそれは書かれてあります。
 
以下抜粋
ーーーーーー
8月18日正午頃、水上機が2機、突然内海湾(うちのみわん)に着水した。
呉鎮守府長官金沢中将は、陛下に拝謁仰せ付けられて、終戦の心意を拝受し部下の将兵に伝えるべく、呉への帰途小豆島上空で、千余名の隊員の心境を鎮めなければと、事態を懇々と説明して出発された。
続いて第十特攻戦隊司令官大和田少将も来島され
「終戦は全く陛下の御意志より出たものであること」
「陛下が一身を投げ出 す御覚悟でいらせられること」
などを、涙ながらに諭すところがあったので隊員も次第に落ち着き、小豆島嵐部隊は無事に解体の方向にまとまったのである。
ーーーーーー
 
あと、「蛟竜艇長第十七期会編 特攻艇長たち 次世代への遺言」というこれも自家出版本P93~P94に「佐野大和」氏の言葉として全く同様のことが書かれています。
 
元隊員の方達は故人になられている人が殆ど、ご存命の人達も高齢のため、〇〇〇での戦友会はもう開かれていないようです。
基地があった場所や訓練中に亡くなられた(敵機の機銃掃射や沈没)人達の慰霊碑は島の人達に大事にされております。
 
余分ですが、我が家に残されていた蛟 竜隊員の方達の写真を一部添付させていただきます。
小さい写真ですが後ろに蛟竜が写っているものもあります。
 
金沢中将、大和田少将らは戦後どうなられたのか私は知らないのですが、この件を証言する事が無かったのか証言があってもマスコミは無視したのか。
特攻隊員の証言や手記も取り上げられることも無かったですね。
今からでも遅くない、こういう人たちの手記を政府や公的機関が徹底的調査するべきと思います。
陛下の御心、それを汲んだであろう東条さんの自決「未遂」の意味、を日本人は知り考える必要もあるかと感じております。
 
突然のツイートとメールを失礼いたしました。
不明のことがありましたら、こちら メールアドレスまでお願いします。

             〇〇



本文にありますように、
『陛下の御心、それを汲んだであろう東条さんの自決「未遂」の意味、を日本人は知り考える必要もあるかと感じております。』
との考え方もぎよみどんさんと重なり、『今からでも遅くない、こういう人たちの手記を政府や公的機関が徹底的調査するべきと思います。』という思いを少しでも拡散したく、バラバラではありますが、今日までTwitter上で活動してまいりました。

ぎよみどんさんが生前のご活躍で残された731部隊や南京事件関連の研究は歴史学者を遥かに凌駕するものであるとも感じております。

心よりご冥福をお祈りします。

長島昭久議員の靖国論が正解だが、

2021-09-20 13:28:00 | 靖国
橋下、百田、有元各氏とのTwitter議論でのヒートアップで橋下氏の分祀論にかき消されて目立たなかったが、改めて何度も読むうちに長島昭久議員の考え方が、一番理にかなっているのではないかと感じ始めてきた。

あまりに理路整然としているだけに、理解されづらいのだろう。つまり靖国神社の状況と政治状況の両面を理解している方だからこその靖国論なのである。一部を順序を変えて抜粋して最後に解説を加えたい。





『靖国「国有化」こそ、御英霊に報いる天皇陛下御親拝を実現する道筋

一方で、私は、外国からの圧力に屈する形で国のために命を投げ出した戦没者の方々の慰霊・追悼方式が動揺するのは、主権国家として健全な姿だとは思いません。したがって、周辺諸国の意向を慮って「新しい追悼施設を」という議論に与するつもりは毛頭ありません。要は、天皇陛下をはじめ誰もがわだかまりなく参拝し、国のために命を捧げられた御英霊に哀悼の誠を捧げることのできる靖国神社となるよう、政治家が関係者の皆さまと知恵を絞る以外にないと考えます。

その意味で、国家のために命を捧げた方々をお祀りするという国家的事業を一宗教法人に丸投げしてきたこと自体、国家の在り方から言っても、世界の常識に照らしても、極めて異常だといわざるを得ません。麻生太郎副総理が数年前に提案したように、靖国神社の「国有化」を速やかに実行に移すべきです。国有化は、靖国を「東京招魂社」と呼ばれた明治2年の創立時の姿に戻すことに他なりません。宗教法人への国家介入が憲法上禁じられている以上、どの方を祭神としてお祀りするかは靖国神社に委ねるほかなく、じつは現状では分祀論も机上の空論に過ぎません。国有化の過程を通して初めて、どういう方々を慰霊対象にすべきかについて国会の慎重な審議に付されることになるのです。

繰り返しますが、国家のためにその尊い命を投げ出した方々に対し国家が最高の栄誉を以ってお祀りすることは、国家が国家で在り続けるための最低限の矜持であると思います。

その意味からも、靖国神社に代替施設はあり得ないし、天皇陛下に出来る限り早く心安らかに御親拝を復活していただける環境を整えることこそが、ご英霊に対する私たちの責務であると信じます。

平成26年甲午元旦

衆議院議員 長島昭久』




『靖国神社の祭神を分祀することは可能か?

ところで、分祀については、靖国神社が「神道の信仰上絶対にあり得ない」との見解を発表しているようですが、神道においては複数の祭神の一部を分離して別の場所に遷す(分遷、遷座)ことは、記録に残っているだけでも8世紀以来行われています。たとえば、明治政府が神田明神から平将門の霊を将門神社に遷した事例などが有名です。
 私の真意は、A級だとか、B級だとかといった、極東軍事裁判に振り回された分祀論から一刻も早く脱却したい、その一点にあります。
ちなみに、「昭和殉難者」合祀の事実が明らかとなった1979年以降(厳密には、75年の終戦30周年の御親拝を最後に)天皇陛下の靖国参拝は途絶えたまま今日に至っています。外国からの批判に反発する前に、私たちはこの厳然たる事実の背後に昭和天皇、そして今上天皇のお気持ちがいずこに在るのかを静かに推し量るべきではないでしょうか。』


『原因をつくったすべての戦争指導者たち(当時の国務大臣および陸海軍統帥部の要職(将官以上)にあった人々)は、理由のいかんを問わず例外なく、これを靖国神社合祀の対象とすべきでないと考えます。つまり、それらの基準に該当する人々が既に合祀されていた場合には、分祀せざるを得ません。こうして初めて、(昭和殉難者の合祀等により)文官や戦没者でない軍部の指導者たちが、靖国神社に祀られている御英霊に紛れ込んでしまったことにより生ずる混乱を回避することができるのです。』




以上が長島昭久議員の靖国神社問題の解決案である。つまり国有化して本来の靖国神社のあるべき姿に戻し、祀る側の立場の英霊のみを分遷するというものである。

最近この長島議員の解決案が他のどの案よりも正論であると感じるようになってきた。皇室評論家の谷田川惣氏などは建物などのハード面を国有化、中身を民営化すると言う案もあり、より実現可能な案であることに思えている。

ただ、ここまで持ち上げておいて落とす訳ではないのだが、国営化は当の靖国神社が反対していたという過去があるのだ。

分遷を認めない靖国神社がこの先国営化を認めるとはとても思えないのである。
つまり分遷ありきの策は未来永劫叶うことはないのである。

つまり靖国は国が敗戦を認めるところまでは許容出来ても、侵略と植民地支配した国、そしてその代表が戦争犯罪者であることを認めてしまえば、(A級の分祀)歴史認識を国と共有することが出来なくなり国営化どころか、また振り出しに戻るのである。
更にいくら祀る側であったにしろ、言葉を違えた分祀として勿論靖国は拒否であろう。国民を差し置いて国が強引に国営化しようとすれば、靖国は宗教介入として拒み続けるという結果は見えている。

ここで有元氏の日本国内で政治家、一般人の別なく靖国や「戦犯」についての誤解を解き、静かな元通りの祈りの環境を取り戻すことが先決』が思い出される。




富田メモの嘘

2021-09-19 10:29:00 | 靖国
か『昭和天皇が第二次世界大戦のA級戦犯靖国神社への合祀に、強い不快感を示したとされる内容が注目された』

Wikipediaの富田メモの説明である。


では何が嘘なのかをこの二人の説から解いてみたい。






長尾たかし議員ブログより


松岡洋右さんのように軍人でもなく病死した人も合祀するのはおかしい」などと問いただしたが、押し切られた。
・「靖国神社は元来、国を安らかにするために奮戦して亡くなった人をまつるはずなのであって、国を危うきに至らしめたとされた人も一緒に合祀するのは異論も出るでしょう」
・「(A級戦犯合祀について先延ばしした)筑波さんのように、慎重な扱いをしておくべきだったと思いますね」
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当時の靖国神社の宮司は、
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筑波藤麿:1946年(昭和21年)1月25日 - 1978年(昭和53年)3月20日(在職中に死去) 
松平永芳:1978年(昭和53年)7月1日 - 1992年(平成4年) 
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と、引継がれた。「所謂A級戦犯」合祀に関して、微妙な時期である。

先の発言者は、徳川義寛元侍従長(1985年(昭和60年)10月-1988年(昭和63年)4月の期間、侍従長を務めた)である。


よってメモは徳川義寛侍従長の発言



若狭和朋氏Wikipedia
  • メモが昭和天皇の発言であることについて「ちょっとタチの良くない冗談だ」という認識を示した。その理由として、メモにある昭和63年4月28日にプレスとの記者会見を昭和天皇はされておらず、その日に会見されたのは12日に退職された徳川前侍従長である。それはその記念の記者会見である。加えて、メモにある「高松薨去の時…」などと弟宮のことを昭和天皇が「薨去」と発言されるはずが無い。これは「臣下のものが宮殿下の逝去のことを『薨去』と使う」とし、このメモの内容は昭和天皇の発言ではなく「徳川前侍従長の発言」であるとしている。







富田メモの昭和天皇はA級戦犯に不快感との解釈は少なくとも嘘であることがわかる。
つまりこのメモは戦争責任の所在の解釈を曖昧にする嘘であるといえるのだ。

それは①戦争責任を天皇陛下から遠ざける。
②戦争責任をA級戦犯に固定化する。
③戦争責任だけではなく、合祀の責任として靖国神社、松平宮司だけを悪者として戦争責任を靖国神社問題にすり替える効果。

マスコミが未だに靖国神社に首相の参拝する度に中国と結託して問題視するのは戦争責任をA級戦犯に固定させるためであり、その為に国益が毀損されても構わないとする嘘であることがわかる。


キッシーの靖国論

2021-09-19 01:44:00 | 靖国



『国のため尊い命をささげた方々に尊崇の念をしっかり示していくことは政治家にとって大切な姿勢だ。適切な示し方を考えたい』と靖国神社に関しては特に持論はなく、「可もなく不可もなく」的である。首相はこうあるべきというビジョンはわかるが、俺はこうするといった熱意はあまり感じられない。

女性宮家にも反対してはいるものの、戦犯分祀論者の古賀派の流れを汲んでおり、真面目ではあるがリーダーの資質といえば、あまり期待できない。河野太郎首相なら岸田首相の方が期待度は高い。消去法でいくなら三番目に消え、惜しくも首相の座にはまだ早い感じも否めない。

首相でもいいし、首相じゃなくてもいいのだ。
したがって高市議員と決選投票で選ばれないという結果が私には見えてしまう。