天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

戦時徴用船の記憶と警戒

2016-01-31 01:55:22 | 歴史
2015年6月10日天皇、皇后両陛下は戦後70年にあたり、太平洋戦争で犠牲になった6万人を超える商船や漁船の船員を慰霊するため、神奈川県横須賀市の観音崎公園の「戦没船員の碑」を訪れ、第45回戦没・殉職船員追悼式に臨席されました。

 



「戦後70年の節目となる本年、祖国の未来を信じて蒼海深く散った船員の方々のみ霊の御前で、恒久の平和と海上交通の安全への誓いを新たにする」という安倍首相の追悼の辞も代読されましたが日本の民間船舶にはいたたまれない思いになる歴史がありました。

太平洋戦争が始まり商船は 陸軍徴用 海軍徴用 民間船舶運営の三つに区分され
商船や漁船等に乗っていた海員の戦死者は6万人以上に達しました。
軍艦以外の商船関係3500隻、漁船、機帆船3600隻が6万人の海員とともに失われました。
太平洋戦争の戦死率は陸軍20%、海軍17%に対し一般船員の死亡率は43%
さらに20歳以下が三分の一の2万人を超え軍人の死者も30万の痛ましいものでした。

南方各地が激戦の中心となっていく中で、満蒙などに温存されていた陸軍の精鋭部隊は、輸送船で占領各地に輸送されてました。船と運命をともにした6万余人の戦没船員と併せ軍人の戦没は30万人を超えたと推計されます。
 
わが国の商船を中心とする輸送船団が崩壊していった背景と要因として、米国は、勝利への道が日本の海上輸送路を破壊することだと考え、
日本海軍は、日露戦争以来、伝統としてきた大艦巨砲主義の艦隊決戦を作戦の中心にし、輸送船の護衛には殆ど目を向けていなかったことが挙げられます。

また米国潜水艦の攻撃戦法に「狼群作戦」と呼ばれるものがあり、数隻の潜水艦が同時に船団を襲撃するというものです。

先ず護衛艦を標的にし、これを撃沈し船団の行動が乱れて輸送船がバラバラになった後、敵潜は次々に無防備の輸送船を攻撃し撃沈するという戦法で、ミッドウェー海戦の敗北で、制海・制空権を敵に奪われ、無残にもわが国輸送船団は敵潜の思うがままに次々と撃沈されていったのです。

また半ばからは、空母や奪還された南方基地から発進する敵航空機によって、商船はもとより機帆船や漁船が攻撃され、撃沈されていったのです。



今年に入って民間船員を予備自衛官とする防衛省の計画に全日本海員組合が事実上の徴用であるとし批判する以下の記事が掲載されました。

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《毎日新聞》2016.1.29

民間船員を予備自衛官とし、有事の際に活用する防衛省の計画に対し、全国の船員で作る労組の全日本海員組合が29日、東京都内で記者会見し、「事実上の徴用で断じて許されない」とする声明を発表した。防衛省は「強制はしない」としているが、現場の声を代弁する組合が「見えない圧力がかかる」と批判の声を上げた。

 防衛省は、日本の南西地域での有事を想定し九州・沖縄の防衛を強化する「南西シフト」を進める。だが、武器や隊員を危険地域に運ぶ船も操船者も足りない。同省は今年度中にも民間フェリー2隻を選定し、平時はフェリーだが有事の際には防衛省が使う仕組みを作る。今年10月にも民間船の有事運航が可能となる。一方、操船者が足りないため、民間船員21人を海上自衛隊の予備自衛官とする費用を来年度政府予算案に盛り込み、有事で操船させる方針。

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この組合の反応は2014年に防衛省が尖閣諸島を含む南西諸島の有事の際、自衛隊員を戦闘地域まで運ぶために民間フェリーの船員を予備自衛官とし、現地まで運航させる方向で防衛省が検討を始め、2社から高速のフェリー2隻を借りる契約を結んだ事に端を発します。

乗組員については、有事や平時の演習など年間数十日の運用で現役自衛官を専従させられないとの判断から、自衛官OBの予備自衛官や、あらかじめ予備自衛官に仕立てた民間船員を充てることを検討しはじめたのですが、背景には海自出身の予備自衛官不足があるようなのです。

2012年度の予備自衛官約3万2000人の大半は陸自出身者で、海自出身者は682人。現役海自隊員で艦船に乗り組むのは3分の1程度で、
船に乗れる予備自衛官は限られるのです。

しかも、海自出身の予備自衛官は新任を退任が上回り、毎年約50人ずつ減少し、自衛隊の艦船と民間のフェリーでは操船技術が大きく異なることもあり、2隻の運航に必要な乗組員約80人を自衛隊OBでまかなうのは難しいという問題があります。しかしながら、同省防衛政策課は、「予備自衛官になるかどうかを決めるのは船員本人で、強制できない」と強調したものの今回の事態となったのです。


天皇皇后両陛下臨席での追悼。
国防を思考する国。
2度と繰り返してはならない民間。

互いに戦争を放棄し同じ方向を向くべき両者が国防の観点からぶつかり合う矛盾。
民間を守るために民間が犠牲になるかもしれない国と自身を守るために国防を放棄する民間。

米太平洋軍のハリー・ハリス司令官は中国の船舶が領海侵入を繰り返している沖縄県・尖閣諸島にも触れ、「中国に攻撃されれば、我々は尖閣を明確に守る」と明言しました。

これは中国への牽制と見るべきであり、日本国民への危機意識の啓発ともとれるのですが、彼に
米軍を動かす権限はないでしょうし、尖閣の為に米国が中国と戦う可能性は極めて低いでしょう。

また米国のシンクタンクのランド研究所が尖閣地域で中・日の偶発的な衝突が全面軍事行動に駆け上がる場合を想定した「ウォーゲーム」の分析を行った結果、4~5日後に、日本の海上自衛隊が大きな被害を受けて敗退すると分析しています。

愛国心の欠落と国防を米軍の抑止力に依存し過ぎた国民は戦争を拒絶するあまり国防を思考することすら拒絶する。

その国民は今回の予備自衛官すら徴兵制復活の布石であるとして安倍政権を批判し警戒する。
それはまるでアナフィラキシーのように過敏過ぎる反応を示すのです。

保守のススメ

2016-01-29 23:15:36 | コラム



「天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず」と言えり。

福澤諭吉と思われる方が多いと思いますが、
実は福澤諭吉もトーマスジェファーソンの独立宣言文からの引用でありました。

更に言えばこの独立宣言文の続きに「人の世は平等ではない」とあり、トーマス自身も200人以上の奴隷を持つ農場主でした。

福澤諭吉も生まれた時は平等であるが差がつくのはどれだけ勉強したかである。つまり天は人を平等に作るけど、人の世の中は平等にはできていない。そして、その差は学問をしたか、しなかったかによって生まれていると諭したのです。

実にアメリカらしい平等の捉え方です。平等とは勝ち取るもの、そう聞こえてきます。

100年前、アジアの小国の黄色い猿がトーマスの言葉に感銘を受け互角に戦い肩を並べる大国にのし上がるなどと誰も予想だにしなかったでしょう。

日本の保守とはその伝統を重んじて守っていく、急激な変化を好まない、要するに日本人のその大部分が保守であり江戸期が265年も続くのがその証とも言えるでしょう。

太平洋戦争もその日本軍の抵抗に甚大なる被害を出し苦戦したからこその徹底した占領政策と贖罪意識の植え付けに力を注いだのでしょう。

マッカーサーも後に認めた自衛の為の戦いは侵略戦争となり、GHQのみならず多くの日本人が敗戦を反省し、軍国主義を憎みました。

敗戦を憎むのでなく多大なる戦死者と被害を出した結果を一部の戦犯や軍部、軍属、その体制を加害者として憎悪の対象としたのです。

国際法の元で戦争はまだ犯罪行為ではない時代にアジア諸国の欧米植民地支配からの独立と人種差別撤廃を八紘一宇の名の下に欧米と命懸けで戦った。

この事が敗戦によって悉く塗り替えられました。
侵略戦争と植民地支配で近隣諸国に多大なる被害をもたらし、本土決戦を覚悟した国民は敵国が指名した責任者を戦争犯罪者に仕立て上げ、戦陣訓を悪魔のバイブルとし東條をヒトラーにしてその被害を国に押し付けぬけぬけと被害者として歴史を修正したのです。

この戦争を賞賛し、特攻を始めとする若者の死を美化してはならない。その間違った精神的な支柱である靖国神社は国家の為に尊い命を厭わない人間を量産する洗脳装置であったのだと。

この生き残った日本人の度を超えた反省は明治維新迄遡り政府を未熟で野蛮な政府の印象へと全て根刮ぎ変換していったのです。

天皇陛下を西欧の王制に無理矢理当てはめ国家神道を危険な宗教にして大日本帝国のほぼ全てを否定してきたのです。

この反省の歴史認識に漬け込み侵略戦争と植民地支配の代償を南京と慰安婦という捏造に近い歴史の賠償という形で日本に向けています。

この両国は戦後の日中平和友好条約と日韓基本条約の精神を根本から揺るがす行為ともとれる歴史認識問題を外交政策としていますが、両国に付け入る隙を与えてしまったのは日本人自身の歴史観とも言える問題なのです。

現在保守政党と呼べるのは「日本のこころを大切にする党」と自民党では安倍政権のみとなってしまいました。

日本にとって大事なのは保守政党の復活と盛り上がりだと思います。

戦後否定してきた戦前の日本の神道、靖国神社、
日本軍、の中に 忘れてはならないものがある気がしてならないのです。


石坂浩二を護れ

2016-01-29 16:23:02 | 時事
テレ東の「開運なんでも鑑定団」と言えば
島田伸助、石坂浩二の司会でお馴染みの御宝鑑定の番組でした。

当初お笑いの島田氏だけでは重みがでないと島田氏の希望でインテリ役の石坂氏を指名し高視聴率を稼ぎ、20年以上継続してきた看板番組でした。

島田氏引退後も石坂氏は残り引き続き番組の品格として健在でしたが、2チャンネルで石坂氏が喋らない回が続くのは"いじめ"ではないかと囁かれていました。

どこまでが本当のことか確認できませんが、毎回視聴する方々がその異変に気付くのですからそのプロデューサーのいじめと映る編集は確かな事でしょう。

視聴率の低迷を出演者に求めてしまったのか、この二人の仲は上手くいっていなかったとの話もあります。

その話に尾ひれが付くのはそのプロデューサーが在日朝鮮人であるとか、反日的番組であるといった類いの民族差別的な話です。

これは石坂氏のある行動にその話が膨張した発端と見られているようです。







この番組で石坂氏は、「『長門』を接収した
米海軍艦長の娘さんからテレビ番組へ軍艦旗が出品され、このような貴重な品は縁りある
呉の「大和ミュージアム」で飾るのが一番ふさわしいと、自分が約1000万円で購入しました」

「旗に込められた人間の思いが伝わってくれれば嬉しい」といきさつと思いを語りました。

寄贈 された小村和年呉市長は『呉の宝物として大切に展示したい』と述べています。

この話は番組側からと大和ミュージアムに訪れた側からの両方から広がり石坂氏の行動が絶賛されました。

この事が切っ掛けかは定かではありませんが、石坂氏降板の話が出てからは2チャンネルでもそれらしく話が盛り上がり番組やスポンサーへの抗議も起こっているようです。

同番組出演者の鑑定士中島誠之助氏は石坂氏が番組を降りるなら私も辞めると石坂氏を擁護する姿勢を見せたようです。

仮にこの噂話が真実であるならばこの反日的行為に対して一プロデューサーと出演者の話ではなく、局としての対応まで注視して石坂氏を守っていかなくてはならないでしょう。

そして日本のテレビと一般視聴者の正しくあるべき関係、日本人の歴史認識を間違った方向へ操作される様な番組や局は淘汰していかなければならないのです。

天皇 皇后両陛下慰霊の旅

2016-01-27 14:31:33 | 時事



今上陛下御製

『戦ひにあまたの人の失せしとふ 島緑にて海に横たふ』

写真のペリリュー島でアンガウル島に向かって拝礼なされた時の御製です。




1994年
硫黄島をご訪問

1995年
長崎市ご訪問

広島市ご訪問

沖縄県ご訪問

東京都慰霊堂ご訪問

2005年
サイパンご訪問

2014年

沖縄県ご訪問

長崎市ご訪問

広島市ご訪問

2015年

パラオご訪問

2016年
フィリピンご訪問



「先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたい」

との御気持ちで硫黄島からお始めになられ今回のフィリピンで11箇所目になられます。

昨年新年の挨拶で
『満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています』

昨年12月の会見では
『先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なこと』

と改めて語りかけられました。有り難いことと同時に、何か申し訳のない気持ちになるの方は少なくないと思います。

その反面日本国民はとても同じ気持ちになっているとは思えないのです。

お言葉にもあるように極めて大切なことが近現代史を知り、考えることであると思います。

その上で、感謝と共に両陛下の慰霊に対する強い御意志を少しでも見習うことが、大御宝として最も正しくある姿であり、日本なのでしょう。

白骨街道「新たな危険の源泉」

2016-01-24 15:35:21 | 歴史
『白骨街道』そう耳にしただけでその光景が容易に想像出来ます。ご存知の方も多いでしょう。



約10万のうち3万が戦死4万が戦病死と言われる途轍もない数の兵士を失った、ビルマのインパール作戦のコヒマからの撤退路をこう呼びました。

あまりにも恐ろしく、悲惨な形容として何故このようなデリカシーのない表現をし得るのでしょうか。

昭和19年3月に日本陸軍により開始され7月初旬まで継続された、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦てす。

不思議なことに英国軍が日本軍を打ち破った誇りある戦いとしてインパールを讃えていない、ということです。確かに英軍が勝ち日本は撤退したのです。

戦死者で見ればニューギニアの戦いで20万人のうち18万人が戦死、また戦病死で圧倒的であるが
何故インパール作戦にスポットが当たるのか。

その背景を考察します。この戦いをご存知ない方は各自別の所で流れを把握された上で見て頂くと分かりやすいかもしれません。


まずは両戦いの開始と戦闘期間ですが、

ニューギニアが1942/3~一年五ヶ月間
インパールが1944/3~四ヶ月間です。

この違いはニューギニアが開戦直後の戦いでインパールが終戦に近い戦いとなり作戦の失敗、無謀な戦いを繰り返したとの意味でインパール作戦が批判し易いのかもしれません。

インパール作戦で矢面に立たされる人物がいます
牟田口廉也中将です。戦後も生きて帰還し昭和41年77歳でその生涯を閉じました。

その牟田口中将の指揮、人格を悪として、兵站が不十分であったことが槍玉に挙げられ作戦の無謀さを批難するのです。

そこで或る事を思い出しました。東條英機が戦犯指名を受けて自決しますが失敗します。その時の世論は非情にも「わざとはずした」「死ぬ気は無かった」などと言う批判だったということです。

映画「PRIDE」でも胸に銃で狙う場所を墨で丸を書くシーンがありましたが東條由布子さんによれば全く事実では無いそうです。

そこで新聞の役割と歴史に着目しました。

戦争中は政府情報局による新聞統制に置かれ、戦意高揚以外の内容は許されなかったが、逆に政府発表による戦意高揚を煽る役割を果たしたのです。

この頃の新聞は政府や軍部の公式発表である大本営発表を恒常的に掲載していましたが、それらの多くは戦果を大幅に誇張して、損害を矮小化した虚偽報道でした。

プレスコードに基づいて、主にGHQ批判、原爆に対する記事などが発禁処分に処されたことは知られていますが、その内容について禁止事項を幾つかあげます。


言論の自由を盾に下記のような規制を設けました

1.報道は絶対に真実に即すること
2.直接又は間接に公安を害するようなものを掲載してはならない
3.連合国に関し虚偽的又は破壊的批評を加えてはならない
4.連合国進駐軍に関し破壊的に批評したり、又は軍に対し不信又は憤激を招くような記事は一切掲載してはならない
5.連合軍軍隊の動向に関し、公式に発表解禁となるまでその事項を掲載し又は論議してはならない
6.報道記事は事実に即し、筆者の意見は一切加えてはならない
7.報道記事は宣伝目的の色を着けてはならない
8.宣伝の強化拡大のために報道記事中の些細な事項を強調してはならない
9.報道記事は関係事項や細目を省略する事で内容を歪曲してはならない
10.新聞の編輯に当り、何らかの宣伝方針を確立し若しくは発展させる為の目的で、記事を不当に軽く扱ってはならない


削除および発行禁止対象のカテゴリー(30項目)
が慶応大教授で保守論客でもある江藤 淳氏の調査によってわかりました。

1.SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
2.極東国際軍事裁判批判
3.GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
4.検閲制度への言及
5.アメリカ合衆国への批判
6.ロシア(ソ連邦)への批判
7.英国への批判
8.朝鮮人への批判
9.中国への批判
10.その他の連合国への批判
11.連合国一般への批判(国を特定しなくとも)
12.満州における日本人取り扱いについての批判
13.連合国の戦前の政策に対する批判
14.第三次世界大戦への言及
15.冷戦に関する言及
16.戦争擁護の宣伝
17.神国日本の宣伝
18.軍国主義の宣伝
19.ナショナリズムの宣伝
20.大東亜共栄圏の宣伝
21.その他の宣伝
22.戦争犯罪人の正当化および擁護
23.占領軍兵士と日本女性との交渉
24.闇市の状況
25.占領軍軍隊に対する批判
26.飢餓の誇張
27.暴力と不穏の行動の煽動
28.虚偽の報道
29.GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
30.解禁されていない報道の公表


また、江藤氏はこのことをして
『検閲を受け、それを秘匿するという行為を重ねているうちに、被検閲者は次第にこの網の目にからみとられ、自ら新しいタブーを受容し、「邪悪」な日本の「共同体」を成立させて来た伝統的な価値体系を破壊すべき「新たな危険の源泉」に変質させられていく。この自己破壊による新しいタブーの自己増殖という相互作用は、戦後日本の言語空間のなかで、おそらく依然として現在もなおつづけられているのである。』と批評しました。

そしてこのことを「我と我が目をくり抜き、アメリカ製の義眼を嵌め込む」とまで酷評したのです。

この江藤氏によって表現される新聞、メディアは限りなく戦勝国に近い視点から旧日本軍を眺め、
まるで自分達だけが被害者であるかのような高みから旧日本軍の"過ち"を存分に批判するのです。

そして江藤氏の言うように「新たな危険の源泉」
として今尚存在するのです。