天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

無駄死にと犬死に

2022-02-10 09:49:00 | 靖国

無駄死にと犬死に
どちらも死ぬ事に変わりはないが、微妙にそのニュアンスに差がある。

「無駄死に」
単に無駄に命を落とすこと

「犬死に」
ある目的のために命をなくしたが、結果的にはその死が無駄になることをいう。

しかしどちらにも共通するのが、後の者の評価ということで、死が無駄になるということだ。

つまり、その中に侮蔑、批判、偏見、錯誤、差別等の陰鬱な心境が介在している。
以前生物学者の池田清彦氏の"特攻隊は犬死に"発言のツイートが炎上したが、当時のツイートを読み返してみよう。






『特攻隊は犬死です と書いたらリプライがたくさん来てびっくりしています。勘違いしている人が多いようですが、犬死とは決して侮蔑の言葉ではありませんよ。何の役にも立たずに無駄に死ぬことです。私は特攻隊の遺品が展示してある太刀洗博物館に行ったことがあります。』『続き まだあどけない若者の笑顔の写真と悲壮な遺書を見て涙が出ました。同時にもはや勝ち目がない戦にもかかわらず、純朴な若者の命を捨石にした時の軍部に言いようのない怒りを覚えました。今また日本は危うい道に踏み込もうとしています。』

このように言い訳自体も火に油を注いだ結果となったのであるが、どこが間違っているかを含め今回は検証してみようと思う。

おそらく池田氏も遺書を読むにつけ涙したことで侮蔑していないとしたかったのであろうが、特攻隊をあげて戦争反対の政治的発言をしたこと自体が特攻隊員に対する"侮蔑"であることに全く気付いていないのだろう。

300万人の尊い命の上に現在があるのであって、これら戦没者の一人一人の死は決して無駄になってはいないのである。
これらの尊い命の御霊の集合体が靖国神社なのである。

したがって特攻隊を《犬死に》にさせる張本人が池田であって、特攻、空襲、原爆の死者すべての命が無駄、靖国神社も無駄、要らないと同義なのだ。

ただ単に他人の死を政治利用しているだけの権力思考のテレビタレントなのだ。
この発言自体が無駄で彼が《犬死に》した本人である。

特攻を犬死に、沖縄を捨て石と考える左翼思考は排外的極右思考と似ている。




俺は君のためにこそ死にに行く

2022-02-08 20:20:00 | 映画






石原慎太郎氏の死去で脚本、総指揮で撮られた映画が取り上げられている。
18億かけて10.8億の興行収入は紛れもなく赤字映画だ。

永遠のゼロの大ヒットが2013年だから2007年のこの映画はまだ時代に追いついていなかったとも言える。
2004年パッチギの井筒監督の観ていない酷評も作用するほど時代は韓国アゲ真っ只中であったことも多くを占めていたのだろう。

ただでさえ戦争映画が敬遠されるのに、特攻を題材にした"死にに行く"などとするタイトルの映画など売れる筈がない。

当ブログも何回も特攻は取り上げてきたが、毎回閲覧は低い。大作家が赤字なのだから素人ブロガーの記事は推して知るべしである。

言ってしまえば、食堂のトメさんと隊員の話や結果は作る前からネタバレなのだから、そんな映画を撮れるのは石原慎太郎をおいてほかにいる訳がないのだ。

赤字映画と言ったが石原慎太郎映画の功績は大きかったと感じる。その一つにロケ地となった三角兵舎跡がある。




平和記念館に併設されている三角兵舎は復元であり、当時は山の木々が生い茂る中にいくつも存在していたことが写真から分かる。
その近くに戦闘機を隠す掩体壕(えんたいごう)も模型を置いて保存している。









映画化に伴う知覧の史跡整備はその生々しい記憶を時代の偏見で曇らせる事なく後世に伝えることの大きな一助となったのである。


知覧特攻平和会館の館長を昭和で退職し、全特攻隊員の写真を収集する為に人生を捧げた板津忠正初代館長は自身も特攻隊員である。

2015年で逝去された板津さんの"君"とは先に逝った英霊達であったに違いない。最後に英霊となられた板津さんの言葉を記して
合掌する。




『戦争を憎いと思う。二度とあってはならない。だが、特攻を国賊、無駄死に、戦争の美化だという捉え方が、私には耐え難かった。それが私の活動の原動力だったと思う。特攻についていろんな見方があっていい。だが、戦争が生み出した一つの事実であり、いつまでも忘れないでもらいたいのだ。』

なでしこ隊と国防婦人部 知覧と万世

2022-02-07 21:19:00 | 靖国
実は最近まで鹿児島に特攻記念館が二つ存在することに気付かなかった。





一つはなでしこ隊やトメさんで知られる知覧特攻平和会館である。校章がなでしこを模してることからこの名が付き、特攻隊員の世話をしていたことは有名な話である。

これに対して地図上では左側の海岸線沿いに陸軍知覧特攻の補助基地として終戦までの4ヶ月のみ機能した飛行場がある。
ここに万世特攻平和記念館が平成5年に開館している。

万世陸軍飛行場が"極秘裏".に作られたこともあり、あまりしられてはいないが、200名余りの特攻と国防婦人部の慰霊碑が記念館にある。






極秘裏につくられたが、米軍には既に知られていたことが最近わかった。写真は昭和20年3月18日に撮られており、同月29日には激しい空爆を行っていたようである。





(写真はイメージ)

その空爆で基地建設中に避難した国防婦人部13名が爆死したのである。
二つの特攻隊やなでしこ隊の陰にかくれて実に悲惨な被害が万世特攻平和記念館と共に世に知らされたのだ。

知覧基地にお越しの際は少し足を伸ばして万世記念館へ行ってみたらいかがでしょうか。




神功天皇

2022-02-05 02:32:00 | 歴史


神功天皇?神功皇后だろ、そんな声が聞こえてくるようだが、確かに日本の歴史に於いて神功天皇、そうよばれた時期も存在している。
現在初の女性天皇と言えば、第33代推古天皇であり、8人10代が存在する。

しかし明治時代までは『常陸国風土記』『扶桑略記』『神皇正統記』に第15代天皇、初の女帝(女性天皇)とされており、大正15年の皇統譜令(大正15年皇室令第6号)に基づく皇統譜より正式に歴代天皇から外されている。

つまり、皇統を厳格化するために仲哀天皇の崩御後、皇后が摂政として統治した事実を詳細に判断するためだろう。現に記紀に於いても神功皇后として記載されている。

この事に乗じて新羅征伐をした神功皇后を
戦後の自虐史観の歴史学者の中には架空の人物を創作したとする説が多くを占めるようになる。それだけ戦後の学会は皇国史観を否定してきたともいえるのだ。

したがって欠史八代、空白の4世紀などの古代史の実証が困難なものに関しては取り敢えず否定しておくというスタイルに堕落したのであろう。

前回の邪馬台魂で記紀が神功皇后を卑弥呼に比定していることを書いたが、実際には
年代に100年のズレがある。神功皇后が討伐した田油津媛を卑弥呼に比定することも誤りである。

若井 敏明氏の説である田油津媛の100年前の先先代が卑弥呼とすることが限りなく正解に近いと思うのである。

つまり記紀に於いて意図的に卑弥呼、邪馬台国を隠したと仮定すると熊襲と同じように女王国は従わず、独自に魏に朝貢していたのだろう。

国内の混乱を伏せ一方で卑弥呼と匂わせ機密とする歴史書であり、国防白書でもあるのだ。




石原慎太郎に捧ぐ

2022-02-03 20:30:00 | コメント
2022年2月1日、東京都大田区の自宅で死去
享年89歳

心より哀悼の誠を捧げます。



彼の靖国神社関連の記事、Wikipedia、都知事時代の共産党議員団の申し入れをコピペし私のコメントを最後に記します。

2020/8.15朝日新聞記事
『元東京都知事の石原慎太郎氏が終戦の日の15日、東京・九段北の靖国神社を参拝した。参拝後の記者団の問いかけに応じなかった一方で、参拝者に向かって語りかけた。神社に近い日本武道館で行われている政府主催の全国戦没者追悼式に天皇陛下と安倍晋三首相が参列していることを説明し、「一足伸ばして2人とも靖国参拝してもらえないのか。何に遠慮しているのか。首相(の参拝)は当たり前、やっぱり天皇陛下に参拝していただきたい」などと語った。』

