戦後40年談話を見ると靖国神社に対する姿勢の変貌が見て取れる。それもそのはずで昭和57年4月13日、8月15日を「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」と定めることを閣議決定してからの昭和60年の戦後40年談話は藤波内閣官房長官談話であり、『内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社公式参拝について』と、ほぼ言い訳のような靖国神社参拝に関連しての談話だからである。
更に混乱するのは翌年の61年にも後藤田内閣官房長官によって談話がだされるのだ。
藤波内閣官房長官は60年談話を出した4年後に受託収賄罪で在宅起訴されている。
政界は派閥抗争で暴力団か政治家か判断しかねる程荒れていたと言って良いだろう。
第1次中曽根内閣57/11〜58/12 後藤田
第2次中曽根内閣58/12〜59/1 藤波
第2次中曽根第1次改造内閣59/11〜60/12 藤波
第2次中曽根第2次改造内閣60/12〜61/7 後藤田
第3次中曽根内閣61/7〜62/11 後藤田
ではいったい何故60年61年と談話を出さなければならなかったのか、二つの談話を読み比べて見よう。
【40年談話】
《内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社公式参拝について》
昭和60年8月14日
藤波内閣官房長官談話
『明日8月15日は、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であり、戦後40年に当たる記念すべき日である。この日、内閣総理大臣は靖国神社に内閣総理大臣としての資格で参拝を行う。
これは、国民や遺族の方々の多くが、靖国神社を我が国の戦没者追悼の中心的施設であるとし、同神社において公式参拝が実施されることを強く望んでいるという事情を踏まえたものであり、その目的は、あくまでも、祖国や同胞等を守るために尊い一命を捧げられた戦没者の追悼を行うことにあり、それはまた、併せて我が国と世界の平和への決意を新たにすることでもある。
靖国神社公式参拝については、憲法のいわゆる政教分離原則の規定との関係が問題とされようが、その点については、政府としても強く留意しているところであり、この公式参拝が宗教的意義を有しないものであることをその方式等の面で客観的に明らかにしつつ、靖国神社を援助、助長する等の結果とならないよう十分配慮するつもりである。
また、公式参拝に関しては、一部に、戦前の国家神道及び軍国主義の復活に結び付くのではないかとの意見があるが、政府としては、そのような懸念を招くことのないよう十分配慮してまいりたいと考えている。
さらに、国際関係の面では、我が国は、過去において、[アジアの国々を中心とする多数の人々に多大の苦痛と損害を与えたことを深く自覚し、このようなことを二度と繰り返してはならないとの反省と決意の上に立って平和国家としての道を歩んで来ているが、]今般の公式参拝の実施に際しても、その姿勢にはいささかの変化もなく、戦没者の追悼とともに国際平和を深く念ずるものである旨、諸外国の理解を得るよう十分努力してまいりたい。
なお、靖国神社公式参拝に関する従来の政府の統一見解としては、昭和55年11月17日に、公式参拝の憲法適合性についてはいろいろな考え方があり、[政府としては違憲とも合憲とも断定していないが、]このような参拝が違憲ではないかとの疑いをなお否定できないので、事柄の性質上慎重な立場をとり、差し控えることを一貫した方針としてきたところである旨表明したところである。それは、この問題が国民意識と深くかかわるものであって、憲法の禁止する宗教的活動に該当するか否かを的確に判断するためには社会通念を見定める必要があるが、これを把握するに至らなかったためであった。
しかし、このたび、「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」の報告書を参考として、慎重に検討した結果、今回のような方式によるならば、公式参拝を行っても、社会通念上、憲法が禁止する宗教的活動に該当しないと判断した。したがって、今回の公式参拝の実施は、その限りにおいて、[従来の政府統一見解を変更するもの]である。
各閣僚は、内閣総理大臣と気持ちを同じくして公式参拝に参加しようとする場合には、[内閣総理大臣と同様に本殿において一礼する方式、又は、社頭において一礼するような方式で参拝することとなろうが、]言うまでもなく、従来どおり、私的資格で参拝することなども差し支えない。靖国神社へ参拝することは、憲法第20条の信教の自由とも関係があるので、各閣僚自らの判断に待つべきものであり、各閣僚に対して参拝を義務付けるものでないことは当然である。』
【41年談話】後藤田内閣官房長官談話
『1.戦後40年という歴史の節目に当たる昨年8月15日の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に、内閣総理大臣は、気持ちを同じくする国務大臣とともに、靖国神社にいわゆる公式参拝を行った。これは、国民や遺族の長年にわたる強い要望に応えて実施したものであり、[その目的は、靖国神社が合祀している個々の祭神と関係なく、あくまで、祖国や同胞等のために犠牲となった戦没者一般を追悼し、併せて、我が国と世界の平和への決意を新たにすることであった。]これに関する昨年8月14日の内閣官房長官談話は現在も存続しており、同談話において政府が表明した見解には[何らの変更もない。]
