天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

リテラの歴史修正主義

2016-10-30 12:52:56 | 時事
三笠宮親王殿下薨去に際してリテラが長文の記事を掲載した。既に用意されていた原稿を出したのでは、との周到さを感じる。
未だに皇室に関する女系論が横行する昨今、反日左翼の層の厚さに驚嘆する。
「逝去」の時点で目を通す気にはなれないが、取り敢えず反論の為と我慢して頂きたい。



まず三笠宮崇仁親王殿下、「崇仁」を「たかひと」と読める国民がどれ位いるだろうか。恐らく今上陛下の叔父と御顔は知っていても、名前が読め軍人であったことまで知る国民はそれ程多くないだろう。

その様な知識でこのリテラの記事を読めば、南京事件があったことを疑うものはいなくなるだろう。そのぐらい巧妙に書かれたある種の洗脳文と言える。

歴史修正主義とは捏造或いは当時の戦勝国の歴史観を否定、及び修正するもの達に貼るレッテルのことだが、右傾化、ネトウヨと同じ類いのものである。



【リテラ】-----------------------------------
逝去した三笠宮が語っていた歴史修正主義批判! 日本軍の南京での行為を「虐殺以外の何物でもない」と



昭和天皇の末弟で、今上天皇の叔父にあたる三笠宮崇仁親王が、昨日27日、心不全により逝去した。享年100歳だった。一部メディアは、崇仁親王の先の戦争に対する反省の念や、戦争反対への思いなどを伝えているが、その発言は、マスコミが報じている以上に踏み込んだものだった。崇仁親王は、いまこの時代を支配している右傾化に対して、早くから警鐘を鳴らしてきたとさえ言える。

 それを象徴するのが、右派の“南京大虐殺はなかった”という歴史修正主義に対する強い批判だろう。

 1915年生まれの崇仁親王は、陸軍士官学校に進み、軍人となり、日中戦争時の1934年1月から1年間、「若杉参謀」の名で参謀として中国・南京に派遣された。このとき崇仁親王は「支那派遣軍総司令部」で「支那事変に対する日本人としての内省」という文書を書き、日本の侵略主義を批判したのだが、その文書が発見された1994年には、月刊誌のインタビューで“南京大虐殺はなかった”という論についてどう思うか聞かれ、このように述べている。

「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から『新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる』という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体なんだったのかという疑義に駆られました」(読売新聞社「This is 読売」94年8月号)

 このインタビューが収録された当時は、羽田内閣の永野茂門法相が毎日新聞のインタビューで「南京大虐殺はでっち上げだと思う」「太平洋戦争を侵略戦争というのは間違っている」などと発言するなど、戦中日本の戦争犯罪を公然と否定する流れが、すでに一部の右派だけでなくかなりの勢いを持ち始めていた時期である。

 とくに、日中戦争初期の1937年12月の首都・南京陥落以降に日本軍が行った捕虜や民間人の殺害行為については、論者・研究者によってその人数に20万人から数百人、そして「そもそも虐殺は存在しなかった」といういわゆる“マボロシ論”まで論じられていた。その“数字”をとりたてる流れは現在も続き、現日本政府もまた「被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難である」としている。

 だが、崇仁親王はこうした“数字”の論に対して“むごたらしく殺せば人数は関係ありません”と、はっきりと批判したのだ。さらに同インタビューでは、自身の南京での従軍経験としてこうも述べている

「また、南京の総司令部では、満州にいた日本の部隊の実写映画を見ました。それには、広い野原に中国人の捕虜が、たぶん杭にくくりつけられており、そこに毒ガスが放射されたり、毒ガス弾が発射されたりしていました。ほんとうに目を覆いたくなる場面でした。これこそ虐殺以外の何ものでもないでしょう」

 言うまでもなく、崇仁親王が戦争犯罪を正視し、歴史修正主義をけん制したのは、再びこの国が戦争をすることがないようにという強い思いがあったからだ。1956年の著書『帝王と墓と民衆』(光文社)に付した「わが思い出の記」のなかでも、南京に配属された当時を振り返り、こう記している。

