天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

ジェシー・ジェームズ

2010-05-15 | Weblog
 ジェシー・ジェームズはアメリカ西部開拓時代の強盗として有名です。
 しかし一方で、大衆の人気がある事も間違いありません。

 彼は、1847年ミズーリ州に牧師の息子として生まれました。
 南北戦争が始まると兄のフランクとともに、
 南軍のゲリラ部隊に加わります。
 1866年2月、ミズーリ州クレイ郡リバティでの銀行強盗を皮切りに、
 ジェシー・ジェームズは、兄やヤンガー兄弟とともに、
 銀行強盗を始めます。

 しかしながら、ジェームズ兄弟を有名にしたのは、
 なんと云っても「列車強盗」です。
 1873年7月、ジェシー達7人は、
 アイオワ州シカゴ・ロックアイランド太平洋鉄道の列車を脱線させ、
 現金輸送車の金庫から現金を強奪しました。
 レールの鋲を緩め、綱でレールを外せる様にしていました。
 本来の狙いは金塊の輸送車を狙っていたようなのですが、
 この列車の前に通過していました。
 これがアメリカで最初の列車強盗とされています。

 その後、ジェームズ兄弟は、銀行強盗と列車強盗を繰り返します。
 当時、アメリカの鉄道は、西へ西へと広がって行きますが、
 鉄道建設のために土地を奪われる農民が相次ぎ、
 このため、鉄道に反感を持つ農民も多くいたようで、
 そうした農民は鉄道を襲撃するジェームズ兄弟に共感を抱いていたようです。
 更に、彼は元南軍の兵隊や女性には特に優しく、
 無益な殺人は犯さなかったと言われており、
 その辺が彼の人気となっているのだと思います。
 銀行強盗の際に、流れ弾に当たって負傷した少女の入院費用を支払ったり、
 未亡人の借金を肩代わりしたりとのエピソードがあります。

 ジェームズ兄弟は、警察やピンカートン探偵事務所に執拗に追われながらも、
 捕らえられずに逃げ回りますが、
 それが可能だった理由として、彼らを匿う民衆がいたと言われています。
 1882年4月3日、ジェシー・ジェームズは隠れ住んでいたミズーリ州の自宅で、
 若い仲間のロバート・フォードに背後から撃たれ殺害されます。
 フォードは、1万ドルの懸賞金に目が眩んだと言われています。
 享年35歳でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする