tarpin翁のスローライフ

福井県奥越地方、季節のたより、ガーディニングなど、
写真日記・・・そして・・・。

初読みは、こんな本「初期永平寺僧団始末」。

2014年01月04日 | 季節の便り(北陸、福井)
3か日は、降雪も無く穏やかに過ぎ、お正月も終わった感、
私はまだまだ余裕がありそう。

この本、サブタイトルに「寂円派立つ」とある。
この本、隣町の元公務員氏の、自主出版本、370頁に及ぶ、ずっしりの上装丁本。



座禅会での老師より、聞くいろいろお話しに有った、
「曹洞宗開祖、道元禅師が、京都からどの道を通って
今の永平寺へたどり着いたか?」ということに諸説有る・・・・とのお話。

この地に住む私にとっては、興味ある疑問でした。
過日も、この事に関して、色々な本を読み漁っていましたが、
年末に「初期永平寺僧団始末」の発刊を知り入手。
新年の余裕のある時間にゆっくり読みきる覚悟で、
読み始めています。

そして、そのことが書かれている・・・。

この著者は、色々な本を覇読してまとめられたもののようで、
史実というより「小説」と書かれているが、興味深々。
「京都からの往路だけでなく、なぜこの地、永平寺へこられたのかなど
私の、知りたいことがしっかり」
内容だけでなく、語彙の豊富さ、文体などすばらしい本の発見になりました。



大宋国(中国)から帰国した道元は、京都で3年、
勤めていた建仁寺の凋落・比叡山からの迫害などで、
京都郊外の深草極楽寺別院安養院に逃避。
大宋国(中国)での師「如浄師」の道元日本帰国に際しての餞
、最期の教え「聚落に住するな、深山幽谷に住せよ・・・」
が頭をよぎった、この事が、田舎へ移る決心。
当時、越前志比の庄の地頭、波多野義重の領地に誘いを受け、
越前志比の庄の地に移ることを決した。
そのとき、京都から今の地への道筋が書かれている。
逃避であるから、小人数で目立たないようにしての下行であり、
京都・大津から、琵琶湖を舟で、北琵琶湖の塩津へ、北陸街道、木の芽峠を越えて越前の国へ、
(ここからが問題である。)
大筋は以上であるが、木の芽峠から志比の庄への道筋が興味・・・・・。

志比の庄、到着後は、波多野や住民の協力を得て、
大仏寺を建立、その後、山内の寺組織が確立したとき
「永平寺と改称」、1246年のことであった。

などなど、特にこの越前への下行ルートは、後日私の見解なども報告したいと思っています。
この本は小説とはいえ、
「史実にかなり忠実」のように。
その後の宝慶寺の「寂円」の活躍など、今の日本曹洞宗の歴史で有り。
面白い。まだ入り口のみの派読であり10日以内にはしっかり
読みきろうと思っています。


コメント
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