〈わたしの信念が根底から揺りうごかされたのは、じつにこの一年間であった。いわば「聖戦」というものの実態に驚きはてたのである。罪もない中国の人民にたいして犯したいまわしい暴虐の数かずは、いまさらここにあげるまでもない。かかる事変当初の一部の将兵の残虐行為は、中国人の対日敵愾心をいやがうえにもあおりたて、およそ聖戦とはおもいつかない結果を招いてしまった〉
〈わたしがここで言いたいのは、聖戦という大義名分が、事実とはおよそかけはなれたものであったこと、そして内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないかということである〉

 昨年、ユネスコの世界記憶遺産に「南京大虐殺」が登録されたことに対して、ユネスコへの分担金を留保するという“報復”に出た安倍首相にこそ聞かせたい言葉だ。だが、そうした誠実な態度を貫き通した崇仁親王に対し、これまで右派は「赤い宮様」などと揶揄し、「左翼」と批判してきた。前述した著書の一部が新聞で紹介されたときには、“これは日本軍を傷つけるものだ”という趣旨の脅迫まがいの手紙が当時品川区にあった三笠宮邸に届いたこともあったという。

 しかし、崇仁親王はイデオロギーから発言したわけではない。崇仁親王がオリエント史などの歴史研究を愛し、大学の教壇にも立ったことはよく知られているが、その根本には、たとえそれがどれほど自分にとって正視し難い事実であったとしても、歴史には真摯に向き合わなければならないという覚悟があった。そしてなにより、崇仁親王自身が皇族という極めて特殊な立場にありながら、“権威”が大衆を惑わすこと、そして、自由な言論が封鎖されることこそ、民主主義にとって一番の障壁であると、60年以上前から指摘してきた。

 マスコミはあまり取り上げないが、崇仁親王の思いが、皇室と国民の垣根を越える“民主主義”にあったことは明らかだ。たとえば1952年の「婦人公論」(中央公論社、当時)2月号に掲載された「皇族と自由」と題した聞き書きのなかで、崇仁親王は、昭和天皇の地方巡幸の際に警官が万歳しない人に対して叱りつけたという話を受けて、「これでは少しも人間と人間との感情が流れてきません。こんなとき号令をかけられた人がなぜ抗議しないのでしょう」「同じ人間同しなのですからハダカとハダカでぶつかり合ってほしい」としたうえで、「これが民主主義の基礎であることはいうまでもありません」と語っている。


あるいは1966年の「女性自身」(光文社)のインタビューでは、皇室の民主化の停滞を嘆きながら、侵略戦争の認識についてこう述べている。

「太平洋戦争が終わったときには、もうこれで地球上から悲惨な戦争はいっさいなくなったのだと思いましたが、現状をみると、まことにあさはかな考えだったことがわかります。
 どんな大義名分をつけても、しょせん戦争は殺人です。人を殺すことは最大の罪悪です。戦争放棄を明記した新憲法の精神は、いつまでも大切にしなければなりません」

 しかし、2016年の日本はどうか。安倍政権はメディアに圧力を加え、言論弾圧まがいの行為を繰り返し、さらに憲法を変えてこの国を戦争へと導こうとしている。そして、天皇の「生前退位」についても一代限りの特別法でお茶を濁し、抜本的な天皇や皇族の人権問題には決して触れようとしない。さらには、国民の多くはそんな安倍政権を支持し続け、歴史修正やその強権政治への国内外の批判に対しては、束になって「反日」だと襲いかかる。まるで、みずから民主主義を手放そうとしているかのようだ。

 非民主的な存在である皇族のほうが国民や政治家よりよっぽど自由や人権、民主主義について考えを巡らし、また、負の歴史を正面から見据えていた。その歪な現実を、わたしたちはよく受け止めなくてはならない。
(宮島みつや)

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所謂南京事件は昭和12年12月のことであり、三笠宮崇仁親王殿下は昭和18年1月から翌昭和19年1月まで、コードネーム「若杉」の名で南京市の支那派遣軍総司令部に勤務された。

この事からも事件を目で見て、また体験された訳ではないことが明らかになる。
三笠宮親王殿下が平成6年のインタビューでお答えになったものであり、南京事件のことにお答えになっいるのでなく、人数の論争に対する無益さと士官学校の教育と実態との乖離、戦争に対する憎悪を話されていると読み解かなければならない。


『最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から『新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる』という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体なんだったのかという疑義に駆られました」(読売新聞社「This is 読売」94年8月号)』


結論じみてしまうが、戦後の日本は敗戦により、全てを受け入れて反省してきた、つまり虚構の罪まで一緒くたにしてきた。

文中にあるように、
『羽田内閣の永野茂門法相が毎日新聞のインタビューで「南京大虐殺はでっち上げだと思う」「太平洋戦争を侵略戦争というのは間違っている」などと発言するなど、戦中日本の戦争犯罪を公然と否定する流れが、すでに一部の右派だけでなくかなりの勢いを持ち始めていた時期である。』

南京陥落直後現地に配属された本人、永野茂門でさえこの発言で更迭されるのである。

つまり、虚構の部分を否定しようとすれば、あらゆる戦争犯罪を否定する、軍国主義を賛美し、戦争を肯定する者として断罪されるのである。

中韓との友好の影に潜む歴史認識問題の絡繰として日本の戦後が反日に利用されているのだ。

リテラの本文全体を読めば、この目的が全て反安倍に集約されていることがわかるが、その左派的持論の強化の為に三笠宮親王殿下の平和への思いの言葉を多用し都合良く利用しているに過ぎない。


南京事件に論旨をもどせば、論争のままの南京事件を日本人が具体的に検証しようとすれば中国は協力を拒否し、資料の開示を拒む。要するに被害数を明らかにしない(明らかに出来ない)状態が、歴史認識問題の肝であり、永久に日本の汚点として海外からの視線、蔑視を維持出来る足枷となるのである。

それらを全て集約したのが南京大虐殺記念館であり、被害数は増えつづける。

三笠宮親王殿下の主旨が反戦平和への思いからの部分のみを抽出し、南京事件を語ることは甚だバランスを欠いており、日本テレビNNNの特集南京事件にも見られる片手落ちの検証であり、産経新聞が指摘したのは正にこの部分なのである。

この番組も従軍兵の陣中日誌の第一次資料を元にそれだけ(残虐な部分)だけを抽出、検証し、反対論及びその他の事実に触れず、陰湿なナレーションと効果音、BGMを駆使して否定派を貶める印象操作を行なっている。




ここからは否定派の主旨を掲載

・肯定派が捕虜としているのは便衣兵である。(国際法違反であり、捕虜となっても裁判にかけられ処刑される。)

・暴動鎮圧の為にも発砲した。

・揚子江を筏で逃げた溺死体もあった。

・陥落時は少なくとも城内に死体は無かった。

等々。


無かったことの証言は困難であり、認めた以上その責任を取るのは当然である。その責任を戦後70年日本は果たしてきたと感じるし、後の日本人には責任は無いとも感じる。この問題は南京事件よりも甚大である。
肯定派の元祖家永三郎の全著書は中国の大学に全て寄贈された。


最後に南京事件の責任で処刑された松井石根陸軍大将の最後の言葉と辞世の句で終わりたい。



『南京事件ではお恥ずかしい限りです。南京入城の後、慰霊祭のときに、支那人の死者もいっしょにと私が申したところ、参謀長以下、何も分からんから、日本軍の士気に関するでしょうといって、師団長はじめ、あんなことをしたのだ。私は日露戦争のとき、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争のときは、支那人に対してはもちろんだが、ロシア人に対しても、俘虜の取り扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。政府当局ではそう考えたわけではなかったろうが、武士道とか人道とかいう点では、当時とはまったく変わっておった。慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。そのときは朝香宮もおられ、柳川中将も方面軍司令官だったが、せっかく皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落としてしまった。ところが、そのことのあとで、みなが笑った。はなはだしいのは、ある師団長のごときは、当たり前ですよ、とさえいった。したがって、私だけでも、こういう結果になるということは、当時の軍人たちに一人でも多く、深い反省をあたえるという意味で大変に嬉しい。せっかくこうなったのだから、このまま往生したい、と思っている。』



『天地も人もうらみずひとすじに 無畏を念じて安らけく逝く
いきにえに尽くる命は惜かれど 国に捧げて残りし身なればく
世の人にのこさばやと思ふ言の葉は 自他平等に誠の心』

靖国神社とは

2016-10-29 15:29:06 | 時事
彼此2年もこのアカウント名でツイート&ブロガーをやってきましたが、靖国神社に関するツイートと貶めるツイートの比率は変化するものの、否定的に捉えるものが無くなることはありません。

靖国神社に関してはその捉え方が大きく二分するのが特徴です。どちらが正しいではなく、見方が対立しているのです。





ここに靖国神社とは?の問いに三つの解答があります。



1.靖国神社は平和を祈念する場所ではない。

2.靖国神社は日本の過去の侵略戦争を、都合の悪いことは一切隠して、正当化する場所だ。

3.靖国神社は戦争を肯定し賛美する場所だ。



1.の「靖国神社は平和を祈念する場所ではない」
はどこも間違っていません。しかし、平和を祈念しても良いのです。神社の基本は祈祷です。
日本の為に戦った先人、英霊に対してどんな祈りを捧げようが自由です。一般的に感謝と哀悼の祈りをささげればよいのです。女性は逞く誠実で英霊のような伴侶との良縁を願うことも自由です。
男性は英霊のように家族や伴侶を守ります、と誓うことも自由だと思います。国会議員が国を守る為先人のように命懸けで守ります、と誓うことはごく自然で当たり前のこととも感じます。そんなこと誓いたくないという方は行かなければ良い。
簡単なこと、心の問題なのです。


2.「靖国神社は日本の過去の侵略戦争を、都合の悪いことは一切隠して、正当化する場所だ」は
1.と同じ否定形で続く嘘と真実を混ぜて貶め否定する文章です。"侵略"は戦勝国と被害国が使う言葉で基本的に自国の戦争は侵略戦争などとは呼びませんし、パリ講話条約の国際法違反です。同盟国アメリカが戦勝国で占領していた当時の感覚のままの"侵略戦争"なのです。「都合の悪いこと」とは書かれていませんが、恐らく"特攻""餓死者"
"大虐殺"などと言いたいのでしょうか、遊就館でワンコインで見れます。真実を伝えることが正当化でしょうか。


3.「靖国神社は戦争を肯定し賛美する場所だ」
侵略戦争は明確に否定します。
戦争自体を賛美しているのでなく、日本の存続の為に命懸けで戦っていただいたその生き様を賛美しているのです。

鈴木、阿南と戦後保守

2016-10-28 06:26:18 | 歴史

今でこそ殴り合いの喧嘩で殴られ怪我をすれば負けた者が裁判すれば勝つ確率は高いだろう。
こと戦争に於いては如何なる大きな損害を被っても負けた国は賠償金を払い、領土を奪われる。

それを承知で侵略戦争を起こそうなどとする国があるだろうか。恐らく皆無だろう。つまり戦争とはどの国も自存自衛の大義名分のもとに戦い、負ければどんなに甚大な被害がでようが侵略戦争と断罪され、責任を問われるのだ。



ネット上で戦後保守を断罪する文章を見つけたのでコピペする。


戦後保守こそ国賊---------------------------

-東京裁判史観を利用してきた事実に目をつぶるな-

こだまともはる  
  


『保守派は常套句として、「日本人は戦勝国の東京裁判史観に洗脳されてきた」という。私は父にそう叩き込まれ、そうして育ってきたし、そのことについて疑問を持たずにきたが、最近になって、おかしいのではないかと思うようになってきた。
 東京裁判は白人種による日本への「リンチ」であり、ソ連という「強盗国家」が日本を裁く検事側に回っている時点で、茶番であることは確認するまでもない。筆者の中で、東京裁判に対する答えは出ているのだが、疑問なのは、本当に保守派が言うように、今の日本人がこの裁判の歴史観に洗脳され続けているのかということにある。

 筆者の見るところ、実際のところ日本人は、この裁判を巧みに利用してきた。「日本は狂気の犯罪国家である」という東京裁判のメッセージを、国民自身そう信じ込むことが、戦後体制の維持にとって都合がよかったからだ。日本はアメリカに「マインドコントロールされた」のではなく、「セルフマインドコントロールしてきた」が正しい。そのことを忘れてはいけない。つまり、戦後体制はアメリカだけに強制されたのではなく、日本人自身が選び取った道であるということを。
東京裁判があるおかげで、日本は「犯罪国家」だから、「アメリカ様の監視つきのままでいなくちゃ悪い子になってしまう」と振舞うことができた。だから、自主防衛は検討せず、「日本の米軍駐留は絶対に死守しなくてはならない」というわけだ。その為に、「日米構造協議」(八九~九〇)では、アメリカの「公共投資をやれ」、「土地税制を改正しろ」、「大店法は緩和しろ」といった要求をのみ続けてきた。また、これ以後、提出されるアメリカからの「年次改革要望書」(九三~)にもただ黙って従い続けてきた。「年次改革要望書」はほとんどの新聞社が報道しないので、多くの日本人が知らないが、事実上の「第二次日本占領政策」である。これに手を貸してきたのが、親米保守という名の売国奴であった。
 
