tarpin翁のスローライフ

福井県奥越地方、季節のたより、ガーディニングなど、
写真日記・・・そして・・・。

9月「早朝坐禅会」参加。

2023年09月17日 | 坐禅会

 

禅堂に入り、私の位置に腰を下ろすと、

同時に6時の梵鐘の音。

坊守さんの撞かれる時報の鐘の音。

 

老師から、着座の「坐蒲(ザブ)」の位置、

座布団から後ろにはみ出すくらい下げ、

前位置に余裕を作る方が座りやすいと、の案内。

 

小鐘3つでスタートです。

当地の起床5時は、外は真っ暗、それでも6時になるとほぼ明けきっています、

早朝の堂内は静寂に包まれ、仲間の出し入れする息のねが微かに聞こえる時も、

暁家のカラスの声、虫の合奏が音のすべての時間。

35分位い無言の時間が過ぎ、老師の座中のお話が始まる。

 

 

「皆さまがこうして座っている時の思いは、

それぞれ別別のことが浮かんでいるのでしょう。」

無言のまま、ただ座るこの価値は、

「自分はこんな事して、私は何者なのだろう」次々と過去の思い出などが巡る中、

坐禅経過の中では、その思いが薄れたり、消えゆく時間がある、

そんなことが出来るのも坐禅。

「無我」という状態、それに導いてくれるのが坐禅です。

喜び・苦しみ・楽しみ・期待などが無い世界、「正身端坐での坐禅」です。

この教えは、お釈迦様が考え悟られた手法が、

道元禅師様もより深く求められた。

そんな事あんな事野雑念が消えゆく世界、仏法では、これ「解脱の世界」といわれている。

今一つ、今迄気がつかなかった私という命、「これを包んでくれる涼しい風」、

命という風です。

この風を感じて日常生活に生かせ、喜びを感ずる時、

大きな「慈悲の心」にふれ両手を合わせて感謝していく

自分を育んでほしい。

世界中が本物の平和を呼びかけるのも坐禅の効用。

この集いはそのような事も含みます。

ここで小鐘1つ、坐禅の終わりです。

なぜか今朝の一炷(イッチュウ)は52分の長さでした。

座後のお茶の振る舞いを頂き、みそ煎餅のもてなし、嬉しいひと時。

来月も元気で出会いましょうで解散。

 

勝山義宣寺寸描

 

 

 

 

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