あまり知られていないでしょうが、杉原千畝の名誉回復は外務省が反対していました。
何故でしょうか?
答えはその必要がないからです。杉原千畝は戦後の人員削減により退職、退職金、年金を受けていました。外務省に逆らってビザを発給したことは嘘だったのです。
少し複雑で厄介な話しになりますが、まず杉原の外務省へのユダヤ人受け入れの問いに対する当局からの回訓を受けた時の手記があります。
『私も何をかくそう、
回訓を受けた日、一晩中考えた。
・・・果たして、浅慮、無責任な、
職業軍人グループの、
対ナチス協調に、
迎合することによって、
全世界に隠然たる
勢力を擁する、ユダヤ民族から
永遠の恨みを買ってまで
旅行書類の不備、
公安配慮云々を盾にとって、
ビザを拒否しても構わないが、
それが果たして、
国益に叶うことだというのか。
苦慮、煩悶の挙句、私はついに、
人道、博愛精神第一という
結論を得た。
そして私は、何も恐るることなく、
職を賭して、
忠実にこれを実行し終えたと、
今も確信している。』
-------杉原千畝の手記より-----------
浅慮、無責任な職業軍人グループの対ナチス協調に迎合とありますが、下の年表とその無責任な職業軍人グループのリーダーの言葉を知れば、杉原は大きな誤解をしていたようです。
昭和11年11月 日独防共協定
昭和12年12月 第1回極東ユダヤ人大会 樋口、安江が出席
昭和13年1月 関東軍「現下ニ於ケル対猶太(ユダヤ)民族施策要領」を策定
3月 オトポール事件
11月 ドイツで反ユダヤ主義暴動(水晶の夜)
12月 五相会議 ユダヤ人対策要綱
昭和15年7月 25日、杉原千畝 命のビザ発給を決断
基本国策要領「八紘一宇」26日閣議決定
昭和15年9月 日独伊三国同盟
ドイツの抗議にたいして
「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」
と一蹴。 東條英機
杉原が6000人のユダヤ人を救ったことはまぎれもない事実なのですが、
当時の日本政府に「逆らって」ピザを発給したという虚構が何故まことしやかに囁かれ現在英雄視されているのでしょうか。
杉原千畝を英雄に仕立てあげることで当時の日本政府が反ユダヤ人の差別主義国家であった。という反日プロパガンダのキーワードが「逆らって」だったのです。
つまり太平洋戦争の連合軍はドイツと同盟関係にある日本も反ユダヤで同じように南京でホロコーストを行なった枢軸国だったという筋書に沿った印象操作の為に杉原の功績が利用されたのです。