天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

戦後談話から読み解く靖国神社

2018-03-29 20:05:29 | 時事

戦後40年談話を見ると靖国神社に対する姿勢の変貌が見て取れる。それもそのはずで昭和57年4月13日、8月15日を「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」と定めることを閣議決定してからの昭和60年の戦後40年談話は藤波内閣官房長官談話であり、『内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社公式参拝について』と、ほぼ言い訳のような靖国神社参拝に関連しての談話だからである。

更に混乱するのは翌年の61年にも後藤田内閣官房長官によって談話がだされるのだ。
藤波内閣官房長官は60年談話を出した4年後に受託収賄罪で在宅起訴されている。
政界は派閥抗争で暴力団か政治家か判断しかねる程荒れていたと言って良いだろう。

第1次中曽根内閣57/11〜58/12 後藤田
第2次中曽根内閣58/12〜59/1 藤波
第2次中曽根第1次改造内閣59/11〜60/12 藤波
第2次中曽根第2次改造内閣60/12〜61/7 後藤田
第3次中曽根内閣61/7〜62/11 後藤田

ではいったい何故60年61年と談話を出さなければならなかったのか、二つの談話を読み比べて見よう。

【40年談話】

《内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社公式参拝について》

昭和60年8月14日
藤波内閣官房長官談話

 『明日8月15日は、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であり、戦後40年に当たる記念すべき日である。この日、内閣総理大臣は靖国神社に内閣総理大臣としての資格で参拝を行う。

 これは、国民や遺族の方々の多くが、靖国神社を我が国の戦没者追悼の中心的施設であるとし、同神社において公式参拝が実施されることを強く望んでいるという事情を踏まえたものであり、その目的は、あくまでも、祖国や同胞等を守るために尊い一命を捧げられた戦没者の追悼を行うことにあり、それはまた、併せて我が国と世界の平和への決意を新たにすることでもある。

 靖国神社公式参拝については、憲法のいわゆる政教分離原則の規定との関係が問題とされようが、その点については、政府としても強く留意しているところであり、この公式参拝が宗教的意義を有しないものであることをその方式等の面で客観的に明らかにしつつ、靖国神社を援助、助長する等の結果とならないよう十分配慮するつもりである。

 また、公式参拝に関しては、一部に、戦前の国家神道及び軍国主義の復活に結び付くのではないかとの意見があるが、政府としては、そのような懸念を招くことのないよう十分配慮してまいりたいと考えている。

 さらに、国際関係の面では、我が国は、過去において、[アジアの国々を中心とする多数の人々に多大の苦痛と損害を与えたことを深く自覚し、このようなことを二度と繰り返してはならないとの反省と決意の上に立って平和国家としての道を歩んで来ているが、]今般の公式参拝の実施に際しても、その姿勢にはいささかの変化もなく、戦没者の追悼とともに国際平和を深く念ずるものである旨、諸外国の理解を得るよう十分努力してまいりたい。

 なお、靖国神社公式参拝に関する従来の政府の統一見解としては、昭和55年11月17日に、公式参拝の憲法適合性についてはいろいろな考え方があり、[政府としては違憲とも合憲とも断定していないが、]このような参拝が違憲ではないかとの疑いをなお否定できないので、事柄の性質上慎重な立場をとり、差し控えることを一貫した方針としてきたところである旨表明したところである。それは、この問題が国民意識と深くかかわるものであって、憲法の禁止する宗教的活動に該当するか否かを的確に判断するためには社会通念を見定める必要があるが、これを把握するに至らなかったためであった。

 しかし、このたび、「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」の報告書を参考として、慎重に検討した結果、今回のような方式によるならば、公式参拝を行っても、社会通念上、憲法が禁止する宗教的活動に該当しないと判断した。したがって、今回の公式参拝の実施は、その限りにおいて、[従来の政府統一見解を変更するもの]である。

 各閣僚は、内閣総理大臣と気持ちを同じくして公式参拝に参加しようとする場合には、[内閣総理大臣と同様に本殿において一礼する方式、又は、社頭において一礼するような方式で参拝することとなろうが、]言うまでもなく、従来どおり、私的資格で参拝することなども差し支えない。靖国神社へ参拝することは、憲法第20条の信教の自由とも関係があるので、各閣僚自らの判断に待つべきものであり、各閣僚に対して参拝を義務付けるものでないことは当然である。』




【41年談話】後藤田内閣官房長官談話

『1.戦後40年という歴史の節目に当たる昨年8月15日の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に、内閣総理大臣は、気持ちを同じくする国務大臣とともに、靖国神社にいわゆる公式参拝を行った。これは、国民や遺族の長年にわたる強い要望に応えて実施したものであり、[その目的は、靖国神社が合祀している個々の祭神と関係なく、あくまで、祖国や同胞等のために犠牲となった戦没者一般を追悼し、併せて、我が国と世界の平和への決意を新たにすることであった。]これに関する昨年8月14日の内閣官房長官談話は現在も存続しており、同談話において政府が表明した見解には[何らの変更もない。]

2.しかしながら、靖国神社がいわゆるA級戦犯を合祀していること等もあって、昨年実施した公式参拝は、過去における我が国の行為により多大の苦痛と損害を蒙った近隣諸国の国民の間に、そのような[我が国の行為に責任を有するA級戦犯に対して礼拝したのではないかとの批判を生み、ひいては、我が国が様々な機会に表明してきた過般の戦争への反省とその上に立った平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれるおそれがある。]それは、諸国民との友好増進を念願する我が国の国益にも、そしてまた、戦没者の究極の願いにも副う所以ではない。

3.もとより、公式参拝の実施を願う国民や遺族の感情を尊重することは、政治を行う者の当然の責務であるが、他方、我が国が平和国家として、国際社会の平和と繁栄のためにいよいよ重い責務を担うべき立場にあることを考えれば、国際関係を重視し、近隣諸国の国民感情にも適切に配慮しなければならない。

4.政府としては、これら諸般の事情を総合的に考慮し、慎重かつ自主的に検討した結果、[明8月15日には、内閣総理大臣の靖国神社への公式参拝は差し控えることとした。]

5.繰り返し明らかにしてきたように、公式参拝は制度化されたものではなく、その都度、実施すべきか否かを判断すべきものであるから、今回の措置が、公式参拝自体を否定ないし廃止しようとするものでないことは当然である。政府は引き続き良好な国際関係を維持しつつ、事態の改善のために最大限の努力を傾注するつもりである。
 各国務大臣の公式参拝については、各国務大臣において、以上述べた諸点に十分配慮して、適切に判断されるものと考えている。』

少々長いのでコレの部分に[]を付けてみた。
[]の部分だけ抜き出して見よう


【40年談話】
[アジアの国々を中心とする多数の人々に多大の苦痛と損害を与えたことを深く自覚し、このようなことを二度と繰り返してはならないとの反省と決意の上に立って平和国家としての道を歩んで来ているが]

[政府としては違憲とも合憲とも断定していないが]

[従来の政府統一見解を変更するもの]

[内閣総理大臣と同様に本殿において一礼する方式、又は、社頭において一礼するような方式で参拝することとなろうが、]

【41年談話】

[その目的は、靖国神社が合祀している個々の祭神と関係なく、あくまで、祖国や同胞等のために犠牲となった戦没者一般を追悼し、併せて、我が国と世界の平和への決意を新たにすることであった]

[何らの変更もない]

[我が国の行為に責任を有するA級戦犯に対して礼拝したのではないかとの批判を生み、ひいては、我が国が様々な機会に表明してきた過般の戦争への反省とその上に立った平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれるおそれがある]

[明8月15日には、内閣総理大臣の靖国神社への公式参拝は差し控えることとした]



