天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

生前退位と女系論

2016-08-29 07:36:06 | 時事
女系論者
高森 明勅

小林よしのり


女系論反対
小堀桂一郎

百地章

竹田恒泰




西洋哲学全般に渡って広範に根深く浸透してきた思考傾向を「理性主義」と呼ぶならば、戦後日本の学界は理性主義によって確立されたと言っても良いでしょう。

戦後71年を"僅か"と考える神話から始まる日本の歴史を考慮すれば、理性主義では計り知れない、或いは計ってはならないものの代表格が皇室ではないでしょうか。

今回の"生前退位"はその最たるものであって理性主義の世の中と国民に一石を投じるものとなりました。

浮かんでは消えていた女性宮家創設、女系論までがこの機に乗じて再燃する動きもみせています。彼等はまさに理性主義を掲げ皇室典範の改正を声高に主張しているのです。

つまり、天皇や皇族も我々国民と同等の人権的配慮を感情的に訴え平板化を図ろうとするのです。

私はこの一見正しく思える彼等の主張は何かを覆い隠す為の手段である様な気がしてならないのです。それを解き明かすと同時に生前退位に関しての考え方に触れたいと思います。


万世一系と言われる皇統の存続が危ぶまれているのは何も今に始まった訳ではなく、危機感から女系論が生まれたのでしょうが、私のようなものさえ男系男子で連綿と存続してきたことは常識として認識しており、寧ろ女系論など誰も触れない暴論であることが当たり前と信じていました。

秋篠宮悠仁親王殿下の誕生で立ち消えたかの様にも思われましたが、生前退位の報道とお言葉によってまたも息を吹き返したのです。

では、そんな彼等女系論者達の生前退位の解釈はどうでしょう。一刻も早く国会の議決だけで可能な皇室典範の改正を主張しています。

一般に男系論は皇室典範の改正には消極的であり、恒久的な改正に危機感をもっています。竹田氏などは特別措置法或いは典範に特例事項の付け足しを主張しています。

つまり、女系論者にとって今回のお言葉は皇室典範にメスを入れるまたとないチャンス到来となっている訳です。

ここまでして彼等女系論者は何を守ろうとしているのでしょうか、また何を覆い隠そうとしているのでしょうか。

それを探るには何故皇室が皇統の断絶という危機に陥ったかを考えれば自ずと答えが出るのです。

男系、女系の議論でさえも劣勢となって真の研究者達の男系維持の正論を理性主義の女系論で対抗することが、戦後日本の皇室、或いは象徴天皇の根本からの在り方に対する眼差しと同系統のものである気がしてなりません。

私が真の研究者だと感じている小堀桂一郎教授の言葉に、
『昭和二十二年十月に占領軍による皇室弱体化政策と方針によって,皇籍を離脱された十一宮家がございました。直宮様を除いて,それ以外の皇族が皆様臣籍降下されたわけです。あれは占領下の外国の権力による異常事態の下での措置で,むしろこれを元に戻すことによって,占領政策の克服の一つとすることもできるという発想に立てばよいのです。』がありますが、まさに皇室、皇統の危機とはマッカーサーによって齎された神道指令
に伴う皇室弱体化政策なのです。

今上陛下が象徴天皇として即位なされてから日本人、殊更左派の日本人は事あるごとに「象徴天皇として日本国憲法を遵守され」と連呼します。

しかし、現状はどうでしょうか、テレビは一部早朝の時間帯に皇室番組を流すものの、学校教育ではその尊崇は一切教えず、女性週刊誌では不敬とも思える俗世間的と同等の扱いです。

毎月一日に天皇陛下が自ら行ってきた「旬祭」を年二回に減らし、新嘗祭は簡略化し、勤労感謝の日と改称され、益々国民から切り離されているのが現状です。

そんな中象徴天皇としての公務であるかの様に海外の慰霊、宮内庁の都合でブッキングする予定はプライベートのない激務なのです。

憲法とは、英語でいえばConstitutionです。Constitutionとは、別の意味で体質のことです。つまり日本国の体質、國體こそが憲法であり、憲法こそが天皇を中心とする国柄でもある訳です。

要するに天皇とは日本国憲法よりも遥か上位の御存在であると言えます。

その日本国憲法が占領軍の草案を元に臣籍降下させられ象徴天皇が遵守させられている状態を70年以上も国民は放置したまま今日に至っている訳です。

この戦争責任を暗示する象徴天皇の立場と憲法を必死で守ろうとする護憲派こそが、女系論者の正体であり、深く繋がって皇室の弱体化政策を継承している日本人であるのです。

あくまで理性主義を振りかざし人権を盾にとり、女系論を振り翳すのであれば、現行憲法に於いて
外国元首や外交官の接受、外交官認証(公証行為)といった対外代表の公務を国家元首の規定のない天皇陛下が行われる違憲に近い状態をいつまで続けるつもりなのかを伺いたいものです。

要するに彼等女系論者は皇室は頭に無く象徴天皇という存在と憲法を守りたいのであって、天皇陛下には戦争責任など元から無かったという事実をを覆い隠したいのです。

最後になりましたが私の結論は皇室典範を改正するぐらいなら、憲法を改正して国家元首の規定と旧宮家を復活、これで全てが解決するのです。

女系と女性の天皇論に見え隠れする宗教

2016-08-26 08:09:17 | 解説



【女系論】
現在の皇太子殿下が即位される事に伴い次世代の皇太子が不在となります。皇位継承から愛子内親王殿下が除外されているからです。
皇室典範の第1条
「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」
愛子内親王殿下は男系ですが、もし天皇になるには皇室典範の改正で可能となるのですが、皇太子は女系となる可能性があるのです。
女性天皇は歴史的に可能ですが結婚できません。
つまり、125代に渡って護られてきた男系が壊れる、王朝の交代を意味するからです。
小林よしのり氏や高森 明勅氏などが女性宮家創設や女系論を主張していますが、皇室崩壊の危機を招く危険で稚拙な主張なのです。


女系論を考えるのに興味深いやり取りや記事をネットで見つけましたので幾つかコピペで下に記します。
あまり、一般的な話題としては表に出ない皇室の継承問題ですが、女系論を判断する上で考える時には女系論を主張している皇室研究者、学者に対する批判的或いは容認的記事を見る方が客観的に両論を観察出来るでしょう。
女系容認を《女系型》女系は認めず男系のみを《男系型》とあらかじめ分類しました。




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『竹田氏は女系天皇に反対していると聞いたことがありますが、その理由は何ですか?』



【yuu】《男系型》

女系天皇が反対されているのは、“本当は”天皇ではないからです。

まず前提ですが、女性天皇と女系天皇は異なり、女性天皇とは文字通り女性の天皇ですが、女系天皇とは、母が天皇である(父親が天皇ではない)ことを主な根拠として即位する天皇のことで、男性の女系天皇が誕生する可能性もあります。

そして今まで、女系天皇は存在していません。

もし愛子さまの子が天皇になったら皇族同士で結婚しない限り女系天皇になります。

女性天皇の皇子は女性天皇の夫の名字を継ぐことになります。
その場合、天皇家自体がこれまでの家からその夫の家へと変更されることになります。

これでは世襲ではなくなり、究極的には誰でも天皇になることができ、外的承認機関としての皇室の意味合いが変わり価値がなくなります。

そのため、現在の皇室典範(皇室の基本法)では女子の皇位継承を認めていません。

この女系天皇を推進している人たちは皇室をなくしたい人たちです。
その理由は色々ありますが、もっと国会に権限を持たせようとしているのが大きな理由の一つだと思います。

【senjyutupsychopharm】《女系型》

女系天皇に反対している人は、基本的に無知です。まず、歴代の天皇で女系継承がなかった、としていますが実際は存在します。37代斉明天皇(女帝)から第38代天智天皇への継承、そして二例目は、第43代元明天皇(女帝)から第44代元正天皇(女帝)への継承です。一部の「歴史学者」なる人が中継ぎだと見做していますが、斉明天皇と元正天皇ともに歴史上大きな業績を残しており、的外れな指摘です。
そして、そもそも天皇には苗字、姓はありません。苗字は家の名前、姓は天皇が臣下に与える氏族の名前です。愛子さまが一般の男性とご結婚なさった場合は、その男性の姓が無くなるだけで、愛子さまがその男性の家に入られるわけではありません。女系継承に賛成するのは皇室をなくしたいから、というのも大きな間違いです、むしろ逆です。必ず男子を生まなければならない、というプレッシャーに晒されるところに嫁がれる女性がいるでしょうか?また、側室を持たなければ男系継承は無理です。側室を持つ、という選択肢は国民の支持を得られないことを、皇族の方々は言わずもがな理解されているので、これも選択肢として破綻しています。「旧皇族」の復帰、とよく言われますが実は「旧皇族」なる人は存在していません。戦後に臣籍降下した後に生を受けたのが竹田氏らであり、単なる一般市民です。現在の皇族の女性の方々に竹田氏ら「旧皇族」と名乗っている人と結婚してもらう、という暴論がありますが皇族の方々には結婚相手を選ぶ自由がないとでもおっしゃるのでしょうか。そのような権利は国民にはありません。あくまで重視されてきたのは血筋であり、男系であるかは重要ではありません。想像してください。昭和天皇、今上天皇、そして皇太子殿下と皇位が継承されるという流れで、次は一般市民として生活していたどこの馬の骨かしれない男性が天皇陛下になられる、というのは非現実的です。


【yuu】

第38代天智天皇、44代元正天皇は女系ではないですよ。男系です。

男系の天皇というのは父が天皇、または父の父が天皇。または父の父の父が天皇というように父方の祖先をたどっていくとそのどこかの父が天皇であるということです。

天智天皇は舒明天皇の第二皇子で、父方に天皇の男系血統を引くため男系継承にあたります。

元正天皇も天武天皇と持統天皇の子である草壁皇子の娘であり、父方に天皇の男系血統を引くため男系継承にあたります。



ただどちらにせよ、華族制度という貴族階級がなくなった時点でいずれ後継者がいなくなるのは目に見えていますけどね。仮に女系天皇を認めたとしても民間人が天皇になれるほどきちんとした教育を受けている人なんかいません。

現実的には宮家を増やすことでしか皇位継承問題を解決できないと思います。



【senjyutupsychopharm】

論点をずらさないでください。あなたは、「女系」がダメだ、とおっしゃったんでしょう。私が示した2つの例は、天皇が母親でありその子が天皇となっており、この時点で女系継承なのは間違いないですよね。さかのぼったら男系だといっているのは、単なるこじつけです。もしもその理屈が男系継承だ、となるのであれば愛子様が皇太子となられたのち一般男性とご結婚された結果生まれたお子様が皇位を継承しても男系継承だ、となりませんか?宮家を増やすことは、国民の理解を得られないという見解が政府の調査で示されています。冷静に考えてください。何度も申し上げますが、世間の俗にまみれた人間が、現在の皇族の方々のような立場になるなんてありえますか? それが国民の理解の得られることだとおもいますか?
それと、天皇は貴族ではありません。華族でもありません。あなたは根本的に認識が間違っています。皇室を貴族階級だと見なしている
時点であなたに皇室について論じる資格はないと思います。天皇陛下は、神道の最高権威で、一般国民とは君臣の別があり一切不可分の存在です。だからといって、いわゆる貴族のように富を独占するようなことはしていません。それゆえ、一般国民である立場の人間が、いきなり皇位継承可能となる立場になるのはあり得ないのです。いわゆる旧宮家の復帰といっても、系譜図で600年以上離れた存在です。そこまで離れた立場の人たちが皇位を継承するということは、それこそ長年の伝統では行われてこなかったことです。伝統を守るといいながら、こういう伝統に目を向けず男系維持のみに固執するのは、単なる日和見主義者です。



【yuu】

なにか勘違いされていますが、私が女系がダメだと言っているわけではなく、「竹田氏は女系天皇に反対していると聞いたことがありますが、その理由は何ですか?」という質問への回答として、反対する理由(もちろん竹田氏本人ではないので予測にすぎません)を述べたまでです。

“愛子様が皇太子となられたのち一般男性とご結婚された結果生まれたお子様が皇位を継承し”た場合、そのお子様から見て父親は一般男性でその父親も(おそらく)天皇ではないので、男系ではなく女系です。
(定義補足:男系女子=父方(=男系)を辿ると必ず初代の神武天皇に繋がる=万世一系の系譜の女性、女系=母親、祖母など女親を介して天皇につながる家系。父方は神武天皇に繋がらない=万世一系の皇統ではない=別の皇統と見なされます。色んな歴史認識があるのでこれが必ずしも正解ではないですが一般的には。どうして父方が重要かというと遺伝子でXYとXXの話ですが省略します)

皇室を厳密な意味での貴族階級と見なしているわけではなく、一般国民とは異なり特別な教育等を受けてきているという意味で言っています。
なので、“天皇陛下は、神道の最高権威で、一般国民とは君臣の別があり一切不可分の存在”、“それゆえ、一般国民である立場の人間が、いきなり皇位継承可能となる立場になるのはあり得ない”とほとんど同義で述べています(私の中では)。

もちろん上記の認識ですから、ただの一般人がいきなり皇族になれるとは思っていませんが、どちらにせよ皇位継承資格者の数は増やす必要があると思いますので、新しい宮家設置か女系天皇を認める、どちらかもしくはどっちも必要だと思っています。

ただ女系天皇を認めるにしても、どちらにせよ皇族と結婚する一般男性がそうそう現れるとは思えませんので(皇族の身分が離れないとしても。皇后よりも役割は多そうだし)、宮家を増やすことで皇位継承資格者の数を増やしていかなければいけないんではないかと。


byus.me › facts › questionsよりコピペ

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《男系型》
「日本が好きなだけなんだよ」さんからコピペ


『小林よしのりが主張する女系容認論の正体』

漫画家・小林よしのりといえばゴーマニズム宣言シリーズなどで、保守の先駆けとして分かりやすい漫画という媒体を通して、読者を啓蒙し人気を博したこともある人物だ。しかし、この小林よしのりは、自分の作品をパチンコ業界に提供したあたりから主張がおかしくなり、昨年の総選挙前に民主党への投票を勧めたり、嫌韓流を批判したりして、その主張に齟齬が目立ち始めてきた。

極め付けは皇位継承問題における女系容認論であり、将来、男系男子が減少し皇統が危ういので女系を容認すべしというのが小林を始めとする女系容認論者の主張だが、これらの女系容認論者の特徴は、必ずと言っていいほど「愛子天皇」ありきの主張しかしないということである。現在の皇室典範で、皇太子→秋篠宮→悠仁親王という皇位継承の順序が確定されており、悠仁親王殿下が御誕生される前に起こった女系容認論議の発端は、皇太子→秋篠宮→眞子さま or 佳子さま?という、皇位継承者不在の危機だった。

女系容認論議の最後の方になると当初のコンセプトはすっかり忘れ去られ、小泉政権時代に設置された皇室典範改正の有識者会議の最終報告書には、いつの間にか直系優先、第一子優先が打ち出されており、実質、秋篠宮殿下から皇位継承権を剥奪し、愛子内親王に皇位継承権を与えることがうたわれていた。法改正によって何ら瑕疵のない男子皇族から、一方的に皇位継承権を奪うことは許されないが、こういったことを堂々と主張していた有識者会議のメンバーいかに皇室に敬意を持たず、秋篠宮殿下の権利を軽く踏みにじろうとする連中だったか、思い出すと不快感を禁じえない。メンバー自体がキチガイ極左の集まりであり、秋篠宮殿下の権利が話題にもされなかった当時の状況は異常としか言いようがなかった。

小林よしのりの主張は有識者会議の主張をほぼ踏襲しており、作品の中でもチャンネル桜の討論番組の中でも、愛子天皇を待望する意思表明を行っている。皇太子以降の皇位継承は、愛子さまか悠仁さまか、ではなく愛子さまか秋篠宮さまか、と表現するのが正しい。愛子内親王と秋篠宮殿下、どちらが天皇にふさわしいかと問われれば、議論の余地もなく秋篠宮殿下である。愛子天皇を実現させるためには秋篠宮殿下の皇位継承権を剥奪しなくては不可能であり、皇室存続の観点から女系容認を考えるのであれば、実際に議論の対象になるのは悠仁親王殿下以降の皇位継承についてである。

小林よしのりの主張は皇室護持、女系容認の主張のフリをした、秋篠宮殿下からの皇位継承権剥奪の主張であり、どう考えても小林よしのりは保守というよりは、似非右翼にしか見えない。女系容認論者は天皇陛下の大御心を捏造し、愛子天皇ありきの女系容認論の正当性を主張することが過去に何度もあったが、天皇陛下が秋篠宮殿下の皇位継承権剥奪を容認するはずもなく、実際、これらの“大御心”はその後の調査で全部捏造だったことが判明している。

女系容認論議をしたいのであれば、愛子天皇の可能性を除外して議論するのが前提であり、それが出来ないのであれば、彼らが主張するのは実際には女系容認論ではなく、愛子天皇容認論、秋篠宮からの皇位継承権剥奪容認論ということになる。愛子天皇の可能性を除外して女系容認論を語る人間を自分は見たことがないが、女系容認論者の正体が国賊であることの何よりの証明だろう。

皇統=男系(父系)であり、自分に言わせれば歴史上、一人も存在していない女系(母系)天皇(女性天皇とは別物)を認める女系継承など皇統ですらないが、女系容認論者は皇統存続云々以前に、秋篠宮殿下の権利剥奪を画策する逆賊であるということである。彼らに皇室や皇統を語る資格はなく、小林ばかりか、同様の主張を行っている高森某や笠原某も逆賊だということだろう。

保守とは保ち守ると書くが、一体保守が何を守るべきかといえば、強いていえば、それは2000年以上の世界最古の歴史を持つ神武朝日本ということになる。神武朝日本を守るとは、姓を持たない一系の天皇家を頂点とする日本を守るということであり、その国民を守ることということになるだろうか。

神武朝を終焉させ、佐藤王朝や鈴木王朝が出現する女系容認の思想は保守でも何でもない。ましてや秋篠宮殿下の皇位継承権を奪う発想など、一人の日本人としても狂気の沙汰だ。小林がいくら悪あがきをしようが詭弁を弄そうが、もはや勝ち目はないのであり、男性皇族の皇位継承権剥奪を主張する一方で、皇室を大事にするくさいパフォーマンスなどいい加減、やめてもらいたいものである。

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《女系型》
gooブログ「皇居の落書き」さん
『小堀桂一郎氏への批判』コピペ



「正論」平成18年11月号に,「いま改めて問う,皇位の正統性と男系継承」と題するインタビュー記事があり,そこで小堀桂一郎氏が男系維持派の考えを述べている。
特に真新しいことが述べられているわけではないのだが,この記事を読んでいると,どこでどう議論がすれ違っているのかということが,何となく分かるような気になった。

まずは,慈円大僧正の「愚管抄」,北畠親房の「神皇正統記」などについて,延々と解説が行われる。
この解説については,一学者としての見識を感じさせる内容である。
そして,以下のようにまとめている。
---------引用開始---------
慈円も親房も,日本の国王の「種姓」,つまり国王の家系は絶対によそに移ることがないというのが他国に見られない我が国のみの皇室の伝統であると言うのですけれども,それを遡れば神勅に行き着きます。「豊葦原の千五百秋の瑞穂の国は,わが皇孫の知らすべき国なり」という。その神勅を素朴というほど忠実に守ってきた。先祖の神の言葉に対する敬虔の念というものを,日本民族は民族の性格として伝え持ってきたのだと思います。
---------引用終了---------

この箇所については,筆者としては異論はない。
ただ,神勅には「皇孫」とのみあり,男系か女系かといったことは示されていないということは指摘しておきたい。
日本民族は,この神勅を大切にしてきた。
ただ,どのように受け止めて大切にしてきたか,ということが問題となる。
男系継承という厳格な継承ルールの順守の指令ということか。
そうではないであろう。
神勅に込められていたのは,子孫の繁栄への願いと祝福ということではなかったか。
そして,そのような先祖の願いと祝福に感謝し,応えようとする。
このような先祖との絆こそが,日本民族の民族の性格として伝え持ってきたものではなかったか。

正統性として,血筋ということは勿論重要なことであろう。
しかしながら,それに余りに厳格にこだわる場合,それは不自然な,奇妙な帰結をもたらすようだ。
小堀氏は,さらに以下のように述べているのである。
---------引用開始---------
最近,黒岩徹さんという方が,月刊「日本」(八月号)と,季刊「邪馬台国」(93号)という雑誌で,「皇位継承の本質というのは血のつながりである。それは言ってしまえばY染色体が男子のみに継承されていく」という,極めて生物学的な事実を理論的に構築しておられます。黒岩さんは生物学者ではありませんが,専門の生物学者の藏琢也さんという方の論文に触発され,それに賛同する形で詳しく書いておられます。動物行動学の竹内久美子さんも『遺伝学が解く!万世一系のひみつ』でY染色体理論を説いておられる。私は,このことは本当に大事なことだと思います。
---------引用終了---------

小堀氏までがY染色体説を評価するとは,筆者にはショックである。
Y染色体に拘ればどういうことになるか。
まず,女神である天照大神については,Y染色体は観念できない。
そうなれば,たちどころに神話との矛盾が生じ,神勅も何もあったものではないであろう。小堀氏の言う「その神勅を素朴というほど忠実に守ってきた」ということも,そこで断絶である。
もちろん,生物学的事実は事実であろう。
しかし,人間の生み出した皇室伝統の精神的価値を語る上で,生物学的事実は本来無関係であり,むしろ水と油なのではないか。
このブログにて以前触れたことがあるが,よりによって竹内久美子氏まで紹介するとは,一体,小堀氏はどうしたのだろうか。
竹内氏は,Y染色体との関係で,サルやらゴリラ,チンパンジーがどうだとか,そういうことを書いている人であるが,そこには皇室伝統の情緒の欠片もない。

さらに小堀氏は,以下のように述べている。
--------引用開始--------
だからこの正統性という理念は,ある意味で残念なことだと言えるかもしれません。というのは男系の皇統という正統性は突き詰めて考えますと,所詮は生物学的次元のことなのです。皇位につく人の徳性とは関係がないのです。ですから一番危ないのは,万が一,女系の男子が天皇として即位されるというような事態が生じた場合,国内国外を問わず,日本の天皇制度に対して敵意を抱いている党派が最も力を入れて突いてくるのは,生物学的次元の理論だと思うのです。正統性を踏みはずした天皇であると言われたら,これはもう,三種の神器を継承している,神器の象徴する道徳的価値の最高の範疇を保有しておられる,といった道徳の次元では太刀打ちできません。
--------引用終了----------

「所詮は生物学的次元のことなのです」とは,言っていて寂しくないのであろうか。

神武天皇のY染色体の継承に,一体どんな値打ちがあるというのだろう。
というのも,仮にである。
神武天皇のY染色体が,歴代天皇にのみ継承されているということであるならば,そこに価値を見いだし,それをもって正統性の根拠とすることも,多少は理解できる。
しかし,実際には,長い歴史の中で,男系の血統は皇室外にも多く伝わっており,現在では広く日本人の中に浸透しているであろう染色体なのである。
神武天皇のY染色体が,最も古い日本人の染色体であるとすれば,それは最もありふれた染色体でもあるはずなのである。
何も国を挙げて必死に守らなければならないものとは,到底言えないのではないか。

それにしても,「万が一」以下で示している想定は,間抜けな話である。
「日本の天皇制度に対して敵意を抱いている党派が最も力を入れて突いてくるのは,生物学的次元の理論だと思うのです」などということがあり得るのだろうか。
「神器の象徴する道徳的価値の最高の範疇を保有しておられる,といった道徳の次元では太刀打ちできません」とも述べるが,むしろ逆なのではないか。
筆者が思うには,一番危ないと思うのは,Y染色体という生物学的事実を備えつつも,天皇に相応しい道徳的価値を有していない人物が即位した場合であって,国民が愛想を尽かす事態に陥ることである。

ただ,この辺りは,日本人というものがどのようなものを大切にする存在であるかという,日本人観の違いということなのであろうか。
小堀氏は,続けて以下のように述べるのである。
--------引用開始---------
皇位継承問題について,先生方がそれぞれ愛国の情から説を立てておられるということはよくわかっております。国体尊重の立場を明確にしている一部の方々は,「染色体理論などというものに基づく血統が問題ではなくて,皇室が体現しておられる道統,道徳的な権威が大事である」という理論で女系容認の論陣を張っております。確かにそれも一理あると思います。しかし私に言わせれば,それは共和主義的発想なのです。共和主義というのは,要するに大統領制です。
たとえばドイツなどは,政治力はなくても人格高潔で道徳的に立派な人物であれば,国民統合の象徴としての大統領に担ぐという発想がありますし,現にそれが行われているわけです。日本の場合には,神武天皇の血統を引いた方でなければ,正統性を備えた国民統合の象徴とはなり得ないのです。
--------引用終了----------

この箇所において,小堀氏が女系容認論にも一理あるとしている。
そこには良心を感じることができた。
それはいいのだが。

さて,道徳的権威を重視するということが,すぐに共和主義ということになるのであろうか。
世襲制の中でこそ確保される道徳というものもあるであろう。
例えば,小堀氏も,天皇について「無私」という資質は強調されるが,「無私」という資質は,選挙,すなわち,多数の候補者から選ばれるという競争原理には馴染まないものであろう。
資質を確保するための手段としての世襲制ということもあり得るはずなのである。

それにしても,ドイツの大統領制を引き合いに出しているのだが,人格高潔で道徳的に立派な人物を象徴として戴く共同体と,特定のY染色体を有する人物を象徴として戴く共同体とでは,どちらがより高級であるのだろうか。

以上述べた如く,筆者には,小堀氏の主張は,不自然で奇妙なものに思えるのである。
なぜ,こんな主張をするのであろうか。
その理由は,小堀氏の以下の発言により,理解できるように思われた。
---------引用開始--------
皇室の藩屏の再建ということは説明すれば易しいことでありまして,昭和二十二年十月に占領軍による皇室弱体化政策と方針によって,皇籍を離脱された十一宮家がございました。直宮様を除いて,それ以外の皇族が皆様臣籍降下されたわけです。あれは占領下の外国の権力による異常事態の下での措置で,むしろこれを元に戻すことによって,占領政策の克服の一つとすることもできるという発想に立てばよいのです。
---------引用終了--------

すなわち,占領政策の克服ということこそが小堀氏の主目的であり,皇位継承の議論はあくまでも手段として位置づけられていたに過ぎないということである。
手段としての議論であるが故に,目的達成のためには何でもかんでも援用するという姿勢となったのであろう。
小堀氏は愚管抄の道理ということを随分と言われるが,皮肉にも,道理がひっこむ有様となっているのである。

筆者としても,占領政策の克服ということにつき,精神論として語る分には,意義のあることであると思う。
小堀氏にしても,もともとは,精神論としての克服ということにこそ,問題意識を有していたのではなかったか。
それにしても,男系継承を維持するためとは言え,Y染色体に着目し,皇位の正統性を生物学的次元で捉えるようなことをして,そこに日本人の精神の再生はあり得まい。
それは,物質主義以下の珍妙なる似非科学主義と言うほかないのではないか。

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一般的な感想となりますが、結局のところ女系論者は2000年以上続いて来たものを否定するのに、天照大神は女性だったなどと神話を都合よく利用して恫喝的な議論展開しか術が見当たらない印象を持ちます。
日本人に求められているのは3000年近く続いてきたものを如何に一万年以上続けていくかなのです。天皇陛下万歳。

靖国神社8.15産経と共同通信の比較

2016-08-25 01:02:09 | 解説

産経新聞---------------------------------8.15

【記者が歩いた靖国 閣僚の参拝を外交問題化する中韓、野党 心穏やかに祈る日はいつ…】

71回目の「終戦の日」を迎えた15日、東京・九段北の靖国神社は、戦後70年という大きな節目だった昨年に比べると、目立った混乱もなく「静かな鎮魂の日」を印象づけた。もっとも、「アジア解放の戦争を美化する神社」といった一部野党などの批判は相変わらず。紋切り型の「周辺各国の懸念」を持ち出すメディアの姿も旧態依然としている。戦後70年を超えてなお、関係者が心穏やかに祈りをささげる環境は整っていない。

 せみしぐれに包まれた蒸し暑い早朝。靖国神社はこの日、例年通り午前6時に開門した。拝殿前には、またたく間に参拝を待つ列ができ、午後7時の閉門まで途切れることはなかった。

 正午になると、参拝者が一斉に立ち止まって戦没者に黙祷をささげ、境内は一瞬の静寂に包まれた。

 「去年は人が多過ぎて途中で引き返したのですが、今年は落ち着いた雰囲気ですね」

 拝殿にたどり着くまで約1時間並んだという川崎市の男性(72)は、こう話して額の汗をぬぐった。

 男性は、昭和19年ごろにフィリピン・ルソン島で戦死した兄を弔うため毎年終戦の日に参拝している。遺骨はまだ戻ってきていないといい、「兄だけでなく、英霊の皆さんに対してお祈りした。彼らは私たちの身代わりになってくれたのだと思う」と淡々と語った。

 境内に目立つのは、やはり高齢の参拝者の姿だ。その半面、デジタルカメラを手にした若者や家族連れも少なくなく、鎮魂の行事が新しい世代にも受け継がれていることを感じさせる。

 政治家の参拝も午前8時ごろから本格化し、自民党の小泉進次郎農林部会長、安倍晋三首相の玉串料を代わりに納めた西村康稔党総裁特別補佐らが次々と姿を見せた。午後には高市早苗総務相、丸川珠代五輪相の2閣僚も参拝した。

 与党議員だけではなく、民進党の長島昭久元防衛副大臣や村岡敏英衆院議員、おおさか維新の会の河野正美衆院議員、日本のこころを大切にする党の中山恭子代表らも訪れ、与野党を超えた鎮魂の日であることを印象づける。

 ただ、参拝を終えた閣僚らには、判で押したような「お約束」の質問がメディアからぶつけられた。

「中国や韓国の反発をどうとらえるか」「政教分離の観点からどう考えるか」

 本来、戦争の犠牲になった同胞に手を合わせることは、国家や体制を超えた共通の作法であるはずだ。

 丸川氏は「国策に殉じて亡くなられた方々をどうお祀りするかには、その国のやり方がある」と語った。高市氏も「世界中の国々が歴史をさかのぼって慰霊のあり方の是非を論じ始めたら大変なことになる。それぞれ、国のために命を落とした方に対して慰霊の気持ちをもって感謝の誠をささげるのは、国民の大切な行為として行われるものだ」と強調した。



共同通信---------------------------------

【特集】8.15靖国神社
交錯する15万の思い

戦後の日本にとってほかのどの日とも違う特別な意味を持つ8月15日の靖国神社。首相や閣僚は参拝するのか、中国、韓国はどう反応するか。主要なメディアの関心はそうした点に集まる。しかしその陰で今年も約15万人が参拝。終戦記念日の靖国神社とその周辺はどんな空気に包まれているのだろうか。

 ▽粛々と

 早い夏の日が昇りせみ時雨が響く午前5時ごろ神門前に人が集まり始めた。午前6時の開門直前にはその数は300人ほどに。毎年必ずこの時間にこの場所に来るという60代の男性は「終戦記念日の参拝がドッと増えたのは小泉純一郎首相の時代。今年は戦後70年だった昨年よりは少なめ」と話した。

 菊のご紋がついた門が開くと人々は粛々と拝殿に進む。ここ数年8月15日の参拝を続ける40代の女性会社員は「一番、参拝する意味のある日だから。開門も見たいし、朝の涼しいうちにと思って」。小学生の子供2人を連れ一家4人で来た埼玉県入間市の自営業男性(30代)は「忘れてはいけない歴史があるから。子供たちにもきちんと伝えたい」と話した。

 早い時間に訪れる人は落ち着いた雰囲気で参拝したいという気持ちが強いようだ。一部にある靖国神社に対する批判的な意見については「自分には関係のないこと。気にしていない」といった声が多かった。

 ▽“政治色”

 2、3時間もして気温も上がってくると境内には“政治色”も漂い始める。国会議員や地方議員ら政治家の参拝が始まるからだ。保守派として通っている議員が現れると居合わせた参拝者から拍手が起こる。

 約70人で集団参拝した超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の尾辻秀久会長(自民党)は記者会見で「どこの国でも国に殉じた方々の慰霊施設にお参りすることは常識。日本に限って(外国から批判的な)反応があるのは不自然」と中国、韓国からの批判をけん制。参道の中ほどで行われた日本会議など主催の「戦歿者追悼中央国民集会」では「憲法改正の早期実現」を訴える声明が読み上げられた。

 終戦記念日とは知らず友人4人連れで中国・重慶から来た観光客は「人が多くて驚いた」と、絶え間なく訪れる人波に圧倒された様子。「第2次大戦では中国と同じように日本でも多くの人が死んだのだろう。ただ日中両国では大戦の評価は全く違うようだ」と言葉を選びながら話した。

 ▽コップ酒

 午後になると独特の空気は神社の外にも広がっていた。大鳥居の250メートルほど先の九段下交差点では保守系2団体のデモと集会が重なり、一時は数百本の日の丸や旭日旗がはためく一幕も。5時ごろには「天皇いらない」「靖国廃止」といった主張を掲げる団体のデモが通過。警備の警官と鉄柵を挟んで怒号が飛び交い殺気だった雰囲気になった。

 たそがれ時になった神社に戻ると、参道脇の売店の腰掛けで仲間同士で酒を酌み交わす姿も。その中に、40代後半の現職自衛官と元自衛官の3人組がいた。現職自衛官は「われわれは国家、国民の生命を守るために厳しい訓練をしている。命令があれば危険があってもそれに従う。その中で何かにすがることが必要な時もあるのです」と参拝する思いを説明した。

 話が進むうち1人が「これどう思う?」と旧日本軍の軍服姿で参拝した人の写真が写ったスマートフォンを取り出した。現職自衛官は「単なる軍服コスプレの自慰行為。でもね、こういう写真だけが世界に伝わり、日本の現実とまったく違うイメージが広がるんですよ」と言い、赤くなった顔でコップ酒を飲み干した。

 日が落ち暗くなった午後7時。神門の方に目をやると閉じられた門にむかって頭を下げている人たちがいた。(共同通信=松村圭)


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【解説】
はじめに二社を選んだ理由ですが、保守的な産経と朝日新聞を比較してみようとしたのですが、朝日ウェブ版は肝心な部分を有料としているので、一般的な共同通信を槍玉にあげるつもりで、出来れば産経アゲ的な独自解説をしたいと思います。

全体的な印象として、【産経】はあまり特別視せず、記者の印象と取材、政治的事実をひとつに纏めた感じで、【共同】は明確に3つの事柄に分けて問題提起で終っているのでどこか釈然としない消化不良感があります。

冒頭【産経】は「静かな鎮魂の日」と言っているように、去年の節目や例年から比較すると静かな印象を受けますが、屋台が立ち並び進むのも困難であった時からの印象は確かに静かな鎮魂の日となったのでしょう。

更に、関係者が心穏やかに祈りをささげる環境は整っていない。と言いながらその方向になりつつある事も表現しているようです。

それに比べ【共同】は特別な日として政治問題化を言いその"陰"で15万人の参拝として注目度を高めています。正直言って【共同】の記事は靖国に行かなくても書けるものであって、実際に行かれたのかが疑問に感じます。

【産経】はインタビューで「身代わり」との遺族感情を強調し、政治的にも議員の言葉を載せ靖国参拝の正統性を当然であると、締め括っています。

一方【共同】は題名を付け分割することによって参拝派と問題派を明確にして、更に政治的には
参拝派が憲法改正の政治利用だと言わんばかりの指摘はその内心に反安倍、反靖国、反政府が見え隠れします。

インタビューも戦没者からは遠い世代に聞き、戦争体験者を意図的に避けているようにも思えます。《コップ酒》では記者自身が中立の立場とでも言いたいのか"独特の空気"と日の丸行進をあげ、反天連と在特会の啀み合いがまるで異常な光景とでも言いたげです。

正論を述べる自衛官の靖国感とコスプレ批判をまるで酔っ払いの戯言のように書いていますが、私はこの自衛官の言葉が一番胸に刺さりました。
時代を違えても、自衛隊と呼び名が変わっても、国を守る心は通じる所があるに違いなく、"何かにすがりたい"との精神は世代や時代を超越したものである事を教えられた気がします。

是非皆さんは産経の記事を参考にして頂き、メディアの靖国は問題施設だとか首相の参拝は問題だ、や中国韓国が問題視していることなど無視をして、自分の思うままに感謝の誠を捧げて下さい。

