もう20年来である。
番付表がとどくと、その場所と季節(7月12日から)
を知ることにもなっている。
古いはがきも一緒に。
今は定年退職した「立田川」親方ひきいる、立田川部屋の後援会の一員として、
大相撲に関心の有る時期がありました。
今は田舎に帰り上京しても、5年に一度くらい(東京場所)
しか行けませんが、
律儀に、この「番付表」は毎場所、届けてくれる人がいます。
当時この部屋は小さく、関取といわれる十両以上は
「敷島」一人しかいませんでした。
相撲が終わり、その足で当時あった小岩(変ったとこ)へ移動、
若い衆により「ちゃんこ鍋」しつらえ。
力士、付き人全部が帰ってくるのを待つ、
そして宴会、
この席には、関取と親方、そして後援会で来た人がお箸をつける、
もちろん若い衆は、お給仕でした。
当日のそれぞれの取り組みの反省がはじまり・・・・。
力の有る後援会員は、ちり紙にお金を包みそっと
ひいきの若い衆に握らせるなど、今も続いているのかな。
「敷島」関は、歌が上手く、美人の奥様でしたね、
病気で廃業したのを記憶しています。
この後、十両は出ない中で、で親方65歳定年、相撲部屋は閉鎖となりました。
今、当時の若い衆は「陸奥部屋」にがんばっています。
問題を起こした「豊桜」、兄弟の「北桜」、
一番出世で幕内にいた「十文字」関(今10両)
を覚えています。
「番付表」が届いて、こんなこと思ってみました。
歳かな?。
大相撲は、日本人力士にがんばってもらいたいね。
番付表がとどくと、その場所と季節(7月12日から)
を知ることにもなっている。
古いはがきも一緒に。
今は定年退職した「立田川」親方ひきいる、立田川部屋の後援会の一員として、
大相撲に関心の有る時期がありました。
今は田舎に帰り上京しても、5年に一度くらい(東京場所)
しか行けませんが、
律儀に、この「番付表」は毎場所、届けてくれる人がいます。
当時この部屋は小さく、関取といわれる十両以上は
「敷島」一人しかいませんでした。
相撲が終わり、その足で当時あった小岩(変ったとこ)へ移動、
若い衆により「ちゃんこ鍋」しつらえ。
力士、付き人全部が帰ってくるのを待つ、
そして宴会、
この席には、関取と親方、そして後援会で来た人がお箸をつける、
もちろん若い衆は、お給仕でした。
当日のそれぞれの取り組みの反省がはじまり・・・・。
力の有る後援会員は、ちり紙にお金を包みそっと
ひいきの若い衆に握らせるなど、今も続いているのかな。
「敷島」関は、歌が上手く、美人の奥様でしたね、
病気で廃業したのを記憶しています。
この後、十両は出ない中で、で親方65歳定年、相撲部屋は閉鎖となりました。
今、当時の若い衆は「陸奥部屋」にがんばっています。
問題を起こした「豊桜」、兄弟の「北桜」、
一番出世で幕内にいた「十文字」関(今10両)
を覚えています。
「番付表」が届いて、こんなこと思ってみました。
歳かな?。
大相撲は、日本人力士にがんばってもらいたいね。