天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

百人斬り

2015-02-28 18:26:26 | 時事

軍刀で百人斬り?戦国時代ではないのだ。冷静に考えればあり得る訳が無い、そんなマンガの様な話が真実となり、二人が処刑された。これが戦争だ。

下士官兵の軍刀は基本的に官給品であり管理も兵器扱いであるが、将校准士官の軍刀はの1875年の太政官布告以降、

陸海軍解体に至るまで基本的に陸海軍服制上の制式であり、そのため純粋な兵器ではなくあくまで軍服などと同じ軍装品扱いであった。

そのため他の軍装品一式と同様に官給品ではなく私物であったため、階級に見合う軍刀を自弁調達する必要があった。

つまり、軍刀とは階級章であり、武器ではなかった
あくまで武器は銃、銃剣である。

当時、中国大陸で何が行われているか知る術は新聞しかない。そして新聞の役割は、戦果報告と国民の戦意高揚だ。もっと言えば娯楽だろう。

そのために過大評価、つまり、尾ひれが付くのはあたりまえなのだ。フィクションで武勇伝なのだ。

しかも戦争でなく事変である。戦闘も敵はすぐに逃げてしまうような、地味な戦いで力の差は歴然としていたのだろう。

軍刀を武器として使う事が無かったとは言わないが
無抵抗な捕虜、市民、弱い者を軍刀で斬るなど、この武士道の国に出来るはずがない。

その新聞の犠牲になったのが、野田毅少尉、向井敏明少尉である。当時階級は二等兵、一等兵、上等兵
兵長、伍長、軍曹、曹長、准尉、少尉である。

一個小隊50~60人のトップが少尉です、学校で言えばクラス担任位のイメージだろう。

そんな彼等が戦後南京法廷で有罪となり、銃殺刑に処されるが、その遺書からも無罪は歴然である。


「死刑に臨みて
此の度(たび)中国法廷各位、弁護士、国防部の各位、蒋主席の方々を煩はしました事につき厚く御礼申し上げます。
只(ただ)俘虜、非戦斗員の虐殺、南京虐殺事件の罪名は絶対にお受け出来ません。お断り致します。死を賜(たまわ)りました事に就(つい)ては天なりと観じ命なりと諦め、日本男児の最後の如何(いか)なるものであるかをお見せ致します。
今後は我々を最後として我々の生命を以て残余の戦犯嫌疑者の公正なる裁判に代えられん事をお願い致します。
宣伝や政策的意味を以て死刑を判決したり、面目を以て感情的に判決したり、或(あるい)は抗戦八年の恨みを晴らさんが為、一方的裁判をしたりされない様(よう)祈願致します。
我々は死刑を執行されて雨花台に散りましても貴国を怨むものではありません。我々の死が中国と日本の楔(くさび)となり、両国の提携となり、東洋平和の人柱となり、ひいては世界平和が、到来する事を喜ぶものであります。何卒(なにとぞ)我々の死を犬死、徒死たらしめない様、これだけを祈願します。
中国万歳
日本万歳
天皇陛下万歳 野田 毅」




「辞世
我は天地神明に誓い捕虜住民を殺害せること全然なし。南京虐殺事件等の罪は絶対に受けません。死は天命と思い日本男児として立派に中国の土になります。然(しか)れ共(ども)魂は大八州島に帰ります。
我が死を以て中国抗戦八年の苦杯の遺恨流れ去り日華親善、東洋平和の因ともなれば捨石となり幸(さいわい)です
中国の御奮斗を祈る
日本の敢奮を祈る
中国万歳
日本万歳
天皇陛下万歳
死して護国の鬼となります 十二月三十一日 十時記す 向井敏明」

いかがだろうか、涙しかでない。
次に野田少尉が友人にあてた手紙の中の百人斬りの歌である。正に鼓舞する数え歌でしかない。



  百人斬日本刀切味の歌(豪傑節)

