天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

中禅寺湖とトーマス・グラバー

2016-04-21 | Weblog
 中禅寺湖は栃木県日光市の日光国立公園内にある湖で、
 11.9平方キロメートルの面積を有し、
 日本の湖沼では25番目の面積との事です。
 また水面の標高は1269mで、
 人造湖を除く広さ4平方キロメートル以上の湖としては、
 日本一標高の高い場所にある湖です。
 現在は奥日光の観光の中心となっていますが、
 一方で鱒釣りの聖地ともなっています。
 東日本大震災による原発事故の放射能の関係で、
 現在は釣った魚の持ち帰りが禁じられていて、
 キャッチアンドリリースのみですが、
 それでも多くのファンが来ているようです。

 中禅寺湖は、2万年前に男体山の噴火でできた堰止湖で、
 華厳滝によって魚の遡上を阻まれて来ましたし、
 宗教上の聖地として殺生を禁じ、
 魚類の放流を禁じていたため、魚の住まない湖でした。
 明治時代に入って、1873年(明治6年)、
 日光に住む星野定五郎がイワナを放流したのに始まり、
 多くの魚が放されるようになりました。
 これにより、外国人避暑客を中心に
 スポーツフィッシングが始まりました。
 中禅寺湖の鱒釣りの好きな外国人の一人に、
 トーマス・グラバーがいました。

 トーマス・グラバーをご存知の方は多いと思います。
 イギリス出身の商人で、幕末の日本に来て、
 グラバー商会を設立しました。
 坂本龍馬の亀山社中とも取引があった他、
 武器商人として活躍しました。
 薩摩藩の五代友厚、長州藩の井上聞多などの
 イギリス留学を支援していますし、
 長崎に西洋式ドックを造り、造船の街としての礎を築くなど
 日本の近代化に大きな役割を果たしました。
 維新後も日本に留まり、高島炭鉱の経営を行った他、
 国産ビールの育ての親としても有名です。
 現在も長崎市に残るグラバー邸は観光名所になっています。

 このグラバーは無類の釣り好きだったようで、
 その中でも鱒釣りが好きでした。
 中禅寺湖周辺の風景は、イギリス人が避暑地として使う
 スコットランドのハイランド地域に似ていると言われる事もあり、
 1879年(明治26年)には、
 自ら別荘を建設して鱒釣りを楽しんだようです。
 そして、1902年(明治35年)には、
 トーマス・グラバー等が川鱒を放流して、
 鱒釣りの聖地となりました。

 グラバーの死後、この別荘は
 「東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部」の
 創設者ハンス・ハンターに引き継がれ、
 クラブハウスとして使用されていました。
 1940年(昭和15年)に、このクラブハウスは焼失しましたが、
 現在もマントルピースが残っていて、園地として整備されています。

コメント (6)
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