天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

匿名覆面のネトウヨ

2015-08-31 11:14:38 | 時事
【自民稲田氏の東京裁判検証に対する
恫喝的反論の検証】


戦後70年の8月15日に向けてメデイア各局は戦争特集を組み先の大戦の悲惨なイメージを生き残った体験者や戦没者遺族のコメントをある一点に向けて編集、放送していたように思う。

中国、韓国と日本との国家間の対立は歴史認識の食い違いに端を発している。

敗戦し東京裁判を受け入れ悪辣な日本軍であったことを認め耐え難きを耐えた後に日韓に対してもことさら誇張を許してきた末の今である。

国内の教育でも触れない、教えないことで日本人としてのプライドを維持してきた。つまり、日本が侵略戦争し、近隣諸国を植民地にし、その国民に多大な犠牲者を出した。

という主語のあやふやで曖昧な歴史観を敗戦の責任としての東京裁判史観として享受してしまった。

ドイツと違い日本はポツダム宣言を受諾し、サンフランシスコ平和条約で講和した。つまり、東京裁判を受け入れ覆さない条件で平和を手にいれた。

国民全てが耐え難きを耐え東京裁判を受け入れ
ることで、東京裁判の受益者として今がある。

我々は70年間加害者として日本人を演じ続けたのである。

昨今この歴史認識を巡って中韓との関係がギクシャクし始めた。

これをほぼ半分の日本人は安倍政権の右傾化、其れに伴うナショナリズムの復活に起因するとしたいようだ。

受益者としての日本人はそれ以前からある中韓の被害者ビジネスや其れに加担する日本人にさえ目を瞑ろうとしてきた。

そのバランスを崩したのか安倍政権である。安倍政権の支持率をみれば少なくとも6割近い日本人は気付いているだろう。

そんな中にあって、左派のメデイアは情報弱者と中間層の取り返しを画策して、安保法案に焦点を絞り安倍おろしに躍起である。

ツイッターで2万人以上のフォロアーがいる山崎氏も追従してこの様なツイートを乱発している。

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《山崎雅弘さんのツイート》

寺崎英成『昭和天皇独白録』の作成経緯が示すように、東京裁判での戦争指導者断罪や日本国憲法の非軍事化は、どちらも「天皇の不起訴と存続」と引き換えという側面もある。後者二点を「戦勝国の横暴」だと蒸し返すなら、戦勝国は「そうか、では昭和天皇の戦争責任も一緒に議論しようか」と切り返せる。


当時の日本人が東京裁判での戦争指導者断罪と日本国憲法の非軍事化を受け入れたのは、それが総合的に「最善の道」だと判断したからで、結果として日本は戦後70年間、戦争や紛争の直接の当事国とならずに済んだ。作成に関わったアメリカ人も、まさかここまで長持ちするとは思わなかったかもしれない。


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《昭和天皇独白論の製作経緯》

本篇は昭和二十一年三月十八日、二十日、二十二日、四月八日(ニ回)、合計五回、前後八時間余に亘り大東亜戦争の遠因、近因、経過及終戦の事情等に付、聖上陛下の御記憶を松平宮内大臣(慶民)、木下侍従次長、松平宗秩寮総裁(康昌)、稲田内記部長及寺崎御用掛の五人が承りたる処の記録である、陛下は何も「メモ」を持たせられなかった

前三回は御風気の為御文庫御引篭中特に「ベッド」を御政務室に御持込みなされ御仮床のまま御話し下され、最后の二回は葉山御用邸に御休養中特に五人が葉山に参内して承ったものである

記録の大体は稲田が作成し、不明瞭な点に付ては木下が折ある毎に伺ひ添削を加へたものである

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この様な巧みなロジックで未だに戦勝国、敗戦国の言葉を使い、GHQの出先機関のように東京裁判、太平洋戦争の検証に検閲じみた真似の言論空間を堅持しようとするのだ。

彼のツイートには匿名覆面のネトウヨからの自身のツイートに対する誹謗中傷のリプライが増えたようであるが、私もその中の一人となるのだろう。

東京裁判を否定する勢力を潰すために彼等左派言論人が使うロジックは大きく分けて2パターンある。

まずは東京裁判を受け入れ講和したサンフランシスコ平和条約の11条の

日本が「東京裁判を受諾」したのだから、その判決ないしは事実認定、ときにはそこから導かれた現在の政治状況等について、日本自身が認めているものと解する主張からの、

これを覆せばアメリカは再戦出来る。という恫喝と、上記のツイートにもある天皇陛下の戦争責任の追及との恫喝である。

あたかも独白論が東京裁判の判決結果を全肯定
している内容のものと誤解させる引用はまさに天皇陛下のアンタッチャブルな部分の利用にほかならない。

当時の最善の道がはたして今現在も正しいのかとの検証すら許さない左派の言論を鵜呑みにするフォロアーが二万人いるかと思うと匿名覆面のネトウヨと呼ばれようがリプライせずにはいられない。
コメント

赤信号みんなで渡れば

2015-08-30 17:54:54 | コラム
『赤信号みんなで渡れば怖くない』
との標語ギャグが流行してから
随分時が経過した。

国会前に集まる集団を見て思い出した。

赤信号は止まれと横断を規制するサインだ
勿論車が集団に気付いて止まってくれる、
止まるだろうとの希望的観測からの想像で
成立する。

脱法ハーブで車を運転など最近は歩道でさえ安心出来ない。

実際に赤信号を集団で渡ることなど目にしたことなどないし、実行したものもいないだろう。

つまり道交法と言う法律を、集団で破れば罪悪感が薄れるといった場合の犯罪幇助的なギャグである。と考えるほうが腑に落ちる。

時の政権の法案に様々な難癖をつけて廃案に持ち込みあわよくば政権の座から引きずり下ろそうという野党、マスコミ、芸能界、左翼は

赤信号、 つまり戦争法案との間違ったスローガンを『みんなで潰そうとすればきっと叶う』
なのだろうか?

本当に渡る集団を50年振りに見た。



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靖国神社で絡んでくる人

2015-08-29 04:58:03 | 時事
よく勉強されている反靖国?の方のリプで、神道と靖国にまた日本史に於いてそこそこ知識が無いとこの小馬鹿にしたような絡みは出来ません

通常反靖国の教授陣を批判しておりますので
高尚な絡みリプもございます。以下・・


『国家神道の問題に加えA級戦犯合祀で、靖國は更にややこしくなった。東京裁判で刑を免れた昭和天皇がA級戦犯合祀した靖國を参拝したら、政治問題になる。今上天皇だって、その姿勢を踏襲せざるを得ない。……筑波宮司が御存命だったらなあ。』

『もとが招魂社ですから、どうしても政治問題になりますね。政治施設。梅原猛先生が仰有ってたように、倒した相手を「祟らないで。お願い」と神様に祀り上げるのが伝統的神道なのに、靖國は逆なんです。
崇徳院の怨霊を鎮めるための白峰神社が、今は、こう http://t.co/9lQacq24eU 。こちらのほうが、お好きなんじゃないですか。ぼくも、こういうのが好きです。』

神道の考えの中に祟り神の信仰があります。手厚く祀りあげることで強力な守護神となると信仰される神々です。

八百万の神の考えはたとえ敵であっても忌み嫌うのでなく手厚く祀る神となるのです。
昭和天皇も白峰神宮には800年祭に勅使を送っておられます。

梅原猛は靖国で『人情として戦争で死んだ
人の冥福を祈るのは分かるが、そのなかにはたくさんの隣人を殺した人間も含まれる』

などと妄言に近い問題発言もしておりますが、靖国は冥福を祈る場所ではありません。

初歩的な段階で神道を見誤り妄言を吐いて貶めることは逃げ道を作って貶めている薄汚ささえ感じます。

東京裁判で刑を逃れたとの言い回しも実に不敬極まりない発言です。

御親拝されるから政治問題になるのではありません。


先帝陛下の最後の御親拝は昭和50年11月21日
です。その年の8月15日三木首相が戦後初めてこの日に国家護持で揺れる遺族感情と自己保身の為、玉ぐし料はポケットマネーで、公用車をつかわず、肩書きを付けず、SPを同行せずの私的参拝を行い政治問題化したのです。

政治不介入の皇室は国民の考えが二分するような政治問題が発生している場所へは行かれないことからこの年を最後に中断されているのであって、決して政治問題になるからではないのです。