 一、今宵別れて故郷の月に、冴えて輝くわが剣
 二、軍刀枕に露営の夢に、飢えて血に泣く声がす

 三、嵐吹け吹け江南の地に、斬つて見せたや百人

 四、長刀三尺鞘をはらへば、さっと飛び散る血の
吹雪
 五、ついた血糊を戎衣でふけばきづも残らぬ腕の
冴え
 六、今日は面かよ昨日はお顔、明日は試さん突き
の味
 七、国を出るときや鏡の肌よ、今ぢや血の色黒光


百人斬り競争を行った野田毅少尉、向井敏明少尉 両名を讃える歌で、作者は両少尉の同僚、第九連隊第一大隊副官の六車政次郎少尉である。

野田少尉は地元の友人中村碩郎に百人斬り競争を自慢する手紙を送っているが、その手紙の中で紹介されている。

この競争は地元で英雄譚として、大いに称賛された。 鹿児島市草牟田尋常小学校の副教材で百人斬り競争をとりあげ、

「血わき、肉おどるような、ほがらかな話であります」」と紹介されている。野田は、地元の小学校、中学校で、多くの「百人斬り講演」を行った。

南京軍事法廷において住民捕虜虐殺の容疑で起訴された。12月18日に最初の公判が行われ石美瑜裁判長によって「連続して捕虜及び非戦闘員を虐殺した」罪で即日死刑判決を受け、中華民国によって昭和23年1月28日に南京郊外(雨花台)で処刑された。


この戦後の悲劇を昭和46年、本多勝一が朝日新聞に連載していたルポルタージュ『中国の旅』でこの事件を取り上げた。

そこに書かれたものは、毎日新聞が報じたものとも、南京の軍事法廷のものとも違っていた。

ふたりは上官の命令で殺人ゲームを行い、百人斬り競争を三度も繰り返した、と書いている。

その記述に対して、作家の鈴木明が疑問の声をあげルポルタージュという手法により、

百人斬り競争がまったくの虚構であることを明らかにした上、毎日新聞の創作記事がもとにふたりは裁判にかけられ、毎日新聞の記者が創作を認めなかったため、ふたりは死刑になったと明かにした。
 
百人斬りが架空であることは、そのころの代表的な評論家や作家だけでなく、小田実など左翼文化人も認めることとなった。

本多は鈴木にまったく反論出来なかったが、間違いも認めず、謝罪もせず、『中国の旅』はそのまま刊行され何年かすると、百人斬り競争を事実と勘違いする人もあらわれた。

小学校の試験にだされたり、昭和六十年に建てられた南京の虐殺記念館では、ふたりの将校の写真が等身大に拡大され、もっとも目を引く展示物とされるようになった。

これを見逃さなかったのが、向井千恵子さんと弁護士稲田朋美だ。平成十五年四月二十八日、

野田毅少尉の妹野田マサさんと、向井敏明少尉の娘エミコ・クーパーさん、向井千恵子さんの三人が本多勝一たちを告発した。

『中国の旅』を書いた本多勝一、それを単行本として発行する朝日新聞、百人斬りの創作記事を掲載した毎日新聞、捕虜のすえもの斬りを書いた『南京大虐殺否定論13のウソ』を出版した柏書房。

平成十六年七月十二日、証言台にたった佐藤カメラマンは、南京に向かう途中で百人斬り競争の話を聞いたときのことを、

「百パーセント信じることはできません」「あたかもチャンバラごっこみたいに、目の前の兵隊を、一人斬った、二人斬ったと、そういうような戦争の形は私は見てませんから信用できません」と話した。

当事者の見聞ほど重要なものがないのは言うまでもないが、平成十七年八月二十三日、東京地裁での判決は、

毎日新聞の報道を「虚構であることが明らかになったとまで認めることはできない」とし、本多勝一の『中国の旅』などの記述についても「一見して明白に虚構であるとまでは認めるに足りない」と判定した。
 

遺族の訴えをみとめなかった。
 
 
この様に毎日新聞の捏造記事で、2人は冤罪で裁かれ
23年後本多と朝日によって再び捏造され再燃する。

旧日本軍を貶める新聞社の企みを司法、社会が、後押しし、旧日本軍遺族を再び苦しめる。

慰安婦問題と全く同じ絡繰りだ。改めて思う大東亜戦争は終結していない。


少女A

2015-02-28 06:59:02 | 時事
昔の、アイドルのヒット曲だ。A地点B地点などメディアはプライバシー保護のためにやたらに氏名をだせない。カッコ仮名までよく流行った。

別にこのヒット曲が犯罪を助長したとまでは言わないが、実名をだせない原因は少年法にある。

大正11年に制定された旧少年法を戦後、GHQの指導の下に全部改正して成立した。

2000年改正で、刑事処分の可能年齢が「16歳以上」から「14歳以上」となった。

2007年改正で、少年院送致の対象年齢は「おおむね12歳以上」となる。

本法でいう「少年」とは20歳に満たない者を、「成人」とは満20歳以上の者をいい、性別は無関係である。

現行少年法は昭和23年、GHQの指導の下、米国シカゴの少年犯罪法を模範として制定された。

当時は第二次大戦後の混乱期であり、食料が不足する中、孤児などが生きていくために窃盗や強盗などをする少年が激増し、

また成人の犯罪に巻き込まれる事案も多く、これらの非行少年を保護し、再教育するために制定されたものであって、

少年事件の解明や、犯人に刑罰を加えることを目的としたものではなかった。

現在の犯罪の低年齢化、凶悪性は明らかに少年法制定の趣旨と整合性がとれない。

イスラム国家では、シャリーアにより、現在でも鞭打刑や手首切断刑などの身体刑がよく行われている。

イランでは、8歳の少年がパンを盗んだとして、彼の左腕をトラックで轢くという刑が行われた。

またサウジアラビアでは、窃盗の罪を犯した場合は手首切断刑 などあるが、

明らかにISの真似をした犯罪が行われた、目には目をのハムラビ法典の国の犯罪がネットで拡散される

日本の戦後どさくさの少年法で裁こうとする日本人は稀有に映る。

少年法の最大の目的は更生にある。殺人でさえ、リプレイ可能なのだ。

更生には"立ち直る"の意味の前に、蘇るの意味がある。犯人の更生よりまず被害者の更生が優先されるべきだ。

その更生すら奪われた被害者より、犯人の更生が保証される少年法を採用している国が先進国と言えるだろうか。

戦後すぐには考えられないような犯罪が発生する今となってはハムラビ法典にも劣る法体系に感じる。

我々は確実に戦後道を誤った。神道と言う道徳観念の欠落にその原因があるといってもいい。

異宗教と日本人の子供が増えれば、この様な犯罪も比例するだろう。

稲田朋美議員によって少年法改正に向けての意見書がだされた。

日本国憲法だけが古くなり日本人が新しく生まれ変わる。憲法の見直しだけでなく、日本人も見直したほうが良いだろう。


潰される保守

2015-02-23 12:22:33 | 時事
現政権だけでなく、戦後70年間かけて大東亜戦争の総括をした結果があの戦いは太平洋戦争であり、
中国、韓国を侵略し植民地支配し、

あらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちまた、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げたままの状態になっている。

これは揺るぎない相手の言いなりであり、その言いなりのまま過去を認め反省してしまったよく言えば太っ腹日本なのだ。

日本の正当性を主張する、しかも自衛官、さらに幕僚長が堂々と論文で主張してしまった。

もうダメかもしれないと、諦め掛けていた保守派の日本人に一筋の光明が差したのだ。

しかし案の定更迭された、逆に田母神氏の一連の行動は保守派にとっては鳥肌が立つような救世主の出現に武士道を見たに違いない。

政府のとった行動は反論ではなく職を追うという最も女々しく、卑劣な決断に思えた。

彼等政府は田母神氏を独善的ナショナリズムと表現する。解りやすく言えば、戦後70年間は御構い無しの国粋主義だろうか?

しかし私は田母神氏の出現はカンフル剤だと思う、ネットを中心に莫大な応援者を獲得し、百田尚樹氏
や嫌韓ブームと連鎖した。


都知事選、衆院選と挑戦したのだが、無念の落選だ
あまりに準備不足もあるだろうが、選挙は組織票を痛感させられた。

石原都知事が政界に返り咲き猪瀬都知事が辞職した途端の都知事選から安倍総理の解散総選挙までのスピードは尋常ではなかった。

大阪維新、次世代、太陽、もう普通の国民はついてこれない。保守を自認する私でさえ安倍自民しか考えられなくなった。

ブッシュ大統領が靖国参拝を希望した時小泉首相と外務官僚は反対したという。官房長官の安倍だけが強く賛成したらしい、

そんな彼が日本を取り戻すと党内孤立しながらも保守を貫き、返り咲いたのだ。田母神氏が独善的ならば安倍氏は民主的ナショナリストだろうか、

次世代が敗北した今は安倍総理の談話が待ち遠しくもある、周りは敵だらけという意味では田母神氏も同じである。

草莽崛起をかかげる水島社長は敵だらけの田母神氏に社長職をしりぞいてまで選挙協力した、上下関係が厳格な自衛官出身の田母神は選挙事務局長に先輩元自衛官を招きいれてしまった。

水島社長は金にクリーンで言わば旧日本軍、先輩自衛官はおそらく三島の演説に口を開け奇異な視線を送っていた口に違いない(勝手な推測)。

上手く行くわけがない、案の定田母神氏は水島社長を裏切る形になった。田母神氏は真摯に反省し
先輩と会計を告発すべきだ、それが腹を切るということだ。

いくら自衛官でも英霊に顔向けできるまい。自衛官で保守という重圧は国民運動の水島社長でさえ理解出来ないかもしれないが、それでなくても保守派はすぐに仲違いする。

天皇陛下の大御宝がそのあるじを無くし散り散りに分裂しているかのような様を見ているようで忍びない。

安倍談話は村山談話のどの部分を変えるかで保守は消滅するかもしれない、日本を取り戻すと言う極抽象的な言い回しで民意が変わるのだろうか?

これ以上保守が潰されるのを見たくない。

田母神俊雄の敵

2015-02-23 00:31:55 | 時事
2008年10月31日に「真の近現代史観」懸賞論文第一回最優秀藤誠志賞の受賞作は田母神俊雄航空幕僚長の「日本は侵略国家であったのか」であった。

この村山談話をタイトルで疑問視する論文がだされしかも現役の航空幕僚長 が出したとあって、保守派の救世主の出現に胸が高まった。

案の定防衛省幹部と政府は幕僚長を更迭した。

与野党から非難を受けた田母神氏は2008年11月11日に参議院外交防衛委員会で参考人招致された。

また、この騒動の責任を取り、防衛大臣・副大臣・政務官2人が給与の自主返納を行い、増田事務次官が減給、渡部厚人事教育局長が戒告、中江官房長が注意の処分を受けた。

少なくとも彼等はこの時点で田母神氏を敵とみなすだろうし、保守派以外は危険人物と認定するだろう

保守派でも救世主と崇めるもの、時期尚早では、のどちらかであろうが、民主党政権下での尖閣中国船
事件、嫌韓とネットを中心に一気に救世主となった

政府見解に一石を投じたことで敵の最大を中国にまで拡大してしまったのは確実で、政府与野党、官僚までも含む正にランボー状態となってしまった。

ネット中心と言う未知の支持母体とチャンネル桜社長水島氏と都知事への挑戦も時期尚早に思えたが、それを凌ぐ目に見えぬ雰囲気があったのも否定出来ない。

会見で3000万円の流用があったことを認めたが、会計責任者の個人的な流用としていたが、先輩でもある事務局長と会計責任者は赤坂コリアンクラブで1人10万を使い数人で何日も飲食していたようだ。