アゴラの靖国問題解決策の解説

2016-08-24 11:12:26 | 解説
【靖国神社の鳥居前に慰霊施設を創り玉虫色の解決を】

2016年08月22日 アゴラ
八幡和郎 元官僚で評論家----------------------



終戦の日にBS11の番組で靖国神社についてお話しした。番組の視聴者が若い人主体だというので、少しいろいろ考えることもあった。

私は議論が錯綜してしまった以上は、玉虫色の解決をするしかないと思う。

そもそもの問題は、戦後、国家神道をやめるときに、さまざまな問題をきれいに整理しておかなかったことにある。

誰を国家的な英雄として祀るのかといったことは、神社が決めるような話にはなじまない。政府がしっかりした名簿を整備して、神社に引き継ぎ、あとはおまかせするということであるべきだったが、戦後の混乱のなかでは、そこまで、考えが及ばなかったとしてもやむを得ないし、昭和30年代くらいまでは、誰もうるさいことはいわなかった。

ところが、そのころから、左派からは靖国神社は軍国主義の象徴といいだして政治問題にしてしまい、それに、反撃するかたちで右派が国家護持だ公式参拝だと逆利用を図り、さらに、いわゆるA級戦犯合祀問題が起きた。

この問題のおこりは、BC級戦犯を合祀したらという話が先に持ち上がった。BC級戦犯の合祀も理屈には合わないが、不当な処罰も多く含まれ、この合祀にほとんど反対はなかった。そして、悪乗り気味にA級戦犯合祀問題が出て、神社側が勝手に合祀してしまった。そして、いったん合祀したら分祀できないという宗教理論を持ち出して話をややこしくした。

しかも、左派の議論にのって、中国が外交問題化した。これは、中国なりの合理性もある議論だった。中国は日中戦争について「一部軍国主義者の仕業であり日本人民は敵でない」という整理を国交回復以来してきており、その象徴として靖国参拝が取り上げ、それを日本側も一理あるとして反応した歴史的経緯がある。

これは、日本にとっても、主として一部軍国主義者が悪かったのか、国民全員が悪かったのかというのは、永遠の課題だが、中国から、「日本人民も被害者です。悪かったのは一部軍国主義者です」といわれて、全面否定するつもりは日本人にあるまい。

いずれにしても、A級戦犯合祀問題を解決すれば中国は少なくともあまり問題にしないと理解されてきたし、中国側のこうした立場をまったく無視するわけにはいかない。

一方、韓国までが中国の尻馬に乗ってきたが、日本と戦った立場でなく「植民地支配」を問題にするならA級戦犯合祀問題を解決しても永久に解決できなくなるので、こちらは徹底的に無視するしかない。

私が靖国神社を大事にしたいのは、戦死者のほとんどは、自分が神として祀られることを好意的に受け止めていたと思うからだ。その期待を裏切りたくないし、そこに、天皇陛下や首相が参拝もしてほしい。

しかし、国家護持は宗教色がいささかでも残る限りできない。公式参拝については、そもそも、伊勢神宮などに参拝するのと同じで、靖国の特殊問題はそもそもなく、右派のプロパガンダだと思う。

解決策としては、靖国神社が分祀に応じてくれれば、あとは、それで参拝に問題なしとしてしまえばよい。それがダメだとなると、玉虫色しかない。

私の一つの提案は、靖国神社の鳥居の前に、無宗教の慰霊施設をつくり、どの方向からも参拝できるようにして、靖国神社をあえて拒否する人は横から参拝し、靖国神社も一緒にお参りしたい、あるいは、そうであるかどうか曖昧にしたい人も、真正面に参拝するようにしてはどうか。

そういう形なら、天皇陛下も首相もお参りしたのが靖国神社なのかどうか心の中の問題となる。

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『靖国神社の鳥居の前に、無宗教の慰霊施設をつくり、どの方向からも参拝できるようにして、靖国神社をあえて拒否する人は横から参拝し、靖国神社も一緒にお参りしたい、あるいは、そうであるかどうか曖昧にしたい人も、真正面に参拝するようにしてはどうか』


現状説明は指摘する箇所のない程正しいのですが、結論が無宗教の慰霊施設です。これまでの靖国神社問題の解決策として国家護持の対案として
あったものと何ら変わりなく、鳥居の前と、建設場所が具体化しただけの話なのです。

この玉虫色の結論が導きだされた根本は韓国は無視して中国は無視できない。との捉え方に問題と原因があるのです。

また彼の主張の中に
『悪乗り気味にA級戦犯合祀問題が出て、神社側が勝手に合祀してしまった』とありますが、この靖国神社側を合祀問題で批判すること自体東京裁判史観に侵された思想であり、靖国問題を拗らせている主たる要因なのです。

問題は何処に何を作るかではなく、日本人の総意が侵略や植民地支配などしなかったとの歴史認識を共有するしか方法がないのです。中国、韓国、のみならず、場合によっては米国も無視するぐらいの気概で取り組まなければならないのです。

この部分を玉虫色にし、少しでも靖国神社に問題があるような言論を繰り返しているうちは靖国問題の扉さえ開く事はないでしょう。

石橋湛山

2016-08-23 08:14:10 | 歴史
靖国神社廃止論で石橋湛山を取り上げましたが、今回は石橋氏の人となりに触れ、再度「靖国神社廃止の儀」を読み返してみたいと思います。



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日蓮宗僧侶・杉田湛誓ときん夫妻の長男・省三(せいぞう)として生まれる。

明治22年甲府市立稲門尋常小学校に入学。3年生の時に初めて父と同居する事になる。

明治27年、湛誓が静岡市の住職に転じる事になり、山梨県に在る長遠寺の住職である望月日顕に預けられる。以来実質的な親子の関係は絶たれて、幾度となく手紙を出すが父母からの返事はもらえなかったという。

日顕に勧められ山梨県立尋常中学校(後の甲府中学、現在の山梨県立甲府第一高等学校)へ進学する。湛山は二年落第し、7年間在籍する。

明治34年3月には甲府中学校長の幣原坦が退任し、大島正健に赴任する。大島は札幌農学校(現・北海道大学の前身)第一期生としてクラーク博士の薫陶を受けた人物で、大正3年まで甲府中学校長を務めた。湛山は後に『山梨県立甲府中学同窓会報』において大島との出会いを述懐し、自身の人生観に大きな影響を与えたと記している。

晩年に至る迄湛山の枕元には常に日蓮遺文集と聖書が置かれていたという。

明治35年3月に、山梨県立第一中学校を卒業するが、中学を卒業する頃に、湛山と改名している。翌月に、第一高等学校(現・東京大学教養学部)受験の為に上京。その際に、正則英語学校に通った。 だが2回の試験に失敗し、早稲田大学高等予科の編入試験を受けて合格して入学した。

明治41年12月に、 毎日新聞社(旧横浜毎日新聞や旧東京横浜毎日新聞で、当時は東京毎日新聞を出している。現在の毎日新聞社とは無関係)に入社した。

明治42年12月には東京麻布の第1師団・歩兵第3連隊に「一年志願」兵として入営する。湛山ははじめ社会主義者と誤解され要監視兵の扱いを受けるが、後に誤解が解け上官・将校とも良好な関係を築き、彼らも湛山の「合理性」を評価したという。湛山は伍長に昇進し、軍曹として除隊した。

明治44年1月には東洋経済新報社に入社するが、同年9月には自らの意思で見習士官として再入営し、最終試験を経て大正2年に歩兵少尉となる。その後は予備役となり、大正5年夏に半月間の機動演習に召集されている。

大正元年11月、東京経済新報社主幹・三浦銕太郎の媒酌で東小松川松江尋常高等小学校の教師・岩井うめ(梅子)と結婚する。

湛山は大正デモクラシーにおけるオピニオンリーダーの一人として、いち早く「民主主義」を提唱する。また三・一独立運動をはじめとする朝鮮における独立運動に理解を示したり、帝国主義に対抗する平和的な加工貿易立国論を唱えて台湾・朝鮮・満州の放棄を主張する等(小日本主義)、リベラルな言論人として知られる。

大正13年12月に第五代主幹となり、翌年1月には代表取締役専務(社長制となるのは、1941年以降)に就任する。また同年から昭和11年まで鎌倉町議会議員を務めた。

行政では、中央集権・画一主義・官僚主義との訣別を主張した。

日中戦争勃発から敗戦に至るまで『東洋経済新報』誌上にて長期戦化を戒める論陣を張っている。
同誌は署名記事を書く事が困難だった多くのリベラリストにも匿名での論説の場を提供した。同誌は政府・内務省から常に監視対象にされてインクや紙の配給を大きく制限されたが廃刊は免れた。

日本敗戦直後の昭和20年8月25日には、論説「更正日本の進路〜前途は実に洋々たり」で科学立国で再建を目指せば日本の将来は明るいとする先見的な見解を述べ、10月13日『東洋経済新報社論』で、「靖国神社廃止の議」を論じて靖国神社の廃止を主張している。

東京裁判ではGHQ・検察側が、高橋是清の経済政策が戦争に結びついたと主張したが、それに対し石橋は弁護をした。石橋は、高橋是清の政策はデフレ不況を脱出するための政策であり、軍備拡張にはつながっていない、明治以来の政策と軍備拡張の政策は違うと主張したが、裁判では採用されなかった。

戦後すぐに日本社会党からも総選挙出馬を誘われたが断り、昭和21年に日本自由党から総選挙に出馬して落選するものの、第1次吉田内閣の大蔵大臣として入閣した。

大蔵大臣在任時にはデフレーションを制える為のインフレーションを進め、傾斜生産(石炭増産の特殊促進)や復興金融公庫の活用を特徴とする「石橋財政」を推進した。

そして戦時補償債務打ち切り問題、石炭増産問題、進駐軍経費問題等でGHQと対立する。進駐軍経費は賠償費として日本が負担しており、ゴルフ場や邸宅建設、贅沢品等の経費も含んでいて日本の国家予算の3分の1を占めている。このあまりの巨額の負担を下げる様に、石橋は要求する。アメリカ合衆国は諸外国の評判を気にしたことと以後の統治をスムーズに進行させることを考慮して、日本の負担額を2割削減することとなった。

戦勝国アメリカに勇気ある要求をした石橋は国民から“心臓大臣”と呼ばれるもアメリカに嫌われ、昭和22年に第23回衆議院議員総選挙で静岡2区から当選したが、公職追放令によりGHQによって公職追放された。この公職追放は吉田茂が関わっていると云われた。
昭和26年の追放解除後は、吉田の政敵であった自由党・鳩山派の幹部として打倒吉田に動いた。この時期立正大学から懇請されて、学長に就任した。

昭和29年の第1次鳩山内閣で通商産業大臣に就任した。昭和30年には商工委員会委員長田中角栄のもと、戦後の財閥解体の根拠法令のひとつであった過度経済力集中排除法を、独占禁止法と置き換える形で廃止した。昭和30年11月には、日中輸出入組合の結成を支援した。

石橋は中華人民共和国、ソビエト連邦との国交回復などを主張したが、アメリカの猛反発を受ける。アメリカのジョン・フォスター・ダレス国務長官は「中共(中華人民共和国)、ソ連との通商関係促進はアメリカ政府の対日援助計画に支障をきたす」と通告してきた。このアメリカの強硬姿勢に動揺した鳩山一郎首相に対し、石橋は「アメリカの意向は無視しましょう」と言った。

同年11月15日の保守合同により、鳩山の日本民主党と吉田から継承した緒方竹虎の自由党が合同し自由民主党が結成され、石橋も合流入党した。

昭和31年10月19日に日本とソビエト連邦が日ソ共同宣言により国交正常化するも、同年12月、鳩山首相が引退。これを受けてアメリカ追従を主張する岸信介が自民党総裁選に立候補、これに対し石橋は社会主義圏とも国交正常化することを主張、鳩山派の一部を石橋派として率いて立候補した。

総裁選は岸に7票差で競り勝って総裁に当選、12月23日に内閣総理大臣に指名された。しかし岸支持派とのしこりが残り、更に石橋支持派内部においても閣僚や党役員ポストの空手形乱発が行われ、組閣が難航したため、石橋自身が一時的に多くの閣僚の臨時代理・事務取扱を兼務して発足した(一人内閣)。

親中派でもある石橋政権の樹立によって日本を反共の砦とするために岸を望んでいたアメリカ大統領ドワイト・D・アイゼンハワーは狼狽したという。
「党内融和の為に決選投票で対立した岸を石橋内閣の副総理として処遇すべき」との意見が強かったため、副総理は岸が就任した。

内閣発足直後に石橋は全国10ヵ所を9日間でまわるという遊説行脚を敢行、自らの信念を語るとともに有権者の意見を積極的に聞いてまわった。
しかし帰京した直後に自宅の風呂場で倒れた。軽い脳梗塞だったが、副総理格の外相岸信介がただちに総理臨時代理となったが、2ヵ月の絶対安静が必要との医師の診断を受けて、石橋は「私の政治的良心に従う」と潔く退陣した。

石橋の首相在任期間は65日で、東久邇宮稔彦王・桂太郎・羽田孜内閣に次ぐ歴代で4番目の短さである。日本国憲法下において、国会で一度も演説や答弁をしないまま退任した唯一の首相となった。後任の首相には岸が任命された。

退陣後 幸い脳梗塞の症状は軽く、若干の後遺症は残ったものの石橋はまもなく政治活動を再開するまでに回復した。

昭和34年9月、岸より「同盟国アメリカの意思に反する行為であり、日本政府とは一切関係ないものとする」と牽制されながらも中華人民共和国を訪問した。前首相・衆議院議員とはいえ政府の一員ではない石橋は訪問してから数日はなかなか首脳と会える目処はつかなかったが、交渉に苦労の末、同月17日周恩来首相との会談が実現した。

冷戦構造を打ち破り、日本がその掛け橋となる日中米ソ平和同盟を主張。この主張はまだ国連の代表権を持たない共産党政権にとって国際社会への足がかりになるものとして魅力的であり、周はこの提案に同意。周は台湾(中華民国)に武力行使をしないと石橋に約束した。

「日本と中国は両国民が手を携えて極東と世界の平和に貢献すべきである」との石橋・周共同声明を発表した。昭和35年、大陸中国との貿易が再開した。この声明が後に日中共同声明に繋がったともいわれる。

その後も少数派閥ながら石橋派の領袖として影響力を持ち、岸が主導した日米安保条約改定には、本会での議決を欠席するなどして、批判的な態度をとり自民党内ハト派の重鎮として活躍したが昭和38年の総選挙で落選し、そのまま政界を引退した。

昭和41年2月には手足に麻痺を感じ聖路加病院に入院、同年11月の自民党幹部・大久保留次郎の葬儀に参列したのを最後に外出記録はない。一切の社会的活動から引退した。昭和45年2月にも再び肺炎で聖路加病院に入院し、その後は鎌倉の娘宅や中落合の自宅で療養することになる。また、晩年にはキリスト教の洗礼も受けた。