Wikipedia石原慎太郎 靖国
『靖国神社には毎年8月15日に参拝し、総理大臣には「もし首相が靖国に行かなければ、この国は芯からガラガラと崩れていく」と参拝を求め、天皇の靖国神社親拝を期待する発言を行い、小谷喜美との対談の中で「日本が行った戦争がすべて侵略だから靖国に参拝するななんていう進歩的文化人の連中はおかしい」と述べている。一方で、A級戦犯の靖国合祀に関しては異議を唱えたこともある。「靖国が日本の興亡のために身を挺して努め戦って亡くなった功ある犠牲者を祭り鎮魂するための場であるなら、彼らを無下に死に追いやった科を受けるべき人間が鎮魂の対象とされるのは面妖な話である」「戦争の明らかな責任者を外して合掌している」と述べている。拳銃が決して致命に至らぬ最小の22口径で自決しようとした東条英機より、潔く自決した大西滝治郎中将や阿南惟幾陸相を靖国へ合祀しないことに異議を唱えた。石原は東条の「戦陣訓」の中の「生きて虜囚の辱めを受けず」なる文言が当時の日本の社会の中でいかに恐ろしい拘束力を持ち、いかに多くの犠牲者を生み出したか、と述べている。』



東京都知事 石原慎太郎 殿
靖国神社に参拝しないよう求める申し入れ


2010年8月4日
日本共産党東京都議会議員団


 『65回目の終戦記念日を迎えるにあたり、日本共産党東京都議会議員団は、石原知事に対し、靖国神社に参拝しないよう、強く求めます。
 靖国神社が戦没者の純粋な追悼の場所ではなく、過去の侵略戦争を肯定・美化することを自らの使命としている組織であることは、現在では内外で広く指摘されている事実です。東京都の代表である知事の靖国参拝は、この神社の政治的立場を公的に認知することであり、それは日独伊の侵略戦争の反省の上に築かれた今日の国際秩序に背を向ける政治的行為にほかならず、断じて許されないことです。
 さらに東京は、この侵略戦争によって多くの戦死者を出すとともに、10万人もの被災者を出したといわれる東京大空襲など、甚大な被害を受けた経験をもっています。
かつての小泉首相(当時)の靖国参拝は、国内外からきびしい批判をうけ、福岡地裁および大阪高裁により違憲と判断され、判決が確定しています。首相による8月15日の靖国参拝は、2007年以来行なわれていません。
 にもかかわらず石原知事は、植民地支配や侵略戦争を肯定する発言を行い、五輪招致活動で海外出張していた昨年をのぞき、毎年8月15日、都民の反対の声を無視して、靖国参拝を行ってきました。
 今年は、日本が朝鮮半島全体を軍事的強圧のもとに併合してから100周年でもあります。過去の侵略戦争と植民地支配に対して、関係諸国政府および国民の間で、歴史認識の基本を共有することは、21世紀に日本が東アジアの人々と真の平和と友好を築いていく上で、不可欠の課題です。このさい、石原知事は、歴史の真実と教訓を直視し、これまでの態度を明確に改めるべきです。
 日本共産党東京都議会議員団は、石原知事が憲法を遵守するとともに、靖国神社参拝を行なわないよう、強く求めるものです。

以 上』


この共産党の申し入れに断固として従わず靖国神社に参拝し続けた。つまり、個人の心の問題に政治的な主張を介在させるクソ議員団の申し入れなど聞かないとする石原慎太郎の意思表示だろう。

そんな石原氏も
『拳銃が決して致命に至らぬ最小の22口径で自決しようとした東条英機より、潔く自決した大西滝治郎中将や阿南惟幾陸相を靖国へ合祀しないことに異議を唱えた』と発言しているが、大西、阿南は合祀済である。

石原氏のリップサービスで意図的に間違えたかは定かではないが、自身が参拝する事が重要でその想いは様々であると語りたかったのかもしれない。

中国、朝日新聞からは"差別的な右翼"、橋下徹からは"友"と没してもなお叩かれ、蔑まれしているが、靖国神社、戦没者に対する想いは為政者の中で一番であったと思われる。心より冥福を祈りたい。