最後に筑波宮司が出てきますが、富田メモにあるように戦犯合祀を最後まで棚上げしていた宮司です。

筑波宮司の死後、松平宮司が昭和53年に合祀するのですが名前を白菊会とし宮内庁に上奏します。

ここからは私個人の想像です。

元A級戦犯の合祀は棚上げされていました、靖国を国家護持にする法案が提出されるなど合祀は二の次の状態であったのです。

おそらく合祀も陛下の独断で行うこともできなかったはずです。

白菊会として上奏された祭神名表を徳川侍従長が見落とし合意してしまったのでしょう。

このことを戦犯合祀に陛下が不快感との富田メモをリークしてうやむやにしたのではないでしょうか。


ですから戦犯が合祀された靖国に天皇陛下が御親拝すると政治問題になるのではないのです。

公的参拝が政治問題化して、御親拝出来なくなったところに内々に合祀したところ朝日新聞がスクープで合祀に問題があるような記事にしたため公的参拝よりも大きい政治問題となるよう意図的に仕組み、富田メモで合祀に問題があるから御親拝されないとの複雑で巧妙なストーリーを捏造したのです。合祀された戦犯の中に軍人でない者、病死者が含まれるなどの尾ひれがつきますが、大東亜戦争以前の宮司の序文を最後に載せますのでお読み下さい。



昭和10年『靖国神社忠魂史』(陸海軍官房監修)全五巻が発刊されました。 これは満州事変以前の戦争で死亡した日本軍兵士の名前が書き記されたものですが、

明治42年から昭和14年の30年間
靖国第三代宮司をつとめた加茂百樹氏が

刊行に際して序文を記しています。


靖国神社の祭神は男女の区別もなく、又階級的に何等の差別なく祭祀されてゐるのでありますが、世には往々靖国神社を以て軍人の殉難者を祀る神社であるかに考えてゐる者があります。 之は誤解も甚しいもので、かくては一視同仁の聖徳を涜し奉るものと云ふべきであります。 茲に祭神生前の官職身分等の大略を挙ぐるも、維新前には公卿・藩士・神職・僧侶・百姓・町人あり又明治以後には、陸海軍を初とし地方官・外交官・警察官・鉄道従業員・従僕・職工等があります。 〔中略〕 かくの如く靖国神社の祭神は、階級を超越し、国民を綜合した忠勇義烈の御霊でありまして、換言すれば、実に忠君愛国の全国民精神を表現し給ふところの神であると申すべきであります。〔後文略〕 
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神道は宗教ではない

2015-08-28 01:37:52 | コラム
このように断言することで時折反対や異議のリプを頂く。この断言に特に深い意味はない。

つまり、どう思うかは其々の自由である。学問としてのカテゴライズに私自身が重きを置いていない。

だから異論のリプの方と議論を戦わせることも本題からズレるのでしたくない。寧ろ歓迎の気持が大きい。

次のようなリプを頂いたのでブログとして掲載させて頂く。

『確かに日本文化の根底には多少なりとも存在しゆるのかもしれないけど、古代から中世にかけて仏教と神道で宗教対立、宗教論争はあったわけだし「神は仏の本当の姿だ」(本地垂迹説)なんて言いがかりをつけて布教をしたくらいです。ちなみに上記の真逆で反本地垂迹説なんかもありましたどの時代も宗教論争は絶えませんねぇ』