昭和46年7月にはアメリカ大統領の特使ヘンリー・キッシンジャーが訪中し周恩来と会談すると、米中対話を支持するメッセージを発表している。また、翌昭和47年7月には田中角栄内閣が成立し日中国交正常化への機運が高まっていたが、田中は訪中以前に中落合の石橋宅を訪れており、田中訪中の結果日中国交正常化が成立すると、石橋はこれを祝賀するメッセージを発表している。

その後は病状が悪化し、昭和48年4月25日午前5時に脳梗塞のため自宅で没した。
享年88




大正十年 『東洋経済』社説

【一切を棄つるの覚悟】
我が国の総ての禍根は、小欲に囚われていることだ。志の小さいことだ。古来無欲を説けりと誤解せられた幾多の大思想家も実は決して無欲を説いたのではない。彼らはただ大欲を説いたのだ。大欲を満たすがために、小欲を棄てよと教えたのだ。~ もし政府と国民に、総てを棄てて掛かるの覚悟があるならば、必ず我に有利に導きえるに相違ない。例えば、満州を棄てる、山東を棄てる、その支那が我が国から受けつつありと考えうる一切の圧迫を棄てる。また朝鮮に、台湾に自由を許す。その結果はどうなるか。英国にせよ、米国にせよ、非常の苦境に陥るだろう。何となれば、彼らは日本にのみかくの如き自由主義を採られては、世界におけるその道徳的地位を保つ得ぬに至るからである。そのときには、世界の小弱国は一斉に我が国に向かって信頼の頭を下ぐるであろう。インド、エジプト、ペルシャ、ハイチ、その他の列強属領地は、一斉に日本の台湾・朝鮮に自由を許した如く、我にもまた自由を許せと騒ぎ起つだろう。これ実に我が国の地位を九地の底より九天の上に昇せ、英米その他をこの反対の地位に置くものではないか。




石橋湛山
【靖国神社廃止の議 難きを忍んで敢て提言す】

甚だ申し難い事である。時勢に対し余りに神経過敏なりとも、或は忘恩とも不義とも受取られるかも知れぬ。併し記者は深く諸般の事情を考え敢て此の提議を行うことを決意した。謹んで靖国神杜を廃止し奉れと云うそれである。
 靖国神社は、言うまでもなく明治維新以来軍国の事に従い戦没せる英霊を主なる祭神とし、其の祭典には従来陛下親しく参拝の礼を尽させ賜う程、我が国に取っては大切な神社であった。併し今や我が国は国民周知の如き状態に陥り、靖国神杜の祭典も、果して将来これまでの如く儀礼を尽して営み得るや否や、疑わざるを得ざるに至った。

殊に大東亜戦争の戦没将兵を永く護国の英雄として崇敬し、其の武功を讃える事は我が国の国際的立場に於て許さるべきや否や。のみならず大東亜戦争の戦没者中には、未だ靖国神杜に祭られざる者が多数にある。之れを今後従来の如くに一々調査して鄭重に祭るには、二年或は三年は日子を要し、年何回かの盛んな祭典を行わねばなるまいが、果してそれは可能であろうか。啻に有形的のみでなく、亦精神的武装解除をなすべしと要求する連合国が、何と之れを見るであろうか。万一にも連合国から干渉を受け、祭礼を中止しなければならぬが如き事態を発生したら、都て戦没者に屈辱を与え、国家の蒙る不面目と不利益とは莫大であろう。
 
又右の如き国際的考慮は別にしても、靖国神杜は存続すべきものなりや否や。前述の如く、靖国神杜の主なる祭神は明治維新以来の戦没者にて、殊に其の大多数は日清、日露両戦役及び今回の大東亜戦争の従軍者である。然るに今、其の大東亜戦争は万代に拭ふ能はざる汚辱の戦争として、国家を殆ど亡国の危機に導き、日清、日露両戦役の戦果も亦全く一物も残さず滅失したのである。遺憾ながら其等の戦争に身命を捧げた人々に対しても、之れを祭って最早「靖国」とは称し難きに至った。とすれば、今後此の神社が存続する場合、後代の我が国民は如何なる感想を抱いて、其の前に立つであろう。ただ屈辱と怨恨との記念として永く陰惨の跡を留むるのではないか。若しそうとすれば、之れは我が国家の将来の為めに計りて、断じて歓迎すべき事でない。
 
言うまでもなく我が国民は、今回の戦争が何うして斯かる悲惨の結果をもたらせるかを飽まで深く掘り下げて検討し、其の経験を生かさなければならない。併しそれには何時までも怨みを此の戦争に抱くが如き心懸けでは駄目だ。そんな狭い考えでは、恐らく此の戦争に敗けた真因をも明かにするを得ず、更生日本を建設することはむずかしい。我々は茲で全く心を新にし、真に無武装の平和日本を実現すると共に、引いては其の功徳を世界に及ぼすの大悲願を立てるを要する。それには此の際国民に永く怨みを残すが如き記念物は仮令如何に大切のものと錐も、之れを一掃し去ることが必要であろう。記者は戦没者の遺族の心情を察し、或は戦没者自身の立場に於て考えても、斯かる怨みを蔵する神として祭られることは決して望む所でないと判断する。
以上に関連して、茲に一言付加して置きたいのは、既に国家が戦没者をさえも之れを祭らず、或は祭り得ない場合に於て、生者が勿論安閑として過し得るわけはないと云うことである。首相宮殿下の説かれた如く、此の戦争は国民全体の責任である。併し亦世に既に論議の存する如く、は国民等しく罪ありとするも、其の中には自ずから軽重の差が無ければならぬ。少なくも満州事変以来事官民の指導的責任の住地に居った者は、其の内心は何うあったにしても重罪人たることを免れない。然るに其等の者が、依然政府の重要の住地を占め或は官民中に指導者顔して平然たる如き事は、仮令連合国の干渉なきも、許し難い。靖国神社の廃止は決して単に神社の廃止に終るべきことではない。

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鎌倉時代、世は末法を呈していた。なぜならば、鎌倉時代に端を発する武家社会の萌芽と台頭、北条氏と天皇・上皇による権力闘争、元寇の来襲などで社会は混乱し、荒れていたからです。
そんな時代に日蓮宗は始まりました。

仏教を一言でいうならば、"ロマンチック"です。人の寿命は見かけの生死を超えた、無限の未来へと続いていく久遠のものと考えます。そんな僧侶の父から絶縁状態にあっても湛山は父親に感謝しています。

明治、大正、昭和、明治期勝ち戦で一等国となった日本は軍縮の大正を迎えその反動とも言える昭和期へと右、左、右と激動します。そんな世の中とは逆向するように湛山は軍人を志願し、ジャーナリストとして反戦を訴えます。

「満州を棄てる、山東を棄てる、その支那が我が国から受けつつありと考えうる一切の圧迫を棄てる」とあるように、国策に水を差すような言論を繰り返します。

この様な天邪鬼ともとれる行動は煩悩を消すという仏教の教えが色濃く影響しているとみて間違いないでしょう。

時代に逆向するような湛山の主張は日本の敗戦から受け入れられた訳でないのは"一人内閣"からしてもわかりますが、GHQさえ取り壊しを躊躇った靖国神社を日本人の手で廃止の方向へミスリードする態度は流石他教を排斥する日蓮宗の僧侶の子供であると痛感します。

このように靖国神社に於ける日本人の反靖国の根源は東京裁判史観という米国からの圧力と同時に神道を邪教視する仏教的視点からの捉え方が強く影響していると感じます。