天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

薬を止めれば病気が治る

2015-03-30 09:22:55 | 健康
常々思うことがある。

接骨院の前に長蛇する80オーバーの御老人達
戦争体験者だろ、と目を疑う。

かたや、芸能人など有名人が60前後で若くしてその生涯を終えている。

戦後利得者を考えている時にふと感じた、医薬業界も当てはまると。

気になって少し調べたら直ぐに理解できた。

医者を志す者全員が医療を学ぶのに除外するものそれは、人間の自然治癒力らしい。

当たり前と言えば、当たり前。医者が患者の治癒力を期待すれば、本末転倒と罵倒されかねない。

しかしながら、医者は病気を治すのでなく、症状を和らげる役割、あくまで本人の体が自力で完治に向かうのだ。

それを患者側が理解していない処に問題の根源がある。彼らにとって医者はお医者様、教授、偉い先生であり、神様となってしまっている。

医者は全能では無いし魔術師でもない、群馬の医大で7人連続内視鏡手術で殺していた医者が話題になった。

一体何人犠牲になれば一人前の名医になるのだろう。

抗がん剤もしかりである。殆んど全員の医者が自分が癌になったら抗がん剤を使わないと言い患者には進めている。

ある種の宗教だ、ともいえる。

その教祖である医師と信者である患者の持ちつ持たれつの関係で現代医療が成立している事が問題なのだ。

薬を止めれば病気が治ると書籍まで出版する医師や薬剤師が脚光を浴びる、おかしな時代だ。

抗がん剤だけでなく薬漬けの医療は自分なら飲まない薬を患者に処方、また患者も薬を欲しがり病気自慢で信者拡大。

もう一度言う、医者は病気を治せない。

健康を気遣う事が一番健康に悪い。

痛い時だけどうしても我慢できない時だけ医者に行け‼️

これぐらい言っても何も変わらんだろうな。

笑えない爆笑問題

2015-03-30 07:47:54 | 時事
爆笑問題の太田が
TBSラジオで首相批判を繰り返した。

「安倍は馬鹿野郎だし幼稚すぎる。国を守りたい日本を取り戻したいなら沖縄を取り戻せ、なんで沖縄を守らないのあの馬鹿は」

私はとても笑えない!

まず漫才師がネタでなくただ政治プロパガンダを垂れ流しているだけだからだ。

つまり、落ちがないからだ。

それが爆笑問題だとしよう、漫才としてはボケが強調されすぎ、突っ込みが弱過ぎる。
ボケで真実をデフォルメし弱過ぎる(賛同する)突っ込みで否定は疎か強調してしまっている。

それが爆笑問題だとしてもスタイル自体はツービートと変わらない。

つまり漫才としても政治解説としても成立していない。

だから笑えないのだ。

笑えない理由はまだある。

仮にも国家元首?である首相の名前を呼び捨て
にし、その人格までも貶め、政策にも苦言を呈している。

メディアがその責任を出演者にまで押し付け政権批判していると捉えられても文句はいえない

ラジオでは爆笑問題として一応の訂正のような
突っ込みを相方が呟いてはいるが、そのどちらの役割もはたしていない。

言いたい事はまだまだあるが

お笑いで今一番ウケるのはメディア批判だ、それを気付いていてやらないのはホサレルのが怖いか、笑いのセンスがないかだ。

笑えない。


通州事件がマイナーな理由

2015-03-28 23:47:40 | 歴史
今回はリクエストがありましたので、多少私情を交えます。

私は通州事件に触れると涙が溢れ出す。
あえて触れない様にしてきた。
身内が被害に遭ったわけでもなく、悲惨で悲しい涙では無い。

日本人いや、日本軍の人の良さとそれが貶められている悔しさの涙かもしれない。

歴史で通州事件を語るのには注意が必要だ、
民族間の対立にも発展しかねない非常にデリケートな事件であり、表現も慎重にならざるを得ない。


歴史とは果たしてなんなのだろうか?日本だけが捏造と他国の歴史観をいつまで押し付けられなければならないのか。

この国は大戦に敗れ戦勝国側の偏った歴史を無理やり近現代史としてしまった。

それは日本人が日本人としてのアイデンティティーやプライドをも奪われるように巧みにプログラムされていたのだ。

日本軍が犯したとされる南京大虐殺の証拠写真と言われるものがある。

驚くべきはその写真は日本人が260人無残に虐殺された事件、通州事件の残虐な写真であった

(その残忍さには今回触れないので耐性のある方のみご自分で調べてください。)