との彼の主張は宗教対立、宗教論争として表現される歴史学の印象からくる操作によって宗教として対立しているから宗教である。

とのいささか乱暴な論拠であるが、どうやら神道や宗教に対峙するその者の姿勢で如何様にも解釈出来ると言うことも可能となる。

久米邦武は近代歴史学の先駆者で、
「神道ハ祭天ノ古俗」
神道とは自然崇拝(アニミズム)に属する古くからの習俗であって、教条的な宗教ではない、との主張があった。

これは当時の神道を挑発したものだが、久米邦武筆禍事件として、教授職を辞するまでになった。

つまり久米邦武は左派的視点から神道は宗教でないと断言しているが、宗教学の主流と真逆であることはとても興味深い。

神道は宗教であるとする学界と左派は政治的なある一点でその主張を曲げないだけに過ぎない

ここで少し神道の歴史を振り返ると

自然崇拝に属する古来の習俗が宗教であるならば伝来してきた時点で対立するなりし、どちらかが衰退していったことは想像に難くない。

しかし、奈良時代以降、神仏習合が進み、神仏をともに融合するための理論として本地垂迹説が唱えられる。

神道を宗教のように見せたいという願望によって生まれた訳で、様々な解釈が存在した。

江戸時代にはいると、儒家神道というのが唱えられるが、神道と儒教をいっしょにしようとするものだ。

このように仏教や儒教といっしょにしないと、神道は宗教とはよべないものであり、寧ろ宗教である方向を望んでいた。

江戸時代後期になって、平田篤胤という国学者が登場して、復古神道を唱える。

復古神道とは、神道を仏教伝来以前の姿にもどせという主張だが、仏教伝来以前の神道はアニミズムであり、平田一派があれこれと創作をした珍奇な宗教との批判がある。

平田篤胤が唱えた排他的な国学と神道が、幕末の尊皇攘夷運動の思想的背景となった関係から、明治はじめに神祇官となったものは、平田篤胤の信奉者だったといういきさつがあり、弾圧された仏教側からは疎ましいであろう。

明治の王政復古によって、奈良~平安時代の律令制の官制が復活すれば、当然、混乱が生じる。

このときに、神祇官という官職が復活し、高い地位を得ることになるが、神祇官に就任した国学者たちは神道の国教化をすすめ、神仏分離令を出して廃仏毀釈を主導した。

制度としての神祇官はすぐに廃止されたが、神祇省、教部省と名前をかえて、神道の国教化を継続 し、国教化する以上神道は「宗教」でなくては困るということが神道に対峙する他宗教の考えである。

神仏習合により奈良期以降、伊勢神宮にさえ神宮寺が存在したが、「神宮祭主職舎本館」といい、廃仏毀釈の時に廃寺となった「慶光院」という尼寺の境内地と建物を伊勢神宮が買い取り、明治5年に神宮司庁の庁舎となった。

歴代天皇が伊勢神宮に御親拝することは1000年以上なかったが明治天皇より再開されている。

「国家神道」は広義には神道的な実践を国民統合の支柱とするものであり、

明治政府は「神道は宗教ではない」(神社非宗教論)という公権法解釈に立脚し、神道・神社を他宗派の上位に置く事は憲法の信教の自由とは矛盾しないとの公式見解を示した。

つまり右派は明治政府の解釈と神道を支持しているのであって、この時の神道に対峙する、出雲大社、仏教、一神教

戦後明治政府、神道、皇室を否定し貶める上記の残党、左派、学界にとっては政教分離の立場から「神道は宗教である」との久米邦武とは真逆の主張になるのである。

故に、神道は宗教であろうが無かろうが唯一言えるのは皇紀2675年皇室と神道は日本人と共にあり、国教たり得たただ一つの教えだろう。

「神道ハ祭天ノ古俗」

『神道は宗教にあらずなのだ』



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戦争体験を利用

2015-08-25 08:21:54 | 時事
新兵に「人殺しの度胸を付けさせるため」と捕虜を銃剣で突き刺させたり人肉鍋を食べさせたり・・父や叔父たちが深酒になった時に限り出てた話題です。
「いつまで謝り続けるのか」の前に「いつになったら事実を知るのか」です。

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彼らは悲惨さを強調し、決して美化を許さない
、事実などこの時代検索し知ろうとすればいくらでも可能だ。

90歳を過ぎた老人の口承はどんな小説よりもインパクトはあるし、吉田清治で経験済みだ。しかしながら年老いた戦争体験の悲惨さをもっと知れと解く。

『昔は敗戦の将兵を語らず』と口を噤んだものだが家永教科書裁判で文部省は家永の表現する歴史は暗いと異を唱えたのである。
この違いはなんであろう?

話が少しずれるかもしれないが、昔は戦争など知らなくていいであり、今は清濁全て知るべきだ、なのだ。どう考えても真逆である。

二度と繰り返さない為にであればどちらでも理解出来る。前者はそうならないように守ってやる、後者はそれぞれが知り自己責任で判断しろであろうか?

これを踏まえてもう一度見れば
彼が導こうとするロジックが明確になる。

『謝り続けろ』であり、無知な若者達を土下座させ安倍談話を否定する為の理論誘導であることが解る。

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