tarpin翁のスローライフ

福井県奥越地方、季節のたより、ガーディニングなど、
写真日記・・・そして・・・。

そうか、「もう名古屋場所か」、「番付表」とどく

2009年07月04日 | 季節の便り(北陸、福井)
もう20年来である。
番付表がとどくと、その場所と季節(7月12日から)
を知ることにもなっている。



古いはがきも一緒に。

今は定年退職した「立田川」親方ひきいる、立田川部屋の後援会の一員として、
大相撲に関心の有る時期がありました。
今は田舎に帰り上京しても、5年に一度くらい(東京場所)
しか行けませんが、
律儀に、この「番付表」は毎場所、届けてくれる人がいます。

当時この部屋は小さく、関取といわれる十両以上は
「敷島」一人しかいませんでした。

相撲が終わり、その足で当時あった小岩(変ったとこ)へ移動、
若い衆により「ちゃんこ鍋」しつらえ。
力士、付き人全部が帰ってくるのを待つ、
そして宴会、
この席には、関取と親方、そして後援会で来た人がお箸をつける、
もちろん若い衆は、お給仕でした。

当日のそれぞれの取り組みの反省がはじまり・・・・。
力の有る後援会員は、ちり紙にお金を包みそっと
ひいきの若い衆に握らせるなど、今も続いているのかな。

「敷島」関は、歌が上手く、美人の奥様でしたね、
病気で廃業したのを記憶しています。
この後、十両は出ない中で、で親方65歳定年、相撲部屋は閉鎖となりました。
今、当時の若い衆は「陸奥部屋」にがんばっています。
問題を起こした「豊桜」、兄弟の「北桜」、
一番出世で幕内にいた「十文字」関(今10両)
を覚えています。

「番付表」が届いて、こんなこと思ってみました。
歳かな?。
大相撲は、日本人力士にがんばってもらいたいね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする