【自民稲田氏の東京裁判検証に対する
恫喝的反論の検証】
戦後70年の8月15日に向けてメデイア各局は戦争特集を組み先の大戦の悲惨なイメージを生き残った体験者や戦没者遺族のコメントをある一点に向けて編集、放送していたように思う。
中国、韓国と日本との国家間の対立は歴史認識の食い違いに端を発している。
敗戦し東京裁判を受け入れ悪辣な日本軍であったことを認め耐え難きを耐えた後に日韓に対してもことさら誇張を許してきた末の今である。
国内の教育でも触れない、教えないことで日本人としてのプライドを維持してきた。つまり、日本が侵略戦争し、近隣諸国を植民地にし、その国民に多大な犠牲者を出した。
という主語のあやふやで曖昧な歴史観を敗戦の責任としての東京裁判史観として享受してしまった。
ドイツと違い日本はポツダム宣言を受諾し、サンフランシスコ平和条約で講和した。つまり、東京裁判を受け入れ覆さない条件で平和を手にいれた。
国民全てが耐え難きを耐え東京裁判を受け入れ
ることで、東京裁判の受益者として今がある。
我々は70年間加害者として日本人を演じ続けたのである。
昨今この歴史認識を巡って中韓との関係がギクシャクし始めた。
これをほぼ半分の日本人は安倍政権の右傾化、其れに伴うナショナリズムの復活に起因するとしたいようだ。
受益者としての日本人はそれ以前からある中韓の被害者ビジネスや其れに加担する日本人にさえ目を瞑ろうとしてきた。
そのバランスを崩したのか安倍政権である。安倍政権の支持率をみれば少なくとも6割近い日本人は気付いているだろう。
そんな中にあって、左派のメデイアは情報弱者と中間層の取り返しを画策して、安保法案に焦点を絞り安倍おろしに躍起である。
ツイッターで2万人以上のフォロアーがいる山崎氏も追従してこの様なツイートを乱発している。
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《山崎雅弘さんのツイート》
寺崎英成『昭和天皇独白録』の作成経緯が示すように、東京裁判での戦争指導者断罪や日本国憲法の非軍事化は、どちらも「天皇の不起訴と存続」と引き換えという側面もある。後者二点を「戦勝国の横暴」だと蒸し返すなら、戦勝国は「そうか、では昭和天皇の戦争責任も一緒に議論しようか」と切り返せる。
当時の日本人が東京裁判での戦争指導者断罪と日本国憲法の非軍事化を受け入れたのは、それが総合的に「最善の道」だと判断したからで、結果として日本は戦後70年間、戦争や紛争の直接の当事国とならずに済んだ。作成に関わったアメリカ人も、まさかここまで長持ちするとは思わなかったかもしれない。
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《昭和天皇独白論の製作経緯》
本篇は昭和二十一年三月十八日、二十日、二十二日、四月八日(ニ回)、合計五回、前後八時間余に亘り大東亜戦争の遠因、近因、経過及終戦の事情等に付、聖上陛下の御記憶を松平宮内大臣(慶民)、木下侍従次長、松平宗秩寮総裁(康昌)、稲田内記部長及寺崎御用掛の五人が承りたる処の記録である、陛下は何も「メモ」を持たせられなかった
前三回は御風気の為御文庫御引篭中特に「ベッド」を御政務室に御持込みなされ御仮床のまま御話し下され、最后の二回は葉山御用邸に御休養中特に五人が葉山に参内して承ったものである
記録の大体は稲田が作成し、不明瞭な点に付ては木下が折ある毎に伺ひ添削を加へたものである
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この様な巧みなロジックで未だに戦勝国、敗戦国の言葉を使い、GHQの出先機関のように東京裁判、太平洋戦争の検証に検閲じみた真似の言論空間を堅持しようとするのだ。
彼のツイートには匿名覆面のネトウヨからの自身のツイートに対する誹謗中傷のリプライが増えたようであるが、私もその中の一人となるのだろう。
東京裁判を否定する勢力を潰すために彼等左派言論人が使うロジックは大きく分けて2パターンある。
まずは東京裁判を受け入れ講和したサンフランシスコ平和条約の11条の
日本が「東京裁判を受諾」したのだから、その判決ないしは事実認定、ときにはそこから導かれた現在の政治状況等について、日本自身が認めているものと解する主張からの、
これを覆せばアメリカは再戦出来る。という恫喝と、上記のツイートにもある天皇陛下の戦争責任の追及との恫喝である。
あたかも独白論が東京裁判の判決結果を全肯定
している内容のものと誤解させる引用はまさに天皇陛下のアンタッチャブルな部分の利用にほかならない。
当時の最善の道がはたして今現在も正しいのかとの検証すら許さない左派の言論を鵜呑みにするフォロアーが二万人いるかと思うと匿名覆面のネトウヨと呼ばれようがリプライせずにはいられない。
恫喝的反論の検証】
戦後70年の8月15日に向けてメデイア各局は戦争特集を組み先の大戦の悲惨なイメージを生き残った体験者や戦没者遺族のコメントをある一点に向けて編集、放送していたように思う。
中国、韓国と日本との国家間の対立は歴史認識の食い違いに端を発している。
敗戦し東京裁判を受け入れ悪辣な日本軍であったことを認め耐え難きを耐えた後に日韓に対してもことさら誇張を許してきた末の今である。
国内の教育でも触れない、教えないことで日本人としてのプライドを維持してきた。つまり、日本が侵略戦争し、近隣諸国を植民地にし、その国民に多大な犠牲者を出した。
という主語のあやふやで曖昧な歴史観を敗戦の責任としての東京裁判史観として享受してしまった。
ドイツと違い日本はポツダム宣言を受諾し、サンフランシスコ平和条約で講和した。つまり、東京裁判を受け入れ覆さない条件で平和を手にいれた。
国民全てが耐え難きを耐え東京裁判を受け入れ
ることで、東京裁判の受益者として今がある。
我々は70年間加害者として日本人を演じ続けたのである。
昨今この歴史認識を巡って中韓との関係がギクシャクし始めた。
これをほぼ半分の日本人は安倍政権の右傾化、其れに伴うナショナリズムの復活に起因するとしたいようだ。
受益者としての日本人はそれ以前からある中韓の被害者ビジネスや其れに加担する日本人にさえ目を瞑ろうとしてきた。
そのバランスを崩したのか安倍政権である。安倍政権の支持率をみれば少なくとも6割近い日本人は気付いているだろう。
そんな中にあって、左派のメデイアは情報弱者と中間層の取り返しを画策して、安保法案に焦点を絞り安倍おろしに躍起である。
ツイッターで2万人以上のフォロアーがいる山崎氏も追従してこの様なツイートを乱発している。
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《山崎雅弘さんのツイート》
寺崎英成『昭和天皇独白録』の作成経緯が示すように、東京裁判での戦争指導者断罪や日本国憲法の非軍事化は、どちらも「天皇の不起訴と存続」と引き換えという側面もある。後者二点を「戦勝国の横暴」だと蒸し返すなら、戦勝国は「そうか、では昭和天皇の戦争責任も一緒に議論しようか」と切り返せる。
当時の日本人が東京裁判での戦争指導者断罪と日本国憲法の非軍事化を受け入れたのは、それが総合的に「最善の道」だと判断したからで、結果として日本は戦後70年間、戦争や紛争の直接の当事国とならずに済んだ。作成に関わったアメリカ人も、まさかここまで長持ちするとは思わなかったかもしれない。
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《昭和天皇独白論の製作経緯》
本篇は昭和二十一年三月十八日、二十日、二十二日、四月八日(ニ回)、合計五回、前後八時間余に亘り大東亜戦争の遠因、近因、経過及終戦の事情等に付、聖上陛下の御記憶を松平宮内大臣(慶民)、木下侍従次長、松平宗秩寮総裁(康昌)、稲田内記部長及寺崎御用掛の五人が承りたる処の記録である、陛下は何も「メモ」を持たせられなかった
前三回は御風気の為御文庫御引篭中特に「ベッド」を御政務室に御持込みなされ御仮床のまま御話し下され、最后の二回は葉山御用邸に御休養中特に五人が葉山に参内して承ったものである
記録の大体は稲田が作成し、不明瞭な点に付ては木下が折ある毎に伺ひ添削を加へたものである
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この様な巧みなロジックで未だに戦勝国、敗戦国の言葉を使い、GHQの出先機関のように東京裁判、太平洋戦争の検証に検閲じみた真似の言論空間を堅持しようとするのだ。
彼のツイートには匿名覆面のネトウヨからの自身のツイートに対する誹謗中傷のリプライが増えたようであるが、私もその中の一人となるのだろう。
東京裁判を否定する勢力を潰すために彼等左派言論人が使うロジックは大きく分けて2パターンある。
まずは東京裁判を受け入れ講和したサンフランシスコ平和条約の11条の
日本が「東京裁判を受諾」したのだから、その判決ないしは事実認定、ときにはそこから導かれた現在の政治状況等について、日本自身が認めているものと解する主張からの、
これを覆せばアメリカは再戦出来る。という恫喝と、上記のツイートにもある天皇陛下の戦争責任の追及との恫喝である。
あたかも独白論が東京裁判の判決結果を全肯定
している内容のものと誤解させる引用はまさに天皇陛下のアンタッチャブルな部分の利用にほかならない。
当時の最善の道がはたして今現在も正しいのかとの検証すら許さない左派の言論を鵜呑みにするフォロアーが二万人いるかと思うと匿名覆面のネトウヨと呼ばれようがリプライせずにはいられない。