新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

サハリンはどんな島?

2019年07月17日 | 日記

 ポール・セルーが「鉄道大バザール」のなかで、サハリンを囚人の島だと書いている。アントン・チェホフの「サハリン」を読んでいたらしい。
 19世紀後半、サハリンはロシアの流刑地だった。ロシアではシベリアに罪人が集められ、さまざまな作業をさせられていたことは知られていたが、サハリンも同様だったことは、じつは作家のチェホフによってはじめて広く知られることになった。チェホフは30歳のとき、みずからサハリンに赴き、実地調査をしている。あの「桜の園」を書いた作家チェホフが、1980年、極寒の地サハリンへ単身で赴き、一軒一軒を訪ね歩きながら、じつに細かな膨大な記録をまとめ上げた。「サハリン島」(邦訳、岩波文庫)は上下2巻本になっている。
 日本では樺太と呼び、一時期占領していたことがあった。島の北半分は永久凍土ツンドラで耕作できず、住人は多くない。
 そこへ囚人が送られてくる。徒刑囚、その妻や子どもは罪人ではないが一緒についてくる。徒刑囚の刑期が終わると内地へ返される場合が多いが、内地へ帰っても仕事のあてがなく、そのままサハリンに留まる人もいる。しかし畑の実りは少なく、暮らしは楽ではない。官憲と同じく囚人たちにも相当な額の生活補助金がロシア政府から支払われている。町はきれいに保たれているが、衛生面はというと疑問符がつく。年間の平均気温は摂氏0度というから、生活のようすは察しがつく。
 このような土地まで日本軍が進出していたとは、いったいどうするつもりだったのだろうと考えてしまう。




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