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乃木坂46『シンクロニシティ』はじわじわ来る名曲だが「ハモれ」には違和感。(ときめき研究家)

2018-05-12 22:55:44 | ときめき研究家
乃木坂46『シンクロニシティ』を何回も繰り返し聴いた。
『裸足でSUMMER』と同じような、聴くごとに良さが分かって来る楽曲だ。ダンサブルなサウンドに早口の歌詞を字余り風に乗せていて、自分で歌ってみるととても難しい歌だ。

歌詞の内容が少し変わっていて、見ず知らずの人の悲しみに共鳴して自然に涙を流しているといった現象、隣人愛、人類愛と言うべき感情を歌っている。『命は美しい』などとも重なるようなテーマかもしれない。「誰だって誰だってあるだろう」というサビの歌詞とメロディーにはゾクゾクするような共感を覚える。

しかし、歌詞の最後が「愛を分け合って ハモれ」。これには驚いた。何か別の言葉の聞き違いではないかと思った。でも正真正銘「ハモれ」だった。
この歌詞にはどうしても違和感がある。

略語、短縮語だからダメだという訳ではない。
言葉は生き物だから、その時代に一般性があって聴き手に通じる言葉なら使っていいと思う。「ハモる」はかなり昔から使われていた言葉なので、通じない言葉ではない。
「ハモれ」という命令形だからいけないのだろうか。それと、歌詞の最後の言葉だからだろうか。その両方だろう。曲の最後に、メッセージを伝える決め台詞として「ハモれ」というのが、いかにも軽薄で、「シンクロニシティ」といった気取ったタイトルのもと、せっかくそれまで積み上げて来た歌詞が台無しになっている。
少なくとも私にはそう思える。

「ハモる」という言葉を使った歌詞を、他に1曲だけ知っている。
森高千里『私の大事な人』(1994)では、今日のデートはカラオケに行って、あなたの好きなあの歌を二人でハモろうと歌っている。その曲を聴いた時には全く違和感がなかった。森高口語体と言うべき日常語を駆使した彼女独特の歌詞世界の中では、完全に調和しているからだろう。

それと『シンクロニシティ』を比べる訳にはいかない。格調高く人類愛を歌い上げようという曲の締めの言葉が「ハモれ」とは、そぐわない。例えば「響け」でも良かったのではないか。

コメント (1)
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