1925年にジュネーブで作成、1928年(昭和3年)に発効した、戦争における化学兵器や生物兵器などの使用禁止を定めた国際条約がジュネーブ議定書である。
『窒息性ガス、毒性ガスまたはこれらに類するガスおよび細菌学的手段』といった化学、細菌兵器
『の戦争における使用の禁止に関する議定書』がそのままジュネーブ議定書の正式名称となる。
瀬戸内海の広島県竹原市の大久野島は毒ガス島とよばれ、かつて日本陸軍の毒ガス工場があり、軍事機密として昭和初期に地図から消されている。
今なら日本軍は国際条約を破って化学兵器を開発製造していたのだ「やはり悪辣な日本軍だった」
と油断すればすぐになるだろうが、議定書において制限されたのは使用のみであり、開発、生産、保有が制限されない点で不充分なザル法であった。
日本だけでなく、アメリカもこれに批准せず、昭和45年に日本が、50年にアメリカが批准した。
ハーグ陸戦条約に於いても23条1項で「毒、または毒を施した兵器の使用」を禁じている。
同条5項では「不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること」を禁じているが「不必要な苦痛」の明確な定義がないため、これも言い逃れの出来る不十分なザル法であったことは否めない。
日本陸軍によってイペリット黄1号、青酸ガス茶1号、ジフェニ-ル赤1号、塩化アセトフエノ緑1号とそれぞれ呼ばれる化学兵器を製造していた記録が残っている。
過去の日本の戦争は全て外地であり、自国民を巻き込まない点ではリスクを一つ既に回避していたと言える。
しかしながら、勝つにつれ権益の獲得地では入植者も増え自衛の観点から見れば昭和に入ってからのリスクは逆に増大していたとも言える。
現在の価値観からは考え難いだろうが、生きる為に殺し合う戦争が当たり前の時代でも先人達はなるべく戦争にならないように事変と和平のスタイル、つまり外交交渉で解決出来ればそれに越したことはなかったことは確かだろう。
要するになるべく自国民を死なさない為には武器の開発は不可欠であることがわかる。使わないまでも、化学兵器を研究、開発、製造が禁止されている訳でなければ戦わずして勝つ為の武器を備えることを咎める者はいなかったと考えられる。
旧満州国の現在では中国東北部の吉林省敦化郊外に、旧日本軍が大久野島などで製造し、遺棄した毒ガス弾が推定30〜40万発埋まっている。
それが戦後の開発で見つかり、住民に被害がでており、これらの兵器の無害化のため、日本は現地に処理施設を建設し発掘、回収を行っている。
日本が2000年に着手したこの事業は7年間の計画だった処理期限が22年まで延長され現在も行われている。
このように日本政府は高い代償を払いその責任を全うしていると言っていいだろう、森村誠一のように日本の加害性だけにスポットをあて、731部隊に関する小説で印税を貪っていることが反日活動に思えてしかたがない。
『窒息性ガス、毒性ガスまたはこれらに類するガスおよび細菌学的手段』といった化学、細菌兵器
『の戦争における使用の禁止に関する議定書』がそのままジュネーブ議定書の正式名称となる。
瀬戸内海の広島県竹原市の大久野島は毒ガス島とよばれ、かつて日本陸軍の毒ガス工場があり、軍事機密として昭和初期に地図から消されている。
今なら日本軍は国際条約を破って化学兵器を開発製造していたのだ「やはり悪辣な日本軍だった」
と油断すればすぐになるだろうが、議定書において制限されたのは使用のみであり、開発、生産、保有が制限されない点で不充分なザル法であった。
日本だけでなく、アメリカもこれに批准せず、昭和45年に日本が、50年にアメリカが批准した。
ハーグ陸戦条約に於いても23条1項で「毒、または毒を施した兵器の使用」を禁じている。
同条5項では「不必要な苦痛を与える兵器、投射物、その他の物質を使用すること」を禁じているが「不必要な苦痛」の明確な定義がないため、これも言い逃れの出来る不十分なザル法であったことは否めない。
日本陸軍によってイペリット黄1号、青酸ガス茶1号、ジフェニ-ル赤1号、塩化アセトフエノ緑1号とそれぞれ呼ばれる化学兵器を製造していた記録が残っている。
過去の日本の戦争は全て外地であり、自国民を巻き込まない点ではリスクを一つ既に回避していたと言える。
しかしながら、勝つにつれ権益の獲得地では入植者も増え自衛の観点から見れば昭和に入ってからのリスクは逆に増大していたとも言える。
現在の価値観からは考え難いだろうが、生きる為に殺し合う戦争が当たり前の時代でも先人達はなるべく戦争にならないように事変と和平のスタイル、つまり外交交渉で解決出来ればそれに越したことはなかったことは確かだろう。
要するになるべく自国民を死なさない為には武器の開発は不可欠であることがわかる。使わないまでも、化学兵器を研究、開発、製造が禁止されている訳でなければ戦わずして勝つ為の武器を備えることを咎める者はいなかったと考えられる。
旧満州国の現在では中国東北部の吉林省敦化郊外に、旧日本軍が大久野島などで製造し、遺棄した毒ガス弾が推定30〜40万発埋まっている。
それが戦後の開発で見つかり、住民に被害がでており、これらの兵器の無害化のため、日本は現地に処理施設を建設し発掘、回収を行っている。
日本が2000年に着手したこの事業は7年間の計画だった処理期限が22年まで延長され現在も行われている。
このように日本政府は高い代償を払いその責任を全うしていると言っていいだろう、森村誠一のように日本の加害性だけにスポットをあて、731部隊に関する小説で印税を貪っていることが反日活動に思えてしかたがない。