天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

侵略戦争とは

2018-06-29 04:42:09 | 時事




日本政府は過去の戦争の判断を避け、未来的に侵略戦争は行わないとしている。
この曖昧な態度こそが近隣諸国条項で付け入る隙を与え所謂南京事件や慰安婦像問題という難題に対処を迫られているうちに判断する機会を失い、歴史家に丸投げとなっているのが現状だ。

日本のあの戦争は一体どんな戦いだったのか?との問いに対して日本政府ははっきりと断言する立場にないということだ。

左派が目の色を変えて狙うのが安倍おろしであり、その真の目的が「日本の侵略戦争」、つまり「あの戦争は侵略戦争であった」という歴史認識の共有なのである。

その中心でメディアはその長老と言ってもいい、田原総一郎に「日本の侵略戦争」と地上波で言わしめた。

問題はそのことが問題にならないことであり、その後の「キチガイ」という放送禁止用語のほうが問題視されてしまっている。

つまり、安倍政権が終われば日本の戦争が侵略戦争であったことにおそらくは誰も主張しなくなるか、黙殺されてしまうのであろう。

HINOMARUという歌を歌うと問題になる国である。この国は国歌すら堂々と歌えないのである。

なにも日の丸や国歌だけではない。日本スゴイ、日本強いとの日本アゲ自体を嫌い、彼等の中に愛国心はおろかその対象である国家観が欠落してしまっているのだ。

戦争を反省謝罪することが海外からどのように映るかは無頓着な日本人、つまり悪い事をしていないのに反省謝罪する日本が理解不能であろう。

恒久の平和を望むことと二度と戦争を繰り返さないことは同義であるが、行き過ぎた反省謝罪はかえって逆効果となり、日本が本当に死んでしまうことになりかねない。

日本人の戦争体験者がやたらと長寿で団塊の世代以降が短命であると感じるのは私だけではない筈である。

愛国心の欠落、護るべきものが無くなった時、人は生きる価値を失う。

宗教と保守

2018-06-28 06:20:48 | 時事
この国には信教の自由があり、個人がいかなる宗教を信じようとも阻害されない。
良く言われるのが戦前は明治から、「信教の自由がなかった」や「国家神道以外は排斥された」とのデマである。

戦後に軍国主義を否定する為、神道をカルト視しての一種の洗脳状態で戦争へ突き進んだという印象操作である。

靖国神社の戦没者は英霊と呼ばれる「神」になると言われるが、生前の兵士達が全て神になることを望んだり、信じたりしていた訳ではないだろう。靖国で逢おうと誓ったのは戦友だけてはなく、その遺族に対しての気遣いであったのであろう。

だから、奇異な洗脳で特攻や飢え死にを強いられたという国家からの被害性を強調して、あの時代の全てを否定しようとすれば日本人にはある特定の違和感を感じてしまうのだ。

かなりリツイートされた4コマ漫画がある。





「靖国神社を無くさないで欲しい」という素朴な思いが祖父との会話の中で生まれた背景には宗教など関係ないし、必要もない。

300万人近い戦没者が一瞬にして発生すれば、あらゆる宗教の力を借りなければ生き続ける事が出来ない状況も理解出来る。

この漫画は靖国神社が宗教施設でないことも同時に表していると思う。日本人であればこの漫画の主人公の気持ちが理解出来る筈である。

つまり、現在宗教団体の対立で保守が分断工作されているように感じるが、これも単に日本人を分裂させあの戦争を侵略戦争であったと確定させる為の工作である可能性を疑ったほうが良いかもしれないと危惧している。

HINOMARU・KIMIGAYO・YASUKUNI

2018-06-27 18:42:22 | 時事



胸に手を当てて"日の丸"を仰ぎ、"君が代"を歌う

野球やサッカーの世界大会の試合で見る光景が、
いつのまにか右傾化だと叫ばれ、日本人の誇りを歌うミュージシャンの愛国心が軍国主義を連想させるとして話題になる。

明らかにこれは歴代日本の首相や安倍首相が靖国神社に参拝する際、訴訟まで起こして反対の声をあげる一部の人間と同様の意図を持って騒ぎたてていると言って良いだろう。

日本を誇らしく思い日の丸や君が代を歌うことがそんなにいけない事なのだろうか。いや、いけない、ダメだとは決して彼等は言わない。あくまでも戦争をさせない、や戦場に行かせない等、旧日本軍の加害性をクローズアップして自分達は被害的立場から否定する。