2.しかしながら、靖国神社がいわゆるA級戦犯を合祀していること等もあって、昨年実施した公式参拝は、過去における我が国の行為により多大の苦痛と損害を蒙った近隣諸国の国民の間に、そのような[我が国の行為に責任を有するA級戦犯に対して礼拝したのではないかとの批判を生み、ひいては、我が国が様々な機会に表明してきた過般の戦争への反省とその上に立った平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれるおそれがある。]それは、諸国民との友好増進を念願する我が国の国益にも、そしてまた、戦没者の究極の願いにも副う所以ではない。
3.もとより、公式参拝の実施を願う国民や遺族の感情を尊重することは、政治を行う者の当然の責務であるが、他方、我が国が平和国家として、国際社会の平和と繁栄のためにいよいよ重い責務を担うべき立場にあることを考えれば、国際関係を重視し、近隣諸国の国民感情にも適切に配慮しなければならない。
4.政府としては、これら諸般の事情を総合的に考慮し、慎重かつ自主的に検討した結果、[明8月15日には、内閣総理大臣の靖国神社への公式参拝は差し控えることとした。]
5.繰り返し明らかにしてきたように、公式参拝は制度化されたものではなく、その都度、実施すべきか否かを判断すべきものであるから、今回の措置が、公式参拝自体を否定ないし廃止しようとするものでないことは当然である。政府は引き続き良好な国際関係を維持しつつ、事態の改善のために最大限の努力を傾注するつもりである。
各国務大臣の公式参拝については、各国務大臣において、以上述べた諸点に十分配慮して、適切に判断されるものと考えている。』
少々長いのでコレの部分に[]を付けてみた。
[]の部分だけ抜き出して見よう
【40年談話】
[アジアの国々を中心とする多数の人々に多大の苦痛と損害を与えたことを深く自覚し、このようなことを二度と繰り返してはならないとの反省と決意の上に立って平和国家としての道を歩んで来ているが]
[政府としては違憲とも合憲とも断定していないが]
[従来の政府統一見解を変更するもの]
[内閣総理大臣と同様に本殿において一礼する方式、又は、社頭において一礼するような方式で参拝することとなろうが、]
【41年談話】
[その目的は、靖国神社が合祀している個々の祭神と関係なく、あくまで、祖国や同胞等のために犠牲となった戦没者一般を追悼し、併せて、我が国と世界の平和への決意を新たにすることであった]
[何らの変更もない]
[我が国の行為に責任を有するA級戦犯に対して礼拝したのではないかとの批判を生み、ひいては、我が国が様々な機会に表明してきた過般の戦争への反省とその上に立った平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれるおそれがある]
[明8月15日には、内閣総理大臣の靖国神社への公式参拝は差し控えることとした]
このように41年談話はその年の参拝を中止する言い訳の談話であることがわかる。
これを簡単に中学生でもわかるように訳してみよう。
【40年談話】
『中曽根です。俺さ〜チョウ〜いい方法思いついちゃったから60年はこれで参拝するから宜しく。
なんで公式参拝が問題かって言うと、参拝って宗教ぽくねって感じる奴がいるわけよ、政教分離⁉️ってやつ。神主のお祓いとかさ〜二礼二拍手一礼とかさ〜モロ宗教じゃんってさ〜。そこでSPも連れて本殿にもはいらないで、外から一礼すれば全然宗教っぽくないし、行けんじゃね〜。今までの見解をこの裏技参拝で新たに統一出来るし、遺族も政府も靖国もこれで丸く収まるんじゃね。ってことで内閣官房長官の名で談話出しちゃって』
【41年談話】
『中曽根で〜す。えっそこ⁉️A級戦犯‼️気がつかなかった〜。中国もなんか言って来てんの〜ヤバくね。もう公式参拝したし、群馬の護国神社も結構金使ったしもうやったよな俺、これ以上中国との関係が悪くなったら友達にも悪いし、今年は参拝しないって談話だせばいいじゃね。後藤田君また内閣官房長官の名前で談話出しといて』
どうでしょう少しふざけ過ぎたかとも思うが、大体こんな感じである。なにせ談話そのものがふざけ過ぎなのだ。
そして【村山談話】で『植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました』
【小泉談話】で、『かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。』
【安倍談話】で『事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない』と過去の反省でなく未来志向の決意となった。
靖国参拝がテーマであった談話も村山談話から戦争自体への評価となり、東京裁判史観は定着していくのである。安倍談話では『植民地支配と侵略』との評価をせず、全ての談話を継承する上であえてその表現を取り去ることが限界だったのだろう。
この年の この日にもまた靖國の
みやしろのことに
うれいは ふかし
やすらけき世を祈りしも
いまだならずくやしくもあるか
きざしみゆれど