このように41年談話はその年の参拝を中止する言い訳の談話であることがわかる。
これを簡単に中学生でもわかるように訳してみよう。



【40年談話】
『中曽根です。俺さ〜チョウ〜いい方法思いついちゃったから60年はこれで参拝するから宜しく。
なんで公式参拝が問題かって言うと、参拝って宗教ぽくねって感じる奴がいるわけよ、政教分離⁉️ってやつ。神主のお祓いとかさ〜二礼二拍手一礼とかさ〜モロ宗教じゃんってさ〜。そこでSPも連れて本殿にもはいらないで、外から一礼すれば全然宗教っぽくないし、行けんじゃね〜。今までの見解をこの裏技参拝で新たに統一出来るし、遺族も政府も靖国もこれで丸く収まるんじゃね。ってことで内閣官房長官の名で談話出しちゃって』

【41年談話】
『中曽根で〜す。えっそこ⁉️A級戦犯‼️気がつかなかった〜。中国もなんか言って来てんの〜ヤバくね。もう公式参拝したし、群馬の護国神社も結構金使ったしもうやったよな俺、これ以上中国との関係が悪くなったら友達にも悪いし、今年は参拝しないって談話だせばいいじゃね。後藤田君また内閣官房長官の名前で談話出しといて』

どうでしょう少しふざけ過ぎたかとも思うが、大体こんな感じである。なにせ談話そのものがふざけ過ぎなのだ。

そして【村山談話】で『植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました』

【小泉談話】で、『かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。』

【安倍談話】で『事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない』と過去の反省でなく未来志向の決意となった。

靖国参拝がテーマであった談話も村山談話から戦争自体への評価となり、東京裁判史観は定着していくのである。安倍談話では『植民地支配と侵略』との評価をせず、全ての談話を継承する上であえてその表現を取り去ることが限界だったのだろう。





この年の この日にもまた靖國の
みやしろのことに
うれいは ふかし


やすらけき世を祈りしも
いまだならずくやしくもあるか
きざしみゆれど

442部隊 アメリカのサムライ

2018-03-29 13:21:35 | 歴史
ダニエル・ケン・イノウエ


麻生太郎氏とダニエルイノウエ氏

ダニエル氏はハワイ出身の日系二世で上院議員である。下院議員当選の宣誓でのエピソードからもわかるように、アメリカ軍人の英雄だ。
手榴弾を投げようとした右手をドイツ軍に撃たれて切断したものの左手で手榴弾を拾い上げトーチカに投げ込むそれは日本のサムライそのものである。
日米親善に尽力し2012年12月に88歳で生涯を終えた。アメリカは真の英雄失ったとオバマは声明を発表した。

彼はアメリカ陸軍の日系人部隊である 442部隊として配属されヨーロッパ戦線に参加した。



士官などを除くほとんどの隊員が日系アメリカ人により構成されており、真珠湾攻撃の翌年には日系人と日本人移民約12万人は、財産を没収された上で全米に散らばる強制収容所に強制収容されている。


キャプションには『強制収容所に収監される母親を手伝う日系人兵士(1942年5月11日)』とある



『テキサス大隊の211名を救出するために、第442連隊戦闘団の216人が戦死し、600人以上が手足を失う等の重傷を負った』とある。


同じ日本人だが当時は敵対関係である。アメリカでは大統領が真の英雄と讃え、日本では侵略と殖民地支配の代名詞軍国主義と忌み嫌われる。
ラスト・サムライが6年前に地球上から消えてしまった。


追伸
東條英機の逸話は史料がないため端折る。ドイツ国内のダッハウ強制収容所の解放を行ったのも522 野戦砲兵大隊である。しかし日系人部隊が強制収容所を解放した事実の公開は平成4年。