田母神氏はこの先輩事務局長と彼が連れてきた会計責任者を明らかにかばっており、水島氏のマイナスイメージの虚偽の発言までしてしまった。

水島氏は清廉潔白であり多くを語らないが、明らかに選挙違反になる資金の使い方を注意していたようだ。

この二人の仲がこじれたのも先輩事務局長が衆院選の責任者となってからである。

ここからは私の勝手な推測ですが、中国では尖閣にまで船を出す水島氏を右翼団体とし暗殺命令まで出ているらしい事を本人から聞いた、また彼は朝日新聞集団訴訟のリーダーの一人でもある。

田母神氏、水島氏の敵は中国、親中派議員、朝日新聞、与野党議員、宗教団体、官僚、等々敵だらけなのだ。

この二人の仲を裂き、政治家への道を閉ざすことは
これら敵の共通の目的となるのだ。

自衛隊幹部がこの先輩事務局長を送り込んで、田母神氏に水島氏の嘘の供述をさせ、水島氏を潰し、田母神氏までも潰していくのかもしれない。






靖国神社と原爆ドーム

2015-02-21 13:08:51 | 歴史
私は靖国神社廃止論の結びで靖国神社と原爆ドームの共通点を認識することでその存在意義が再確認できると言いました。

今回は結論から先に言いたいと思います。

万国共通、人間は忘れやすい生き物だと言う事です

私は広島の爆心地には二度訪れたことがあります。
1度目は時間に追われて、資料館、ドーム、被爆した桜の木、など見学しました。

2度目は広島平和記念公園を目的に訪れたのですが
原爆ドームの管理され風化していない綺麗さに衝撃を覚えました。

数年単位で保存工事が最新技術で行われているのです。



原爆の真の恐怖は被爆したものでしか感じる事は出来ません、資料館の悲惨な絵や写真、人形にドームの様な衝撃は2度目には感じませんでした。

むき出しになった鉄骨や雨にうたれるコンクリートは意外に脆く、朽ちてしまうのです。手を加えなければ100年も経たないで瓦礫の山になってしまうのでしょう。朽ち果てて行くことで人々の記憶からも消えていってしまうのでしょう。

人々の記憶の風化を防ぐために被爆当時の状態のままに予算をかけて保存する工事を行なっているのです。

これが自然に朽ち果て人々が忘れ去った頃に不幸で悲惨な記憶も癒え幸福が訪れると言うような考え方の人も中にはいるのかもしれません。
また人は幸福の為におのずと忘れるように出来ているのかもしれません。

その証拠に戦争の焼け野原がのこっている場所はひとつもなく、そこには近代的なビル群が建ち並び、
その面影など見ることはできません。爆心地でさえ今はビルの狭間にヒッソリとあります。、



広島原爆ドームには同じ日本人同士、広島県民同士
被害者同士の中に対立とまでは言わないが、葛藤が存在するのでしょう。

そして代々後世にモニュメントとしてそのまま残す事によって二度と被害者を出さない、平和の為の記憶として保存し続けているのでしょう。


さて、靖国神社はどうでしょうか、この神社はある時期に戦争で戦う為の国民の精神的主柱となっていたことは否定出来ません。

それだけに、戦士は靖国で会おうと命を捧げ、遺族は名誉に思った、そして240万人以上の人が神として祀られている。

ドームと違う点はそこで亡くなったかどうか、そして戦士か住民か、たったこの二点だけなのです。

両者は先の大戦の犠牲者であることに違いなく、間違いなく、日本に生きた人なのです。

ドームを見た日本人が軍国主義に加担するのか、とは問われません。首相は公人として何の問題も無く
広島の式典でスピーチします。

この様に靖国神社もドームと同じ平和を願うモニュメントであり神社であるとともに、どちらも慰霊と鎮魂、場合によっては顕彰してもいいでしょう。
手を合わせ平和を願う所だと思います。

そして、忘れやすい人の為の国民の記憶として、二度と繰り返さない為に、両者はあるのだと思います