『恋、詰んじゃった』(AKB48)。
タイトルは『猫、踏んじゃった』からの派生。『恋をしちゃいました』(タンポポ)という曲もあった。『甘栗むいちゃいました』という商品も昔からある。
そういう可愛げのあるタイトルとは裏腹に、恋が終わったという絶望感を歌った曲だ。
曲調はレトロっぽいサウンドで、深刻ぶった焦燥感を映し出している。『大声ダイアモンド』に雰囲気が似ている。全然今風ではないが、AKBグループにはよく似合っている曲調だ。この路線で押していく方が良いと思う。
ただ、歌詞の意味がよく分からない点がある。彼は「恋は詰んだ」と絶望しているが、そう思った理由がはっきりしない。本記事を書くに当たって改めて歌詞を読み直してみた。
彼女の気持ちを過信して「噂の彼とお似合いじゃないか?」などと余裕の軽口を叩いて怒らせたのが原因か? いや、それは彼女の心変わりに気付いたきっかけに過ぎないだろう。「さっきの視線でわかった」というのが気付いた瞬間の描写だ。では、彼女の心変わりの原因は何か?
「謝るだけじゃ許してくれない」と言っているから、彼の方が何かいけないことをしたのだろう。となると、それは「誰かの背中 君に似ていて 少し急ぎ足で追い越し振り向いた」の部分だろう。この部分は、君に似ている誰かに浮気をしたということの比喩とも読める。これを解釈その1とする。
先述の、似た女性を追い越した部分を素直に読めば、彼女と別れた後で、偶然見つけた彼女に似た人を追いかけたが人違いだったという描写だろう。彼の未練を表している。『ルビーの指輪』(寺尾聡)で、彼女と似たコートの女性を探す描写と同じだ。この解釈の方が自然だろう。
だとすれば、彼女の心変わりの原因は、直接には描かれていないという結論になる。間接的に描いているのは「思い出に過信して 今と未来見失った」というフレーズだ。彼女との過去の関係が永遠に続くと思いこみ、油断して、現在の彼女への心遣いが足りなかったというくらいの意味だろう。この歌詞は『ひこうき雲』(AKB48)の歌詞「未来への曲がり角とやさしさと風を忘れていた」とニュアンスが似ている。別れの理由を直接的に描かないのは秋元康だけの得意技ではなく、『また逢う日まで』(尾崎紀世彦:阿久悠作詞)でも「別れのその訳は話したくない」と歌っている。これが解釈その2だ。
ところで、恋が「詰んだ」と言っている。この歌詞と同様、最近若者を中心に「万事休す」「八方塞がり」「絶体絶命」という状況のことを「詰む」と表現するのが流行っているようだ。「テストが赤点で詰んだ」「バイト先の先輩が意地悪で詰んだ」「借金まみれで人生詰んだ」などなど。
しかし、この言葉遣いには、将棋アマチュア初段の私としては異論がある。将棋で「詰み」とはゲームオーバー、試合終了のことだ。「万事休す」「八方塞がり」「絶体絶命」はもう少し前の段階、もしかしたら起死回生策があるかもしれない状態を指しているような気がする。そんな段階で「詰んだ」とか簡単に言わないでほしい。この歌詞でも「どうすればいいんだろう let me know」と歌っているが、本当に詰んだのであればできることは何もないのだ。どうするもこうするもない。将棋盤を片付けて帰るだけだ。
いや、「詰んだ」後にやることが1つあった。プロ棋士は対局の後「感想戦」をやるのが慣例だ。対局を振り返り、勝負の分かれ目や、違う選択をした場合の形勢などについてお互いに話し合うのだ。
この歌の彼も、なぜ彼女が心変わりしたのか、自分の何が悪かったのか、彼女と腹を割って話し合うべきだ。そしてそれを次の恋に生かすのだ。
タイトルは『猫、踏んじゃった』からの派生。『恋をしちゃいました』(タンポポ)という曲もあった。『甘栗むいちゃいました』という商品も昔からある。
そういう可愛げのあるタイトルとは裏腹に、恋が終わったという絶望感を歌った曲だ。
曲調はレトロっぽいサウンドで、深刻ぶった焦燥感を映し出している。『大声ダイアモンド』に雰囲気が似ている。全然今風ではないが、AKBグループにはよく似合っている曲調だ。この路線で押していく方が良いと思う。
ただ、歌詞の意味がよく分からない点がある。彼は「恋は詰んだ」と絶望しているが、そう思った理由がはっきりしない。本記事を書くに当たって改めて歌詞を読み直してみた。
彼女の気持ちを過信して「噂の彼とお似合いじゃないか?」などと余裕の軽口を叩いて怒らせたのが原因か? いや、それは彼女の心変わりに気付いたきっかけに過ぎないだろう。「さっきの視線でわかった」というのが気付いた瞬間の描写だ。では、彼女の心変わりの原因は何か?
「謝るだけじゃ許してくれない」と言っているから、彼の方が何かいけないことをしたのだろう。となると、それは「誰かの背中 君に似ていて 少し急ぎ足で追い越し振り向いた」の部分だろう。この部分は、君に似ている誰かに浮気をしたということの比喩とも読める。これを解釈その1とする。
先述の、似た女性を追い越した部分を素直に読めば、彼女と別れた後で、偶然見つけた彼女に似た人を追いかけたが人違いだったという描写だろう。彼の未練を表している。『ルビーの指輪』(寺尾聡)で、彼女と似たコートの女性を探す描写と同じだ。この解釈の方が自然だろう。
だとすれば、彼女の心変わりの原因は、直接には描かれていないという結論になる。間接的に描いているのは「思い出に過信して 今と未来見失った」というフレーズだ。彼女との過去の関係が永遠に続くと思いこみ、油断して、現在の彼女への心遣いが足りなかったというくらいの意味だろう。この歌詞は『ひこうき雲』(AKB48)の歌詞「未来への曲がり角とやさしさと風を忘れていた」とニュアンスが似ている。別れの理由を直接的に描かないのは秋元康だけの得意技ではなく、『また逢う日まで』(尾崎紀世彦:阿久悠作詞)でも「別れのその訳は話したくない」と歌っている。これが解釈その2だ。
ところで、恋が「詰んだ」と言っている。この歌詞と同様、最近若者を中心に「万事休す」「八方塞がり」「絶体絶命」という状況のことを「詰む」と表現するのが流行っているようだ。「テストが赤点で詰んだ」「バイト先の先輩が意地悪で詰んだ」「借金まみれで人生詰んだ」などなど。
しかし、この言葉遣いには、将棋アマチュア初段の私としては異論がある。将棋で「詰み」とはゲームオーバー、試合終了のことだ。「万事休す」「八方塞がり」「絶体絶命」はもう少し前の段階、もしかしたら起死回生策があるかもしれない状態を指しているような気がする。そんな段階で「詰んだ」とか簡単に言わないでほしい。この歌詞でも「どうすればいいんだろう let me know」と歌っているが、本当に詰んだのであればできることは何もないのだ。どうするもこうするもない。将棋盤を片付けて帰るだけだ。
いや、「詰んだ」後にやることが1つあった。プロ棋士は対局の後「感想戦」をやるのが慣例だ。対局を振り返り、勝負の分かれ目や、違う選択をした場合の形勢などについてお互いに話し合うのだ。
この歌の彼も、なぜ彼女が心変わりしたのか、自分の何が悪かったのか、彼女と腹を割って話し合うべきだ。そしてそれを次の恋に生かすのだ。