日の丸、君が代、靖国神社であの戦争や軍国主義を想起するのは体験者であることは間違いないだろう。

しかしながら戦没者遺族は現象し、戦後生まれの団塊の世代が世代別人口のトップとなるほど体験者は減少している。

つまり、体験者でなくても戦争による影響や被害に近い世代が直接或いは間接的に戦争への憎悪を感じているのだ。

これらの一部の人間は中韓の戦争の被害的立場を反日思想に転換する者と同調して日の丸、君が代、靖国神社を憎悪し、それを手や口にする者まで右翼やネトウヨなどと揶揄する。

明らかに彼等の反応は過剰であり、大袈裟である。戦争を知らない者達が日の丸、君が代で戦争を想起できる筈がないからだ。

つまり耳にした戦争の悲惨な体験を日本の象徴と勝手にリンクさせ過剰に反応しているに過ぎないのだ。

したがって彼等が日の丸、君が代、靖国神社を使って主張したいものは別にある。それは日本が戦った日中戦争、太平洋戦争は侵略戦争であったという虚構の歴史認識なのである。


沖縄慰霊の日とは

2018-06-27 00:19:08 | 時事

当初牛島中将が自決し、組織的戦闘が終結した日であったものが、昭和49年から第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失った冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため(条例第1条)」、6月23日を「慰霊の日」と定めている。



沖縄慰霊の日

14歳の少女の言葉を指笛で讃え、
一国の首相の言葉には野次を飛ばす。






今上陛下がまだ皇太子殿下の昭和47年の沖縄復帰後に開催された沖縄国際海洋博覧会、昭和50年7月17日に、新左翼党派・沖縄解放同盟準備会と共産主義者同盟(西田戦旗派)の各メンバー2人が、潜伏していたひめゆりの壕や白銀病院から火炎瓶やガラス瓶、スパナ、石を投げつけたテロ事件を思い出した。

復帰から3年とは言え20年の占領期間の誤差はこれが日本の象徴となろうとする方に対する感情なのかと押し黙るように自分に言い聞かせた。




しかしながら、天皇陛下に対する奉迎の提灯行列は県民の怒りなどとは別次元のものに感じる。年を重ねる毎に悲しい記憶を拭い去ってきたことであろう。

県民の戦争への記憶が薄れ、目に見える米軍基地という現実だけが唯一あの戦争を想起させる装置となっているのではないだろうか。

辺野古への基地移転も県知事が率先して阻止しようとし、慰霊の日の態度も県知事のものではなく、被害を受けた独立国の代表のようである。

毎年見られるこの一種異様な慰霊の日の雰囲気は何なのだろうか。


政府への野次とこの雰囲気は沖縄が反安倍の左翼の牙城と化していることを暗示している。

ここへきて、自民党の元首相が中国の南京大記念館を訪れたり、共産党が脱原発で協力を申し出たりとする動きが同時多発的に見られるのは、全てこの雰囲気と連動しているのだろう。

この反安倍の総体こそが戦後レジームだろう。


慰霊の日 岡本純子の記事

2018-06-26 20:43:58 | まとめ・資料

岡本純子

企業やビジネスプロフェッショナルの「コミュ力」強化を支援するスペシャリストの肩書きの彼女の記事である。



堂々としたたたずまい

6月23日、沖縄慰霊の日に、自作の詩を披露した浦添市立港川中学校3年生の相良倫子(りんこ)さんの朗読シーンだった。ピンと背中を伸ばし、始まった瞬間から、その場の空気を支配する堂々としたたたずまいにくぎ付けになった。

この詩の巧拙については、専門家ではないので、評する立場にはないが、隠喩、倒置、反復、対照法、畳みかける、列挙法、省略法、韻などといったレトリック(修辞法)を余すところなく活用していることは見て取れた。しかし、こうした技巧を超越して、聞き手の心をとらえたのは、何よりも五感を刺激するその言葉と伝え方だ。

「マントルの熱を伝える大地」「心地よい湿気を孕(はら)んだ風」「草の匂いを鼻孔に感じ」「遠くから聞こえてくる潮騒」「岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波」「山羊の嘶(いなな)き」「畑に続く小道」。聞き手の脳に情景が鮮明に浮かび上がる描写の数々。熱気、湿気、匂い、海のさざ波・・・・・・。筆者を含め、だれもが、摩文仁の丘に立っているかのような錯覚を覚えたことだろう。難しい言葉は一切ない。ただただ、美しい島の情景を写真でも見せるかのように、聞き手の脳裏に焼き付ける。

その美しかった島がまさに阿鼻叫喚の地獄絵図に変わる姿もまた、鮮烈に描き出す。「小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった」「優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた」「青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった」「草の匂いは死臭で濁り」と「平和」と「戦争」を対比させることで、その残酷、無常さを際立たせた。

彼女はまさに平和の尊さと戦争の残酷さを「語る」のではなく、我々に「見せていた」。英語圏では、コミュニケーション教育の過程で、小さいころから叩き込まれるルールがある。「Show. Don’t tell」というものだ。「語るのではなく、見せろ」。つまり、「戦争は残酷だ」「平和は大切だ」そんなありきたりな抽象論を語るのではなく、もっと生々しい言葉でイメージとして植え付けろ、と教えられる。

たとえば、「太郎は悲しかった」ではなく「太郎は歯を食いしばり、必死で涙をこらえた」となり、「秋になった」ではなく、「公園は色とりどりの落ち葉が敷き詰められ、歩くたびにかさかさと音を立てた」といったように、徹底的に彩りのある「生きた」言葉に言い換えるように訓練されるのだ。

「命」「今」「生きる」

過去と現在と未来、という3つの象限を切れ目なく行き来しながら、「過去」の過ちを再び「未来」に起こさないことを、未来につながる「今」、誓い、平和を発信しようと行動を呼びかける。

「命」「今」「生きる」という3つのキーワードをちりばめながら、躍動感のある言葉で織りなされる壮大な抒情詩は、激しい地上戦を生き抜いた曽祖母の体験をもとに紡がれたものだという。

わずか14歳だというこの少女の口から繰り出されたのはまさに「生きた言葉」の数々だった。紙やパソコンに書かれた「死んだ言葉」をただ、読み上げるのではない。「島民の平和への希求」という思いが結集して、まるで乗り移ったかのように、彼女はすべてをそらんじてみせた。シャーマンか巫女のように、自己を超越した「強い思い」に憑依(ひょうい)されていた。そのすごみはそのデリバリー(話し方)にも現れた。

堂々と、会場を見渡し、全方向に目を配り、たじろぎも恥じらいもない。「詩に込めたメッセージをしっかり伝えられるように読みたい」(琉球新報)と語っていたように、一つ一つの言葉の意味に情感を重ね合わせた。穏やかな言葉には、優しく包み込む口調で、「こみ上げるこの気持ち」という場面では、あふれ出る喜びを、そして、一転、戦争の場面では、厳粛さと悲しみを表現した。
熱量と気迫という点では、2014年にノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんの国連でのスピーチをも彷彿させた。

国内外のプレゼン・スピーチウォッチャーを自認する筆者ではあるが、これほどのスピーチを日本ではなかなか見かけることがない。





おじさん政治家たちは「棒読み」

たった、14歳の子どもが、渾身の力を振り絞って、会場や視聴者の魂を揺さぶったのに、彼女の前後に登場したおじさん政治家たちは、「スピーチ」という名の「棒読み」に終わったのが非常に対照的だった。

特に残念だったのは、安倍晋三首相が、彼女のスピーチに対する感想も、コメントもないままに、淡々と下を向いたまま、「原稿を読み上げて」終わったことだ。

歴代総理の中でも、コミュニケーションには並々ならぬ努力をしていると一定の評価がある安倍首相。リオデジャネイロ・オリンピック閉会式での演出やアメリカ連邦議会での演説など、海外向けのスピーチやプレゼンでは努力が垣間見られる一方で、国内のオーディエンス向けのコミュニケーションは、なぜか、そうした細やかさが感じられないことが多い。

相良さんの朗読を目の前で見て、何も感じ入る所はなかったのだろうか。ああいった場面で、当意即妙にコメントを入れたり、自分の心の言葉を語りかけたりすることができていたら、印象はずいぶん変わっただろう。他人が作った原稿をただ、読むだけのスピーチ、判で押したような紋切り型のスピーチ、「死んだ言葉」の羅列など、人の心をピクリとも動かさないことを政治家も企業経営者も、肝に銘じておくべきである。

人々は生の言葉、生きている言葉を求めているのだ。