そのくせ、親米保守派は、「東京裁判史観からの脱却」とぬけぬけという。ということは、今までの日本人の「擬態」をやめるということになるのである。東京裁判があるおかげで、「わが国は、犯罪者国家だから、アメリカ様の言うことには何でも従います」ということができた。東京裁判あってこその、親米であり、戦後保守の利益であった。それを本気で捨てよと教えているのか。本来なら、東京裁判史観を捨てろというのは、アメリカ依存をやめろということだ。随分と人をバカにした話で、東京裁判での大川周明ではないが、「茶番」を見せられているようなものである。
 坂口安吾は『続堕落論』(一九四六)で、「泣いて終戦の詔勅を受けよ」と教える人間に向けて、「嘘をつけ!嘘をつけ!」と吐き捨てた。本当は、国民は「泣く」どころか、「戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか」といいこれは「歴史的大欺瞞」であると記している。安吾にならっていうなら、東京裁判史観に洗脳されてきたという言い方そのものが、戦後の日本人の振る舞い(セルフマインドコントロール)を免罪した、「歴史的大欺瞞」であり、かかる表現は筆者にとって到底是認できないものなのである。』

----------------------------------------コピペ


恐らく筆者の思想は真正保守から右側であろう。決定的に欠落しているものがある。完全に蚊帳の外から俯瞰でしか日本を観ていないことである。
その時代に身を置いての歴史観が欠けているのだ。主張自体は私に近いが、戦後保守が必ずしも親米保守であるのかは甚だ疑問である。
CIAから資金提供を受ければ国賊である、と早合点するのは完全にこの歴史観の欠落なのだ。

鈴木貫太郎



阿南惟幾



ポツダム宣言を受諾するのかしないのか、つまり
どのように戦争を終結するのかという日本存続の危機を左右した二人である。

鈴木貫太郎は海軍大臣をつとめ幼少の昭和天皇を世話したたかと結婚し予備役で侍従長となる。226事件で4発の銃弾を身体に受け奇跡的に回復
昭和天皇の推薦で首相となる。

鈴木内閣が終戦のために組閣されたのではなく、あくまで徹底抗戦であり、受諾を黙認したから誤訳で原爆を落とされたなどとの詭弁が氾濫している。

軍の体裁の為や天皇制を守る為など軍国主義否定の延長線上に国民はどうなっても良かったと言う更なる貶めを付け加える。

原爆投下は鈴木貫太郎の黙認より以前から決定していたのである。

本土決戦への流れは軍人も国民も覚悟していただろう。それは原爆投下によってより高まったのかもしれない。


陸軍の反発も阿南惟幾でしか抑えることが出来なかっただろう。鈴木内閣では、和平派の鈴木と、本土決戦の阿南。対立することが多かったが、陸軍の倒閣運動を押さえ込むことで鈴木を支えている。

ここからはwikiが一番わかりやすいのでコピペ

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終戦への基本方針が天皇の第一回目の聖断によって決まった8月9日の御前会議終了後に、鈴木首相に「総理、この決定でよいのですか、約束が違うではないですか」と激しく詰め寄る吉積正雄陸軍軍務局長に、「吉積、もうよい」と言って何度もたしなめている。

阿南は梅津美治郎参謀総長とともに戦争の継続と本土決戦を強硬に主張したが、昭和天皇の聖断によって最後には陸相として終戦の詔書に同意した。

終戦の詔書の作成においては陸軍の立場から「戦勢日ニ非ニシテ」を「戦局必スシモ好転セス」とするなどの字句修正を求めた。終戦の詔勅に署名したのち阿南は鈴木首相のもとを訪れ「終戦についての議が起こりまして以来、自分は陸軍を代表して強硬な意見ばかりを言い、本来お助けしなければいけない総理に対してご迷惑をおかけしてしまいました。ここに謹んでお詫びを申し上げます。自分の真意は皇室と国体のためを思ってのことで他意はありませんでしたことをご理解ください」と述べた。

鈴木は「それは最初からわかっていました。私は貴方の真摯な意見に深く感謝しております。しかし阿南さん、陛下と日本の国体は安泰であり、私は日本の未来を悲観はしておりません」と答え、阿南は「私もそう思います。日本はかならず復興するでしょう」といい、愛煙家の鈴木に、南方の第一線から届いたという珍しい葉巻を手渡してその場を去った。

鈴木は「阿南君は暇乞い(いとまごい)に来たんだね」とつぶやいている。また阿南は、最も強硬に和平論を唱えて阿南と最も激しく対立した東郷茂徳外相に対しても、「色々と御世話になりました」と礼を述べて去っている。

軍務局幕僚を中心とする強硬派は、11日頃から和平派閣僚を逮捕、近衛師団を用いて宮城を占拠するクーデター計画をねっていた。これに賛同を求められた阿南は、梅津の賛同を条件としたが、14日朝に梅津から反対の意を伝えられた。

14日正午過ぎに首相官邸閣議室において義弟の竹下正彦中佐らから陸相辞任による内閣総辞職、さらに再度クーデター計画「兵力使用第二案」への同意を求められたが、阿南はこれを退けた。

阿南の同意を得ぬまま8月14日深夜に始まった宮城事件は、15日のうちに失敗に終わった。阿南は8月14日の三長官会議で既に罷免が決まっておりクーデターを積極的に支援することができなかったとの意見もある。

阿南は8月14日午後には、陸軍省の道場で剣道範士斎村五郎と面会し、短時間剣道の稽古をしている。

8月15日早朝、ポツダム宣言の最終的な受諾返電の直前に陸相官邸で切腹。介錯を拒み早朝に絶命している。「阿南陸相は、5時半、自刃、7時10分、絶命」との記録もある。

遺書には、「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル 昭和二十年八月十四日夜 陸軍大臣 阿南惟幾 神州不滅ヲ確信シツツ」と記されていた。

辞世の句は、「大君の深き恵に浴みし身は 言ひ遺こすへき片言もなし」とあり、これは1938年(昭和13年)の第109師団長への転出にあたり、昭和天皇と2人きりで会食した際に、その感激を詠ったものである。阿南は昭和天皇からは「あなん」と呼ばれていた。阿南の葬儀に昭和天皇は勅使を派遣していない。

阿南が自刃したと聞いた東郷茂徳外相は、「そうか、腹を切ったか。阿南というのは本当にいい男だったな」と涙ながら語り、鈴木貫太郎首相は「真に国を思ふ誠忠の人でした」と評した。

阿南と閣議において対立した米内光政海相は「我々は立派な男を失ってしまった」と語った一方で、「私は阿南という人を最後までよくわからなかった」と人格的な違いを浮き彫りにする感想を残している。

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【ポツダム宣言】現代語訳


1.我々合衆国大統領、中華民国政府主席、及び英国総理大臣は、我々の数億の国民を代表し協議の上、日本国に対し戦争を終結する機会を与えることで一致した。

1.紹介

2.3ヶ国の軍隊は増強を受け、日本に最後の打撃を加える用意を既に整えた。この軍事力は、日本国の抵抗が止まるまで、同国に対する戦争を遂行する一切の連合国の決意により支持され且つ鼓舞される。

2,脅し

3.世界の自由な人民に支持されたこの軍事力行使は、ナチス・ドイツに対して適用された場合にドイツとドイツ軍に完全に破壊をもたらしたことが示すように、日本と日本軍が完全に壊滅することを意味する。

3.ドイツを例に挙げた脅し

4.日本が、無分別な打算により自国を滅亡の淵に追い詰めた軍国主義者の指導を引き続き受けるか、それとも理性の道を歩むかを選ぶべき時が到来したのだ。

4.宥めるような誘い

5.我々の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲歩せず、我々がここから外れることも又ない。執行の遅れは認めない。

5.譲らない態度

6.日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである。

6.戦争=悪、日本が悪という筋書

7.第6条の新秩序が確立され、戦争能力が失われたことが確認される時までは、我々の指示する基本的目的の達成を確保するため、日本国領域内の諸地点は占領されるべきものとする。

7.占領する脅し

8.カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られなければならない。

8.カイロ宣言を受け入れろ

9.日本軍は武装解除された後、各自の家庭に帰り平和・生産的に生活出来る機会を与えられる。

9.メリット

10.我々の意志は日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではないが、日本における捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されるべきである。日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである。

10.人権の誘惑

11.日本は経済復興し、課された賠償の義務を履行するための生産手段、戦争と再軍備に関わらないものが保有出来る。また将来的には国際貿易に復帰が許可される。

11.甘い誘惑

12.日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件が達成された場合に占領軍は撤退するべきである。

13.属国への誘導

13.我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその行動について日本政府が十分に保障することを求める。これ以外の選択肢は迅速且つ完全なる壊滅があるのみである。

13,無条件降伏へ誘導

【カイロ宣言】ポイント

『右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ1914年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ』

『日本国ハ又暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ』

『前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス』

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このような脅しにも近いポツダム宣言の受諾をするものなど当時の日本にはいなかっただろうし、そんな内閣はすぐさま倒れただろう。
全て御前会議の決断と御詔勅で本土決戦は免れたのだ。

この日本人が継続して戦後保守となるのであって
占領に耐え、東京裁判に耐えてポツダム宣言を忠実に履行したのであり、GHQに従い、散々戦争を煽ったマスコミも生き残る為に戦勝国の歴史観、所謂東京裁判史観を喧伝したのである。
この逆転現象で自虐的に、或いは逆手にとって現政府、日本を攻撃する輩こそが国賊であり、反日勢力なのである。

生前退位やご逝去を未だに使い続ける産経以外のマスメディアも国賊と同類なのだ。

池田vs橋下 総評 catNA氏

2016-10-26 14:04:17 | 時事


池田信夫氏と橋下徹氏のツイッター上の激論に関してはcatNA氏が纏めておられるので、まだ観ていない方は始めにそちらをご覧下さい。



ここではcatNA氏の総評と不肖ながら私の論評を書いてみたいと思います。


catNA氏ツイート-----------------------------

不可解なほど戸籍開示を頑なに拒否する蓮舫と、戸籍を開示しないで済むように援護射撃する橋下氏。怪しさが増すばかりですね。

話題を反らして個人攻撃するのではなく、蓮舫の二重国籍問題に絞って議論を深めては如何ですか?多くの人が見ているのですよ。

支持者が失望するような幼稚な言動は止めた方が良いでしょう。まるで「負け犬の遠吠え」か、捨て台詞のようですね。

「僕のように完ぺきに説明できる弁護人」→相変わらず自信過剰ですね(苦笑)。どう見ても、橋下氏の負けでしょう。池田氏が丁寧なツイートに徹したのに対し、橋下氏は捨て台詞と個人攻撃、弁護士資格を笠に着た発言ばかり。

『決定的に問題なのは、野党に対して追及する場がないこと』→だからこそ、テレ朝の番組であっても、橋下氏なら厳しく蓮舫を追及してくれるだろうと、皆が期待をしていたのです。失望感が大きいですね。世論を読み間違っている。

『決定的に問題なのは、野党に対して追及する場がないこと』→だからこそ、テレ朝の番組であっても、橋下氏なら厳しく蓮舫を追及してくれるだろうと、皆が期待をしていたのです。失望感が大きいですね。世論を読み間違っている。

「ここで嘘があれば当然検察が動く」→蓮舫氏がまだ嘘をついているか否か、戸籍を開示すれば簡単に分かること。なのに彼女は頑なに開示を拒否し、橋下氏は開示しなくて良いとするお墨付きを地上波の番組で与えた。橋下氏がテレ朝に日和った、と失望した視聴者が沢山いたと思いますよ。

今日になって、蓮舫問題に関する橋下氏の意見が微妙に変わりましたね。ネットの反発を感じたせいか、蓮舫に厳しいトーンになっている。『過ちを改むるに憚ることなかれ』。

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時折入るcatNA氏のリツイートを読んだのだろう橋下氏の論調が逆転していく。catNA氏の指摘
「世論を読み間違っている」が市長時代の都構想のトラウマを呼び覚ましたのかも知れない。

池田氏のツイートにバカじゃないの?と感情的に反論する場面が下のやり取りだ。

池田氏『ナショナリストの橋下さんがこの問題については妙に朝日新聞的なのは、出自で人生が決まる「血統主義」に対する反感のためだと思う。私も日本の国籍法は時代遅れだと思うが、それとこれとは別の問題。』


橋下氏『バカじゃないの?僕がナショナリスト?結局池田さんも旧いレッテル貼り、分類論者だね。今だに保守、リベラルなんて言ってんのかな?僕は合理性・公平・公正を重んじ、ルールを重視するだけ。ナショナリストなんてまっぴらごめん。 』

wiki----------------------------------
2012年10月26日号の佐野眞一と週刊朝日取材班(今西憲之・村岡正浩)による「ハシシタ・奴の本性」という連載記事である。この記事に対して橋下徹は10月18日の定例記者会見で、週刊朝日の記事を「遺伝子で人格が決まるとする内容」であるとし、「政策論争はせずに、僕のルーツを暴き出すことが目的とはっきり言明している。血脈主義ないしは身分制に通じる本当に極めて恐ろしい考え方だ」「言論の自由は保障されるべきだが、一線を越えている」と述べ、週刊朝日を批判した。これに対して、朝日新聞社は、自社と週刊朝日と朝日放送はそれぞれ無関係としたが、橋下は週刊朝日の発行元である朝日新聞出版は朝日新聞社の100%子会社であることから、朝日新聞記者に社としての対応を求めた。

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朝日新聞社は後に謝罪し社長は引責辞任までしている。


橋下氏の池田氏の慰安婦ツイートを引用して『これこそが井の中の蛙。もう少し世界の人たちとコミュニケーションを取ったら?実際の国際政治の世界では現代の価値観で考えるのがスタンダード。だから当時の正当化を主張するのではなく、他国の事情と比較する視点が必要。』

橋下氏は朝日の毒饅頭を食ったというよりは、朝日の毒饅頭を共同制作し始めた証であろう。
今回も桜井氏のバトルと同様に池田氏に軍配が上がった。

光市母子殺害事件の弁護団の懲戒請求事件を日弁連が瀬戸内寂聴氏を広告塔にしたこで思い出したが、橋下氏こそ戦後の歪んだ法曹界を変える人物と期待していた。ナショナリストでないと聞いて虚脱感に襲われた。

天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議

2016-10-26 08:12:14 | 時事

『今上陛下が現在82歳と御高齢であることも踏まえ、公務の負担軽減等を図るため、どのようなことができるのか。今後、様々な専門的な知見を有する方々の御意見もしっかり伺いながら、静かに議論を進めてまいりたいと考えています。
 そうしたことから、今回、識見を有する有識者の皆様にお集まりいただき、御議論をお願いすることとした次第でございます。
 これから御議論いただきますのは、国家の基本に係る極めて重要なことがらであり、予断を持つことなく、十分に御審議をいただき、国民の皆様の様々な御意見を踏まえた提言を取りまとめていただけるよう、よろしくお願いを申し上げます』


平成28年10月17日、安倍総理の、総理大臣官邸で第1回「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」の冒頭の言葉である。


所謂生前退位というマスメディアの横並びの造語が先行逃げ切るように氾濫しているが、内閣での正式名称は「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」である。

冒頭の挨拶を見て頂ければ解るが、"天皇陛下のお言葉"との文字は見当たらない。安倍総理の今回の判断が日本国の首相として最も正しい判断であり、これ以上の対応は恐らくないだろう。

ここで日本国憲法の解釈と説明は無粋の為省略するが、皇后陛下のお言葉からも証明されたように
マスメディアの横並びの造語は餅は餅屋の方式で国民に深く浸透しているが、甚だ不謹慎である。

同じように終戦直後にだされた昭和天皇の『新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ』をマスコミは「人間宣言」とした。

この場合もその意味合いは大きくことなり、皇室軽視の先駆けともなるタイトルになった。

今回のお言葉に関するタイトルも四文字熟語に拘るばかり配慮に欠いたものとなった。

そもそもの話であるが、国民の8割近い賛成の真意は労いの感情であることは確かであろう。有識者の一人山内昌之東大名誉教授はあろうことか天皇の地位を社長に例え、労いの感情を導こうとしているが、天皇陛下が譲位の気持ちを滲ませたらまず始めにお休みいただくことを考えるのは当然であり、そのままの状態でいて頂くのが率直な国民の気持ちであることは当然である。

したがって、特措法で一代限りの対応は当たり前であり、恒久的な皇室典範の改正は必要ないのである。もし私にタイトルを付ける事が許されるのなら「軽減譲位」「公軽譲位」と四文字熟語で考えるが、そもそも『御譲位』で十分伝わるだろう。