戦後40年内閣官房長官談話

2018-03-29 06:17:20 | まとめ・資料



内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社公式参拝について


昭和60年8月14日
藤波内閣官房長官談話

 明日8月15日は、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であり、戦後40年に当たる記念すべき日である。この日、内閣総理大臣は靖国神社に内閣総理大臣としての資格で参拝を行う。

 これは、国民や遺族の方々の多くが、靖国神社を我が国の戦没者追悼の中心的施設であるとし、同神社において公式参拝が実施されることを強く望んでいるという事情を踏まえたものであり、その目的は、あくまでも、祖国や同胞等を守るために尊い一命を捧げられた戦没者の追悼を行うことにあり、それはまた、併せて我が国と世界の平和への決意を新たにすることでもある。

 靖国神社公式参拝については、憲法のいわゆる政教分離原則の規定との関係が問題とされようが、その点については、政府としても強く留意しているところであり、この公式参拝が宗教的意義を有しないものであることをその方式等の面で客観的に明らかにしつつ、靖国神社を援助、助長する等の結果とならないよう十分配慮するつもりである。

 また、公式参拝に関しては、一部に、戦前の国家神道及び軍国主義の復活に結び付くのではないかとの意見があるが、政府としては、そのような懸念を招くことのないよう十分配慮してまいりたいと考えている。

 さらに、国際関係の面では、我が国は、過去において、アジアの国々を中心とする多数の人々に多大の苦痛と損害を与えたことを深く自覚し、このようなことを二度と繰り返してはならないとの反省と決意の上に立って平和国家としての道を歩んで来ているが、今般の公式参拝の実施に際しても、その姿勢にはいささかの変化もなく、戦没者の追悼とともに国際平和を深く念ずるものである旨、諸外国の理解を得るよう十分努力してまいりたい。

 なお、靖国神社公式参拝に関する従来の政府の統一見解としては、昭和55年11月17日に、公式参拝の憲法適合性についてはいろいろな考え方があり、政府としては違憲とも合憲とも断定していないが、このような参拝が違憲ではないかとの疑いをなお否定できないので、事柄の性質上慎重な立場をとり、差し控えることを一貫した方針としてきたところである旨表明したところである。それは、この問題が国民意識と深くかかわるものであって、憲法の禁止する宗教的活動に該当するか否かを的確に判断するためには社会通念を見定める必要があるが、これを把握するに至らなかったためであった。

 しかし、このたび、「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」の報告書を参考として、慎重に検討した結果、今回のような方式によるならば、公式参拝を行っても、社会通念上、憲法が禁止する宗教的活動に該当しないと判断した。したがって、今回の公式参拝の実施は、その限りにおいて、従来の政府統一見解を変更するものである。

 各閣僚は、内閣総理大臣と気持ちを同じくして公式参拝に参加しようとする場合には、内閣総理大臣と同様に本殿において一礼する方式、又は、社頭において一礼するような方式で参拝することとなろうが、言うまでもなく、従来どおり、私的資格で参拝することなども差し支えない。靖国神社へ参拝することは、憲法第20条の信教の自由とも関係があるので、各閣僚自らの判断に待つべきものであり、各閣僚に対して参拝を義務付けるものでないことは当然である。

戦後41年50年60年70年談話

2018-03-29 05:08:56 | まとめ・資料


【後藤田内閣官房長官談話】


1.戦後40年という歴史の節目に当たる昨年8月15日の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に、内閣総理大臣は、気持ちを同じくする国務大臣とともに、靖国神社にいわゆる公式参拝を行った。これは、国民や遺族の長年にわたる強い要望に応えて実施したものであり、その目的は、靖国神社が合祀している個々の祭神と関係なく、あくまで、祖国や同胞等のために犠牲となった戦没者一般を追悼し、併せて、我が国と世界の平和への決意を新たにすることであった。これに関する昨年8月14日の内閣官房長官談話は現在も存続しており、同談話において政府が表明した見解には何らの変更もない。

