天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

石川啄木の葬儀

2019-01-17 | Weblog
 昨年の12月に盛岡市に行って来ました。
 街中を歩いて、とても良い街だと思いました。
 訪れた場所の1つに、
 「もりおか啄木・賢二の青春館」があります。
 1910年(明治43年)竣工の
 旧第九十国立銀行本店本館(国の重要文化財)を
 使用しています。
 色々な資料が展示されていましたが、その中の1点に、
 石川啄木の葬儀の新聞記事のコピーがありました。
 葬儀の会葬者の顔ぶれが凄かったので、記しておきます。

 石川啄本は、1912年(明治45年)4月13日、
 肺結核のため26歳で死去しました。
 葬儀は友人の金田一京助らの手によって
 浅草の等光寺で行なわれました。
 等光寺は、啄木と親交のあった土岐善麿の実家です。
 啄木の葬儀の模様について報道したのは
 「東京朝日新聞」だけだったようですが、
 それには次のように紹介されました。

 ●啄木氏の葬儀
 東朝社員故石川啄木氏は、
 十五日午前十時東京浅草松清町なる等光寺に於て執行
 途中は葬列を廃して未亡人せつ子佐藤真一土岐善麿
 其他の人々柩に付添ひたり
 主なる会葬者は夏目漱石、森田草平、相馬御風、人見東明、
 木下杢太郎、北原白秋、山本哲、佐々木信綱博士、
 その他東朝社員四十五名
 土岐静師導師にて形の如く読経に次いで焼香を終はり火葬せり

 この内、佐藤真一は佐藤北江で、盛岡出身の人物です。
 草創期の朝日新聞の編集長で、
 啄木を朝日新聞の校正係に採用した人です。
 土岐善麿は歌人です。
 夏目漱石は、文豪と言われる小説家ですね。
 森田草平は、漱石門下の作家で、
 平塚たいちょうと心中未遂事件を起こした人です。
 相馬御風は詩人・歌人で、
 早稲田大学の「都の西北」を作詞した人です。
 人見東明は、明治生まれの詩人で、昭和女子大学の創立者です。
 木下杢太郎は、医者であると共に、
 詩や翻訳など多方面で活躍した人です。
 北原白秋は詩人ですね。
 山本哲は分かりませんでした。
 佐々木信綱は、歌人であり国文学者だった人です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする