天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

醜の御盾

2011-01-06 | Weblog
 最近はさすがに使われなくなりましたが、
 「醜(しこ)の御楯」と言う言葉があります。
 武人が自らを謙遜する表現です。
 太平洋戦争中に出陣した学徒の手記や、
 特攻隊として散った若者の遺書などに、多く使われています。
 国民の戦意高揚のために使われたキーワードの一つだったと思います。

 色々調べていたら、酒井弘と言う人が、
 「醜の御楯」と言う歌を、
 1942年(昭和17年)にレコーディングしている記録がありましたが、
 どのような歌だったかは分かりませんでした。
 1970年(昭和45年)11月25日、三島由紀夫は、
 東京の市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部に乱入し、自殺しましたが、
 その時組織した「楯の会」も醜の御楯からとった名前でした。

 この「醜の御楯」の出典と言うのが、万葉集の防人の歌です。
 この防人は今奉部與曾布(いままつりべのよそふ)と言う
 下野国出身の人でした。

 今日よりは 顧みなくて 大君の 醜の御楯と 出で立つ我は

 と言うのがその歌です。
 今日からは、自分のことなど顧みずに、
 大君の強い楯として、私は出立する位の意味です。

 この歌の通り、今奉部與曾布は、
 755年(天平勝宝7年)、火長として筑紫に派遣されました。
 火長と言うのは、10人の長ですから、下士官位だったのだと思います。
 今奉部與曾布は、真面目でひたむきな青年だったのかも知れません。
 防人の歌と言うと、家族との離別の悲しみを歌ったものが多いのですが、
 このような歌もあるのですね。
 今奉部與曾布がその後どのような人生を送ったかは分かりません。
 しかし、彼の歌が、千年以上後に、
 多くの若者を戦場に駆り立てる事になるとは、
 考えもしなかったでしょうね。
コメント
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