2.しかしながら、靖国神社がいわゆるA級戦犯を合祀していること等もあって、昨年実施した公式参拝は、過去における我が国の行為により多大の苦痛と損害を蒙った近隣諸国の国民の間に、そのような我が国の行為に責任を有するA級戦犯に対して礼拝したのではないかとの批判を生み、ひいては、我が国が様々な機会に表明してきた過般の戦争への反省とその上に立った平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれるおそれがある。それは、諸国民との友好増進を念願する我が国の国益にも、そしてまた、戦没者の究極の願いにも副う所以ではない。

3.もとより、公式参拝の実施を願う国民や遺族の感情を尊重することは、政治を行う者の当然の責務であるが、他方、我が国が平和国家として、国際社会の平和と繁栄のためにいよいよ重い責務を担うべき立場にあることを考えれば、国際関係を重視し、近隣諸国の国民感情にも適切に配慮しなければならない。

4.政府としては、これら諸般の事情を総合的に考慮し、慎重かつ自主的に検討した結果、明8月15日には、内閣総理大臣の靖国神社への公式参拝は差し控えることとした。

5.繰り返し明らかにしてきたように、公式参拝は制度化されたものではなく、その都度、実施すべきか否かを判断すべきものであるから、今回の措置が、公式参拝自体を否定ないし廃止しようとするものでないことは当然である。政府は引き続き良好な国際関係を維持しつつ、事態の改善のために最大限の努力を傾注するつもりである。
 各国務大臣の公式参拝については、各国務大臣において、以上述べた諸点に十分配慮して、適切に判断されるものと考えている。




【村山談話】


戦後50周年の終戦記念日にあたって
平成7年8月15日


先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。

敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。

ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。

平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。

私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。

とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。

政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。

また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。

 

わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、
『植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。』

私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からの『お詫びの気持ち』を表明いたします。

また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。

同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。

これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

 「杖るは信に如くは莫し」と申します。

この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。



【小泉談話】


私は、終戦六十年を迎えるに当たり、改めて今私たちが享受している平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上にあることに思いを致し、二度と我が国が戦争への道を歩んではならないとの決意を新たにするものであります。
 先の大戦では、三百万余の同胞が、祖国を思い、家族を案じつつ戦場に散り、戦禍に倒れ、あるいは、戦後遠い異郷の地に亡くなられています。
 また、我が国は、『かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。』こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。
 戦後我が国は、国民の不断の努力と多くの国々の支援により廃墟から立ち上がり、サンフランシスコ平和条約を受け入れて国際社会への復帰の第一歩を踏み出しました。いかなる問題も武力によらず平和的に解決するとの立場を貫き、ODAや国連平和維持活動などを通じて世界の平和と繁栄のため物的・人的両面から積極的に貢献してまいりました。
 我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の六十年であります。
 我が国にあっては、戦後生まれの世代が人口の七割を超えています。日本国民はひとしく、自らの体験や平和を志向する教育を通じて、国際平和を心から希求しています。今世界各地で青年海外協力隊などの多くの日本人が平和と人道支援のために活躍し、現地の人々から信頼と高い評価を受けています。また、アジア諸国との間でもかつてないほど経済、文化等幅広い分野での交流が深まっています。とりわけ一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国とは、ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要だと考えます。過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたいと考えています。
 国際社会は今、途上国の開発や貧困の克服、地球環境の保全、大量破壊兵器不拡散、テロの防止・根絶などかつては想像もできなかったような複雑かつ困難な課題に直面しています。我が国は、世界平和に貢献するために、不戦の誓いを堅持し、唯一の被爆国としての体験や戦後六十年の歩みを踏まえ、国際社会の責任ある一員としての役割を積極的に果たしていく考えです。
 戦後六十年という節目のこの年に、平和を愛する我が国は、志を同じくするすべての国々とともに人類全体の平和と繁栄を実現するため全力を尽くすことを改めて表明いたします。





【安倍談話】

終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

 戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。