通州事件を学ぶ際に次の3つを念頭において欲しい。

①この時代邦人に対する事件(テロ行為)は頻発していた。
②ソ連と共産党との繋がり
③日本側も伏せようとした


年表を見てもらうと分かりやすいが当時邦人に対するテロ行為が頻発していた。大きな事件だけでもこれだけあるのだ。

《年表》

昭和6年6月27日 中村大尉事件


昭和6年9月18日 満州事変

昭和10年1月21日 汕頭邦人巡査射殺事件
昭和10年7月10日 上海邦人商人射殺事件
昭和10年9月19日 漢口邦人巡査射殺事件
昭和10年11月1日 汪兆銘狙撃事件
昭和10年11月9日 中山一等水兵射殺事件

10年当時の上海には28,000人の日本人が居留していた
昭和11年7月10日 萱生事件
昭和11年8月24日 成都事件




昭和12年7月7日 盧溝橋事件

昭和12年7月25日 廊坊事件
昭和12年7月26日 広安門事件

昭和12年7月29日 通州事件

昭和12年8月9日 大山大尉虐殺事件


7月に集中しているのもお分かり頂けるだろう
これだけの事件が起こればどんな温厚な国でも戦争になりそうなものであるが、日本は逆に戦争にならないように工作していたのだ。

何故か?

当時、日本軍は支那駐屯が5600総軍25万
対する支那国民党は210万だ。10倍近い兵力差はおいそれ戦争などできない現実もあった。

当時の読売新聞では一面で報じられた。


当時の大陸は統一政権がない、コミンテルン
は大量の工作員を支那に送り込み、毛沢東率いる支那共産党に莫大な経費を与え、支那の共産主義化の促進を図った。

通州事件も当時冀東防共自治政府保安隊が南京放送のラジオのデマに踊らされて日本軍を襲った。

盧溝橋事件以降は支那共産党が仕組んだ工作によって日本軍と国民党軍を戦争に持ち込もうとする作戦が頻発している。

日本にとって、日本人として忘れてはならない残虐な事件であることは間違いない、それに耐えた日本軍が侵略戦争、日中戦争と汚名をきせられることになるのだ。

まさに日本軍は大陸の平和の為にその身を捧げ事変をおこしたのだ。

私はこの現実が歪曲され侵略戦争とされた事に
そして村山談話で認めてしまったことに激しい憤りを感じる。

最後にあまり通州事件の細部まで語れなかったので中国側から見た通州事件の見解(左翼日本人が書いたのか?)のコピーを
貼ったので読んでその怒りのパワーで、是非皆さんも各々調べて深く学んで頂きたい。





『日本側が中国との戦争について討論する時よく通州の反乱について取り上げ、しばしば「通州大虐殺」について触れる。では、通州の反乱とはどういうことだったのか?
実際通州の反乱の過程はシンプルで、それほど書くことはない。これは7月29日当時旧冀東防共自治政府の拠点、通州で起こった偽軍(治安部隊)反日事件である。

日本側は、通州事件では合わせて235人が死亡したと公言している。その中には細川特務機関・日本車隊などの軍人も含まれていた。ではたとえ軍人が50人だけだったとしても死亡した残りの移民は200人にも満たず、また日本人もその中の半分は朝鮮人が占めていると公言している。では、日本人のうち通州で死亡した移民は実質たかだか数十人に過ぎないということになる。もし女性子どもを除けば人数はもっと少なくなる。こう見ると比較的大きな交通事故の死亡人数と変わらないではないだろうか。

それに対し旧日本軍は中国で起こした数十人規模が死亡する事件は千にとどまらない。もしこの規模の事件すらも日本の教科書が記載するというのなら、日本の学生のカバンは閉まらなくなってしまう恐れがある。』



ねっ❗️頭にくるでしょ立ち上がれ日本‼️

ホロコーストリビジョニスト

2015-03-26 23:11:17 | 歴史
ホロコーストは
元来はユダヤ教の宗教用語にあたる「燔祭」(獣を丸焼きにして神前に供える犠牲)を意味するギリシア語で、のち転じて火災による大虐殺、大破壊、全滅を意味するようになった。
英語では、ユダヤ人虐殺に対しては定冠詞をつけて固有名ザホロコースト。大虐殺である。

リビジョニストは
修正主義者、否定論者

ホロコーストリビジョニストとは大虐殺否定論者である。


ナチスドイツによる600万人と言われるユダヤ人大虐殺はその内容を論ずる事が法律によって禁止されているのはご存知であろう。

ドイツ国内では5年の懲役刑となる。

日本においてもタブー視され大虐殺に関して触れる者は奇異な視線を浴びることとなる。

しかしながら日本にとって遥か遠い西欧諸国の話と胡座をかいてもいられない。

南京大虐殺の問題だ、現在日本で南京大虐殺は
無かったと公言したらどうだろう。

たちまちホロコーストリビジョニストのレッテルを貼られ中国政府は懸念を表明するのであろう。

ドイツのように南京大虐殺を論ずる者は懲役刑が課せられようになりかねない雰囲気さえも日本にはある。

中国政府の公言する30万人の大虐殺を放置してそのまま触れない、つまり村山談話を踏襲する
と言う政府方針は

本家ホロコーストの様子を伺いながら侵略を認めつつ、大虐殺を時間をかけて否定出来ればいいか、そのままにする。のどちらかなのだろう

近年本家のホロコーストリビジョニストが意を唱え始めている

ここであえて本家には触れないがドイツと日本は共に連合国の敵国である。

ニュールンベルグと東京裁判はどちらも連合国軍のガス室だったのかもしれない。

盧溝橋事件

2015-03-23 08:42:44 | 歴史
盧溝橋事件を考える前に頭に入れておかなければならないことがあります。

「敗戦革命」です。
レーニンが編み出した理論です。
 彼が母国のロシア帝国で成功させた共産主義革命をモデルとした革命思想のことです。

1)帝国主義国家同士を謀略でもって、お互いを戦争させる。
2)戦争当事国を疲弊させ、戦争による不満を充満させ、国家元首と国民を離間させる。
等々。

支那事変(日本ではまだ日中戦争)へと突入するきっかけとされています。当時中国でも戦争でもないこの戦いが何故日中戦争と呼ばれるのか

その謎が解けるポイントとなる事件でもありますので、皆さんも御自分でお調べになることをお勧めして、本題に入ります。



当時、盧溝橋の近くで、現地に駐屯していた日本軍は夜間演習を行っていました。

日本軍駐屯地の近くには、支那・国民党軍(蒋介石軍)も駐屯していたのですが、銃撃を受けた日本軍は、その銃撃が国民党軍によるものと思いこみ、遂に日本軍と国民党軍の武力衝突となります。

これが盧溝橋事件です。

日本軍が最初に銃撃を受けた際 、日本軍は「丸腰」つまり、演習の為、実弾を携行していなかったのです。

ですから、橋本群陸軍中将(駐屯軍参謀長)も当時の状況を、「実弾を持たずに発砲された為、応戦出来ず、非常に危険な状況に置かれた」と証言しています。

実は事件当時、当の国民党軍も、銃撃を受けているのです。

盧溝橋で銃撃を受けた日本軍は国民党軍によるものと思い込みましたが、反対に、国民党軍は日本軍によって銃撃を受けたものと思い込んだ訳です。

この事件が発端となって、日本軍と国民党軍は交戦状態に突入したのですが、現地解決・事件不拡大方針で交渉、事件発生後5日目に、日支両軍は停戦協定を結んだのです。

つまり、日本軍はこれ以上、事を荒立てたくは無い、と言った訳で、支那との全面戦争等、最初から欲してはいなかった訳です。

7月8日、つまり、「盧溝橋事件」発生の翌日、支那共産党は「対日全面抗戦」を呼び掛けているのです。

間違いなく共産党は、事件が起きる事を知っていました。実は、「盧溝橋事件」共産党による「謀略」だったからです。

つまり、共産党の工作員が夜陰に乗じて、盧溝橋付近に駐屯していた日本軍・国民党軍双方に発砲し、両軍が交戦する様にし向けたのです。

「盧溝橋事件」は、共産党による「謀略」だった。当時、国民党に対して劣勢だった共産党は、「起死回生」を図る為、

日本軍・国民党軍双方を戦わせて疲弊させ、支那全土の支配権を得ようと考えたのです。

結果的に狙いは的中し、日本はその後、8年間の長期に支那大陸を舞台に「日中戦争」を戦わされる羽目になりました。

更に、その後、共産党は国共内戦で国民党に勝利し、遂に支那全土の支配権を獲得、昭和24年「中華人民共和国」を建国したのです。

いかがでしょうか中国4000年の歴史は全くの嘘800なのです。唯一諺だけが残っていたのかもしれませんね。


『漁夫の利を得』