起床の午前5時は、曇天とはいえ外は真っ暗。
日が短くなったことが意識される。
6時かつかつに入堂。
外では、坊守さんの撞かれる6時の梵鐘の音。
今日の設えに、堂の中心に「仏の半眼の写真2枚」。
老師から「今日は、仏の半眼の仕方を意識して」と。
誠身準備中に小鐘3つ、坐禅の正式スタート。
すぐに老師の坐中のお話が始まる。
「坐位置に着いたら、3~5分ゆっくりゆっくりと、
身体の形を点検する、そして深い呼吸、その気持ちは体の末端隅々まで、
そして静かな坐禅に入っていく。
大切なことは、「足を組み、腰を伸ばし、あごを引き、
上あごの下に先舌を当て、唇はしっかり閉じる、
息は静かに鼻からのみ出し入れする」。
続いて、「意識」である、
座っている時に体から出てくる雑念、そのすべての処理方法が大切。
「仏陀もこのことに一番悩まれ」、
この雑念を悪魔そして「悪魔よ去れ」と。
それでも出て来る雑念、坐禅をつづけられた仏陀、
ある日の「明けの明星を見ていた時」
雑念だけでなくそこにあるはず手、身体全体が消えた(見えなくなった)」
すなわち、煩悩具足が消えた瞬間、「これを禅定に入る」と悟された。
そして人間個個の心の中に、だれでも禅定に入る事が出来る事を諭された。
時が過ぎ、仏陀からの教えは、中国へ行かれた、
道元の師「如淨禅師」から、伝えられた。
道元は、「この次は何をすればよいのですか」と問うた。
如淨「汝の心眼を全身のすべての毛穴の先迄いきわたらせなさい」との宣託。
道元は、またまた坐禅の繰り返し、ある時、
「自分の体が宇宙の中に消えていき、全身が大きな玉となり光輝いている思いをした」
そのことを如淨老師に報告すると、それを聞かれた師は
如淨「おめでたいことだ、本日をもって元子(げんす)」
「確かに禅定に入った事を認めよう」。
そしてこの教えが今、私どもの坐禅会に伝えられているのです。
そして「現世に生きながら永遠の世界を知る」
そうした事を知る手段が坐禅です、
また坐禅は、「次の世代に受け継ぐための禅定へ入る手段です」、
と結ばれました。
そして無言の10分、
約40分の坐禅は、小鐘1つで終了。
お茶とお菓子の接待を受け雑談、
また、健康であれば来月?と意味深な挨拶で退席。